女神ハイカプィ その7
些か急ぎ過ぎのきらいはあるものの、ミレイユが逃げる様にして去ったのには、勿論理由があった。
一つは予想以上に鬼族からの反発が強かったこと、もう一つは事実の露呈を恐れてのことだ。
半ば強制的に協力を押し付ける形で去ったのも、下手な横槍で全てを台無しにしない為だった。
あの雰囲気ならば、下手をすると神使から、対決の申し出があっても不思議ではない。
そして、レヴィンが惨敗でもしようものなら、その場で約束を反故にされかねなかった。
実際、レヴィン達は神使たちと比べて遜色ない実力を持っているが、互いの得意武器、戦闘スタイルの組み合わせ次第では、どちらに転ぶか分からなかった。
もしかすると、一方的な敗北もあり得た。
その時は、まさに鬼の首を取ったかの様に騒ぎ始めるだろう。
後の作戦に多大な影響を与えるかもしれず、だから不躾と分かっていて、『孔』を開いた。
本来、玉座の間へ直通する『孔』を開くのは、良しとされない風潮がある。
客ならば客らしく、門前から姿を見せ、通過するのが礼儀とされた。
あらゆるセキュリティーを突破して、神の面前に出現できてしまうからこそ、逆にそれをしない事がマナーとなるのだ。
それは退出する時も同様で、転移したいなら門扉から出てから行うべきだった。
しかし、それよりも、纏まりかけた約定を反故にされる方が、何倍も面倒な話だった。
今回の不躾に対しては、後で詫び状の一つでも送れば問題ない。
ただし、ルヴァイルの神処については、その例外だった。
インギェムが遊びに来るのは今に始まった事でもなく、そして神処内に繋げることも当たり前となっている。
だから、客室内から転移したのと同様、帰還場所も同じ客室に指定した。
そうして一瞬の暗転があった後、到着した室内には、ルヴァイルとインギェムが揃って待っていた。
共に茶を飲みながら雑談に興じていたらしく、ミレイユ達の到着を見て、インギェムは嫌味な笑みを見せてきた。
「よぉ、どうだった? その顔を見ると……、何とも言えん感じか。まぁ、座れよ」
「お前が勝手に許可を出すな。……と言っても、今更か」
ミレイユは疲れた顔で苦笑した。
勝手知ったるなんとやらで、インギェムが我が家の様に振る舞うのは、今に始まった事ではない。
ルヴァイルも、それで一々目くじら立てる間柄でもないので、何かを言うでもなかった。
ただ、席順を考慮して場所を移し、ミレイユを上座へと誘導するだけだ。
「どうぞ、そちらに。――あぁ、神使以外は退室なさい。今、遣いの者を寄越します」
「は、はっ……!」
レヴィンが直立して返礼すると、ルヴァイルは手許に置かれた、見事な装飾をしたガラス製の鈴を鳴らす。
すぐに女官が現れて、慇懃無礼な態度でレヴィン達を連れて行った。
その入れ替わりに茶器を抱えた女官がやって来て、着席したアヴェリン達の前へ置いていく。
全員にそれらが用意されると、女官は一礼して去って行った。
そうして扉が閉められたのを機に、改めてルヴァイルが口を開いた。
「その表情を見る限り、失敗した訳ではなさそうですね。……かといって、諸手を上げて歓迎できる成果でもないらしい、と……。詳しく話を伺っても?」
「なんと言うか……大体、察していると通りだと思うんだが……。協力を取り付けることには、成功した」
「それは何よりです。……が、心配事もあると?」
「そうだな……。というか、ハイカプィの陣営は、どうしてあぁも私にアタリが強いんだ。別に変な圧力など、掛けた事もないんだが……」
さて、とルヴァイルは首を傾げ、薄く笑った。
「上昇志向の強い鬼族ですからね。力関係において従順ではありますし、それを尊重する彼らですが……。その上昇志向を持つ故に、いつまでも下の立場で、甘じていられない性格をしている……と言いますか。つまり……」
「あぁ、いや、みなまで言うな。そうだな、分かってはいるんだ。だから、さっき言ったのも愚痴みたいなものだ。彼らは従順ではある。力関係をハッキリさせた状態においては。しかし、力の渇望は決して消えない。それ故の対抗意識とは理解しているさ……」
ただし、それが行き過ぎて、暗殺未遂を起こされては堪らない。
そして、力で勝てない相手に、力以外で挑むのは、鬼族としては非常に珍しい事でもあった。
いっそ馬鹿馬鹿しく思える程の愚直さ、それが鬼族を表すステータスでもある。
たとえ模擬試合で死のうとも、戦いの上で死んだのなら、それでも笑って送ってやるのが鬼族という種族だった。
そうした後腐れを持たないカラッとした性格を、ミレイユも気に入っている。
本来ならば、暗殺など恥ずべき行為とする筈なのだ。
そこにミレイユが知る鬼族と乖離があって、不安な気持ちにさせている。
「今更、言うのも何ではあるのだが、脅しつけて協力体制を迫ったのは間違いだったかもしれない。本当にあちらの神使がやったのか、……自信がなくなってきた」
「本当に今更だな。……つっても、お前としては確信があったんだろ? じゃあ、間違いでもないじゃねぇか」
