それは空からやってくる その5
「チィ……ッ!」
イルヴィは歯噛みしながら異形の後を追う。
距離を徐々に縮めて行きながら、己の不明を詰っていた。
森の中は乱立する木々で視界が塞がれ、見通しは非常に悪い。
だから、一体目の時も異形の姿を、完全には捉えられていなかった。
もしも全身が見えていたら、その姿形に違いがある事など、すぐ分かっただろう。
とはいえ、そんなものは言い訳にもならず、よく観察していれば見抜けていた事だった。
例えば、分かり易いのが、あの尻尾だ。
人の腕が絡まる様な、不気味な尻尾を先の異形は持っていなかった。
空から奇襲した最初に出会った異形――いま目の前にいる相手には、しっかりとその趣味の悪い尻尾が生えている。
これほど異常で異形な獣など、二つと居る筈がない、という先入観が仇となった。
それに――。
これはつい先ほど分かった事だが、体躯を両断したぐらいで死んでくれない。
生物なら当然の致命傷、それを受けても死から尚遠い。
「首を落とそうが死なない相手ってのは、厄介だね……!」
――アンデッドではない。
それは実際に斬った感触から、実感として得た感想だ。
ならば何か、と言われても答えは出ないが、嫌な予感だけは増して行く。
たとえば、あの巨体だ。
「野郎……! あんなにデカかったか!?」
木々に突進し、森を蹂躙しながら進む異形に、悪態つきながら追い縋る。
前後で違う動物の特徴を持つ、酷く不安定な形態なのに、速度まで異常なのは巨体故の歩幅から来るものだ。
アキラを噛み砕けないと分かっても手放さず、それどころか木々にわざとぶつけて飲み込もうとする執着。
それがもし、捕食の結果なのだとしたら――。
即座に体躯へ反映する程、異常な吸収力を持つのだとしたら、非常に厄介な能力だと言えた。
「何にしても、これから何一つ喰わせなけりゃ済む話だ! それより――ッ!」
イルヴィは異形の尻まで追い付くと、側面から足の付根を狙って、槍を突き出した。
「いつまでも、他人の婿を咥えてんじゃないよ!!」
「――誰が、誰の婿なのさ!」
その時、反対側からもスメラータが斬り掛かり、反対側の脚を斬り落とす。
悪態をつき合う仲でも、互いのやりたい事は分かっている。
――機動力を削ぐのが優先。
「の、筈が……ッ!」
イルヴィは思わず舌打ちして、抉り込みながら槍を突き刺し、更に横へ振って大きく斬る。
しかし、切断までには至らなかった。
これまで自分の得物に、文句など付けたことはなかったイルヴィだが、動きを止められないとなれば、悪態の一つも
臓器もなく、骨もなく、そして筋肉も持たない相手なのだ。
魔物であろうと止まる傷でも、この異形の動きは止められない。
やるのならスメラータの様に、完全に異形の体躯から切り離す必要がある。
「ギィィィィヤァァァァァ!!」
脚を一本失った異形は、まともに走れず態勢を崩した。
アキラを吐き捨てるなり、憎悪の怒りを燃やして顔だけ向けて来る。
「ハッ……! お怒りかい?」
異形が足を止めたので、イルヴィもまた大きく足を開いて構えを低くした。
アキラも拘束から開放されて、武器を片手に起き上がろうとしている。
そこへ七生も追い付き、四方から取り囲む形になった。
子供は依然その胸に抱いていて、半身の構えで異形を見据えた。
連れて逃げる方が良いだろうに、一人戦線から離脱するのが耐えられなかったらしい。
「文句言ってやりたいが、あたしが同じ立場なら、やっぱりそうしたろうしね……」
だから、強く非難も出来なかった。
そうしている内に、異形の目が無差別に動き、四方それぞれの動きを観察している。
斬り落とした脚は溶けて消えていたが、足の付根が
「待っちゃくれないか! 様子見している場合じゃ――!」
イルヴィが足を一歩踏み出した、その瞬間だった。
異形の尻尾に当たる手が大きく振り上がると、そこから強烈な旋風が巻き起こり、周囲を遮二無二掻き乱す。
手甲の一部が光り、そこから見覚えのある、特徴的な印が見えた。
「馬鹿な、刻印だって!? どういうことだ!!」
「分からないわ! でも、これじゃ……近付けない!」
烈風は異形を中心に吹き荒れ、目も開けていられないほど強烈なものだ。
唯一、それを防げているのがアキラだけで、他の二人は顔面を覆う様に腕で庇っている。
そして、アキラであっても強烈な風圧は無視できず、鈍重な動きで近付くのが精一杯だった。
その間に異形は脚を復活させ、そのまま背を向けるなり走り出してしまった。
「――くそっ、逃がすか!」
異形が遠退く分だけ、風の勢いも弱まっていく。
一定距離から近付くのは依然として困難だが、だからといって、このまま逃がす訳にはいかない。
「皆、僕の後ろに! 一列になって付いて来て!」
そうする事で、風の抵抗を減らし、影響を最小限に低減できる。
アキラを先頭として一列走行になり、木々の間を縫って走った。
異形の背中は目視でき、もはや暗くなった森の中であろうと見失うことはない。
だが、森の終わりは近かった。
何処へ逃げるつもりにしろ、何処だろうと逃がすわけにはいかなかった。
そうして――。
五分も追跡を続ける内、森の出口が見えてきた。
何故、暗い中でも分かったかと言えば、松明の光が見えたからだ。
それも一つではない。
二十、あるいはそれ以上の数の松明が、森の外を右へ左へと揺れて照らしている。
「待っていられなくて、村人総出で探しに来たか!?」
そうでなければ、この時間に大量の松明など出て来ないだろう。
