その後に備えて その4

「些末な事よ、捨て置け」


「それを些末と打ち捨てるな。……何だ、私がおかしいのか?」


 騒ぎ立てているのが自分ひとりだと今更気付き、ミレイユは胡乱な視線を周囲に這わせた。

 女官達から戸惑いを窺えたのは救いだが、それ以外の――特にユミル達からは一切の悪感情を感じられない。


 見捨てているのではなく、単に好きなようにさせようという気持ちが勝っているようだ。

 それは、時に厳しい態度を見せる、アヴェリンでさえ同様だった。


「苦難と労苦の果てにある今なのですから、多少ハメを外すくらいは許されるかと……。本当に困る事に関しては、その身を賭して止めようとするでしょう」


「まぁ、そうか……。そうだな……。私が嫌だと思うのは筋違い……なのかもしれないが」


 そう言うと、ミレイユは両手を腰に当てて、かぶりを振った。

 嘆息と共に動きを止めて数秒、それから顔を上げて、再び異論を唱える。


「……いや、やっぱりおかしくないか? そんな自堕落、個人的に許したくないんだが!」


「まぁ、誰より言う権利を持ってる、とは思うけど……」


 そう言って、ユミルは片眉を上げた笑みで、突き放すように言う。


「明確な理由はなく、感情的に何か嫌だから、止めさせたいだけでしょ? 自分以上に楽するのが癪だとか、例えばそういう理由が大きそう」


「まさしくドンピシャで心を読むのは止めろ。いや、だって、オミカゲのこんな姿、見たくないだろ……!」


 ミレイユが指を突き付けた先には、緊張感もなく、そして威厳もないオミカゲ様がいた。

 よい意味で威圧感がなく、かつての姿を知る者からすれば、偽者を疑う程の違いがあった。


 かつて――ミレイユが良く知るオミカゲ様とは、寄れば斬られると思わせる程の、神威に満ちあふれていた。

 それが今では見る影もない。


 優しげな視線は好ましく思えても、神としては威厳が足りなく見える。

 こんな事で良いのか、とミレイユが苦言を呈したくなるのは、それが理由だった。


「ま、難しいコトは良いじゃないのよ。結局のところ、アタシ達は外様だし。煩く言うのは、こっちの人間の仕事でしょ」


「そうだが……、そうなんだが……」


「ミレイさんは――」


 ルチアが長い銀髪をサラリとかき上げ、生易しい笑みを浮かべて言った。


「オミカゲ様の理想を崩したくないとか、そういう感じなんですか?」


「いや、別に理想とか、そういう話じゃなくてだな……」


「じゃあ、制限がある中でも、自由で奔放に生きているのが羨ましいとかですかね? きっと、疎ましいとは違いますよね」


「勿論そうじゃない……。いや、今のコイツは、ちょっと度が過ぎると言いたくて……」


 ミレイユは悩ましげに表情を歪め、同意を求める様に視線を彷徨わせた。

 しかし、アヴェリンから控えめな賛同が見られただけで、他からは追随もない。

 結局、味方は居ないのだと察して、両手を上げ降参のポーズを取った。


「分かったよ。部外者が――私を部外者と言うには違和感あるが、とにかく煩く言う権利はない。けど、これを連れて遊びに行くのか? 本当に、そんな事しなきゃいけないのか?」


「これ呼ばわりとは失敬な。それに、約束したではないか」


 オミカゲ様は憤慨したフリを見せつつ、顔を前に突き出しながら言う。


「共に外へ出掛けると! 忘れたとは言わさぬぞ!」


「いや、まぁ……そうだな。ここまで面倒な話になるとも思っていなかったが……、約束は約束か」


「そうとも!」


 喜色を満面に表すオミカゲ様とは対象的に、ミレイユは渋面を顔に貼り付けている。

 そうして、渋面そのままに目を細くさせた視線を、ユミルへ向けた。


「遊びに行くのは良いとしても、宮下ぐうかはナシだ。アイツの馬鹿騒ぎに引き付けられて、下手な目撃をされるのは避けたい」


「目撃? 下手な目撃って、たとえばナニよ?」


 ユミルに問われ、ミレイユが答えようとした所を、横からルチアが口を挟む。


「それは勿論、この時代で目撃されたら歴史が変わりそうな人物ですよ」


「とはいえ、それって明確な区分とか設けられないでしょ。オミカゲサマはむしろ報せるコトで意味が生まれるパターンだけど、たとえばここにいる女官には知られたら拙いって話になるかもしれないんだし」


