女神ハイカプィ その5
「反論はないみたいね。では、協力は前向きに検討、善処いたします……って所で良いかしら?」
「いや、待て――」
「一年後、災厄なんてものが本当に来るかどうか、実際は怪しいものだわ。現状、予兆するらないものに、どう信用しろと? その上、事前に貴女は動くけど、こちらは何もしなくて良いですって?」
ハイカプィは事更に溜め息をついて、視線も鋭く睨みつけた。
吐いた息が震え、押し殺した感情が見え隠れしている。
「事が世界の危機というなら――本当にそんなものがあるなら、今から全力で阻止するのが、スジというものでなくて?」
「お前もアルケスについては知っているだろう。あれが逃げ隠れして、裏で糸を引いているからこそ、対策も容易じゃない。探しているのを知られれば、更に奥深くへと姿を隠すだろう。大体的に探そうとするのは悪手だ」
それは事実でもあったが、事の真相全てを語ったものではなかった。
しかし、それには一定の説得力も持っていて、ハイカプィを一部納得させるには十分なものだった。
「そう……百年隠れ続けている、アルケスが首謀なの……。確かにそれは、ちょっと面倒ね……。見えていた尻尾が、事を荒立てたことで、地中奥深く隠れてしまうのは避けたい所だわ」
「そう、その通りだ。アイツは今、上手く私の目を掻い潜り、事を成せているつもりでいる。だから、その油断を利用して、好きに動かしつつ網を張る。もう二度と、逃げ出すことが出来ないように」
「……つまり、その網を閉じる瞬間を、一年後と想定している……。そういうこと?」
ミレイユはゆっくりと、平静を装って頷く。
ハイカプィの予想通り、と見せておかなければ、初手から想定が瓦解する。
他の神々に協力を取り付けるのは必要でも、ここで全面的協力と、共同捜査を申し込まれてはいけなかった。
その舵取りが、いかにも難しい。
ミレイユの背中は汗で濡れていたが、顔面は汗一滴もなく、涼しい顔のままだ。
このまま上手く、ミレイユの想定通り、事を進ませてみせねばならない。
「ルヴァイルが起こした親書を、その神使が持って来た所からして、そちらは既に懐柔済みなのでしょう? ……ということは、インギェムも同意した、と見て良いのかしらね?」
「そうだ、その二柱には、既に協力を取り付けた」
「昔から仲の良い二柱だし、その二柱が貴女と懇意だったのも、また周知の事実。だから、そこは驚くに値しないけど……。さて、どうしたものかしらね?」
ハイカプィはそこでまた、ゆっくりと後ろを振り返り、神使達の顔を眺める。
しかし、三人の内、二人から反応はなく、ただ実直な視線を返すのみだ。
そして一人だけが、協力を否定する視線で、小さく
ミレイユはその一人に見覚えがあった。
外見ではなく、その魔力波形について、非常に強い覚えがある。
改めて、じっくりと上から下まで観察した上で、一つの確信を得てから声を掛けた。
「……あぁ、こうして顔を見せ合うのは初めてだな。あの時は世話になった」
「……もしや、私に御声掛けしておられますか」
神使は顔を正面に、視線を遠くの壁へ向けながら、実直そうに聞こえる声音で返事した。
ミレイユはそれに首肯し、会話の水を向ける。
「そうだ、お前に言っている。こうして会うのは、あの時以来だな?」
「あの時……? さて、何を言わんとしているか、私めには皆目、見当も付きません…が……」
「まぁ、そういう反応になるとは思っていた。因みに、ハイカプィも同じ考え……というつもりで良いんだよな?」
「というより……」
ハイカプィは全く素知らぬ素振りで手を振り、それからやはり肩越しに神使を見やった。
互いに目配せを済ませた後、ゆっくりと振り返って首を横に振る。
「言っていることが意味不明よ。互いに面識はない筈だもの。……そうでしょ?」
「面識がないのは確かだな。だがそれは、言葉通りの意味でしかなく、直接顔を合わせていない、という表面上の理由でしかない」
ミレイユはそこで一度言葉を切り、それから薄っすらと微笑み掛ける。
「海ではありがとう。大変、刺激的な旅になった」
「仰ることの意味が理解できません。海の旅とは、はて……? 神は竜に乗りて、移動するものなのでは?」
神使は事更に惚けた振りで、首を傾げた。
ハイカプィもまた、同じように全く思い当たらない素振りで、更には興味がないとでも思っている様だった。
つまらなそうに、整えられた指先の爪を弄っている。
ここでこれ以上、追求しても進展はないと悟ったミレイユは、威圧する眼力を強めて口を開いた。
「――ハイカプィ、神使を紹介して貰っても? 新参の神使は、流石の私も名を知らない」
「新参と言っても、加わったのは随分前よ。でも、そうね……。今更渋るのも何かしらね……。どうせなら、全員挨拶なさい」
一瞬、考える仕草を見せたものの、何事かを天秤に掛けたのち首肯し、それから神使達へと手を動かす。
