第七章

女神と歓談、男神と迷宮 その1

 ミレイユとその一行は、モルディの神処までやって来て、その入口を見上げていた。


「ここが、そうなのですか……?」


 レヴィンが訝しげに発言したのも無理はない。

 それは神を讃え、神を奉る神処としては、余りに見窄らしかった。


 見る人が見れば、単なる廃墟として映ったことだろう。

 しかし、そこは間違いなく、女神モルディの神処に違いなかった。


「言いたいことは分かるが、ここは間違いなく、モルディの神処だ」


 かつて――、建立されたばかりの時は、美しくも白く輝く神殿だった。

 テントを模した様にも見える、三角形の屋根が特徴的で、それが四方向から組み合わさる形をしていた。

 本殿の周囲には四つの尖塔が立ち、その威容を守り、後押している様に見えたものだ。


 しかし今や、尖塔の先端は欠け……あるいは朽ち、まともな状態で残っている物は一つもない。

 屋根や外壁もまた、穴こそ空いていないものの、所々剥がれ、苔生こけむしていた。

 そうした神処が、小高い丘の上に鎮座している。


「ここが本当に神処なのは分かりましたが……。でもどうして、こんな事に? 信徒が黙っておらぬのでは……」


「無論、そうだ。心ある信徒からすれば、この様な状況、放っておける筈もない。しかし、ここに居るのはアルケスに次いで人気のない神だ。そしてモルディもまた、人に近寄られるのを望まない」


「だから、ここに居を移して以来、手入れもされないまま、ずっと放置されてきたのよ」


 ユミルが遣る瀬無い表情で、深々と息を吐いた。

 しかし、レヴィンはその説明だけで納得できなかった。


 神は己が庇護する大地を、大神レジスクラディスから割り当てられ、そうして人々の生活を護って来ていた筈だ。

 実際の多寡はともかく、その庇護を疎む者などいない。


 恩に報いたい、御恩を返したい、と思うのは自然なことだ。

 人が住まない土地の神殿ならばともかく、神が実際に住まう神処を、ここまで蔑ろに出来る心情が理解できなかった。


「まぁ、実際モルディは慈悲深く、心優しい神だと思うわ。その権能とは裏腹に、どこまでも情に厚い神でもある」


「権能……、『災禍』と『危難』、ですね。……では、つまりそれで?」


「そう、これを以って、モルディは危難に喘ぐ信徒を、素早く察知できる。それが例えば、不慮に襲って来た魔物であれば、これに災禍を与えて撃退してくれたりもする」


「それは、確かに……慈悲深いですね」


 では、尚のこと敬われてしかるべき神だ。

 その単語だけ聞くと恐ろしく感じてしまうが、実際は人に罰を与えたり、困らせる使い方はしていない、という事になる。


「ただ、何というか……その権能故に誤解されがちだし、何事も上手く行かない好例というかね……。今は魔物の襲撃を例に挙げたけど、これがもし、崖から足を踏み外した危難であったら? 船が転覆し、波に攫われる危難であったら? モルディはどうすると思う?」


「えっ……と……、どうするんでしょう? それ事態が災禍みたいなものですし、それを調節して小さな事故まで事態を矮小化させる、とか……」


 ユミルは手を払って、悲しげに顔を振る。


「そう都合よくはいかないの。基本的に、権能っていうのは与えること、加えることしか出来ないものだから。オミカゲサマの例で言うなら、何かしらを守護できても、守護されたものを減じさせるコトは出来ない。守護を与え防護する、その現象を与えてやれても、元からあるものを取り除くことは無理なのよ」


「それが共通の在り方ですか……。前にお会いしたハイカプィ様の権能であれば、豊穣で収穫高を上げられても、不作にしてやることは出来ない、と……」


「それまで十の豊穣を与えていて、明日から一の豊穣しか与えなければ、相対的な不作は作れるでしょうけど……」


「でも、ゼロやマイナスには出来ない……」


 そう、とユミルは静かに頷く。

 そして、彼女の言ったことを考えれば、モルディの権能もまた、人々に襲い掛かる災厄や危難は、決して取り除けないと理解するしかない。


「では、もしかして……。自らに降り掛かった危難は、モルディ様の仕業……と考える人もいるのでしょうか」


「当然、いるでしょうね。腹を下した場合とか? 腐った物を食べた自分が悪いのに、モルディのせいにされるっていうのは、ままあるコトなのよ。アンタにはない? 急激な腹痛で神に助けを祈るコト」


「それは……えぇ、恥ずかしながら……」


「それと同じコトが、モルディにも起きる。助けを求めるんじゃなくて、許しを請う方向でね。勿論、そんなみみっちぃコト、モルディはしやしないんだけど……。持ってる権能が権能だからねぇ……」


