蠢動 その8

 ミレイユが神器を翳すと、ユミルもそれに続いて神器を取り出す。

 二つの権能を合わせる事で開通する、時間を隔てて開く『孔』が、そこから生まれた。


 そして、そこに繋がる場所とは――。

 日本は御影神宮、天門宮となっていた。


 かつて、日本から帰還する際、ミレイユがオミカゲ様に言った台詞がある。

 ――その時が来たら。……恐らく、私が消えたその直後となるだろう。


 それは淵魔との決戦において、どうしても戦力が必要になった時、異世界へ召喚する旨を伝えておいたことだった。

 そして、その場に戦力を用意しておくと、オミカゲ様は確約してくれた。


 ミレイユが翳した手の先で、今まさに『孔』が開き切った。

 大人数人が並んで立てる大きさのそれは、何もかも飲み込む暗い色を湛えている。


 傍で侍っていた神官たちには離れるよう指示し、中庭に軍隊を呼び込むスペースを作った。

 ヴィルゴット以下、兵士達にも隊列を作って待機するように命じ、受け入れ態勢を作ると同時に歓迎するよう伝えられた。


 そうして待つこと暫し――。

 孔の奥から、遂に人影が到着した。


 一歩、孔から足を踏み出し、目の前の光景に驚くような仕草はあったものの、即座に平常心を取り戻し、列を作って並んで行く。

 日本には馴染のない竜、それも世界最大の大きさを誇る赤竜が、孔を抜けた先で鎮座していたのだ。


 驚き竦むのも当然だというのに、自制できたのは流石と言えた。

 ミレイユを正面にして、整然と並んで行進しては、左右に広がって行く姿は麗美ですらある。


 その武器や装備に至るまで、それら全てこの世界にとっては馴染みがないものだ。

 陣笠を使わない足軽にも似た装備は、御影本庁の公式装備。


 全て魔術付与された一品で、鎧の様に見えずとも、鎧以上の防御力がある。

 画一化された装備だけでも、明らかに高度な訓練を受けた軍隊であると分かるが、何より目を引くのはその練度だった。


 一目で分かる行進で、足の動き、手の動きまでが一つに揃っている。

 真横から見ると、一人にしか見えいないほど整然としており、これにはレヴィンも舌を巻いた。


 そうして全ての人員が孔から排出され、並び立つのは総計三千名。

 その中には、道場でレヴィンを鍛えてくれた者達の姿もあった。


 とりわけ目立つのは、この軍隊のリーダーである結希乃だ。

 五列横隊となった集団の前に一人突出して立っている。


 後ろ手に手を組み、行進を見守っていた彼女は、全員が踵を鳴らして整列し終わったのを確認すると、素早く振り返って膝を付いた。


 それに合わせて、背後の三千名も一糸乱れず膝を付く。

 こちらの礼節に見合う、正しい一礼と共に声を発する。


「召喚に応じ、罷り越しました。また、ここに御子神さまの指揮の元、着任いたしましたこと、ご報告いたします!」


「よく来てくれた。感謝する」


「勿体ないお言葉……!」


 結希乃は一度礼をして、赤竜の頭上に鎮座する、ミレイユを見上げて言う。


「かつて、我らの最も大きな危難『神宮異変』にて、その危険を顧みず、ご助力くださった恩を忘れた者はおりません。その御恩返しになれば、これ以上栄誉なことはありません」


