女神ハイカプィ その8

「……まぁ、モルディには……そうだな、実際に様子を見てから考えよう。機嫌が良ければ、素直に味方してくれるはずだ。ヤロヴクトルは……、どうしたものかな」


「下手に掻き回されるのが嫌……それが、全員の見解でもあるワケじゃない? だったら、いっそ勝負事に持ち込んで、勝って言うコト聞かせるのは?」


「それは……、うん。一考の価値があるかもしれない」


 何しろ、ヤロヴクトルは『刑罰』と『恩寵』を、権能に持つ神である。

 敗北者には罰を、勝利者には功労を与えたがる。

 だからこそ、愉快犯的に人々を、その挑戦に巻き込むことを好むのだ。


 現在も、その欲望を忠実に発揮し、ヤロヴクトルが庇護する大地にて、人々を自らが作った一大センセーショナルに巻き起こんでいる。

 ミレイユは顎先と摘む様にして手を伸ばし、それから細かく上下させた。


「アイツに挑み、そして勝利した報酬として、協力を取り付ける……か。放置して何をされるか戦々恐々とするぐらいなら、いっそ先手を打った方が良いかもな」


「ですが、ミレイ様……よろしいのですか?」


 アヴェリンから声が掛かって、ミレイユは顎先を摘んだ格好のまま、顔を向ける。


「有効であるのは確かでしょうが、面倒臭い事になるのは間違いないかと……」


「そこなんだよな……。ただ面倒臭い事になるんじゃない、相当……とんでもなく、果てしなく面倒な事になるのは、まず間違いない」


 それを考えると頭が痛くなる思いで、実際ミレイユは顎先に添えていた手を、こめかみに移して項垂れた。


「嫌だ嫌だ……。いっそ不干渉を貫いて、運に任せてみようか。もしかすると、一年後まで何もせず、自ら作った遊びに興じ続けてくれるかもしれないぞ」


「実際、有り得ない話とは言いませんが……」


 ルチアが困った笑みを向けて、苦言を呈した。


「もしも、二柱いる大神レジスクラディス、に気付いたら、そっちで何をしでかすか想像が付きませんよ。我々がヤロヴクトルから、下手な手出しをされなかった事実を考えると、起こってしまいそうな事には蓋をしておきませんと……」


「そうだな、分かっているさ……。破裂樹の実が足元に転がっている、みたいなものだ。僅かでも刺激すれば破裂とすると分かっているのに、そのまま放置なんて有り得ない」


「そのまま一年の間、誰も、何も触らないコトを祈るって? 勝算がなさすぎるわ」


 ユミルも投げ遣りに賛成し、それから降参する様に両手を挙げた。

 インギェムはこれまでの流れを見守っていたが、一つ話が纏まったのを切っ掛けに、気軽な調子で言葉を投げる。


「……で、どっちから行くんだ?」


「どっちから、か……」


 ミレイユは暗い声音で、更に顔を俯ける。

 とはいえ、ヤロヴクトルの所へは必ず行かねばならない、と決まったばかりだ。

 だから後から行くか、先に行くか、どちらの方が精神衛生上安心か、という問題でしかなかった。


「まぁ、それじゃあモルディから……」


「いや、それには異論あるわね」


 ミレイユが全てを言い終えるより前に、ユミルが口を出して止める。

 そして、右手の指を一本立てて、横に振りながら持論を展開した。


「モルディは何かに気付いても、自ら動いたりしないワケよ。でも、ヤロヴクトルは違う。面白いコトを見つけて、そのまま放置すると思う? むしろ、嬉々として駆け付けようとしそうじゃない」


「放置する時間が伸びるのは、それだけリスクを増やすだけ……。なるほど、ユミルさんの言うことも納得です」


 ルチアからの支持を受けると、ユミルは更に満足げな顔付きで、大袈裟に指を振る。


「そうでしょ? だったらやっぱり、まずヤロヴクトルに接触するのが優先、と思うわ」


「でもですよ、ヤロヴクトルは下手すると、凄く長い時間が掛かるわけじゃないですか」


 しかし、追い風だった風向きが変わって、タクトの様に振っていたユミルの指が止まった。


「反して、モルディなら一日で……いえ、半日と掛からず終わります。ハイカプィも短いものでしたけど、ちょっとしたアクシデントもありました。けど、モルディならそれすらないと期待できますから」


「なら、そっちを先に終わらせた方が良いって? ……まぁ、確かにそうかもね」


「それだけじゃありません。危険性で言うと、どちらも大差ないと思うからです。モルディは確かに引き籠もりで、自発的に何かしようとするタイプじゃないですよ。でも、ミレイさんが絡むと豹変します」


「あぁ……、まぁ……確かに」


 ユミルは不承不承ながら頷いて、ルチアに賛同するなり指を下ろす。

 それから、つまらなそうに唇を尖らせ、零す様に言葉を落とした。


「一理ありって感じよ。本来、存在しない二柱目のミレイユを見つけたらどうなるか? 確かに、その危険性は放っておけないわね。向かう先がコッチなら良いけど、そうじゃないと困ったコトになり兼ねないし……」


