貴婦人の道 その3

 ミレイユが宿泊すると決めた宿屋だけあって、内装も実に優美だった。

 一般客や冒険者などが利用するものとは一線を画しており、一歩踏み込んだ時点で別物の格式だと理解できる。


 商いで訪れる豪商や、貴族階級が利用する宿に違いなかった。

 それを証拠に、見える範囲で粗野な客など一人も居ない。


 誰も彼も、見事な身なりをした者ばかりで、格式ある格好をしている。

 その中にあって、特に汚れた格好のレヴィン達は浮いてしまっており、あからさまな侮蔑の視線を向けてくる者までいた。


「……まぁ、仕方ない。完全に場違いだものなぁ」


「いかにも貴族っぽい人がともかく、舞台役者みたいな人までいますね。お金がある人用の宿……高級サロンとか、そういう感じなんですかね?」


 アイナが素朴な疑問を呟いて、それから首を傾げた。


「あれ……? でも、レヴィンさんって、れっきとした貴族ですよね? 確かな身分か、あるいはお金が必要っていうなら、しっかり条件満たしているんじゃ……?」


「そうかもしれないが……、人ってのは見掛けで判断するのが九割だろう。それに、結局のところ、俺が辺境領の田舎貴族って部分は違いないから」


「それに、国交すらない別大陸の貴族ですもの。信用されず、騙りと思われるのが落ちです」


 ロヴィーサまでもがそう言って、小さく肩を竦める。

 卑下しているのではなく、それは一面の事実だった。

 レヴィンは実際、自らをユーカード領の貴族として証を立てる手段を持っているが、存在すら知られていない貴族に敬意を向ける者はいない。


 周囲から受ける奇異の視線を受け流していると、正面から誰かがやって来るのが見えて、ロヴィーサはすかさず道を開ける。

 それに気付いてアイナもそれに倣うと、レヴィン達もまたそれに続いた。

 いつまでも同じ場所で、物珍しそうに立っているわけにはいかない。


「フン……! まったく、『巨公の鯨亭』も質が落ちたものだ。こんな奴らまで入り込める様になったか……」


 身なりの良い男は、伴を数人引き連れ、視線さえ向けずに去って行く。

 立派なお仕着せを身に着けた従僕達は、汚らしい物を見る目をして、その後を付いて出て行った。


 その程度の視線を向けられたとしても、レヴィン達は全く気にしない。

 人はその身なりで多くを判断するもので、今の身なりがお世辞にも綺麗ではないと知っている。


 商人や著名人、貴族にも見えないだろう。

 だが、レヴィンは胸を張って誇れるだけのものを、既に持っている。


 この国の人間に認められなくとも、誰憚るもののない誇りを持っており、それが態度にも現れていた。

 それはヨエルやロヴィーサにしても同様だ。


 しかし、その中にあって、一人自信を持って胸を張れないのがアイナだった。

 肩を窄め、俯きがちになった姿は、己を卑下しているように見える。


 宿の中は広く、正面には受付があるのだが、側面には大きな窓ガラスが陽光を取り込み、酒も提供しているラウンジがあった。

 そこから外から見ていた一人の女性が、アイナ達の姿と態度にひどく気分を害したらしく、声を上げて非難し始めた。


「入る店を間違えたなら、すぐに立ち去れば良いでしょうに。見学だけなら外からでも十分できたでしょう? ――目障りよ! 早く追い出して!」


 従業員の一人へ強く指示すると、互いを見比べて酷く困った顔をした。

 即座に嗜められない所を見ると、その女性もそれなりに上客らしい。


 ラウンジの雰囲気は、時間が増す毎に、険悪へとなっていく。

 主だって声を出す者は少数だが、止めようとする者は皆無だった。


 レヴィンとしても、ここまで気分を害されてしまえば、無理にでも留まろうとは思わない。

 しかし、旅の主導権は元より宿の決定など、レヴィンが口を出せる問題ではなかった。


 それら全て、ユミルの差配みたいな所がある。

 どうしたものか、と視線を向けると、その顔にはいつもの余裕に満ちた笑みが浮かんでいた。


 何かまた。悪巧みでもしていそうな顔付きだった。

 ユミルは胸の下で手を組んだまま、片足に体重を預け、その場から動こうとしない。


 それは、他人の声になど動かされない、という表明のようでもあった。

 ミレイユもまた、何も言おうとしないし、アヴェリンやルチアも護衛に徹して、口を開こうともしない。

 その態度が、ラウンジにいる者達全員の敵意を買った。


「何をしている、早くつまみ出せ! 冒険者だか、浮浪者だか分からん者に、ここの敷居を跨がせるな!」


「初動が遅いぞ! 何をしている、私を不快にさせるな!」


「少し腕っ節が立つからと勘違いさせないで! この宿の理念を、もう一度説明させなさい!」


 一人が声を上げると熱に当てられたのか、他にも数名、罵倒の声を出してきた。

 中には度を越した発言もあって、レヴィンは戦々恐々とする思いすらした。

 ここまで騒ぎが大きくなると、最早収拾は不可能の様に思えたし、何よりミレイユも不機嫌になるだろう。


