女神ハイカプィ その6

「い……、良いわよ? こちらにとって、何もあずかり知らぬこと。……そうなのよね?」


 ハイカプィがエモスへ確認を取ると、彼女は実直な態度で頷いた。


「仰るとおりです。大神レジスクラディス様ともあろうものが、憶測で物を言うとは、とても信じられぬ思いです」


「なるほど……」


 ミレイユは重々しく頷いてから、視線を上に向けて呟くように言った。


「ネリビン海域、『巨公』、魚竜ナタイヴェル……」


 一つずつ単語を口にする度、エモスの肩がぴくりと動く。

 それなりの胆力があっても、嘘をつくことは苦手らしい。

 ミレイユは得物をいたぶる狩人のつもりで、エモスに詰問する。


「私としても、余り口にする事のない単語だ。……聞き覚えは?」


「……ございません」


「返答に幾らかがあったのは?」


「……熟慮した結果でございます」


「そして、今のもまた、熟慮した結果……か?」


 今度はいっそわざとらしい程、ゆっくりと時間を掛け、それからエモスは首肯する。


「……仰るとおりです」


「そうか、そういう返答か。ハイカプィから、そう言えと命じられたか?」


「ちょ、ちょっと待ってちょうだい」


 話の方向が不穏になり始めた頃、ハイカプィが間に入って会話を止めた。

 今となっては当初の余裕は鳴りを潜め、その表情にも焦りが表れ始めている。


「あたくしが、何かを命じたですって? これまでの口振りだと、まるで……あたくしが、貴方を攻撃したように聞こえるじゃない……!」


「そう、言ったつもりだが……?」


「ふ、ふん……! 何を馬鹿なことを……」


 ハイカプィの態度は虚勢そのものに見え、自信がぐらついている様にも見える。

 しかし、どれだけ白を切られようと、ミレイユからすればそれこそが真実だ。


 どういう経緯あっての事か不明だが、どうやら移動中エモスに捕捉されたらしい。

 そして、自らの手で直接危害を加えない形で、船の沈没を狙って攻撃して来たのだ。


 具体的には、『巨公』や『魚竜』を誘導した点が挙げられるだろう。

 その時、上空に竜の影があった事は確認している。

 神か神使しか騎乗できず、そしてエモスと良く似た魔力波形を感じたとなれば、それはもう彼女しか犯人はいない、としか考えられない。


 とはいえ、これには当然証拠がないし、ミレイユが一方的に主張している事に過ぎなかった。

 しかし、エモスにそれらの単語を口にした時の反応を思えば、事実は余りにも明らかだ。


 不思議なのは、ハイカプィがこの件に関して、全くの無知で無関与らしいという事だった。

 神使の独断専行の件は考えられなくもないが、凡そあり得るとは思わない。


 何しろ、事は神と神使――それも大神に対する攻撃だ。

 全く感知していない、関与してない、とは考えられない事態だった。


「馬鹿なこと、とはどういう意味か。私が嘘をついている、と言いたいのか」


「そうよ……! そうとしか思えないじゃない。あたくしの神使が、貴女を攻撃……? 馬鹿も休み休み言ってちょうだい!」


「そうは言われても……」


「証拠などもないのでは? ……であれば、何かしらの勘違い、思い違い、という線もありそうなものですが……?」


 エモスが挑発的に声を挟んだ。

 これにはアヴェリンも我慢し続けることが出来なくなり、喉奥から唸りを上げて一歩踏み出す。

 しかし、更に臨戦態勢へと移る前に、ミレイユから静止の指示が出た。


「そう熱くなるな。大丈夫だから」


「しかし……! いえ、失礼を。出過ぎた真似を致しました」


 ミレイユが優しく諭すと、アヴェリンはすぐに気勢を鎮めて、元の位置へと戻る。

 しかし、その視線は苛烈そのもので、ミレイユが何か一声でも命じれば、即座に飛び掛かると告げていた。


 それを敏感に察したハイカプィは、顔色を更に悪くさせる。

 だが、エモスはそれとは正反対に、余裕も顕に睥睨していた。


 この場で攻撃めいた何かをするとは思えない、と高を括った表情だ。

 そして、この場には多くの鬼族がひしめいている。


 数にして、三百人は下らない。

 その実力もまた、神使になっていないだけで、近しいものがあると分かる。

 だから万が一戦闘になっても、鎮圧さえ可能だと思っているのかものかもしれなかった。


「……さて、どうやらエモスはご覧の態度だが……。では、やはり……ハイカプィも同じ意見、という事で良いんだな?」


「ど、どういう意味かしら、それは……?」


「私と敵対する意思があるかどうかだ」


「て、敵対――ッ!?」


 今度は悲鳴と良く似た声を上げて、ハイカプィは背を反らした。

 ミレイユや大神と小神という立場に意見があっても、そこまで大それたことまで考えていない、と分かる態度だった。


「証拠がない、それは確かだ。一切の証拠も証言もなく、罪を裁くことなど有ってはならない」


「そうよね……!?」


「しかし、自ら和を崩す者がいるとなれば、その限りではないぞ。我々はアルケスの件で教訓を得た。神の悪しき暗躍は、放置すれば大禍となる。同じ轍を踏まない為にも、苛烈な対応が必要になるかもしれない」