「いえ、こちらの人間に幾ら知られようと、それは本質的に問題ないんですよ。問題が起こるとするなら、あちらの歴史に関与するような人物です」


「はぁン? そんなの……」


 いるわけがない、と続く言葉は、ユミルのハッとした顔に飲み込まれた。

 ここには、あちらの世界を行くことで、歴史的に影響を与える人物がいる。


「……いる、わね。確かに。下手に知られると拙いコトになるかも。不安の芽を摘んでおくに、越したことはないとは言えるわね」


「彼にとって、私達はこの時点で出会わない筈の人物です」


 ルチアもまた即座に理解し、事情を汲み取ってユミルに同意する。


「でも、出会ったからと、即座に破綻を招くものでもないでしょう。フォローも比較的容易だと思いますが……」


「そうね。歴史的矛盾だとか、それを将来的に招きかねない事態を、発生させなければ問題ないんだと思うわ。まさか、三百年も先から来たなんて思ったりしないでしょう」


「容姿に明らかな違いが出てるのは、私だけですしね」


 そう言って、ルチアは長く伸びた髪を払い、魅力的に育った女性的曲線に手を当てた。


「それも事情があって、ちょっと変な格好してる、で誤魔化せそうだけどね」


「変な格好とはまた、随分な言いようですね?」


「アイツにはそんな言い分の方が、いつものコトか、って感じで伝わりやすいでしょ」


 自身の容姿に対してはともかく、ユミルの言い分には一定の説得力がある、とルチアは感じた様だ。

 非常に不服な態度をさせつつ、不承不承と頷いた。


「……ま、それはいいです。本題からは逸れ過ぎですしね。ともあれ、余計な波風を立てたくない、という懸念は理解できます」


「何より、これは時間と因果に関する事だ。多少、臆病に徹するぐらいで丁度良いだろう」


 ミレイユの発言には、誰もが首肯して同意した。


「また時の螺旋に投げ込まれたら洒落にならないしね。そういうワケだから、なるべく周知せず、狭い範囲で情報を共有しておいて」


「宮中に関しては、箝口令一つで問題なかろう。そなたらを迎えに寄越した阿由葉にも、その辺り良く言い聞かせておこう」


 オミカゲ様が鶴子へ目配せすると、万事心得ている彼女は深々と一礼した。

 女官長である彼女は、宮中の全てを支配していると言っても過言ではない。

 その鶴子が了承を示したからには、全て任せて問題なかった。


 ミレイユはそちらは一先ず納得の姿勢を見せたが、それだけでも足りないとも考えていた。

 偶然の出会いを回避しようとして、より確実性を求めるのなら、その偶然を潰すべきだった。

 より正確に言うならば、その行動を制御すれば良い。


「一つ提案があるんだが……」


「良いぞ。我らの御行を阻害しないものならば」


「どれだけ楽しみにしてるんだ、お前は……」


「語っても良いのか?」


「――いいや、黙ってろ」


 食い気味に否定されて、オミカゲ様はしゅんと肩を落とす。

 そのオミカゲ様の肩に手を置いて、ユミルは優し気な表情と共に擦った。

 オミカゲ様もオミカゲ様で、これ幸いと縋り付き、か弱い婦女子の振りを演じている。


「ユミル、あまりそいつを甘やかすな」


 ミレイユは顔を顰めて言い放ち、一切のフォローもせず話を続けた。


「今のところ、私達と一緒に追い落とされたレヴィン達が、完全に浮いてしまっているだろう?」


「自由な外出もままならぬ故、大人しくして貰っておるが……。そろそろ、我慢にも痺れが出る頃であろうな」


「最初は一緒に外出させて、気晴らしでもどうかと思っていた。こちらの世界の何もかも、彼らには新鮮に映るだろうから」


 それは喫茶店で短い時間、共にして見えた所からも窺う事は出来た。

 大体、文明レベルが違い過ぎるので、驚かない部分がないと言ってよい程だ。


 彼らには新鮮な刺激となるのは間違いないが、同時に劇薬となる可能性もあった。

 ミレイユはそこを考慮し、別の案を考えていた。


「娯楽を味わわせるのも一つの案だが、彼らには今ひとつ強くなって貰わねばならない。これから反撃へ移るに辺り、力不足は否めない」


「仰る通りかと思います」


 アヴェリンも深々と頷いて同意すると、思考を巡らす素振りで天井を見上げた。


「決して弱すぎるという事はありません。あちらの世界でも強者に位置する討滅士、その中でも上澄みと言って良いかと。少々手強い混合体ミクストラでも、あの三人は退けられるでしょう」


「……だが、物足りない」


「はい。あちらへ帰還するに当たり、掛かる苦労は図り知れぬものとなりましょう。我らの背後に置いて戦わせる訳にもいかず、ならば彼ら自身で立ち向かえるだけの力を得るしかございません」


 ミレイユは大いに頷き、オミカゲ様へと顔を向けた。


「そこで頼みたい。彼らに良い戦闘相手を手配してくれないか?」

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