隠密移動 その3
森の中は良く整備されていて、木漏れ日が降り注ぐ道も、一直線で歩きやすい。
馬車道では引っ切り無しに数多く行き来しているが、歩道との間には柵があるので安心して歩ける仕様だ。
その歩道も良く踏み固められている上に、砂利が敷き詰められているので足への負担も軽く、長く続くと思われた林道もすぐ終りを迎えた。
そして、森を抜けた先には、一面の草原が広がっている。
「わぁ……!」
アイナから、喜びを抑えきれない、感嘆とした声が漏れた。
開けた視界の前に広がるのは、ただ草原ばかりではない。
放牧されている草を食む羊や、その羊飼いがおり、柵で囲われた向こう側では、小金井色の麦が穂を揺らしている。
更に後ろの高台では、風に押されて風車が回り、牧歌的な空気に満ちていた。
風車に視線を合わせれば、その更に遠くに巨大な都市と、それを取り巻く石壁が見える。
都市の中心は高台になっており、立派な尖塔を幾つも持った、やはり巨大な城が建っていた。
道行く人々や馬車に、危機感らしきものは見えず、悠々自適に森の外、それぞれの行き先へ散っていく。
森の外は丁字路になっていて、城へ通ずる北への路と、東西の森沿いに続く路へと別れていた。
レヴィンは遠くに見える城へ目を留めながら、傍らのユミルへ問いかける。
「随分、立派な城だ……。俺が知るエネエンの王城も立派なものでしたが、それとは比較にならない。これから、あそこへ向かうんですか?」
レヴィンは期待と願望を綯い交ぜにした視線を向け、それと同様のものをアイナも向けた。
ミレイユは歩みを止めないので、それに続く形でユミルも後ろに付て行く。
それを追うレヴィン達へ、彼女は呆れた視線を送って言った。
「物見遊山じゃないんだから、わざわざ理由もなく行くワケないじゃない。あっちは商業都市のオズロワーナって所で、こっちより余程大勢の人でごった返してるから、やたら疲れるしね。食料の備蓄も十分あるし、敢えて寄る理由がないの」
「そうなんですね……」
レヴィンは残念そうに顔が歪むのを、必死に抑え込みながら、東側の路を選ぶミレイユの後に付いて行く。
それでも目にするもの、目に付くものと言えるものは多くなく、自然、城の方へと視線が吸い寄せられた。
「何度見ても、凄い城だ……。これだけ距離があるのに、城だとハッキリ分かる。やはり、神処近くにある国だからでしょうか。さぞ立派な王がいらっしゃるんでしょうね」
「あそこに王は居ないわよ」
「居ない……? あぁ、今は何処かでご静養している、とかですか?」
そうじゃなくて、とユミルはひらひらと手を振りながら、言葉を続ける。
「あの城は昔の名残で、王政は廃止されてるって意味。行政府として利用されてるし、そういう意味では今も立派な権威の中枢だけどね」
「王政が、ない……? では、誰が治めているんです?」
「首相っていう、市民の中から選ばれた政治家。この国はね、血統政治じゃなく、選挙による民主政治で成り立ってるの。アタシとしては反対なんだけどね」
「まだ言ってるのか」
ボヤきにも似た愚痴に反応したのは、ミレイユの右斜後ろへ位置するアヴェリンだった。
何かあれば衝突しがちな二人だから、口論が始まるのは珍しくない。
そして、それを誰も止めようとしないのも、やはり珍しくなく、レヴィンも早々に二人から距離を取った。
「ミレイ様がお決めになった事だ。何を不満に思う。何より、遥か過去より続く因習が終わったと印象付けるには、十分なインパクトがあった。必要な措置だったと言い換えても良いだろう」
「そりゃあ、都市の支配者が全てを支配する、って前例を砕くのには賛成よ。テオの意志だってあった。その気持ちを汲み取ってやりたいし、新たな時代の到来を知らしめる必要もあった。――けど、それで民主政治? まだ早いってば。馬鹿が国を動かしたら、馬鹿が国を傾けるわよ」
「だからこその任期だろう。頭が馬鹿なら、挿げ替えれば済む話だ。王政では、それが難しい。馬鹿だからと玉座から引き摺り下ろしていては、国政が成り立たん。玉座にはそれだけの権威がある。権威を蔑ろにすれば自滅する」
