女神と歓談、男神と迷宮 その3
モルディの機嫌は、傍目から見ても大層良く、満面の笑みを浮かべてはカップを口元まで運ぶ。
それから香りを楽しみ、味を堪能し、それからふわりとした笑みを浮かべた。
「この前貰った茶葉、わたし気に入っているの。香りが豊かで、でもクドくなくて……。あまり量がないから、気分の良い日とか選んで使っているのよ」
「あぁ、そうなのか。だったら今度、追加で持って来るとしよう」
「あら、そういう意味で言ったんじゃないのよ」
「じゃあ、要らないか?」
「まぁ……! 今日は意地悪なのね。勿論、欲しいですとも」
そう言って、モルディは屈託なく笑った。
紅茶をまた一口飲んで、カップを下ろす。
それで、と両手を膝の上で合わせて背筋を伸ばすと、身体の向きをミレイユに向けた。
膝同士がくっつきそうになるぐらいの近距離で、モルディは好奇心を抑え切れない表情をしていた。
「それで、今日はどうしたの? 貴女が神使以外を連れて来るなんて、本当に珍しい……いえ、初めてのことではないかしら?」
くすくす笑うと、モルディはレヴィン達へと目を移す。
その瞬間、レヴィンの背を悪寒が走った。
何か特別な事をする予兆などもなかったが、身体が――本能が警笛を鳴らしている。
ミレイユがモルディの肩に手を置き、軽く払う仕草をすると、レヴィンの中から悪寒が消える。
それで、どうやら権能によって、危うく何かされかけたのだと分かった。
「お前に悪意なんてないのは良く分かってるが、気を付けないとな」
「気を付けようがないのだもの。でも、ミレイユのお陰で、こうしてまじまじと見ていられるわ。それが新鮮で嬉しいの。本来なら勝手に血を吐いたり、唐突に倒れたりするけれど、そんな心配いらないし……」
そう言って、やはり屈託なく嬉しそうに笑う。
しかし、レヴィンとしては全く気が気でなく、危うくそんな目に遭いかけたのか、と背筋が凍る思いだった。
ミレイユが最初からその権能で無効化してくれると分かっていたが、それでも今更ながら恐ろしくなる。
視界に収めるだけで――更に言うなら、近付くだけで死ぬ危険に遭うなど、あまりに恐ろしい存在だ。
「それにしても、面白い組み合わせね。強い戦士ではあるんでしょうけれど、新たな神使として迎えるには弱すぎると思うし。――あ、勿論、貴女の神使にしてはって意味ね」
「まぁ、そういうつもりで連れ回しているんじゃないからな」
「……そうなのね。でも、考えるべきだと思うわ。この前、ハイカプィと
「へぇ、どんな?」
「貴女が神使の数を増やしてくれないから、自分達も増やせない、みたいな事をね」
モルディは何がおかしいのか、くすくすと笑って、ミレイユの腕に抱きついた。
「他の神々も同じ様に思っているみたいよ。貴女に遠慮して、誰も数を増やせないんですって」
「私は別に、数の制限をした覚えなんてない」
「そうは言っても、遠慮が先に出るものじゃないかしら。大神より数多く神使を持つって、ちょっとした反抗めいたものを感じるし」
「そういうものかね……?」
ミレイユが首を捻っていると、モルディは何度も首を上下に動かした。
「そうよ。ヤロヴクトルの所が、いつまでも格好付かないのは貴女のせいなのよ。四天王を置きたいと言っているのに、いつまで経っても最後の一人が決まらない、って言ってたわ……!」
モルディは堪え切れず、笑顔をはち切れさせて大笑した。
ミレイユの胸元で顔を隠して少女の様に笑い、そして唐突顔を上げて尋ねる。
「何か良い案はないか、って文を送って来たの。四天王に代わる、何か良いネーミングがないかって。わたし、何て返したと思う?」
「さて、何だろうな……?
