その後に備えて その5

 レヴィン達には全員に一部屋ずつ与えられているが、睡眠時以外は基本的に同室で待機している。

 ヨエルとロヴィーサは護衛として、また未知の世界に対しての備えとして、傍を離れられないからだ。

 しかし、それとはまた別の話で、時間を持て余していることも理由だった。


 元いた世界では、淵魔に備えて兵を鍛えるのが、主な時間の使い方だった。

 将として学ぶ事も多く、自らを鍛えるのも、その内の一つだ。

 だが、今はそれら全て、取り上げられてしまっている。


 武器こそ奪われていないが、御神処の意味を良く理解しているレヴィン達は、所構わず振り回そうとは思っていない。

 敬意を払うべき場所で、敬意ある振る舞いをするのは当然の事だった。


 だが、全く不満がないわけでもない。

 時に、暇は人を殺すなどという言い方もあるが、それと近い状況にレヴィン達は置かれていた。


「暇でいられるのは、一種の贅沢と言えるのかもしれないが……」


「身体がなまって仕方ねぇよ。大神レジスクラディス様は鍛える場を下さると仰ってたが……」


「色々と準備もお有りなのでしょう。最近、何やら騒がしかったのは、神事が執り行われていたからと聞き及んでおりますし」


「重要な行事や儀式があったというなら、とやかく文句言える立場でもねぇよな。それは分かるがよ……、せめて素振りぐらいさせてくんねぇかな」


 小さくボヤキながら横を盗み見た先には、行儀よく控える女官たちがいた。

 今は三人、多い時は五人程が、レヴィン達の世話を焼くために控えている。


 多くのことに協力的で、欲しいと思ったものは可能な限り手配してくれるが、駄目と判断されたものには大変厳しかった。

 常に柔和な表情、優しげな態度を崩さないのだが、頑として譲らない時でも同じ様子だと、別の威圧感が生まれて怖い。


 ヨエルは一度、どうしても素振りだけでも、と強行した結果、大変恐ろしい目に遭った。

 それ以降、再び同じ愚行を繰り返す勇気もなく、今は大人しくしている。


「見てる分には、美しいだけなんだが……なぁ?」


「そうですね」


 レヴィンに同意を求めたつもりが、予想外にロヴィーサから返事が来て、ヨエルは眉を上げて彼女を見つめる。

 男女に限らず、美醜について口にする機会は大変珍しい。

 それで興に乗ったヨエルは、肩を寄せて小声で問うた。


「お前は誰が一番良いと思う? いや、分かる。お前の好みじゃなくて、若に相応しいのは誰かとか、そういう選定基準で言ったんだよな? 俺としては……」


「違います。そういう意味で言ったんじゃありません」


 ロヴィーサはキッパリと否定して、今も聞こえている筈であろうに、その素振りも見せず壁際に立つ女官達を見つめた。


「彼女たちは、ユーカード家に置き換えた場合、メイドの様なものでしょう。神への直接的な奉仕を許された方々なので、それともまた違うのでしょうが……でも、本質的には似たものではないかと推測します」


「そうだな。……多分、そうなんじゃないのか?」


「彼女たちは、その所作が美しい。歩き方、座り方、その全てに規範とする動きがあります」


「だが、それぐらいなら、我が家でも教育されている事だろう」


 レヴィンの指摘も間違っていない。

 メイドとは単なる世話係ではないし、背筋の伸ばし方一つとっても、一般人とは大きく違う。


 不快な感情を抱かぬ様、また奉仕する際、最もスムーズに動けるよう、それらが昇華された動きをする。

 洗練された動きとは、つまりそうしたものだ。

 ユーカード家のメイドも、やはり洗練されたメイドと言って差し支えなかった。


「私もユーカード家の人間として、メイド達の事は良く見ていました。若様の言う通り、彼女らは不足ない働きをしてくれていたと思います。でも、ここの女官はレベルが違う。入室する時は、必ず左足から動かしている……その事には気付きましたか?」