 モルディがユミルの評価通りの神ならば、非常に立腹していそうな話だ。

 その権能を持つが故に、汎ゆる災厄や危難まで、自分のせいにされては堪らないだろう。


 実際は、助けられる事態においては、手を差し伸べているのに、そうでない部分ばかり見られるのなら、人間不信になりそうだった。


「――もしかして、だから、なんですか?」


「何が?」


「神処がここまで朽ちている理由です。人間嫌いになったから、誰も寄せ付けなくなって、それで……」


「ん〜……、そういうコトじゃないのよねぇ」


 後頭部をポリポリと掻いて、ユミルは悩まし気に息を吐いた。

 腕を組んで高台に聳える神処を見つめ、そのまま口を閉じてしまった。


 何か言いづらいことがあるのだろう、と察せたが、そこまで聞いては続きが気になる。

 期待を寄せる視線をユミルに注ぎ続けたが、やはり返答はない。


 駄目で元々、アヴェリンに視線で窺ったが、これは梨の礫だった。

 そうしていると、ルチアが苦笑交じりに説明を始めてくれる。


「慈悲深い神なので、人々にどう思われようと、それでへそを曲げたりしませんよ。むしろ、人を好ましく思っているから、近付いて欲しくないのです」


「何故です……?」


「己の権能で、人を不幸にしたくないからですね」


 言われて、レヴィンは訝しげに眉を顰めた。

 確かに、その権能が人に向かえば恐ろしい。

 もしかすると、国すら滅びかねない、恐ろしい権能だろう。


 しかし、人々を好ましく思う慈悲深い神ならば、最初からその様な真似をするとは思えなかった。

 何かの拍子で、あるいはうっかりと、人を害する危険を考えているのなら、余りに気にしすぎというものだった。


「えっと……、ちょっと分からないんですが、モルディ様の権能は、近付くだけで害されるものなんですか?」


「さっきユミルさんが言った、何もかも都合よくいかない、という部分に掛かってますよ。――そうです、近付くだけで害されるんですよ」


「……えっ!?」


 レヴィンが思わず身を引くと、代わりにヨエルとロヴィーサが前に出て、その位置を取り替えた。

 いつでも身代わりになる準備は出来ている、という奮起を見せるが、ルチアは冷ややかな笑みを見せる。


「このぐらいの距離なら大丈夫ですよ。高台まで上がって、神処に足を踏み入れたら、その時は分かりませんけど……」


「お目汚し、失礼致しました」


 ロヴィーサが素直に頭を下げて、ヨエルを伴い、元の位置に戻る。

 レヴィンは自分よりも二人が害されなくてホッとしたが、しかし今更ながらに恐ろしくも感じて来た。


「……ここを上ったら、問答無用で襲われるんですか。災厄とか、危難に……」


「そうなります。だから、誰も近付かぬよう、モルディの方から厳命しているのです。その為、身の回りを世話する女官は勿論、神使すら彼女は持っていません」


「ここでただ独りおわしまして、民を庇護して下さっているのか……」


「自分が救える類いの危難に対しては、ですけどね。けれど、この大陸に住む者達は防犯意識や、災害対策もしっかりされてますので、その手を煩わせる事は少ないはずです。モルディを恐れ、同時に正しく敬ってもいるんですよ」


 それを聞いて、レヴィンはどこか救わる思いがした。

 ただ恐れられるだけでなく、その慈悲深さも理解しているのなら、モルディも嬉しく思うだろう。


 だが、ただ独り……何者とも接触せず、神の務めを果たして生きるのは、非常に大変な事に違いない。

 そうして、レヴィンはふと思い立って、ミレイユに尋ねた。


「あの……、誰しも平等に影響を受けるというなら、付いてきても大丈夫だったんでしょうか? 神使の皆様方なら自力でどうにかなさるでしょうが、我らはとても……」


「別に神使だから対処できる訳でもないけどな。モルディの権能は強力だ。防護壁を張ろうとも、簡単に突き破られてしまう」


「つまり、神使の皆様方であろうと、モルディ様の前では無力だ、と……?」


 ミレイユがうっそりと頷き、そしてレヴィンは声を荒らげて動揺したが、直後に思い立って冷静になる。


「それじゃあ、どうするんです!? ――あっ、ここで待機してれば良いだけですか!」


「馬鹿を言うな。ミレイ様だけでおとなうなど考えられん。当然、お供するに決まっている。お前らもだ」


 アヴェリンがから冷徹すぎる視線と共に言われ、一度は静まった感情が再び吹き出してきた。


「わ、我々もですかっ!? それこそ、邪魔にしかならないのでは!? 皆様なら凌げる危難や災厄でも、我々は呑み込まれ、足を引っ張るだけかと……!」


「……お前、ミレイ様の権能を忘れてないか。『神殺し』と言われる権能は伊達じゃない。如何なる危難も、汎ゆる災難も、ミレイ様の前では全くの無力だ」


「そ、そうだ……。そうでした……」


「どれほど恐ろしい権能だろうと、より強力な権能の前には押し潰される。何事か起こる前に、ミレイ様が全て『挫滅』して下さるのだ。何の心配もいらない」


 アヴェリンの宣言は堂々たるもので、一片の疑いすら向けていなかった。

 ミレイユも横顔だけ向け、ちらりと笑って自信あり気な表情を見せると、先頭になって歩き始めた。


 そうとなれば、レヴィン達もついて行くしかない。

 恐ろしい気持ちを押し殺しながら、神処へ続く階段に、恐る恐る足を踏み出した。

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