女神と歓談、男神と迷宮 その2

 内部に足を踏み入れると、そこは更に裏寂れた印象を受けた。

 かつては荘厳だったと分かるだけに、栄枯盛衰を見るようで心に寂しい。

 また、直前にハイカプィの神処を見ていたことで、それがより一層際立った。

無く

 天井にはシャンデリアが掛かっていたが、蝋燭は全て無くなっており、埃だけが積もっている。

 周囲を見渡しても立像や絵画などなく、装飾といえば壁に刻まれた幾何学模様に似た紋章だけだった。


 蝋燭や松明といった明かりこそないが、神処内は回廊が多く、採光に不便はない。

 そして、進むべき方向もその回廊が示しているので、迷うことはなさそうだった。


「……それにしても、ここが、こんな所が……、と言ってしまのは、不敬でしょうか」


「神が家政婦よろしく掃除して回らなければ、こんな風にもなるんだろうさ。広く立派な建物は、他者から見れば羨むものかもしれないが、手入れして維持するのは並大抵の苦労じゃないしな」


「そうですね……。しかし……」


 レヴィンは何か言おうとしたが、それ以上言葉に出なかった。

 そして、言っても仕方ないことではある。

 モルディ自身に思い入れがなければ、維持する必要もまたないのだ。


「それに、昔と比べれば、まだしも良い生活になっているしな。……あぁ、昔というのは再創生より前、という話だが……。彼女の権能は、誰にとっても歓迎されるものではなかった」


「それは……何というか、酷いですね」


「特に歓迎しなかったのは、十二の大神たちだ。自らを脅かす小神、その可能性がある小神の存在は目障りだった。モルディとて、望んで得た権能ではなかったろうが、最も望まなかったのはその大神たちだったろう」


「なんとも、納得しがたい話ですね。大神様が十二もいた、という時点で思うところもありますが、それで更に小神を、というのは……」


 そこまで言い掛け、レヴィンは唐突に言葉を止める。

 そうして、不意に浮かんだ疑問を口にした。


「モルディ様がその権能を望まず生まれた、という言い方をされてましたが……。そもそも小神は、どのようにして生まれて来たのでしょう? 大神によって生み出された存在、とかではないのですか?」


「それを語り出すと長くなる。……が、当時の小神は、大神によって生み出されていたのは確かだ。そして、深層心理か、あるいは強く心に願った気持ちが、権能として顕現する。モルディが望まぬ権能を得たのは、この深層心理に基づく獲得をしたせいだろうな」


「強く願う気持ち……。場合によっては、深層に封じていた気持ちが、何より強いこともある、と……。確かに、そういう事もあるかもしれません」


 そこまで言って、レヴィンの頭に、またも疑問がよぎった。

 強く顔を顰めて、落ち着きなく顔を左右に向ける。


「なんだか、非常にイビツではありませんか? 小神を望みながら生み出し、それなのに排斥していたんですか? 何の為に……?」


「それがつまり、傲慢から生まれた破滅の始まりだったんだろうさ。言っただろう、詳しく話すと長すぎる。だがとにかく、その傲慢さ故に私を敵に回し、神の世は一度終わりを告げた……」


 十二柱もいた大神が、一夜にして二柱まで減った理由がそれである。

 世界を巻き込み、そして一度は崩壊目前までいった。

 しかし、全てを修復し、かつての大神支配を終わらせたから、今がある。


「当時の大神は使小神を欲した。使えない小神も数多生まれたはずだが、本当に使えない者以外は手元に置く事にしていたんだな。モルディは扱いこそ難しいが、その権能で畏怖を巻き起こし、信仰を毟り取るには都合が良かった」


「そんな……神や信心は、道具ではありません! まして、その為に利用するなど……!」


「そうとも、そのとおり。だが、彼らにとっては道具に過ぎなかったわけだ。純粋に慕われ、信仰を向けられるのが一番なんだろうが、中には無神論者なんて者もいる」


 実際には珍しい部類だが、皆無ではない。

 そして、少ないながらも存在する少数派からも、取りこぼすことなく搾取する為、畏怖でもって支配した。


「無信心も自由の筈だが、十二神たちは許さなかった。さっき、ユミルが腹痛を例に出していたが……当時は実際に人が死に、そして村が滅んだ。そこに許しを請うて、神に祈るんだ。それが神の糧となる願力を生んでいた」


「酷い……。余りに酷すぎます……」


「その部分で言うと、モルディの権能は、実に使い勝手が良く思えたんだろう。上手く使えば人から畏怖の念を搾り取れるが、畏怖が集中すれば、大神よりも信仰を獲得する神になる。それは避けたかった。だから……」


 だからこそ、モルディは冷遇された。

 大神と小神の力関係が逆転することが、あってはならない。


 小神は大神に逆らえないようになっているが、人々の信仰や心の機微の全てを支配することは出来ないものだ。

 荒ぶる神を鎮めようと、人々が一層の信仰を向けることも考えられた。


 そこで大神は、頭を押さえつけるだけでなく冷遇を課し、増長する機会すら奪った。

 ただし、元より慈悲深い性格をしていたモルディは、進んで人に災厄をバラ撒く事もなく、強いられた時しかその力を振るうことはなかったという。


「大神達へ襲撃した時、もしも小神が……モルディが加担していたら、勝負の行方は分からなかったろうな」


「それほど……ですか」


「仮定の話に過ぎないが……。それに、冷遇されていたのはモルディだけではない。多かれ少なかれ、大神による抑圧はあった。だからこそ、その窮地にあって救援の報が飛んでも、全ての小神は静観を決め込んだわけだが……」


