幕間

 ハイカプィは玉座の上で大儀そうに座りながら、今まさに孔の中へ消えて行った大神レジスクラディスを見送った。

 そうして、他からは分からないよう、隠れて小さな息を吐く。


 彼女との対峙は、いつだって緊張に満ちている。

 しかし、それを信徒の前で見せる訳にはいかなかった。

 信徒はハイカプィが素晴らしい女神であり、敬うに足る存在だと信じている。


 克己心の強い鬼族にとり、尊崇に値する存在だと、常に思われていなければならないのだ。

 ハイカプィは脚を組み替え、尊大に見える態度で、目の前に立ち並ぶ鬼族へ声を掛ける。


「皆の者、急な呼び掛けにもかかわらず、こうして集まってくれたこと、嬉しく思う」


 ハイカプィが声を掛けると、鬼族は一斉に片膝を付き、両拳を床に当てた。

 これは敵意も武器も手にしていない事を見せる礼儀作法であり、鬼族にとって神に向ける最上級の礼法でもあった。


大神レジスクラディスには、あたくしの……そして、鬼族の誇りを存分に見せ付けられたと思う。急に仕事を抜けて来た者は持ち場に戻り、そうでない者は休むと良い。後で酒を届けさせよう。――大儀であった」


 ザッ、と音が重なる動作で、綺麗に揃った一礼をすると、鬼族は次々と大扉から外へ出て行く。

 その際にも、敬意の籠もった視線と一礼を、決して欠かさない。


 それを満足そうに見つめ、最後の一人まで居なくなるのを見届けると、大扉が再び閉められるのを待ってから、傍らの神使に目を向けた。


「……ちょっと、どういうことか説明してちょうだい」


「説明、と申しますと……? あぁ、失礼を……」


 第一神使であり、金髪青目、二本角を持つカクスが、代表して応えた。

 位置的に話しづらく、また主神に無理な態勢をさせる続けるわけにはいかない神使は、丁寧に断りを入れてから、一度壇上から降りた。


「それで、説明と申されましたのは、一体如何なるものに対してでしょうか?」


「決まっているでしょう。大神レジスクラディスの不興を買った件よ。海がどう……とか言ってたけれど、一体なんのこと? その様な報告、一切受け取っていなくてよ」


 ハイカプィの詰問に、神使同士で顔を見合わせる。

 カクスに全く覚えはなく、ただ首を振るばかりだ。

 そして、第二神使であり、栗色髪で日に焼けた肌を持つ、一本角のソキスもまた首を横に振った。


「恐れながら、私にも覚えがありません」


 その様に返答があれば、視線は最後の一人に向けられる。

 そこでは、唯一の女性神使エモスが、誇り高い眼差しでハイカプィを見返していた。


「ハハッ! それについてはわたくしが、ネリビン海域にて襲撃したことを、ここにご報告致します!」


「ここに、じゃないでしょう。それは一体、いつの話!? ――っていうか、えっ……本当に襲撃したの? あっちの言い掛かりじゃなくて?」


「ハッ! 魔物どもを刺激、誘導し、大神レジスクラディスの乗る船を襲撃させました」


「な、な、何やってんのよぉぉぉ!?」


 ハイカプィはその報告に恐れ慄き、両腕で顔面を庇うようにして、背中を仰け反らせた。


「何故か竜を使わず、船で移動しようとしていましたので……これはチャンスだろう、と。最初に巨公の鯨を使ったのですが、言うことを聞かず失敗。その後、ネリビンの魚竜を運良く発見いたしましたので、これを突付いて、船を襲わせました」


「な、何でそんな事を……?」


「やはり、この世で最も美しく、最も素晴らしい神はハイカプィ様ですから! この世の尊崇を一身に受けるべき存在で、その為には今の大神が邪魔です。亡き者にできれば、と思ったのですが……」