「大禍……!? あ、あたくしが……? 何を言っているの、知らないわよそんな事!」


 ハイカプィの余裕は、今やすっかり何処かへ消えてしまっていた。

 大神の名の元に、の神に大禍あり、と断定されれば、苛烈な制裁が待っている。

 全面的な戦争に発展する恐れもあり、誰もが望まない展開になるのは間違いなかった。


「私も疑いたい訳じゃないんだ。何より、こんな下らないことで神を喪いたくない。……だから、叛意なしとするには、それなりの対応を見せて貰わねばならない」


「ないわ、ないわよ、叛意なんて! 当然でしょう!?」


「では、誓え。きたる時……一年後、災厄が姿を見せたのなら、これに対抗すべく協力すると」


「そうすれば、叛意なしとの表明になるのね?」


 ハイカプィの表情は、既に藁をも縋るものになっている。

 ミレイユは、その縋る瞳を真っ直ぐに見返し、実直な態度で頷いた。


「そうだ、それは間違いない。ここで叛意を見せることは、アルケスに与していると見做す。そうでないと証明する事にもなるから、協力するなら信用しよう」


「そ、そう……。それなら……、そうね……」


 ハイカプィはここでようやく、落ち着きを取り戻した。

 表情も切羽詰まったものから平静に戻り、口元にも笑みが生まれる。

 しかし、その笑みが無理に作り出されたものであると、わずかな痙攣から察せられた。


 虚勢であるのは一目瞭然だが、その事を一々指摘したりしない。

 ハイカプィからしても、多くの信徒を前にして、保たねばならぬ威厳がある。

 彼女としても、今は必死なのだ。


「そういう事ならば、協力しても良くってよ。アルケスめと、同じ穴のムジナと思われるのは心外……いえ、我慢ならぬ話。協力するのも、やぶさかではないわ」


「お互いの為に、そうした方が良いだろう。私も最初から、そんな愚かな真似をしているとは思っていない。その神器にしろ、信用の証とでも思ってくれたら良い」


「ま、まぁ、そういう事なら……。けれど、一つ訊いておきたいわ」


 ミレイユから放たれる重圧も消えたことで、ハイカプィの余裕も大きく取り戻されていた。

 余裕が生まれれば、麻痺していた思考も戻って来る。

 ハイカプィは、怪訝な表情をさせつつ、慎重な口振りで尋ねた。


「災厄、と一口に言うけれど、どの程度の規模を想定しているの? まさか、本当に世界規模、という事はないのでしょう? 一国が滅ぶ程度? それとも、まさか大陸規模……とか?」


「こうして神々に、事前の協力を取り付けねばならない事態だ。それに鑑みれば分かりそうなのものだが……、一大陸で済めば御の字だろうな。最悪は本当に世界規模だ」


「そんな……!」


「――そうしない為、南東大陸プロテージだけで抑え込めれば、と思っている。龍脈の確保も、最悪を起こさない為の準備だった、と言えるしな。そこだけで済ませるのが最善だ」


「こちらの大陸では馴染みがないけど、討滅士の存在が、正に防波堤として任を全うしているのよね?」


 そうだ、とミレイユは頷いて、少し離れた位置にいる、レヴィン達を肩越しに見やった。


「彼らがそうだ。淵魔の生態について、彼らは余程くわしい。時が来たならば、そちらの神使とも協力体制を仰ぐことになるだろう」


「そう……。何者かと思っていたし、大神レジスクラディスに連れ回される人間って、どういう輩なのかと思っていたけど。なるほど、そういう……」


 ハイカプィは納得して大きく頷くと、この日初めてレヴィン達へ目を向けた。


「その上、実力者揃いね。あたくしの神使と、良い勝負をしてくれそうよ」


「まだまだ、実力不足だ。強者つわもの揃いのそちらと比べられては、彼らも面白くないだろう」


「そうかしら……?」


 ハイカプィは面白そうにレヴィン達を眺めていたが、それとは対象的に、神使の表情は厳しい。

 どちらが上か、はっきりとさせたい雰囲気があり、鬼族らしい強者を求める気風が表れている。


 しかし、ここで本当に競わせてやる訳にはいかなかった。

 何しろこの場には、三百名近くの鬼族がいる。

 彼らは単なる聴衆ではなく、一角の戦士だ。


 そして、鬼族の常識において喧嘩は華で、模擬試合だけして終わらないのは目に見えている。

 神使達の好戦的な目は無視して、ミレイユは話を進めた。


「ともかく、今回は顔見せだけだ。来るべき時、彼らと共に戦って貰う」


 場合によっては、その指揮に従って貰う、と馬鹿正直に言ったりしない。

 この場でそれを言ったら、即座に上下関係を明確にしようと、殴り込んで来るのが分かりきっていた。


「そういう訳で、私はそろそろ帰る。くれぐれも、余計な真似はせず、普段通りでいてくれ。それが奴らに対する目眩ましにもなる」


「分かったわ。『虫食い』もまた、変わらずいつも通り処理すれば良い……そういうことね?」


「そうだ。裏方については任せておけ。悪いようにはしない」


「そう願うわ」


 互いに笑みを交わすと、ミレイユは懐から取り出した神器で『孔』を開く。

 最初にアヴェリンが入り、その次にミレイユも中へ飛び込む。

 そうしてルチアとユミルが続き、レヴィン組も孔の中へ消えると、徐々に縮小し消えていった。


 それをしっかりと見届けた後、一時の沈黙が続く。

 そして次の瞬間には、玉座の間は一種騒然とした雰囲気に包まれた。

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