「そこから、私達の存在が知られるのは不味いですよ。牽制する為にも、……というより、万全を期すなら、モルディだって放置できません」


「そういう話になるか……」


 ミレイユは悩ましげに息を吐く。

 こめかみに当てた手をグリグリと動かし、絞り出す様に声を出した。


「どちらも重要だとは再確認できたが、モルディの方が早く済む、と誰もが思ってるみたいだな。危険度は少ないと思うが、ヤロヴクトルを優先すると、長らく放置する羽目になる。そうするぐらいなら、モルディの方を先に終わらせてしまうべきか……」


「まぁ、アンタが頼めば、すぐ了承でしょ。ハイカプィの時みたいにはならないだけ、ずっと気分も楽じゃない。その後のコトを思うと泣けてくるけど」


「言うなよ、考えない様にしてたんだから……」


 ミレイユはこめかみから手を離して、インギェムを見返した。


「まぁ、そういう訳で、先に行くのはモルディの方だ。……ヤロヴクトルを後に回すのは精神衛生上、本当に嫌なんだが、そうも言ってられないし……」


「気持ちは分かるぜ。己だって、会わなくて済むなら、会いたくねぇもん。……けど、説得する必要があるってんなら、そうするしかないだろ」


「いっそ、攻勢魔術でも撃ち込んで、瓦礫の下に埋めておけないか……?」


「そうしたい、ってんなら止めねぇよ。お前の知る過去に、そうした事実があるんなら、是非そうしろよ」


 インギェムの突き放す様な物言いに、ミレイユは閉口して顔を逸らす。

 当然ながら、ミレイユが知る限り、そうした事実など存在しなかった。

 そして、なかったというのなら、ミレイユが好き勝手にやって良い理由がない。


「じゃ、今から『孔』を開けるって事で良いか?」


 インギェムが部屋の空いたスペースに手を向けた所で、ルヴァイルから静止が入った。


「とりあえずの方針が決まったのは良いことです。しかし、少し性急過ぎませんか? ハイカプィの所に行って、神経を擦り減らした後でしょう? 少々、休んでも構わないのではありませんか」


「まぁ、神と謁見するにあたり、先触れを送る必要も説かれたばかりですが、とはいえ……」


 ルチアが難しそうに眉根を顰め、それから首を振った。


「送る事の危険もありますし、取り次ぐ誰かも存在しないでしょう。ミレイさんが直接出向く以上の安全って、今回に限って存在しませんし……」


「そうであるからこそ、気苦労も多いと言いたいのです……っ。急ぎたいのは分かりますが、同時に安全を期する問題でもあるはず……! 英気を養うのは必要ですよ!」


 言葉を吐き出す程に、ルヴァイルの語気は熱意を帯びていく。

 そして、それは全くの的外れでもなかった。


 一癖も二癖もある神々と、対面することは神経をすり減らすものだ。

 特に、この後に控えるヤロヴクトルの存在が、それに拍車を掛けていた。


「まぁ、それなら……。またここで、一休みしてから行くとするか」


「えぇ、えぇ、それが宜しいでしょう。蒸し風呂の火も落としていません。すぐに入れますよ」


「それは良いな。変な冷や汗を掻かされた事だし、どうせなら馳走になろうかな」


「勿論です、どうぞ!」


 ルヴァイルは満面の笑みで促す。

 ミレイユを饗したくて仕方がない、という顔付きだった。

 しかし、それと同時に、別の動機も見え隠れしていて、ミレイユは少々不審に思う。


「……何か企んでないか?」


「まさか! 妾がミレイユを謀ると? あり得ません!」


「まぁ、悪意のある何かとは思ってないが……」


 ミレイユは疑わしげな視線で見つめ、次にインギェムへ転じる。

 彼女は何も知らない、とジェスチャーで示し、口を開こうともしなかった。


「まぁ、良いか。そういう訳だから各自、明日の日の出まで自由行動だ。レヴィン達にもそう伝えてくれ」


「あの子らは自由に歩き回る権利ないんだから、部屋で縮こまってるしかないじゃないの。……可哀想に」


 ユミルの台詞は聞こえない振りをして、ミレイユはまたも蒸し風呂を堪能することにした。

 たっぷりと時間を使って汗を流し、妙に肩肘張った、ハイカプィとの謁見で受けた気苦労も流していく。


 そうして、またも身体中から全てが流れ落ちた錯覚と共に部屋へ戻ると、そこにはルヴァイルが両手を広げて待ち構えていた。

 今度は御大層に、自分に向けて氷結魔術を使ったらしい。

 服の端々に霜が立ち、その身体もプルプルと震えている。


「さぁ、どうぞ……!」


 何か物申したい気分になったが、全てを熱で洗い流した後では、難しい考えなどできない。

 今にもミレイユの何かが蕩け、身体はソファーに崩れ落ちたいと言っている。


 ミレイユは十分な広さとゆとりのあるソファーに身を投げ出し、手足を大の字に伸ばす。

 小さく手を動かせば、それに釣られるようにして、ルヴァイルもミレイユへ身体を投げ出してきた。


 冷たい感触を楽しんでいると、ルヴァイルから悶える声が漏れる。


「はぁぁん……っ!」


「うるさいな、黙ってろ」


「っていうか、それなら凍らせた水袋でも、用意しとけって話でしょ……」


 ユミルの当然過ぎるツッコミなど誰の耳にも入らず、だらけ切った雰囲気が部屋中に蔓延していた。

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