貴婦人の道 その4
レヴィン達が案内された部屋は、最上級の名を冠するだけあり、実に見事なものだった。
基本的に二人一部屋を使う形で、男女別に加え、更に神使組とで別れる。
その中で一際広く豪華なのが、ミレイユに当てられた部屋だった。
ユミルは便宜その他、全て取り計らってくれて、部屋の割当を決めたのも彼女だ。
特にミレイユの部屋は、ベッドのある寝室以外にもリビングが用意されており、バーカウンターまで併設されている。
無論、用意された酒は自由に飲んで良い。
食事も部屋まで運ばせることが出来、レヴィンたち全員が座っても問題ないテーブルで、共に夕食を取った。
ユミルやアヴェリンが言っていた、壺焼きや魚の塩焼きも出てきて、その美味さにレヴィンも舌を巻いた。
ロヴィーサも顔を綻ばせ、喜びを噛み締めながら頬張る様は、見ていてレヴィンも嬉しくなる程だ。
神宮で供された食事や、日本に転移して初めて食べた洋食も舌を巻いたものだが、ここの料理もそれに勝るとも劣らない。
新鮮な食材と、自然な味付けだけで、最大限の旨味が出せるからだろう。
全てを食べ終える頃には、レヴィンたち全員、満腹感と満足感に浸っていた。
「その顔見ると、どうだったか訊くまでもない、って感じね」
ユミルが笑いながらバーカウンターから酒を持ち出し、自席に戻ってワインを注ぐ。
他の者にも飲むか訊いたが、これには全員が固辞した。
ここは別に敵地という訳ではないが、油断や予断は許されない。
アルコールを飲んで、常と変わらないポテンシャルを発揮できる自信はないので、飲まない方が正常なのだ。
しかし、アヴェリンは元より、ミレイユさえ止めるつもりがないので、そこまで固く考える必要はないのかもしれない。
それでも、レヴィンは万が一を考え、決して飲む気にはなれなかった。
ユミルが美味しそうにワインを口に含む所を見つめながら、レヴィンは少し怪訝に尋ねる。
「そんなに油断してしまって、大丈夫なのですか?」
「別に油断なんかしてないわよ。それに、身を隠す必要があっても、追われる身ってワケでもないんだしね」
「それは……はい、確かにそうです」
馬車を使わず、馬に騎乗すらせず、ここまで走って来たのは、レヴィン達を鍛える目的あってのことだ。
街道を走ればもっと早く、この港町まで到着できのは間違いない。
だが、途中ドラゴンに見つかることを想定して、常に身を隠せる場所を近くに探しつつ移動していたから、ここまで時間も掛かった。
そのドラゴンにしても、別段ミレイユ達を狙い撃ちに探していたわけでもない。
好奇心任せに周遊していただけだ。
ただ、そこにミレイユを発見したとなれば、その報告がこの時間軸のミレイユの耳に届く可能性がある。
それは避けたいから、こうまで不便な移動になってしまっていた。
「町の中にまで入ってしまえば、その目もまず届かなくなるワケ。去年のアタシ達はこの町に立ち寄ってもないから、そっちを気に掛ける必要もないしね」
「……ですが、少々目立ち過ぎた感は否めません」
難しそうな表情で、そう言ったのはロヴィーサだった。
「宿屋に入ってから後で、注目を集めすぎた様に思います。直接、目に付かないのだとしても、変に噂が広がったりしないでしょうか?」
「安心なさいな。こういう所で起きたコトはね、下手に口外されないモンなの。大衆宿に泊まるより、よっぽど気にしなくて済むわよ」
「そういえば、ユミル様とオーナーはお知り合いの様でしたね。その正体を知ればこそ、口止めなどしてくれるのでしょうか」
「別にアタシが何者か、名乗ったコトはないわよ」
その返答に、ロヴィーサは軽く目を見開く。
それで果たして何処まで信用したものか、決めかねる様な表情だった。
「名乗ったコトはないけれど、勘付いてはいそうよ。でも、何かを仄めかしたり、それを知らせようとしたコトもない。信用がおけるわ。そして、こういう高級宿はね、その信用こそが何よりの宝なのよ」
「しっかり考えあっての事だったんですね……」
レヴィンは感心した様に頷き、それから気楽な口調で付け足した。
それがユミルの機嫌を急降下させることなど知らず、思ったままを口に出す。
「単に寂れた宿屋に泊まりたくないだけ、と思っていました。ミレイユ様も御わすことですし、下手な所に止まれないのだと……」
「あのねぇ……、しっかり考えてるに決まってるじゃないの。馬鹿な油断や我儘で、ポカすると思うの、このユミルさんが? おん?」