 それは心ある者なら、当然の行動だった。

 普段から抑圧され、都合よく使われていた者たちが、その危機を知って助けに行くかは大いなる疑問だ。


 確かに、小神は大神の命令に逆らえなかった。

 しかし、最大限引き伸ばし、逃げ続けていたから、救援へと駆け付ける前に全てが終わったのだ。


「それより、そろそろ回廊の終点だ。その先にモルディの私室がある。間違っても、私より前に出るな」


「は、ハッ……!」


 元よりレヴィンに、ミレイユを押し退けて前に出る度胸などなかった。

 権能による厄災が飛んで来るとなれば、尚の事だ。


 視線の先にはミレイユが言った通り、回廊の終わりが見えていて、そこには豪奢な――かつては見事な装飾が施されていた、と分かる扉があった。


 ミレイユがドアノブに手を触れると、パチリ、と静電気の様なものが走る。

 それで手を離してから、今更思い立ったかのように顔を上げ、ノックをしてから返事を待つ。

 すると、扉の奥からくぐもった声で返事があった。


「ミレイユ……?」


「そうだ、入るぞ」


 声を掛けながらノブを持って腕を広げると、それに合わせて扉が開いた。

 そして、中を見たレヴィンは驚愕で目を見開いた。


 これまでの様子から、中も同様に壊れた家具や、穴の空いた壁などを予想していたのだが――。

 実際には、まさに神が住まうに相応しい様式を備えていた。


 部屋の奥には天蓋付きのベッドがあり、文机と猫脚の椅子、長テーブルに座り心地の良さそうなソファーなど、暮らすに不便と言えないだけの家具が用意されていた。


 また、採光もよく、天井にはガラスが嵌め込まれていて、日中ともなると、陽光を存分に取り込む設計だ。

 床には絨毯が敷き詰められていて、毛並みも立っていて美しい。


 そして、今まさに、文机から立ち上がったのが、女神モルディだった。

 長い黒髪を持ち、痩せ型ではあるが不健康という程ではなく、表情も柔和で美しい。


 着ているドレスは、王侯貴族の夜着を思わせる薄手のもので、それが白い肌に映えていた。

 琥珀色の瞳を潤ませ、モルディはミレイユに駆け寄るなり、身を投げ出して抱き着く。


「あぁ、ミレイユ……っ!」


「元気にしてたか?」


 モルディはミレイユの腕の中に収まりながら、しきりに何度も首を上下する。

 年の頃は外見だけならミレイユと変わらず、二十代前半に見えた。


 しかし、その態度はまるで姉妹のようで、ようやく帰って来た姉に甘えているかのようだ。

 レヴィンはそれをまた驚きと共に見つめ、傍に居たユミルへ、こっそりと耳打ちする。


「思っている方と、随分違って驚きました。……これって普通なんですか?」


「まぁ、そうね。見ての通り、モルディに触れられる者って、人間、神問わず他にいないから……。人肌の温もりに飢えているのよ。その権能故に、神使すら持てない神だから、それを一切気にせず接せられる存在が、モルディにとって救いなのよね」


「そうか……。『神殺し』がプラスに働く、珍しいパターンなんですね……」


 ユミルはゆっくりと、不満そうに頷く。

 横顔だけを見せるその表情は、その遣り取りを非常に不愉快と感じているようだ。

 しかし、かといって二柱の邪魔をするほど、狭量でもないらしい。


「孤独ってのは、神をも殺すのよ。不憫に思って、うちのコも年に数回、あぁして通って面倒見てる。ここの家具も、そうして運び入れられた物よ」


「ミレイユ様も、お優しい……」


「見て見ぬ振り出来ない、ってのが真相でしょ。忙しい時間を割いてこっち優先するお陰で、ルヴァイルの方は蔑ろになって、結果……変にヘソ曲げられる結果になってたけど」


 そう言って、ユミルは皮肉交じりの笑みを浮かべた。

 そうしている間にも、モルディはミレイユの胸から顔を離し、手を引いてソファーに誘導しようとしている。


 なるべく近寄るな、との助言通り、レヴィンは部屋の入口に待機する。

 神使組はそれより遥かに近くへ移動したが、やはりいつものように近くで侍ることはしない。


 ミレイユが抑えてくれているとはいえ、もしもの事態を考え、限界近くで待機することを選んでいるのだ。

 モルディはミレイユを座らせると、自らはいそいそとお茶の準備を始める。


 お湯などは魔術を用いて出していることに加え、その手付きは実に手慣れたものだ。

 生活の全てを自分でやっているからこそ、出来る芸当だろう。


 茶器を二つ用意し、モルディはミレイユの隣で肩を寄せ合って座る。

 そうして、前回とは違う、実に和気藹々とした神の会合が始まった。

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