貴婦人の道 その5

「どういう事なのです……? 今から向かう先が、神々の元とは聞いておりました。でも、何と言いますか、こう……もっと穏やかなものを想像していたのですが」


「それは……うん、間違いではないな」


 ミレイユが胸の下で腕を組み、うっそりと頷く。


「私は穏やかに済ませるつもりだ。特に、ルヴァイルとインギェムとの接触は、穏やかなままで終わるだろう」


「では、他の神々とは、そうならないと……?」


「何と言うべきなのか、言葉に迷ってしまうんだが……」


 ミレイユは視線を上に向け、眉根に皺を刻むと深々と息を吐いた。


「神と言うのは我が強い。我欲が強い、と言い換えても良いかもしれないが……。とにかく、一筋縄でいかない者ばかりだ」


「それは……、何て申して良いのか……」


「私はあれらを統率しているが、明確な主従関係を持つわけではない。ある種の強権を持っているのは事実でも、上下関係を構築しているのとは違う。協力している方が便利だし、私を排除する利がないから、落ち着いて見えるだけだ」


「では、利を見つければ、逆劇してくる可能性がある、と……?」


 ミレイユはこれにも、うっそりと頷く。


「大神とは、上位の神、小神より上等な存在……そうした意味ではないからな。在り方として見るなら、私も小神という枠組みには違いない」


「そんな……! そんな大層な事実を、自分ごときが知ってしまって良いのですか……?」


 世界の裏事情、神の在り方の一端を知り、レヴィンは何故だか無性に申し訳ない気持ちになった。

 神殿関係者でさえ、多くは知らないであろう事実を、己が知って良いのか、という気分になる。


「構わないさ。だから私は、纏め役――人間社会で言うなら、国王か。そうした地位や名誉の意味合いが強い。それを欲して狙ってくる、その可能性はある。実際の所、この地位は必ず私が就いていなければならない、という類のものじゃないからな」


「有り得ません……!」


 ミレイユの言に、強く反対したのはアヴェリンだ。

 その瞳に強い尊崇と誇りを称え、頑強に否定した。


「ミレイ様ほど、大神として崇められる相応しい神が、他におりましょうか! かつて世界の危機に際し、怯えて巣に篭っていただけの輩が、今更世界の中心に身を置きたいなど片腹痛い……!」


「アヴェリンはこう言ってくれているが、私の勝手な言い分としては、大神という地位に執着していないんだ」


 ミレイユは気楽な調子で肩を竦めたが、レヴィンとしては納得がいかない。

 強く大神を信奉している者としては、やはり今のまま、尊崇を一心に集めていて欲しいという思いがある。


 しかし、それとはまた別に、ルチアもまた、アヴェリンやレヴィンと同意見の様だった。


「ミレイさんが地位に固執しないのは分かりますけど、現実問題として、他の神々じゃ纏まりませんよ。我の強い神々を、曲がりなりにも纏められているのは、ミレイさんの強さと権能があってのものです」


「そうよねぇ、仮に他の誰かに譲ってごらんなさいよ。自分こそが相応しいって名乗りを上げて、戦争にでもなりそうじゃない。神々が覇を唱えて争う、世界規模の戦争の始まりよ。アンタには、是非とも今の地位にいて貰わなきゃ」


「……ま、分かってるさ。言ってみただけだ」


 ミレイユは軽い調子で肩を竦めて、小さく笑った。

 神に相応しい、どっしりと構えた様子だが、レヴィンはそうも悠長でいられない。


 神々が覇を争う展開など、この世の終わりみたいなものだ。

 それが例えば武道大会の様な、一対一の勝負事で決定されるならともかく、信徒を巻き込んだ一大戦争になるなど目に見えている。


 神殺しの権能を持つミレイユが、その良識で以って統率した結果が今の世ならば、是非とも大神として在り続けて欲しい、としか思えなかった。

 だが、現状は淵魔という共通の敵がいる。


 誰にとっても迷惑でしかないこの外敵がいればこそ、そうし揉め事が起きないのかもしれない。

 レヴィンはふと思い立った事を、ミレイユに尋ねた。


「……アルケスは、もしかしてその覇を唱えた者なんですか? 大神に成り代わりたくて、でも認められなくて、だから……」


「さて……?」


 ミレイユは興味深そうにレヴィンを見つめてから、口の端に笑みを浮かべて首を傾げた。


「実際のところ、それは余り関係がないな。アイツの心の内は誰にも分からないから、断言こそ出来ないが、それでも違うだろうという気はしてる」


「淵魔を利用しているからですか?」


「それも理由の一つだな。利用しているつもりで利用されているんだか、双方で利用される関係を望んでいるのかは知らないが……。あれはただ私が気に入らない、という一点で以って反抗してる」