「いえ、そういう訳では、決して……!」
レヴィンは必死に顔を振り、それから助けを求めるようにミレイユへ顔を向けた。
「あの、ユミル様って酒を飲むと、いつもこうなのですか?」
「こう……?」
「つまり、絡み酒とか、そういう……」
「いや、相手によりけりだな。笑ったり、泣いたり、絡んだり……。つまり、万能型だ」
「それは万能型とは言いません……! 全方位に迷惑なだけです!」
思わず声を荒らげた所に、ユミルから絡みつく様な視線が刺さった。
それはまるで蛇が舌を伸ばし、その舌先で撫でて来るようでもあり、悪寒が背筋を駆け上がる。
「アンタも言うようになったじゃないの。神使に対する敬意ってヤツを、もう一度思い出した方が良さそうよ」
ユミルの身体が左右へ、ゆらりと揺れる。
次の瞬間には、レヴィンの背後へ回り、その手を両肩へ置いていた。
レヴィンは完全に、蛇に睨まれた蛙の状態で、微動だに出来ない。
滝のような汗が額から頬へと流れるだけだ。
一声も発せられないでいると、両肩へ掛かる圧力が唐突に消え、それと同時にユミルも席に戻る。
一瞬の早業に何一つ対処も、理解すら出来ずにいると、ユミルはからからと笑った。
「アンタ、こっちの方は全然慣れてないの? てんで駄目ねぇ……。アタシが一瞬で背後に回って、命を握られた、とでも思ったでしょ」
「い、いえ……。命のことまでは考えませんでしたが……」
「でも、姿を目で追えなかったし、あっさりと背後を取られたと思った……でしょ?」
それは間違いないので、素直に頷く。
レヴィンの反応を見て、ユミルは更に笑みを深くした。
「それが違うっていうの。アタシは席を離れてないし、ずっとワインを飲んでたわよ。アンタが勝手に勘違いしただけ。大体、椅子を揺らしもせず、風すら巻き起こさず、そんな高速移動できるワケないじゃないの」
「しかし、確かに……! 肩にも手の感触が……」
「だから、それが全部勘違いよ。五感を誤認させるのなんて、幻術じゃ基本中の基本よ。試しに隣の誰かに訊いてみなさいな」
「本当、なのか……?」
未だに汗の引かないレヴィンが、左隣に座るヨエルへ問う。
すると、これには顰めっ面を浮かべながら首肯を返した。
「間違いねぇぜ、若。ユミル様はずっと席に座ったままだったし、動きと言えば美味そうにワインを飲んでたくらいだ」
「まぁ、レヴィンの対策がイマイチなのも納得ではあるけどね。刻印の中じゃ不人気のジャンルだし、淵魔が使ってくるコトもなければ、淵魔に使って効果ある魔術でもないから」
ユミルがその様に解説し、またもグラスを傾ける。
人格や五感がない相手はこれだから、と愚痴を言って、グラスをテーブルに置いた。
「でも、これからは少し、対策を学ぶとか、慣れが必要になってくると思うわよ」
「何故です……?」
「ここからは、相手が淵魔だけとは限らないから」
言われてレヴィンは眉を顰める。
ここから、と言うが、それこそ敵とするのは淵魔ばかりだとしか考えていなかった。
アルケスを弑するのであり、そして、その為には淵為魔が文字通りの壁となって襲ってくるだろう。
これまでの訓練は、そうした戦いに勝つ為と思っていたし、他の何かと敵対するのは想定していない。
だが、酔狂で言うことでもない、とレヴィンのみならず他の誰もが理解していた。
次の言葉を待っていると、ユミルの右隣に座るルチアが口を開く。
「一つの懸念ってだけですよ。基本的には問題ない、と思っています」
「それはつまり、この時間軸のユミル様に発見された場合とか、そういうケースを想定しているのでしょうか」
これを訊いたのはロヴィーサだ。
ルチアはその質問に、首を横に振ってから、詳しく説明を続けた。
「発見された時点で相当拙い事態へ発展するので、その想定は意味がありません。そうではなく、これから各地を庇護する神に謁見するに辺り、戦闘になるのかもしれないので、それを想定しているのです」
「戦闘……!?」
「想定……!?」
ヨエルとアイナが、口々に驚愕を顕にする。
視線を左右、レヴィンやミレイユ達へ交互に向けられ、まるで話が違うと言わんばかりだ。
それはレヴィンにしても同様だった。
声に出さなかっただけで、その思いは二人と全く同じだ。
一気にキナ臭くなった旅路に、レヴィンは新たな緊張と、心構えをしておこうと心に誓った。
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