隠された神殿 その7

 扉を抜けた当初こそ、人工的な部分が多く見られた。

 しかし、奥へ進む度、それも自然窟へと様子が変貌していった。

 階段状に切り揃えられていた道も、いつの間にやら、只の岸壁になっている。


 不意に蹴り飛ばしてしまった小石が道を転がり、カツン、と甲高い音を立てて転がった。

 思わず全員が動きを止め、小石の立てる音が静まるまで身動きを止める。


 静寂を再び取り返し、そして何の反応も返って来ないと確認してから、再び一行は歩みを再開した。

 行く先はどこまでも闇で、一向に照らす何かを発見できない。

 果たしてこれがどこまで続くのか、不安になり始めたところで、レヴィンが小声で問い掛けた。


「この先に、本当に神殿が……? 最初はともかく、今は人工物すら……」


「言いたい気持ちは分かる。けど、見たまえ……」


 アクスルは指し示した先には、小さな点が灯っていた。

 どこからか、光が差していることの証明だった。

 ようやく見えて来た神殿に、ホッと息を吐くのも束の間、アクスルが手を挙げて鋭い声で諌める。


「油断はしないことだよ。敢えて封をされていた所に、踏み込もうと言うんだ。危機感を持つべきだ」


「それは……つまり、淵魔が既に溢れているとか……、そういうことですか」


「可能性の一つとしてね。基本的にどこの神殿でも、自由に淵魔が出て来られないようにはしていたはずだ。見せ掛け……とまで言わずとも、封印の対策は講じていたろう」


「しかし、ここではそれじゃ不足だと、何者かは判断したわけですね。そして、魔法陣を扱えるのは、神々か魔族くらいしかいないのなら……」


 レヴィンはそれ以上、敢えて口にしなかった。

 既に神々の本質に気付きつつある今でも、染み込んだ信仰はそう簡単に消えてくれない。

 同じく尊敬を向けるべき、神官としての位を確立していた魔族に対して、不敬な言葉を投げ付けられなかった。


「とにかく、慎重に。……この先は、小石を蹴りつけるのさえナシだ」


 アクスルが緊張した声音で言うと、誰もが素直に応じて、歩みを再開させる。

 そうして、見えて来る光が大きくなって来るに連れ、ざわめきの様なものが聞こえ始めた。

 それは人の声ではなく、また獣の声でもあり得なかった。

 耳障りな不協和音ばかりが、重なり合ってより不気味な音を響かせている。


 遂に光の元へと辿り着くと、事前にアクスルは天井の光を消した。

 更に近付いて分かったことは、道の先が大きな窪みになっていて、道が完全に途絶していた、という事実だった。

 突然、地盤沈下でも発生したようで、足元から綺麗になくなってしまっている。


 元は大きな広場になっていて、そして石畳も敷かれていたらしい。

 壁沿いには、その名残と思しき足場が残っていた。


 見える先には沈んだ神殿がその頭を覗かせており、そして、その周囲には数え切れない程の淵魔で溢れている。

 その淵魔がマグマの様に発光し、それが灯りとして見えていたのだった。


「おいおい……」


「嘘だろ……」


 顔を覗かせた元通用路と、沈下してしまった地面までは大きく距離がある。

 民家を三つ重ねてもまだ足りない程なので、目視で見つかる可能性は低かった。

 しかし、何か切っ掛けさえあれば、即座に気付かれるのも間違いない状況だ。


「予定が狂ったね……。まさか、ここまでとは思わなかった……」


「そりゃあ、こんなモン見せられた日にゃ……」


 眼下にいる淵魔は、数百では利かない。

 それだけの数がひしめめき合っていた。

 距離の問題もあって、まるで虫の巣を覗き込んだように錯覚してしまう。


無垢の淵魔サクリスしかいないのが、まだ救いではある……」


「でも先生、あんなのが既に用意されていたのなら、救いだなんてとても……」


 レヴィンが必死に声を抑えながら呻くと、アクスルも重々しく同意する。


「……今はどうしようもない。流石に数が違い過ぎる。まさか、あの中に飛び込むわけにもいかないだろう……」


「高低差を利用して攻撃しても、きっと意味はないだろうな……。垂直な壁くらい、奴らは物ともせず登って来る」


「救いというなら、アイナさんに気付いていない点を感謝すべきでは……? 普通なら、とうに気付いている距離のはずです」


 ロヴィーサの指摘には各々から同意が返って来て、アイナは顔を青ざめさせつつ、生唾を飲み込んだ。

 アクスルがつまらなそうに鼻を鳴らし、レヴィンは思案しながら淵魔の動きを見つめる。


「……確かに、今までの例から言うと、気付いていて然るべき距離だ。何か別に切っ掛けがあるのか……?」


「それをいま探った所で、意味はないだろうね。それより、安全に抜ける方法こそ、真剣に考えるべきだよ」


「とはいえ……」


 ヨエルが周囲へ顔を巡らせるも、眼下全てが淵魔の群れだ。

 掻い潜って進むなど不可能だし、見つからずに抜けるのは不可能だった。

 神殿を封印するなど当然不可能、夢物語も良いところで、今は引き返すしかない様に思われた。


「戻って別ルートを探さねぇか? 追っ手がいるにしろ、まだ確定と決まったわけでもない。ここはより安全なルートを選ぶべきだろ?」


「言ってることは正しいよ」


 アクスルが慎重な声音で、そう前置きしてから言った。


「けれども、追っ手を甘く見るべきじゃないよ。ここで即座に捕まらず、殺されなかったのだとしても、一度捕捉されたらもう逃げ切れないと考えるべきだ。奴らに生殺与奪の権を与えることになる」


