女神ハイカプィ その4
ミレイユが冗談めいたものを言ったこと、それ自体がハイカプィにとっては楽しいようだ。
彼女は更に笑みを深め、口を開いた。
「貴女でも、そういう事って言うのね」
「言うとも。世界の危難にあっては、尚の事な」
ふぅん、とハイカプィは更に相好を崩し、それから機嫌よく水を向けた。
「言いたいことはそれだけ? つまり、忠告しにあそばされた、という事かしら? わざわざ自ら足を運んだのは、その説得力を増す為だとか?」
「事情は色々あるが、そう思って貰って構わない」
「今回、やけに急な来臨も、その危険性と緊急性を、なるべく早く伝える為なのかしら?」
ミレイユは頷きかけたものの、直後に動きを止めて、今度は二度首を横に振った。
「そうした理由は勿論ある。だが、一番は身の安全からだ」
「ここに居て、危険なんて無縁だけれど」
神処とは神の庭を意味する以外に、神を守る要塞である事も意味している。
神使以外にも、精兵中の精兵が守護の任に付いているのだし、事あらば防護の結界も張れるだろう。
魔物の大群、あるいは別の脅威が迫ろうとも、独自の戦力で押し返せて当然である。
そして、それは神処を預かる兵士に求められて当然の力でもあった。
しかし、今回の脅威はそれとは別であり、ミレイユはわざと勘違いさせる台詞を言った。
身の安全とは、ハイカプィの事ではなく、ミレイユ自身の事を指している。
この世界に現在、ミレイユが二柱いる、と突き止められては困るのだ。
余計な詮索や口止めも含め、ここで上手く良い含めておく必要があった。
とはいえ、ミレイユが現在どこに居るかなど、ハイカプィやその神使にとっても関心は薄いだろう。
そして、その矛先をずらすのは、そう難しい事ではない筈だった。
「まず、お前にはこれを渡しておく」
そう言って、ミレイユは懐から一つの神器を取り出した。
ルヴァイルやインギェムにも渡した、オミカゲ様の神器である。
それを念動力で浮かせて、ハイカプィの手元まで持っていく。
受け取った彼女は、鳥居型のそれをしげしげと眺めては、面白そうに笑った。
「興味深い形ね。それに美しいわ。……そして、紛うことなき神器だというのに、不思議にも、あたくしはこの神力に関して思い当たる節がない」
「そこは余りに気にするな。それよりも、込められた力の方が重要だ」
「つまり……?」
「それには『守護』の権能が込められている。何事かあろうとも、お前とその周辺の全ては、そいつが護ってくれるだろう」
「聞いたことのない権能ね。何処から持ち出して来たのやら……、本当に信用できるのかしら。大体、周辺って、どのくらい?」
「ある程度、自ら神力を込める事で可変可能だから、この神処ぐらいは護り切れる」
そう聞くなり、ハイカプィは恐ろしい物を手にした反応で、神器を見つめ返した。
「なにそれ……、規格外も良い所じゃない。本当に、どうしたらこんな神器が、ポンと出て来るのよ?」
「だから、気にするな」
気軽な調子で手を振るが、ハイカプィは到底簡単には納得しない。
しかし、ミレイユはそれを努めて無視し、話を続けた。
「敵は淵魔だ。どういった特徴を持つ敵が生まれるか分からないし、神が取り込まれる事態は最大限、避けなければならない」
「あの醜悪な豚ども、ね……」
ハイカプィは眉間に皺を寄せ、言葉少なく罵る。
「あんなモノにやられるとお思い?」
「思いたくないし、思ってもいない。しかし、最悪は想定しておくべきだ」
「……そうね。神々の一柱でも損なえば、そこから世界に対してどれだけ被害を及ぼすか、想像も出来ない……。それについては同意するわ」
「世界だけ? 私の心配はないのか?」
「するだけ無駄でしょ、そんなもの」
ハイカプィが突き放して鼻で笑うと、ミレイユはもまた笑う。
「その通りだな。……とはいえ、災厄はともかく、敵の出方は分からない。待ちや受けの姿勢になるだろう」
「一年先と分かっているなら、今からどうにか対策すれば良くはない?」
「私はするつもりだが、そっちはしなくて良い。今まで通り、『虫食い』の対処だけしていてくれる事を望む」
「……怪しいわね。本当にそれだけしていれば良いの? ただいつも通り、事を構えずいれば良いと?」
ハイカプィは不満そうだが、そもそも彼女に戦う能力はない。
癒やしの力は大したものだし、それを頼みに戦う事も可能だろう。
彼女がその気になれば、傷を受ける傍から癒えていく、という事すら出来る。
まるでゾンビの様に錯覚してしまう程だが、外的要因――マナを用いた治癒ではなく、自然治癒力を増大させるものだ。
