蠢動 その7
「ルチア、頼む。急場しのぎでいい、穴を塞いで補強してくれ」
「……やれと言うなら。ただし、専門ではないので、本当に急拵えになりますよ?」
「石壁を生成するだけでも良いさ。お前が作るものなら、他の誰より信頼できる」
「まぁ、いいですけどね」
素直に受け取れるものではないらしく、ルチアは肩を竦めて問題の場所へと向かって行った。
その背中を見送ってから、ミレイユはヴィルゴットへ顔を戻す。
「お前には引き続き防衛を頼むが……、残存兵力だけでは辛いだろうな」
「ハッ、決して泣き言をいう訳ではございませんが、この規模に対して兵の数が少な過ぎます! 歩廊に並べる兵にすら、事欠く有様です!」
「そうだろうな……。怪我人は?」
「ハッ、奥に寝かせ、癒者に治療させている最中です。とはいえ、水薬の数も芳しくなく、戦線復帰できる者は半数に満たないかと……」
「あぁ、そうか……。こちらには物資の補充はさせてなかったから……。急ぎ、送らせよう」
ミレイユが苦虫を嚙み潰したような顔をして、軽く息を吐いた。
そうしてドーワを通し、何事かの指示を忙しく出す。
その間、レヴィンは少し離れた場所で大人しく侍っていた。
レヴィンもこの戦場で戦った身として、現在の状況についてそれとはなしに理解している。
この戦いで傷を負った者は数知れない。
無傷だった者などいないだろう。
そして、備蓄があっても十分でなかったのは、予想以上の数が襲って来た事に原因もあった。
そもそも、万を超える敵が来る事など想定して、常に備蓄しておけるものではない。
そうした戦場であるならともかく、長く平和が続いていた中では、それに見合った数字しか用意しないのが当然だ。
いざ、あの攻防戦が起こった時、準備する時間は十分でなく、だから物資がなかったのも当然と言える。
そして、その中にあって死傷者が恐ろしく少なかったのも、奇跡と言って良かった。
しかし、その奇跡も二度は続かない。
同じ規模の戦いが起これば、まず被害は甚大になるだろう。
そこまで考え、レヴィンは動きを止める。
淵魔をどれだけ用意できるか――。
それは未知数にしろ、あの規模がもう一度起こせるとは思えなかった。
何しろ、龍脈は繋がっておらず、戦力を輸送する事も出来ない。
それならば、敵は――敵戦力は、神殿に襲撃を掛けていた“新人類”だけ、という事になりはしないか。
「……ミレイユ様、この戦いでは大規模な数が運用されると思われますか? むしろ逆で、敵は一体のみなのでは……」
「現状はその様に見えるが、それだけと考えるのは危険だろう」
「そう……なのでしょうか? この近辺の神殿に隠していた淵魔は、全て出し切ったと思われますが……」
「誰が、そう言った?」
問われてレヴィンは言葉に詰まる。
しかし、状況的にそうとしか思えず、そして……そうと思えるだけの数がいた。
「ですが、全て吐き出した、と思って良いのではないでしょうか。何しろ、あれだけの数です。仮に残っていても、ごく少数と考えるのが……」
「それは、お前が実際に東端で相手にしてきた経験から……だから、そう思ったんだろう? あり得ない程の、大規模な数だったから」
「それが理由では、おかしいですか……?」
「おかしくはない。だが、決めつけるのは恐ろしい。そんな筈はない、と思う所にこそ、策を講じる者は狙って来る」
そう言われたら、レヴィンも返す言葉がない。
そもそも、淵魔をどれだけ溜め込んでおけるかなど、知る由もないことなのだ。
「東端では、全てを倒したと仰ってましたが……」
「溢れているものが止まったから、そう言っただけだ。そして、普段の規模から考えると異常で、全てを出し切ったように見えた。しかし、そう思わせる為に普段から小出しにしていたんだとしたら、油断するのは危険だ」
「……あり得ますか? そこまで大規模運用が出来るなら、もっと早くから出していれば……」
「出せば神々が動く、今回の様にな。……そして、どれほど上手くやろうとも、結局ユーカード領から出られないのは変わらなかったろう」
レヴィンは嫌な想像を浮かべては、それを頭の隅から追い出しながら同意した。
「はい、それは……納得できます。壁を越えても領都がありますから。そこが破れようとも、遷都したかつての城塞都市が淵魔を食い止めるでしょう」
「その間に足の速い竜と神々が現場に到着する。数多の犠牲は免れないが、押し返すことは出来たろう。そんな事は奴も十分、理解している」
「かつて、似たような事が……?」
「あぁ、あった。そこから淵魔には親玉がいること、そして親玉と言えるのが『核』であり、それ一つ破壊した所で意味がないことも知った」
ミレイユが苦い顔を更に歪ませ、唾でも吐きそうな声音でそう言った。