「いや……、そこまで見ていなかったな」


「立ち振舞のみならず、給仕の最中だけでもなく、他のもっと細かい所にまで、その洗練さを持っています。これは正しくレベルが違う」


 ロヴィーサが感嘆の籠もった視線を向けても、彼女達はそれを誇らしげにしたりしない。

 出来て当然、それで当然、と思っている風格すらあった。


「実は凄い人達に奉仕して貰ってただけ、とかないか?」


「ここに仕える女官の中でも、その更に上澄みを? あり得えない話とは申しませんが……」


 しかし、ロヴィーサはそう言いつつ、納得した様子を見せなかった。

 考え事をしている間に襖が開いて、また別の女官が入室して来る。

 取次などがあった場合、それを報せる為に部屋の外には待機している者がいるのだ。


 一度膝を畳んだ状態で、指が入るだけの隙間を開け、それから静かに戸を開く。

 ロヴィーサが言っていたように、左足から入室して、一礼してから用向きを伝えてきた。


「準備が整ったとの、言伝をお伝えに参りました」


「……準備? 何の?」


 こうした時、質問に答えるのはレヴィンの役目だ。

 そもそもここはレヴィンの部屋で、その部屋主として、三人の代表として尋ねた。


「何か用意でも頼んで……、あぁ! もしかして……」


「はい、道場の受け入れ準備でございます。御子神様より、お客人方を出迎えて欲しいとの要望があり、その受け入れが整ったと共に、師範代他、隊士の方々の手筈が整いました。そのご報告でございます」


「……うん、ありがとう。色々と分からない部分もあったが、とにかく身体を動かせるって事で良いんだな?」


「然様でございます。しばらくは通いで、お付き合い下さると伺っております。御子神様からは、成果が確認できるか、あるいは確認出来なくなったところで終了にするとの仰せです」


 どうやら、対人戦に重きを置いて鍛練せよ、という事らしい。

 そして、その為の人選も既に済み、そして今も準備している最中であるようだ。

 レヴィンは大いに頷いて、意気揚々と立ち上がる。


「今から向かえば良いのか? 武器は持って行く方が?」


「はい。得意な武器を持っての立ち合いになる、との事でございますれば」


「それは有り難い。ロヴィーサ、ヨエル、これでいつもと違う武器だから負けた、なんて言い訳が出来なくなったぞ」


「端から言う気もねぇけどな」


 挑戦的な笑みを浮かべ、ヨエルも席を立ち上がった。

 隣のロヴィーサは、何を言うでもなくそれに続く。彼女にしては珍しく、気持ちが前のめりになっていた。


 基本的に感情を表に出さないよう努めているロヴィーサだが、力不足については憂慮していた。

 特に、力の頂と思える存在を、直視したのが大きい。

 そして、それに並び立てないまでも、その足元に及ばないのなら、来る戦闘に置いていかれると理解していた。


 ロヴィーサは自分が決して弱者だと思った事はなかったが、神と一線交えるに当たって十分だとも思っていなかった。

 そして何より、レヴィンに置いていかれるのが怖い。


 力不足だから、役に立てないから、それを理由に置いていかれるのが怖かった。

 共に育った家族同然の間柄だから、レヴィンはヨエルとロヴィーサを、取り分け近くに置こうとする。


 だが、同時に淵魔相手となれば、どこまでも苛烈な決断を下す事を求められて来た。

 その必要ありと判断すれば、レヴィンは躊躇いつつも、決して誤った行動を断行したりない。


 だから今ロヴィーサに出来る事は、そもそも力不足と判断されないだけの、結果を出す事だった。

 これまで強いてきた我慢と鬱憤を晴らす様に、ロヴィーサは全身に力を漲らせる。

 それを見たレヴィンは、頼もしさを感じする視線と共に、不敵な笑みで応えた。


「やる気だな、ロヴィーサ。そうでなくては。俺も不甲斐ない真似、見せないようにしなきゃって思えるよ」


「若様を不甲斐ないと思ったことなどございません。ただし、こちらの神様が手配された戦士です。油断や様子見など、考えるべきではないと思います」


「違いねぇや。こっちの世界じゃ、魔力の事を理力と呼ぶらしいが……。その違いまでは良く分かってねぇ。名前が違えば効果も別物……、なんて思ったりするが……。まぁ、楽観できない相手と戦うことになりそうだな」


 何しろ、ただの側仕え――女官でさえ、その理力に一定の強さが見える。

 メイドに必要なのは、メイドに求められる技量なのであって、戦闘や魔術は二の次だ。


 時に護身用を目的として身に付ける場合もあるが、彼女たちはその常識を超えている。

 ユーカード家の基準に照らし合わせるなら、十分戦場に立てるレベルだ。


 ただの女官でそれだけ高い技量を持ち合わせているのなら、戦士として鍛え上げられた者達がどれ程なのか、想像もつかない。

 レヴィンは気を入れ直し、改めて気持ちを落ち着けてから女官へ声を掛けた。


「それじゃあ、案内をよろしく頼む。先方をあまり待たせるのは申し訳ない」

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