 全く悪びれもしない態度に、ハイカプィは驚きを隠せない。

 神を葬ることに何ら罪悪感を感じておらず、正しき行いと信じている所に、その恐ろしさを感じた。


 見れば、他二人の神使も怒りで肩を震わせている。

 当然だ、とハイカプィは思った。

 この反逆行為が表沙汰になれば、信用失墜だけでは収まらない。


 しかし、次に出て来た言葉は、ハイカプィの予想とは全く違うものだった。

 俯き加減に震えていた二人は、勢い良く顔を上げると、エモスへ声を大にしてぶつける。


「お前がそんな事をやっていたとは……! まったく、見直した!」


「……へ?」


 ハイカプィの間の抜けた声すら、神使には届いていない。

 カクスに続いてソキスもまた、労をねぎらう様に、その肩を叩く。


「うむ! この世に神は、ハイカプィ様ただ一柱のみ、おられれば良い。隙があったら、襲うのは当然のこと! よくやったな!」


「えへへ……!」


 エモスは照れながら可愛らしく後頭部を掻く。

 しかし、主神の為にやったと言われても、当の神たるハイカプィは、全く心穏やかでいられなかった。


「はぁ!? はぁぁぁ!? 何が当然、何がえへへ、よ! 誰も頼んでないでしょ! 何であんたら鬼族ってやつは、そう勝手な馬鹿しかやらかさないのよ!?」


「しかし、我らが擁する最も偉大な神こそ、世界で最も尊崇されるべきです。そうであれば、大神の地位はハイカプィ様こそ相応しい。エモスは正しい行いをしました」


「してねぇ、っつってんだろ! 分かれ! 話を聞け! 聞きなさいよ、頼むから!」


 最早、外聞など取り払って、頭を抱えて髪を掻き毟り、言葉汚く神使を罵る。

 心優しい慈母の姿、あるいは女王の様な威厳は微塵もない。


 しかし、そうした態度であっても、神使たちがハイカプィを見る目は変わらない。

 何なれば、こうしたハイカプィの癇癪は珍しい事でもなかった。


 無論、それは一般の信徒には見せられない、ハイカプィの素顔ではある。

 あるのだが、神使となってその身に侍るようになれば、こうした本質を見るのは日常茶飯事でもあるのだ。


 だが、それでも神使の尊崇と、溢れ出る信頼は変わらない。

 不毛の死の大地を、その豊穣たる権能で地を満たし、食糧難から救ってくれた恩義まで消えはしない。


 無類の酒好きでもある鬼族は、大量に得られる穀物から酒類の作り方まで学び、正に溺れるほど呑めるようになっている。

 これはハイカプィの権能なくして、決して実現できないことだった。


 だから、彼女が取り繕う外見通りでない神であろうと、それすら好ましいものとして受け止められていた。


「――いい? 誤解なく、間違いなく伝えたいから、良く聞きなさい。あたくしは大神に成り代わりたいと思わないし、大神レジスクラディスを敵に回したくもないの。敵にしちゃいけない相手なの、分かった!?」


「……しかし、ハイカプィ様ほど心優しく、また慈愛に溢れた権能を持ち、信仰を一身に受けるべき存在は他にありませぬ」


「しかし、じゃない! あたくしが、このあたくしが、それを求めないって言ってんの!」


「御冗談を」


 はっは、とカクスは朗らかに笑う。

 それに合わせて、ソキスとエモスも一緒に笑った。

 ハイカプィは顔面に苦渋を浮かべ、苦虫を千匹単位で噛み潰したかの様に歪める。


「駄目だ、こいつら……。話にならない……っ!」


「今回、エモスは失敗したようですが……、ご安心下さい。次なる機会がありましたら、我らも総出で手伝います故。今度こそ、大神の地位を献上いたします!」


「するな! しなくて良いの! 頼むから! 何でこうも話が通じないのよォォォ!?」


 ハイカプィは玉座から崩れ落ち、壇上で身体を左右に転がし悶絶した。

 思い付いたら一直線、そして一本気質を持つ鬼族である。


 それを良しとしたのなら、どこまでも突き進む。

 これが仮に戦場であったり、あるいは建築に向けられている内は良い。


 突然発生した魔物の氾濫であれば、臆することなく一丸となって戦い抜くし、神殿建築においても一切の手抜かりなどしなかった。

 広大な面積を誇るハイカプィの、無窮なる約束ブレヴィアーリオと名付けられた神処も、鬼族の一念によって完成したものだ。


 ハイカプィは荘厳な神殿などいらない、悪目立ちしないものが良い、大神レジスクラディスより立派なものは駄目、と厳命した。

 しかし、出来上がったのは目も眩むような、立派な――立派すぎる宮殿だった。


 一つの方向に突き進むことを選択した時、鬼族は底知れぬ力を発揮する。

 しかし、それが間違った方向だった場合、最悪の結果を落とすのだ。


 そして、それは往々にして、神への――ハイカプィへの高すぎる尊崇が原因で起こることでもある。

 ハイカプィは、転げ回っていた身体をピタリと止めて、ゆっくりと起き上がった。


 ふらつきそうになる身体を持ち上げ、何とか玉座に座り直す。

 その座り方も疲れ切った老人のようで、肘掛けに体重を掛け、背中を丸めている。


「……あのね、大神レジスクラディスっていうのは、恐ろしい神なのよ。壊滅的な力を持つだけじゃなく、知恵も働く。下剋上なんて、考えるだけ無駄な相手なの」


「……例の、神殺しの権能を持つから、ですか? 神々に対して恐ろしくとも、我々ならば対抗できますよ!」


「出来ないの。出来るわけがないのよ。あんたらは知らなくて当然でしょうけど……」


 現在の小神が、神使を持てる様になったのは、再創生が成された後だった。

 それまでは十二の大神を頭上に掲げ、その言いなりになるしかなかった。


 ただ、汎ゆる部分で窮屈だったわけでもない。

 自由裁量は認められていたし、一定の信仰を集めることを求められる以外は、放置されていたも同然だった。


 しかし、大神たちにとって都合が悪いと判断されれば、容赦なく間引かれる。

 反抗できないだけの力量差があり、集める願力の差もあり、しかもそれは顕著だった。


 ハイカプィが十全にその権能を発揮できたなら、きっと多くの信仰を獲得できただろう。

 今の鬼族が感謝する様に、大いなる恵みを与えることで、多くの信仰を得られたはずだ。


 しかし、そうはならなかった。

 大神は、小神が過度の信仰を得ることを、決して許可しなかったからだ。


 豊穣の権能については少しだけ、雀の涙ほど収穫量を上げる程度にしか使わせて貰えず、そして不満は平安の権能によって黙らせるのに使わされた。

 小神はその名の通り、大神に比べ遥かに小さな存在として、生を許される神でしかなかった。


「かつて、この世界には十二柱もの大神がいた。それを知っている者は既に多くないけれど、確かにいたのよ。大神レジスクラディスはその内、十柱もの神をたった一日で弑し奉っているのよ」