「リスクを承知で、この先を進むべきだと……?」


「その道がどこにある、ってんですか」


 ヨエルが鋭く吐き捨てると、アクスルは壁沿いへと指を向けた。

 そこには、かつて床が貼られていたことを示す、石畳の名残が辛うじて残っている。

 そして、――それを道というのなら――続く先には、別の入口が見えていた。


「本気かよ……」


 遥か先に見える入口と、今にも崩れそうな足場を見て、ヨエルはうっそりと呻く。

 それは誰もが同じ感想に違いなかったが、さりとて他に道もない。

 敵の目を掻い潜り、先へ進もうと思えば、渡る覚悟を決めるしかなかった。


「それじゃ、言い出した当人だし、先行は僕が務めよう。その次は……ロヴィーサに来て貰おうか。女性優先だ」


「それなら、アイナさんに譲るのが当然では? それに若様の護衛として、先に渡る訳にはいきません」


「……それもそうだ」


 一瞬の間があって、アクスルは素直に応じた。

 フードがあって分かり辛いが、そこには悔しげとも取れる笑みが浮かんでいる。


「まずは、アイナからだな。いざという時、優先的に逃がしてやれる位置にいた方がいい」


「わ、分かりました……!」


 意気込んで頷いたものの、アイナの腰は完全に引けていた。

 アクスルが背中を壁に付け、そろりとした足取りで進んで行く。


 足場は壁に引っ掛かっているような状態で、ひと一人の体重を本当に支えられるのか、不安なところがあった。

 それでも、アクスルが通れたならば、ある程度の安全は保障される。


 アイナの体重はどう見てもアクスルより軽いので、それも一つの安全材料ではあった。

 意を決して踏み出し、アクスルに倣って壁を背にしながら進んで行く。

 危なっかしい足取りでありつつ、着実に歩を進めている所を見て、レヴィン達もまた後に続いた。


 すぐ下には淵魔が蠢いていて、生きている心地がしない。

 もしも小石一つでも落下させれば、即座に気付かれるだろう。

 そして、そうでなくとも動物の気配に敏感な奴らだ。


 喰らえる生命を見つけて、我先へと襲い掛かってくる様が、容易に想像できた。

 誰しも震えそうになる吐息を抑えつつ、額には汗を浮かべて、慎重に足を動かして行く。


 まず、アクスルが入口に辿り着き、それから五歩遅れてアイナが辿り着いた。

 崩れ落ちそうになる彼女を抱き留め、安全な入口へと押しやる。

 そうして次々に辿り着くと、なだれ倒れ込むように入口へと身を投じた。


「いや……、まったく……! 生きた心地がしなかった……!」


「これだけの距離で、見つからなかったのは奇跡だ……っ」


「奴らも……っ、上には、目が付いてねぇからな……!」


 安全な場所に退避できた脱力感で、誰しも荒く息を吐きながら悪態をつく。

 倒れ込んだ体勢のまま呼吸を整え、レヴィンはそれから、額の汗を拭いつつ身体を持ち上げた。


「何とか、切り抜けた……! 二度とあんな綱渡りは御免だ……っ」


「大丈夫、あんなの早々あるもんか。とはいえ……」


 アクスルは闇の中でぽっかりと空いている、今しがた入って来た場所へ顔を向け、悔しげな口調で言葉を落とす。


「それにしても、あれを一体どうしたものか……。今は放置するしかないとしても、後でどうにか出来るのか……」


「それは、確かにそうです……」


 レヴィンは腹這いになって、再び入口から顔を出し、慎重に数を見定めた。


「何より大部隊を運用できない地形が拙い。こんな細い通路からじゃ、刻印を打ち込むぐらいしか方法がないのに、あの数相手じゃそれさえ無理だ」


「斬り込むのも自殺行為……」


 横に並んだロヴィーサが、やはり頭を低くして覗き込んで言った。


「一方から誘い出し、そちらへ釣られてもぬけの殻になった所で、もう一方から侵入して封印する。それが理想的な展開、という気もしますが……」


無垢サクリスが相手なら、やり様に寄っては……か? どちらにせよ、誘い出して終わりって話にゃならねぇ。抑え込みつつ討滅するには、もっと人数がいる」


 淵魔と長らく戦ってきた一族だから、明確なビジョンとして鮮明に想像できる。

 ロヴィーサもそれに同意して、数秒考え込む仕草を見せた。

 視線を少し動かし、それから不意に声を上げる。


「――若様、見て下さい。神殿の方です」


「湧き出た場所なんて、今更指摘されなくても分かってる」


「そうではありません」


 小声で制しながら、やはり小さな動作で指先を神殿正面、頂点部へと向けた。


「アルケス神殿です。最初に淵魔と遭遇したのも、同じ神殿でした」


「――それが何か問題あるかな」


 後ろからアクスルが割り込んで、つまらさそうに手を振った。

 フードで視線は見えない筈なのに、そこには何故か、敵意らしきものが見え隠れしていた。

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