「猫獣三淑女って、返したの! そうしたら怒られたわ」
これにはミレイユも肩を震わせ、くつくつと笑った。
「それは怒るだろうな。そもそも全員が猫科じゃなかった筈だし、全員が女でもなかった筈だ。内一人は男だったよな?」
「でも、何故かポンと閃いて、それを送ってしまったの。ヤロヴクトルは、もっとちゃんとしたネーミングを考えないと承知せん、ってカンカンで……!」
「最初から自分で考え付かない奴が勝手を言う……。それでどうした? ちゃんと違うのも考えたのか?」
「えぇ、将来も踏まえた数で考えた結果、採用されたわ。それは実際に会って確かめてみて。多分、ご紹介に預かるでしょうから」
ミレイユは眉根を思い切り顰めて、大仰に溜め息をついた。
「まぁ、そうだな……。会う機会があれば、いや……その機会はすぐにあるんだが……」
「彼は紳士よ。何がそんなに嫌なの?」
「文面だけだと紳士に見える、それは確かだ。だが、その本質は自分勝手、唯我独尊を地で行く奴だ。他人への迷惑を考えないし、自分の欲望に忠実だ。……何より、私への当りが一層強い」
「彼は別に文面でも、そんな感じよ。でも、その中に最後の一線を越えない労りがある。その見極めが上手いのね。だから、紳士だって言うの」
なるほど、とミレイユは素直に頷いて、小さく頭を下げた。
「おみそれしたな。私などより、よほどヤロヴクトルの事を知っているようだ」
「それはそうよ。文通相手としては、彼との遣り取りが多分、一番多いもの。彼ったら筆まめなの」
「そうなのか。てっきり、ハイカプィとの文通が一番多いと思ってた」
「送っても、返事がないこともあるから。……それが悪いと言っているわけじゃないの。内容的に、こちらが勝手を言う場合も多いし。でも、ヤロヴクトルは聞いてもいない自慢話を勝手に送るから、それで文の遣り取りが続いてしまうのよ」
モルディは遠くを見つめて、くすくすと笑った。
ミレイユの腕から離れ、カップを取ると一口、口に含む。
それを見たミレイユも、カップを手にとって紅茶を飲んだ。
「……さて、色々話したけれど、忙しい貴女を、あまり長居させてはいけないわね。今日はどういったご要件?」
「お前から切り出してくれて助かった。……まず、これを」
ミレイユは懐から神器を取り出し、ハイカプィにも与えた同様のものを手渡す。
受け取ったモルディは、やはり物珍しい造形の神器を、矯めつ眇めつしながら裏表を確認する。
「面白い形だし、強い力が籠もっている。でも、この神気に覚えは……。あら、ミレイユと似ている気も……?」
「詳しく話すと長くなるが、それはお前の身を護るものだ。それだけ強力な『守護』の力が籠もってる」
「守護の権能なんて、どこの神が……」
「今は余り聞かないでくれ。そして、ここからが本題だ」
ミレイユが口調を改めると、それに合わせてモルディも背筋を正す。
近過ぎた距離を少しだけ離し、傾聴する姿勢を取った。
ハイカプィには話せない事実であっても、モルディにならば話せる。
ルヴァイル達と同様こちら側に協力的で、かつ頼んだこと以上の余計な真似をしないと分かるからだ。
たった独りで居るから勝手をしない、という理由もあったが、何より信用しているから打ち明けると決めていた。
「これより一年後、災厄が起きる。淵魔を起点とし、アルケスが主導となって起こす、世界を侵す叛乱だ。――私は、これを止めねばならない」
「よく分かるわ、大神としての務めでしょう。でも、どうして一年後に起こると知っているのかしら。それも聞かない方が良い? 起こる前に止める手伝いをすれば良いの?」
「いや、止めてはならない。奴には実際に、事を起こしてもらう。その上で止める」
「何故……とは、訊いてはならないのでしょうね」
ミレイユは小さく首を横に振り、モルディの手を取った。
「自分は蚊帳の外に置かれるから、と思っているかもしれないが、そうじゃないんだ。私は一度、敗れた。その上で世界から追い落とされた。しかし帰って、ここにいる」
「え、っと……? つまり……?」
「私は未来から来た。敗北を塗り替える為、そして定められた歴史のまま道に沿う為、こうしている」
ミレイユの説明は抽象的で、また端的に過ぎ、モルディは余計に混乱する破目になった。
しかし、説明しようにも、あやふやな部分も多く、詳しく説明するほど混乱を招きやすい。
そこでミレイユは、重要な部分だけを切り取って説明することにした。
「今この時代に、
「何故……?」
「私自身、影で暗躍するミレイユなど、認識の遥か彼方だったからだ。そうした記憶が元よりある以上、この私も今の時間軸のミレイユに、そうと知られてるわけにはいかないんだ」
「わたしは知ってしまったけれど……」
ミレイユは大いに頷いて、握った手に力を込める。
「お前に協力して欲しいからだ。お前ならば、きっと別のミレイユがいる、と何処かの時点で気付いただろう。それについて、問い詰めることなどないよう、予め教えておきたかった」
「えぇ、それは分かったわ。でも、時間転移は禁忌……。貴女自身がそれを破ったというなら、それだけの重大事だった、ということよね……?」
「勿論だ。アルケスは相当な覚悟を以って望んでいるし、その為に神々を襲うことも視野に入れているだろう。特に周囲を護る神使もいないモルディは、格好の的と考えるかもしれない。最悪でも、それは防ぎたい」
「それで、この神器なのね……」
ミレイユは手の中に収まっている神器を、直視せずに見つめる。
「みすみす淵魔に喰われるとは思っていないが、何をしてくるのか分からないのが奴らだ。それがあれば最悪、亀の様に閉じ籠もっていられる。敵の利になることだけはないだろう」
「そう、そうね……。私の権能が、勝手気ままに扱われた時の被害は、きっと想像を絶するもの。それはあってはならないこと……」
「反撃の際には、呼びかける。――協力してくれ」
「勿論よ」
モルディは笑顔で頷き、ミレイユに抱き着く。
その温もりを忘れぬように、またすぐ離れてしまう寂しさを紛らわすように、モルディは強く強く抱き締めた。
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