「とにかく、残存兵力を確定できない限り、東端や南端から兵を引けない。そうやって動かした直後、再び攻勢に出ることこそ、奴の狙いかもしれないから」
「何と、厄介な……」
「今更、気付いたのか? 最初から私達はずっと、不利で厄介な戦いをして来たぞ」
笑顔を浮かべて揶揄されて、レヴィンは恥じ入る様に俯いた。
「ともかく、ヴィルゴット。今は他の戦場から融通できる戦力がない。だから……」
「は……! 戦場にあって、常に準備万態、憂いなく、と行かないのは承知しております。この戦力でどこまでやれるか、精々足掻いてみましょう!」
「いや、そう結論を急ぐな。今の時点で、余っている戦力などないのは本当だ。いま遊兵と化しているものを動かせられれば、それが一番なのは言うまでもない。だが、東と南の備えを疎かに出来ない以上、また別の所から戦力を引っ張って来なければならない」
「別……、と申しますと……我がエネエン王国から、軍を呼び寄せると?」
それを聞いたレヴィンは、表情を硬くさせる。
それは決して魅力的な提案には思えず、むしろ足手まといを呼び寄せるものに思えたからだ。
今は猫の手も借りたいのは事実だが、本当に猫の手を借りて来ても役に立たない。
必要なのは戦える体裁を整えるのではなく、しっかりと戦力として数えられる軍隊だった。
ただ数をぶつける戦いは、淵魔を相手にする場合、最も忌避すべきものだ。
敵の強化を後押しするだけなら、むしろいない方が助けになる。
「いや、そこからじゃない。先の戦いでは、準備に時間が掛かり無理だった。エルフもそろそろ、動かせる様になっても良い頃だ。……それにもう一つ。こっちは使わないならそれが最良、と残したアテだ」
ミレイユの言っている事が何を示すか分からず、レヴィンはただ事態を見守った。
そうしていると、ミレイユは懐から一つの神器を取り出す。
日本からこちらに帰って来る時にも使っていた、『孔』を作り出すインギェムの神器だ。
そこまで考え、レヴィンはハッとする。
アテとは、つまり――。
「ルヴァイルの神器は、ユミルが持っているからな……。あいつが合流しない限り呼び込めないから、すぐには無理か。だが、予備戦力として扱うには、十分な力量を持つ者ばかりが来る筈だ」
ミレイユがヴィルゴットにそう確約すると、安堵する息を吐いて実直に礼をした。
神がその直前に、守護せよと命じたのだ。
その神殿を預かる重責は、レヴィンにも余りあるほど理解できた。
目の前にある戦力で勘案した時、眩暈のする様な思いがあったのは想像に難くなかった。
そうして実務的な話に移行しようとした時、上空に一つの影が見えた。
徐々に大きくなる影は、竜の形を作っていき、それが分かって肩の力を抜く。
ドーワの念話が届き、それに応じてユミルがやって来たのだろう。
それは果たして予想通りで、広い中庭の一角に、竜が颶風を起こして着陸した。
広い筈の中庭だが、三体もの竜がいると流石に手狭だ。
赤竜がいるとなれば尚更である。
流石に神の玉座たる竜に退けとは言えないので、他の二体が離れて神殿の屋根へと移って行った。
「それで? お呼びに応じて、参上いたしましたけれど?」
「殊勝な態度を取るか、尊大になるか、どちらかにしろ。馬鹿め」
アヴェリンから至極真っ当な指摘を受け、ユミルはへらりと笑う。
「じゃあ、尊大な方で」
「当然、殊勝な方に決まっておろうが……! 全く、お前と来たら時と場所の都合すら弁えなくなったのか! 弛んどるぞ!」
「あらヤダ、これって長くなるタイプのお説教? だったら先に、お風呂入りたいんだけど」
「そんな暇あるか! ――もういい、さっさと
ユミルは粘り勝ちにも等しい勝利に僅かな愉悦を滲ませ、そしてアヴェリンは苛立ちを隠すことなく睨み付ける。
ミレイユはその二人のやり取りに小さな笑みを漏らしてから、ユミルに神器を使うよう命じた。
「それは勿論、構わないけれど……。そう、呼び込むつもりなのね」
「今となっては、そうするしかないだろう。本来は、用意が無駄になる程度が好ましかった。しかし、どうやらそうもいかないようでな……」
「それは良いけど、神殿の襲撃、聞いてるわよ。……放っておいて良いの?」
「勿論、放っておけない。だがそれよりも、ここを落とされる方が問題だ。防備を固める方が最優先、狙いが逸れてしまったら、そのとき改めて考える」
ユミルは難しそうに悩む表情を見せたが、結局それに頷き同意した。
「……まぁ、考えても仕方ないわね。時間は無さそうだし、さっさと始めてしまいましょう」
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