「そうか、そう言ってくれるか……」


 ミレイユが薄っすら笑って応えると、次にユミルへ顔を向ける。


「翻訳魔術を掛けてやってくれ。このままでは、指揮に組み込むにも苦労があるだろう」


「そうね、そうするわ。でも、流石にこの人数全ては無理よ。士官だけに絞っても良いかしら?」


「そうだな、指揮系統を維持できれば、それで良い」


 ユミルに頷いてから、次いで結希乃へ顔を戻す。


「そういう訳だから、結希乃達は後で士官のみ集めて集合してくれ。そこで改めて、今作戦において何をすべきを伝える」


「畏まりました」


「――いや」


 結希乃の快諾を聞き終えるや否や、ミレイユは眉を顰めて空を見上げる。

 そうして首を左右に巡らせてから暫し――。

 動きが見えない所へ、アヴェリンから控え目に耳打ちをする。


「何か問題でも?」


「彼らに問題はない。そうじゃなく……、これは……」


 その言葉に誘われて、レヴィンは上空と周囲を見渡した。

 しかし、特別注目に値する何かは見当たらない。


 空の上にも陰りはなく、晴天に近い青空が見えるばかりだ。

 太陽の光は中天を少し過ぎたばかりで、日の出から動きっぱなしだったと、今更ながら気付く。


「何かございましたか……?」


「新たな何か……、巨大な力を持つ何かが来る……」


「敵襲ですか……!」


 その時、大地に僅かな振動が伝わる。

 空へと視線を移していたレヴィンには、遠くに煙が見え、また一つ神殿が攻撃されたと分かった。


「近付いて来てる、そういう事でしょうか」


「いや、そうじゃない……。それとは別件だ。何だ、何が起きてる……?」


 ミレイユが落ち着きなく視線を動かし、それを見ていた神官や兵達、そして新たに着任した結希乃達にも動揺が走る。

 上の者――それも最上の位にある大神レジスクラディスが動揺している姿を見せられれば、彼らにもそれが伝播するのは避けられない。


 アヴェリンが諫めようとしたその時、ミレイユは不意に立ち上がって遠くを見据えた。


「そうか、しまった……!」


「ミレ……大神レジスクラディス様、どうされました!」


「即座に防衛戦の準備! 結希乃たち御影本庁の精鋭には申し訳ないことだが、ろくな説明も出来ないまま指揮下に入って貰う」


 簡潔にそれだけ言うと、神官長とヴィルゴットへと指示を飛ばす。


「命じた通りだ、即座に取り掛かれ! 神官長は怪我人の回復を最優先、物資の在庫状況を調べろ。インギェムを呼ぶから、そちらと打ち合わせて適宜補充を」


「ハッ! 畏まりました!」


「ヴィルゴットは外壁から敵への応戦! 今しがた来た援軍を用い、上手く組み込み活用せよ。結希乃は歴戦の指揮官だ。使うだけでなく、助言も求めろ」


「畏まりました!」


 ヴィルゴットが跪いて一礼すると、結希乃へ顔を向ける。

 彼女もその視線に応じてから、ミレイユへと一礼した。


「それでは、即座に打ち合わせへ入ります。翻訳魔術については……」


「そちらにユミルを同道させる。ただ人形の様に兵を配置しても、運用は出来ないだろう。時間はないだろうが、限られた時間で作戦や打ち合わせを頼む」


「微力を尽くします!」


 そういう訳だから、とミレイユはユミルの横顔に向けて、付いて行くよう命じる。


「それは分かったけど、何を勘付いたのか、それを教えて頂戴よ」


「あぁ、そうだった……。奴が神殿を襲っていた件についてだ」


「それは分かってるわ。龍脈が繋がらない地点を、次々襲っているコトもね。合理的とは言えないけれど、何か狙いがあるのは明白……。なのに放置したのよね?」


「追って捕縛できる保障がなかった。そして、追っている間に、ロシュを落とされる方こそが問題だった。だから、仕方なくこちらの防備を固めるしかなかった」


 ユミルは詰まらなそうに眉を顰め、しかしとりあえず頷いて、続きを催促する。


「それで? 結局、裏を搔かれましたって?」


「……そうなる」


「そして、ここを襲って来るのも間違いない? 本当に? じゃあ、戦力を辺境から呼び戻す?」


 矢継ぎ早に質問され、ミレイユも苛立ちを覚える表情をした。

 たが、それ以上表に出すことなく、その質問には簡潔に答える。


「そうすべきか迷っている。奴の狙いは、やはり龍脈だった。ここまで繋げるつもりだ」


「でも、繋がらない神殿ばかり襲っているんでしょ?」


「それが今、覆った。――『虫食い』だ。それを作って、繋がってない場所を無理に繋げるつもりなんだ」


「拙いわよ!」


 神々ならば、虫食いの発生を感じることが出来る。

 そして今、各所に散らばる神々から、それに対する指示が求められていた。

 ドーワが喧しい音に耳を塞ぐような素振りをして、ミレイユに声を掛けた。


「次々と、連絡用の竜から報告きてるよ。辺境から動くべきかどうかとね」


「いま現在、手が空いているのはルヴァイルだけだ。やって貰うしかないが……」


「戦力的に危ういわよ。そこ狙われたらどうすんの?」


「しかも、多発的だ。一つ防いでいる横で、別の浸食は止められないだろう。結局、無意味になってしまえば……」


 ユミルは露骨に舌打ちして、挑むようにミレイユを睨んだ。


「どうすんの? これ完全に掌の上よ」


「相手の用意周到さを甘く見ていた。しかし、辺境へと繋がるラインが出来てしまうなら、尚更辺境から戦力を動かせない。ここを襲うのも既定路線だろう、我々も動けない」


 むしろ、龍脈の要衝たるロシュを堅守出来なければ、被害はそれでは収まらない。

 被害が甚大になるのは避けられないが、まだ取り返せる可能性は残されている。

 しかし、ここが落ちれば、その行く末すら危ぶまれるのだ。


「じゃあ、現状維持? それは余りに保守的すぎない?」


「分かってる。だが私なら……、あぁ……やはり来たか」


 ミレイユが諦観とも取れる表情で、頭上を見やる。

 そこにはユーカード領兵の鎧を纏った、赤髪の男が宙に浮いていた。


 いや、浮いているというのは語弊がある。

 空中に転移して来たそれが、自由落下して来ようとしているのだ。


「私ならここで、厄介な相手を足止めしようと仕掛ける」


 その言葉が的中したかのように、頭上の“新人類”が、その腕を変形させて襲い掛かろうとしていた。

 応戦しない訳にもいかず、ミレイユは舌打ちと共に構えを取り、魔力を練り込み応戦した。

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