すると、一番の古株から順に、一歩足を踏み出し一礼して名を名乗った。
「第一神使、カクス・ヴエヴェツです。お久しぶりでございます、
最も長くハイカプィに仕えるこの男は、金の短髪で青目、褐色肌の四十代を思わせる豪傑だった。
髪の生え際から二本の角が生えていて、親指ほどの太さと長さがある。
身長が高いだけでなく、骨格もまた太く、声までが野太い。
そして、骨格に見合う筋力を備えたこの男は、戦闘狂の一面を持っていた。
とはいえ、鬼族にとって戦闘は華であり、力を誇示するのは良い事とされる。
実力ある者ほど尊ばれる下地があって、だから過去、アヴェリンへ挑んだことがあった。
長槍の使い手であり、弓も得意とする。
ハイカプィが有する神使の中では、一番の武闘派だから、相当腕に自信があったろうに、アヴェリンには完敗した。
それ以降、彼は
「あぁ、久しいな」
ミレイユが軽く頷く様にして返礼すると、カクスは一歩下がって、代わりに隣の神使が前に出る。
「ソキス・ビンザー、第二神使です。ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません」
こちらはカクスより十歳程若い、三十代に見える男性だった。
角は額から生えた一本角で、斜めに突き出す所は、動物のサイを思わせる。
身長は高く細長い印象を与え、肌は浅黒く、よく日に焼けていた。
鍛練時間を長く取るため、その様に焼けてしまったのだと思われた。
髪の色は栗色で、目の色は茶。
武を尊ぶ鬼族の中でも、最も一般的な徒手空拳の使い手だ。
何事も力押しになりやすい彼らの中で、速さに特化した体運びをする珍しいタイプで、その中でここまで力を発揮し、成り上がった。
「まぁ……、この歓迎ぶりだ。良しとしとくさ」
ミレイユが皮肉のつもりで――実際に、大いなる皮肉で――、周囲に侍る鬼族を見ずに指摘して肩を竦める。
ソキスはそれに反応せず、一礼の後、静かに下がった。
それと入れ替わりで、最後の一人が前に出る。
「第三神使、エモス・サスヘニィです。お初にお目もじ致します」
焦げ茶色の髪をうなじ部分で一括りにした、平均的な身長と体格をした、十代らしき神使唯一の女性だった。
頭に角は見えないが、小振りなだけで髪に埋もれてしまっているだけだろう。
鬼の角は成人するまで成長し、それ以降は伸びなくなる。
エモスの角が短いのは、成長途中で神使となった弊害だろう。
だが同時に、それだけ若くして大成したという事でもあり、実力の程を感じさせた。
彼女は鬼族の中でも特に人気のない、小剣の使い手であり、蝶のように舞う、という形容が良く合う戦闘スタイルを持っている。
鬼族は何にもまして、まず戦闘力を土台にして物事を計る。
神使についても同様で、信仰心を持ち、敬虔な信者であるのは大前提。
そこへ力を誇示して選抜する、という形式が持ち込まれている。
だから、ハイカプィの神使とは、鬼族の実力トップスリーを意味していた。
屈強な体格の多い鬼族の中にあって、平均的な体格なエモスは小さく見られがちだ。
しかし、それを押して勝ち残ったから、今がある。
今となっては、彼女を侮る者など一人もいなかった。
「丁寧な挨拶、痛み入るな。どこまでも壇上から、というのは鼻に付くが」
「あら……、ここはあたくしの城、あたくしを第一とする神処なのよ。それ以外は、あたくしの神性において、全てが平等と見做されるわ」
「それが、この私であってもか」
「えぇ、そうよ。……いけない?」
一度は軽くなったと思える雰囲気も、今の会話で元に戻った。
物理的な重さとなって感じる圧が、部屋中に満ちる。
神使の三人は固唾を呑んでそれを見守り、そして意外にも、ハイカプィまでもが固唾を呑んでいるように見えた。
ミレイユは唐突に重圧を解除して、朗らかに見える笑顔で言った。
「いや、構わない。我らの立場は平等で、そして、ここはお前の城だ。勝手気ままに振る舞う権利がある」
「……そうよね?」
不思議な事に、ハイカプィの態度は言質を取った、というより明らかな安堵が見て取れた。
そして実際に見せる雰囲気と、その心内にある態度には大きな乖離がある。
不思議と言えば、それが何より不思議だった。
「この宮殿内で、勝手気ままに振る舞うのは良いだろう。神使からの無礼な振る舞いも、今は目を閉じよう。しかし、外となれば別だ」
「外、ね……。それこそ、言っている意味が分からないけれど」
「本当にそうか? 何の覚えもない……そう、ハイカプィの――神の口から宣じて良いんだな?」
再び、ミレイユから重圧が発する。
ハイカプィの顔色が、分かり易く変化した。
自分の不手際を悟ったものにも見え、緊張感はいや増しに増していった。
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