「そうだな、近くで対面して、確信を深めた。……そして、相手は間違いなく鬼族でもあった。角は見えなかったが、若い奴だったからな。まだ爪ほどの大きさしかないんだろう」
「だったら、尚のこと間違いない、って気がするがなぁ……。若く血気盛んな奴が、暴走しがちなのは、どの種族でも変わらんだろ? 鬼族ともなれば、もっとこう……」
インギェムはこめかみ辺りに掌を置いて、手を前後に動かす。
「視野が狭まってるもんだろ。我が主神の為ならば、ってヤツだ。勝手な自己倫理で、馬鹿やらかすんだよ。己は鬼族の神使選定は、そういう理由で危なっかしいと思ってたぜ」
「実力主義の、実力階級か……」
「そう、オツムが足りなくても、神使になれるって意味でもあるからな。勿論、神使となったからには、それに相応しい教育を受けさせられるんだろうが……。精神ってのは、肉体に引っ張らもんだしな……」
「若い姿の奴は、精神も相応に幼いと? ……なるほど、実に説得力がある」
ミレイユがユミルへ、つらりと目を向け、小さく笑った。
「――何でコッチ見て言うワケ?」
「いや、他意はない」
「ないんだったら、そんな思わせぶりな視線を向けるんじゃないわよ」
ユミルは指先を弾いて、魔力の塊を飛ばした。
ミレイユの額に直撃したものの、軽く頭を振っただけで弾いてしまう。
どちら側も痛痒を与えられないと知っているから、それに対して文句も飛ばない。
しかし、弾かれて飛んだ魔弾が壁にめり込み、大きな穴を作ったのを見て、インギェムは完全に引いていた。
「ま、まぁ……。じゃれ合うのは勝手だが、間違っても己らの方には飛ばすなよ。か弱い神を労れよな」
「なに言ってんの、神たる者が情けない」
「お前らのその、ミレイユを基準に神を考えるの、ホントやめろよ。神だろうと、身体が幾つあっても足りねぇってんだよ」
「そういう言い草が、情けないって言うのよねぇ……」
ユミルは相変わらず、神に向けるものとしては薄すぎる敬意を向けて、はんなりと笑う。
そして、今の遣り取りで、ミレイユは一つの事を思い出していた。
「そう、――そうだ、身体だ。この世界に、私の身体は二つある。何もするな、とあちら側に言ったものの……上手く誤魔化せていたかどうか……。どう思う?」
「さぁて、どうでしょうねぇ……?」
問われたユミルは、腕を組んで考え込んだ。
ルチアからも難しい表情が返って来て、不安な雰囲気が出来上がる。
「実際のところ、この時間軸のミレイさんは、神気などを隠すこともせず移動しているわけで……。何かの拍子に、それこそほんの些細な切っ掛けで、その気配を掴むこともあると思うんですよね」
「私も基本的には、自分に割り当てた部分で動くとはいえ、手が空けば……あるいは手が足りないと思えば、勝手に他大陸の処理をするからな……」
「そのミレイさんが、積極的に接触しようとしないのは、これまで通りです。なので、結局のところ……我々がどれだけ隠密に事を運べるか、という所にあると思いますけどね」
「――あるいは、全てをぶっちゃけるか、ね。この二柱みたいに、全てを打ち明け協力して貰ったら良いんじゃない? そっちの方が簡単でしょう?」
それは事実として有効だが、相手にも寄る、という前提を忘れてはならない。
ルヴァイルとインギェムは、古くからの知り合いで、また戦友でもあり気心が知れている。
反して、ハイカプィはあくまで、上司と部下の関係に近かった。
しかも、下手をすると下剋上を狙いかねない神である、と知れたばかりだ。
正確に物事を伝えて、それで味方に付けられるか、という問題があった。
「全てを打ち明けてしまうのが、一番簡単で楽なのは確かだ」
「けれど、それは物事の破綻と表裏一体。……分かってるわよ、言ってみただけ」
「ですが、ミレイさん。相手を選んで話してみるのなら、他のもう一柱について考えてみる価値があるのでは?」
「そうだな……。ハイカプィみたいに、モルディは下剋上を狙うタイプじゃないしな」
というより、とルチアは指を一本立てて、自説を説いた。
「モルディは勿論そうですよ。言わずもがな、ミレイさん以外にはしっかり懐いている方ですから。私が言いたいのはヤロヴクトルの方です。あれだって、世俗にしか興味ないじゃないですか」
「でもさ、ヤロヴクトルはどう転ぶか分からない所あるじゃない。愉悦を感じられれば良いというかさぁ、とにかく自分の欲望に忠実なのよね。興味がなければ、それこそ一年の間、何しようが関与しない可能性はあるんだけど……」
「まぁ、ですね……。そこは確かに、危うい感じがあります……」
黙して目を伏した所に、ヤロヴクトルの厄介さを十分に物語っている。
そして、それはこの場に居る全員の総意でもあった。
下手に知られると怖い。
しかし、知られないまま勝手な暴走を許すのも怖い。
どうしたものかと、ミレイユは溜息を零し、額手に手を当てた。
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