 広い港町だし、宿屋は他に幾らでもある。

 素直に移動した方が良い、とレヴィンが思い始めたところで、奥から身なりの良い老人がやって来た。


 客ではない。

 パリっと糊の利いた高級そうな衣服に身を包んでいるものの、その服装は燕尾服に近かった。


 白い手袋に総白髪、細身の体と深いシワの奥には、貴族では現れない独特の凄みがある。

 彼は商売人だ。


 そして、幾つもの面倒事を解決して来た風格が見える。

 彼を見た誰かが、感嘆めいた声を出した。


「おぉ、オーナーか……! そうだな、我らの不満を解消する為にも、それ相応の人間に対応を釈明して貰わねば」


「うむ、宿の沽券にも関わろう」


 彼らは口々にそう言って、居丈高に振る舞う。

 優越感を武器に、侮蔑をぶつけるのは当然と思っている顔だった。

 そして、自らの意を汲み取って現実を為すのも、当然としか思っていない。


 しかし、実際に起こったのは、それと真逆のことだった。

 オーナーはユミルの五歩手前で立ち止まると、柔和な笑みを浮かべて腰を曲げる。

 四十五度より僅かに深い、最敬礼の角度だった。


「大変、お久しぶりでございます、ユミル様。ご不快な思いをさせましたこと、ここに伏してお詫び申し上げます」


「えぇ、久しぶりね、ポルトネス。久しぶり過ぎて、アタシのコト忘れられたかと思ったわ」


「御冗談を。このポルトネス、一日千秋の思いで、またのご利用をお待ち申し上げておりました」


 オーナーのポルトネスは背筋を伸ばすと、実直な態度で大袈裟に否定して見せた。

 それを見た周囲の客は、言葉を失って目を見開いている。


 ユミル達の容姿は間違いなく一級品で、相応の身なりをすれば貴族として見間違わられてもおかしくない程だ。

 しかし、今の服装はどう見ても冒険者の風体で、アヴェリンの存在がそれに輪を掛けて後押ししている。


 彼らが口々に言っていた様に、たとえ金や名誉があろうとも、冒険者などが宿泊できる宿屋ではないのだろう。

 完全に住み分けされていて、一部上流階級のみが利用できる宿屋に違いない。


 この宿に泊まれることは、一種のステータスですらある。

 だから彼らは、オーナーがご機嫌取りの為にわざわざ足を運び、そして痛烈な言い回しで追い返すとしか考えていなかった。


 そして、それが当然と思っていた彼らにとって、オーナーの態度は全くの不意打ちで、驚愕を見せる彼らの中には、表立って非難した者らから距離を取ろうとし始める者まで出だした。


「でも、どうやら、この宿はアタシ達にはちょっと格式高いみたい。出て行った方がよろしいかしら?」


「滅相もございません。ユミル様にご利用いただけること、当宿屋にとって名誉以外の何ものでもありません。どうぞ、ごゆるりとご滞在下さい。最高級客室にて、ご歓待いたします」


「そう? 悪いわね。……でも、長く泊まるつもりはないのよ。ちょっと急ぎの旅なの」


「然様でございますか。無論、一日だけの宿泊であろうと歓迎いたします。それで、差し支えなければ……」


 ポルトネスはユミルから視線を外し、ちらり、とレヴィン達へ顔を向けた。

 不躾ではないものの、品定めするような眼差しが含まれていた。


「あちらは、お連れ様でいらっしゃいますか?」


「そう、アタシの連れ。身元については、アタシが保証するわ。ちょおっと今は、野趣溢れる格好してるけど」


「ユミル様のご交友の広さは、よく存じております。無論、貴女様が保証して下さったなら、こちらから申すことは何一つございません。同様にご歓待いたします」


 ポルトネスは柔和に微笑むと、レヴィン達にも丁寧に頭を下げる。

 すっかり話が落ち着いたタイミングで、彼はアヴェリンにも頭を下げた。


「アヴェリン様も、お変わりないご様子ですね。ご健勝で、大変喜ばしく存じます」


「あぁ、世話になる。船の積荷が終わり次第出発だから、下手をすると朝早くの出立になるかもしれない。慌ただしくて申し訳ないが……」


「滅相もないことでございます。では、直ちに部屋へ案内させていただきます。――これ!」


 ポルトネスが一人の従業員を呼びつけると、緊張の面持ちをした一人の男が、流れるような足取りでやって来る。

 よく教育が施されていると見え、最上級の客にも、如才ない態度で案内を始めた。


「どうぞ、こちらへ。お荷物があれば、こちらでお預かり致します」


「結構よ。仕舞える分しか持ってないから」


 男は丁寧に腰を曲げると、次に部屋へと案内を始める。

 その間、今まで非難していた誰一人、声を上げようとしなかった。

 苦渋に満ちた顔をしていたり、逆に顔を青くさせたりと、その反応は様々だったが、会話に割って入ろうとした者はいない。


 先導されて行くユミル達を、信じられないものを見るように目で追うのが精々だった。

 レヴィンはそれに多少の優越を感じながら、その背に付いて歩いて行った。

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