その為、傷は癒えても体力が先に尽きる、という現象が起きる。
やり過ぎると、身体中から活力を奪われ、本当にゾンビの様な見た目になり、歩くことさえ困難になるのだ。
何事も良い面だけではない、という証拠だった。
「実際に戦う事になれば、その時は助けを求める事になるだろう。だが、この一年……暗躍するにあたり、私が中心として動く。他の神々と繋がりを深め、今のように神器を渡し、対抗措置を講じていくつもりだ」
「それに参加する必要はないのね?」
「あぁ、ない。そこは私が上手くやる。万全を尽くすが、それでも敵の悪意を阻止する事は出来ないだろう――」
――実際は、阻止する何らかの行動を取ったりしない。
むしろ、あの時、あの場所、あの状況へ至るまで、道筋が通る行動しかしないつもりだった。
しかし、それは裏事情を全く知らない、ハイカプィは知らなくて良い事だ。
「そして、然るべき時、助力の要請をする。それについては、お前だけでなく、他の神々についても同様だ。――特に、そちらの神使には役立って貰う」
そう言って、ミレイユはこれまで一度も声を発せずにいた三人の神使へ、順に目を向ける。
「中には、見覚えのない者も居る様だ。……紹介して貰っても?」
神使と言っても、その扱いは神によって様々だ。
神の代行者とする部分に違いはないが、どれ程の権力を持たせるかも、神によって違いが出る。
そして、その基準に合わせて不老を持たせるのが一般的だった。
ただし、ルチアの様に高い能力と忠義心があっても、不老を望まない者もいる。
神使は未婚を貫く必要がないから、愛する家族を持つ者もいるし、不老を得ても身内の死をきっかけに、己の死と向き合う者が出始める事もある。
最愛の妻か夫に先立たれる事は、神使でなくとも、辛く悲しいことだ。
そして、その子、孫にも先立たれると思うと、己の生死にも思う所が出て来る。
親しくしていた友なども次々と旅立ち、自分を古くから知る者も居なくなれば、不思議にも不老を手放したいと思う者が多く出るのだ。
それを過ぎてしまえば、更に百年でも、二百年でも神と共にあろうとする。
信仰や思慕とは別に、家族愛や友愛もまた、その人を形成する大事な一要素なのだろう。
生きるために必要な活力であり、喪くしても尚、生きていける人間は意外と多くない、といった所だった。
だから、強い信仰心や尊崇を持ちつつも、神使の顔ぶれには変化が出る事もある。
ハイカプィの後ろにいる三人の内、一人が正にそうで、最初からミレイユが興味深く見ていた一人でもあった。
「特に一番右側。大変、興味深い」
ミレイユが水を向けたことで、ハイカプィは不愉快そうな顔をする。
神使達に顔を向けてから、それら一同を順に見回してから、顔を戻した。
「先に言っておくけれど、協力するのが当然、だから紹介されるのも当然……だなんて思われたくないの」
「お前は世界の危機に際し、協力すると約束したんじゃなかったか?」
「確かにしたけれど……。ただ、何もかも貴女主導で動かされるのも、酷くシャクなのよね……。神使は私の子も同然、もう既に自分の好きに動かせるつもりになっていないかしら? 少し傲慢に過ぎるのではなくて?」
「そこまで神経質になることか? それに、指揮権を複数に持たせるなんて混乱の元だ。協力するというのなら、そこまで飲み込め」
ミレイユの言葉は事実であり真理だが、ハイカプィはそれとは別の部分に異を唱えた。
「飲み込むわよ。あなたがきちんと、全てを説明してくれるならね。一年後に必ず来る厄災? あなたに予知の力なんて無いでしょう? そして、我らの知らぬ『守護』の権能……。どこから持ち出した力かも不明なものが、この件に関わっていて、しかしそれを明らかにしようとしない。……これでも貴女は、不信を抱くな、と言うの?」
そこは実際、指摘されて痛い点だった。
そして、異世界日本について、神々は共通の知識として知っていても、そこにオミカゲ様なる存在が――ミレイユと非常に近しい存在が、そこに顕現している事実を知らない。
説明すると話が非常にややこしく、そして拗れるからしていなかった説明だった。
それを今になってした所で、やはり拗れるだけだろう。
また、説明できたところで、非常に都合良すぎる、という見解にもなるはずだ。
これまで、説明するだけの強い動機がなかったから省いていたことが、ここで足を引っ張る破目になっている。
ミレイユは表情を制御できず、顔が歪んでしまうのを抑えることが出来なかった。
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