「まさか、そんな……」


「神はね……死んでしまうと、その神魂がとある場所に封じられる。闇夜の中を一本の光が尾を引いて、次々と封じられて行く様子に、あたくしは心底恐ろしく感じたものよ」


 逆立ちしても敵わない存在、それが大神であったはずだった。

 しかし、当時、未だ神にもなっていない者が、次々と弑して行くのだ。

 その時に受けた衝撃を、ハイカプィは永遠に忘れないだろう。


「初めから規格外の存在なのよ。その上、神使だって神殺しを成し遂げているのよ。単なる護衛だとか、神のお気に入り程度に思ってちゃいけないの。――あのアヴェリンが激昂した時、本当に気が気じゃなかったわよ!」


 そう言って、ハイカプィは自らの肩を抱きしめる。

 寒さで震える仕草は、今更ながら襲って来た悪寒を抑えきれなくなったからだ。


「分かるでしょう? 犯すべからざる領域っていうのは、確かにあるものなのよ。大神圧政の時代を終わらせた立役者でもあるし、あんたらが今こうして生きているのも、大神レジスクラディスのお陰なのよ?」


 大神圧政の時代は、息苦しい程の緊迫感に包まれていた。

 ハイカプィが勝手をせずとも、信者が大胆な行動を起こせば、大神信者が宗教戦争を仕掛けてくる。


 本当に恐ろしい時代だったのだ。

 それを思えば、現在の状況がどれだけ恵まれているか、分からぬ筈もなかった。


 人は自由に神を選択し信仰できるし、脅されるまま神に祈る必要もない。

 神は自由に権能を行使でき、『虫食い』の対処を除けば、面倒な責務もない。


 ハイカプィは大神レジスクラディスに感謝すらしているのだ。

 不満があるとすれば、なぜ鬼族の大陸を充てがわれたのか、という所だが……それも理解している。


 不毛の大地で、互いに生を奪い合う鬼族の大陸は、控えめに言って地獄そのものだった。

 食糧事情の改善が必要なのは目に見えていて、そして、それは他の大陸では大きく求められないものだった。


 ――適材適所。

 各大陸に一柱、神を割り振る必要があった時、誰に任せるとなれば、ハイカプィ以上の適任はいなかった。


「少しは大神レジスクラディスに感謝なさい。あたくしを、この大陸に派遣したのは大神レジスクラディスよ。他の神が来ていたら、もっと大変な事態が続いていたはずよ。カクスなら良く分かるでしょう」


「然様ですな……。確かに……あの奪い合い、殺し合う日常が戻って来て欲しいとは思いません」


 カクスは最も古株の神使であり、そしてハイカプィが初めて任命した神使だ。

 代替わりせず使えている唯一の神使だから、当時の状況を今も深く理解している。


「……しかし、まぁ……それはそれ、これはこれ、でしょう」


「何でそういうこと言うの? ――何でよ!? あっちを敬えとは言わないわ! でも、敵意をなくして闇討ち紛いのこと、止めろって言ってんの!」


「でも、ハイカプィ様が最も偉大な神なわけですし……!」


 エモスが信仰篤い視線を飛ばし、惚れ惚れとした溜め息をつく。

 だが、そのような様子こそ、ハイカプィが最も望まぬものだった。

 両手で頭を覆って、大袈裟に仰け反る。


「話が通じねェェェ! 嫌い! 嫌いよ! あんたらなんか、大っ嫌いよ!」


「はっは、ハイカプィ様はご冗談がお好きでいらっしゃる!」


「我らを試されておいでなのだ。無論、その様なお言葉賜りましょうとも、我らが敬愛の一心全て、ハイカプィ様のもの!」


「今度見つけたら、手段を問わず追い詰めてみせますよ!」


 エモスが輝く笑顔で言うものだから、ハイカプィは肘掛けに手を付いて、前のめりに厳命する。


「――止めなさい! 絶対に止めなさいよ! 次は絶対に協力するの! 敵対なんかしてみなさい、淵魔の前に別の戦争始まるわよ!?」


「それはそれ! これはこれ!」


「そんな言い分が通用するか! 馬鹿! あんたら、ホンット馬鹿! ばぁぁぁか!」


 その後も、ハイカプィの悲鳴と怒号は絶え間なく続いた。

 ようやく鎮静し、神使の納得を取り付けるのは、それから十時間経ってからのことだった。

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