そして、森に慣れた者達が、捜索を買って出たに違いない。
だが、そうではなかったと、直後に知る。
松明を持った者は、単なる村人ではなかった。
強風に煽られ悲鳴が上がり、松明を落とす者までいて、一種叫喚の様相を呈している。
そして、その多くが、鉄製の鎧を身に着けていた。
「な、なんだアレ……!?」
アキラが素っ頓狂な声を上げてしまうのも無理はない。
そこには陣形もなく乱雑に立ち塞がる、多くの兵士たちがいた。
しかし、強風に煽られ倒れている者も多く、戦力としては全く期待できない。
「何であんなのが、こんな所に……!?」
そう思って、すぐに思い立つ。
最初、森に入った時、食い荒らされた死体の中には、鎧を身に着けた死体があった。
巡回兵でも居るのか、と思ったアキラは正しかったのだ。
そして、帰って来ない仲間を探しに、こうしてやって来た、というのが顛末だろう。
「わ、我らエネエン王国の誇り高き騎士! その勇気と真価を……み、見せる時ぞ!」
隊長らしき男の声は上擦って、恐怖で縫い止められているのは明らかだった。
逃げ出さない矜持は褒められるべきものだが、この場合、単なる邪魔者でしかない。
イルヴィも及び腰で立つ事すら出来ない兵たちを見て、蔑みと共に怒りを向ける。
「何だアイツら……! 百人いたって、何の役にも立ちやしないよ!」
異形は既に暴風を解除していた。
近付こうとしても、その風に押されて人も転がって遠ざかるので、それで解除していたのだ。
そして、何故解除したのかなど、予想しなくても分かる。
「ぎゃぁぁああ!」
「たす、助け――!」
目の間で、暴虐としか言いようのない光景が繰り返された。
大きく開いたアギトで、兵士たちは次々と喰われていく。
逃げようとする者から喰われ、そして喰って口を閉じている間は、前足の爪で斬り付け餌食を増やしている。
「やめろォォォォ!!」
アキラが猛然と斬り掛かり、その首を落とそうとした。
しかし、その一刀は間一髪躱され、代わりに前足を振り払われる。
アキラは身体を低くして躱し、大地を踏み抜くと、天まで衝く様な突きを放った。
「ギィィイイ!!」
首筋を深く抉られ、肉片とも体液とも取れない物が削り飛ぶ。
異形は即座に身体を翻すと、再び逃げ出そうとした。
アキラもまた追おうとし、仲間の三人もそれに続く。
しかし、その時異形に変化が起きた。
背中が隆起し、何本もの手足が生える。
再生したばかりの脚には鉄鎧らしき装甲が覆われ、続いて他の脚にも似た装甲が生まれた。
身体の表面には人面が浮き出て、苦悶の表情が張り付いている。
それを見て、アキラならずとも、まさかという思いが頭をよぎった。
「おい、まさか……アイツは喰ったものを、そのまま力に変えるのか!?」
「刻印を使えたのも、それが原因!?
スメラータの発言は、恐らく正鵠を得ている。
生物として不自然な獣の集合体、そして人の一部を体躯に表出している所を見れば、答えは余りにも明らかだ。
「生物だけじゃなく、無機物まで利用できるのは厄介よ。これで脚を攻撃して、移動力を削ぐのは難しくなった……!」
「くそっ、筋肉も骨もないんじゃ、斬り付けた所で止められやしないしね!」
七生の分析に、イルヴィが毒づく。
しかし、やることは最初から決まっていて、アキラもまたそのつもりでいた。
「ここから誰も殺させず、何一つ喰わせなければ良いだけだ。これ以上、犠牲者は出さない! ここで仕留めるんだ!」
「――おうッ!」
気合を高めたイルヴィ達とは別に、異形は全く別方向を見ていた。
鼻を鳴らし、風上からの臭いを嗅ぎ取っている。
嫌な予感がして、アキラが一足飛びに踏み出す。
しかし、異形の行動はそれより早かった。
まさしく脱兎としか言いようのない走り方で、一目散に駆けて行く。
その方向には、今も点いている家々の明かりが、細々と見えていた。
「拙い! あいつ、村人を襲うつもりだ! もっと力を蓄えたいんだ!」
「喰えば喰うほど強くなるのかい。……まぁ、そういう感じはあった。アキラを執拗に喰らおうとしたのも、刻印狙いの一石二鳥って部分もあったんだろうさ!」
「あいつ、表面に人の顔が浮かんだ時、身体も一回り大きくなってたっぽくない!?」
「生命を取り込むことで……? 傷の回復だけじゃなく、それが死なない理由に繋がるとしたら……。拙いわ、アキラ君! 喰われる程に、手が付けられなくなる!」
アキラは力強く頷く。
その表情に怒りを燃え上がらせて、異形を追おうとした直後、横合いから声が掛かった。
それは生き残った兵士、その隊長だった。
「わ、我々も戦う! 共にあの化物を、われわ――!」
「邪魔だよ、アンタらは! 喰われるぐらいなら、付いて来ない方がずっとマシだ!」
イルヴィが一蹴して、唾吐く様に言い捨てる。
アキラが走り出した事で、イルヴィもその後を追い、他二人も後を追おうと走り出した所で、七生が急停止した。
「この子、お願いします! 近くの村で探してくれ、って頼まれていた子です。無事、親御さんの元へ帰してあげて! お願いね!」
言うだけ言うと、胸に抱いていたサリサを、手近な兵に預ける。
そして、先行するアキラとイルヴィ、それに少し送れたスメラータを追うべく、七生もまた駆け出した。
その常人離れしたスピードに、隊長はこれまた度肝を抜かれる事になった。
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