「それも一つの理由でしょうけど、アタシの見解はちょっと違うのよね」


 ユミルが口を挟んできて、ワイングラスを掌で弄びながら、皮肉な視線を向ける。


「アンタに認められたいのよ。自分は偉大だと、一角の神なのだと、誰よりアンタに認めて欲しいの。でも、アンタと来たら鎧袖一触でしょ? ……それで拗れた結果がアレなワケ」


「どちらも大した理由ではなかろう……!」


 アヴェリンが憤慨した様子でユミルをめつけた。


「勘違いも甚だしい……! 私欲で世界を混沌に陥れようなど、神として最もあるまじき行為だ! 再創生より前に起きたことから、何も教訓を得ておらんのか……!」


「アンタの言い分も尤もなんだけど、神ってのは所詮、我儘なものでしょ。我欲を剥き出しにしたのが、アルケス一柱だけで済んで良かったぐらいじゃない?」


「そうとも言えるが……」


 ユミルの言い分に賛同し、アヴェリンは怒りのやり場をなくして消沈した。

 不愉快そうに顔を顰め、大仰に溜め息をついて、とりあえず会話は中断した。


「まぁ、そういう理由わけでな……」


 ミレイユは窓の外――とっぷりと日が暮れて、星が見える夜空を見ながら言った。


「腹に一物抱えてる神がいようとも、すぐに行動をどうこう、という事はないだろう」


「そうなんですね……」


 ホッと息を吐いたところへ、ミレイユは眼差しを強めて続けた。


「しかし、私に敵対する意志がなくとも、お前たちは別だ」


「お、俺達ですか……!?」


 レヴィンは自分の顎先を指差し、それからヨエル達三人にも目を向ける。


「何故でしょう?」


「正確に言えば、私以外の全てだ。だからアヴェリンやユミル、ルチアでさえも対象だ。神同士の争いは禁忌みたいなものだが、神使同士はその限りではないからな」


「俺達は神使ですらないのですが……!?」


「神使というのは、言い換えると神のお気に入りだ。自らの警護を任せるに足る人物、時に己の代名として遣わすに足る者達のことを指す」


 そう言って、ミレイユは誇り高い眼差しで三人を見回し、それからレヴィンへと視線を戻した。


「お前たちは神使ではないが、端から見れば同道しているだけで、そのお気に入りと見做される。ちょっかいを掛けるに、やり易そうな手合だしな」


「そんな……!」


 レヴィンは抗議しようとしたが、ミレイユは蝿を払う様な仕草をして、続く言葉を封じた。


「何も直接殴り掛かられる事はないだろう。……いや、絶対ないとも言い切れないが、ともかくグレーゾーンで仕掛けて来る可能性は高い思う。丁度、さっきの幻術みたいな感じだな」


「あ……っ! じゃあ、先程やられたアレは……!」


「予行演習みたいなモンよ」


 ユミルは笑ってグラスの中のワインを揺らし、それからぐいっと喉奥に流す。


「現実と区別が付けられない程の使い手は、そう多くないけどさ。掛けられた本人しか分からない類のモンなら、ケチも付けられ辛いしね」


「他の神使様が、そうした事を仕掛けてくる、と……?」


「あるいは、神そのものからね。何処の神処へ訪れても、そうした歓迎を受けるとは言わないけどね。ルヴァイルとインギェムの所は大丈夫でしょ。問題は他の三つ……いえ、二つね」


「他……」


 レヴィンが口の中で単語を転がし、当惑を隠せずにいると、ルチアもこれに頷いた。


「まぁ、ちょっとしたアトラクションみたいなものですから。適度に受けて、適度に受け流してあげれば良いのでは?」


「アトラクション……!? そんな遊びみたいに……!」


「遊びみたいなものですよ。本気で殺そうなんて、一割も思ってないんですから」


「いや、待ってください! それってつまり、一割前後は本気だって事じゃないですか!」


 レヴィンの抗議にも、ルチアはどこまでも余裕の表情を崩さない。

 そして、それは他の二名も同様だった。


 確かに、彼女ら程の実力があれば、どのような襲撃さえ遊び気分で一蹴してしまえるのだろう。

 しかし、レヴィンの心境は、彼女らほど穏やかでいられない。


「うるっさいわねぇ……。何が来るか分からない、何をされるか分からないってんなら、それを跳ね返すだけの力を付ければ良いだけでしょ?」


「う……っ! それは……その通りです」


「淵魔に対しては恐ろしく腹が据わってるのに、神使相手でどうしてそうなるのかしらね?」


「その神使様が相手と、聞かされたからですよ……」


 これが単なる屈強な戦士や魔術士なら、レヴィンも変に身構えたりしない。

 神使とはミレイユが言った通り、神の名代ともされる者だ。

 淵魔を相手する時のように、叩き斬るだけで済まない相手だから、どこまでも当惑してしまう。


 レヴィンの思いも余所に、ユミルは美味しそうにワインを口へと流す。

 いきなり心配のタネが増えただけでなく、予想以上に過酷な旅になると予感して、レヴィンはどうしても溜め息を抑えることが出来なかった。

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