かーっ、と荒々しい息を吐いて、ユミルは眉間に寄った皺を指で抑えた。
「だからって、どうして何でも民に任せようとするのよ。選ぶ基準が馬鹿の考えなら、馬鹿な代表しか出て来ないじゃない。マトモな奴じゃなければ、選ぶ意味だってないでしょうよ」
「今の首相は、そのマトモの部類だ。何の文句がある」
「だーかーら、好いとこ取りしろって言ってんでしょ。マトモな奴だって、任期が終われば去らなきゃならないんだから。そいつの次が駄目な奴なら、結局坂を転がり落ちるだけじゃないの。傾きを正すのには尋常じゃない労力掛かるけど、傾けるだけなら簡単なのよ」
アヴェリンは、むっつりと押し黙った。
しばし考える時間を経て、挑む様な目つきでユミルを睨む。
「それでも、最悪を持続させる危険は取り除ける。自浄作用を期待してのことだ」
「無能が続けば、待っているのは停滞よ。そして停滞の持続は緩やかな自滅と変わらない。実際ね、野に埋もれた才能を、血統に関わらず見出すのは良い案よ。本当の有能が発掘できたら喜ばしいわよね。だったら、そいつの寿命を取っ払って、長く続けて貰えば良いじゃないの」
「それでは神の傀儡と見做される。以前と何ら変わらない。第一、有能であっても長く生きたことで、思想が変化することもあるだろう。変わらず有能であるとは限らない」
「だから、そん時は首切りなさいって。無能な国主なんて必要ないんだから。寿命を人質に取られてると思えば、実直に生きようとするでしょ」
アヴェリンは声を荒らげ、大きな身振りで否定した。
「それではミレイ様の努力に意味がない! 神の支配から、人を解放する事こそお望みだった。有能な者が治めるに越した事はないが、それを求める余り、神の支配が復活するのでは意味がなかろう!」
「先代首相は、票欲しさに嘘ばかりで固めた奴だった。今の首相は、それの反動で選ばれたみたいなものよ。反面教師として上手く機能した結果だから、尚更評価が高いと言えるかもね。次も上手く、その志が継がれるかしら?」
「大体、寿命を人質にというが、ならばその寿命欲しさに、立候補する者も現れるんじゃないのか。政治よりも、長命を欲する方に重きを置く輩など、国は任せられん」
「政治が稚拙なら、その長命を取り上げられるんだから、そこは必死にやるでしょうよ。無能な働き者より、ずっとマシじゃない?」
そこへ、それまで黙って聞いていた、ミレイユが後ろを振り返りながら言う。
「では、政治監査員が……賄賂や特権に流されない、公平、公正、実直な査定人員が必要だな。――私はこういう時、言い出しっぺの法則、という言葉を思い出す」
「オッケー、これで話はお仕舞いね。政治やら支配やら、そんな難しい話は人間だけでやってろって言うのよ、ねぇ?」
突然、話が急展開し、話を振られたレヴィンは、ぎょっと身体を仰け反らせる。
「い、いや、急にそんなこと言われても……!」
助けを求めるように首を動かすが、誰もが巻き込まれたくて、レヴィンの視線から逃れようとしている。
ロヴィーサやアイナさえ合わせようとしないので、事態の面倒臭さをどう感じているか、それで分かろうというものだった。
ミレイユはその遣り取りを見て、くつくつと笑う。
「まぁ……、神が手を出す人の世なんぞ、碌なモノじゃない。人は人によって、その未来を選び、決定付ける権利がある。神はその背を倒れないよう、そっと支えているくらいで丁度良い。付かず離れず、そして政治からは切り離される……そうあるべきだ」
「オミカゲ様みたいに?」
「あれは存在感が抜群にもかかわらず、古くより政治から距離を取っていた。自らの陣営に引き込もうと、時代の権力者は手を出していたようだが、その手すべてを振り払っていたから、今のあの地位がある。私もそれを真似ようと思う」
泰然と言い放つミレイユに、ユミルは胡散臭そうな視線を向けた。
「……単に面倒だからじゃないわよね? 一つ面倒見れば、当然それ一国だけで済む話にはならないもの。他大陸はどうなるんだって話になるし、各神に任せるってなれば、猛反対も起きるでしょう。何より管理が杜撰になるのが目に見えてる。監査に対する監査委員まで必要になり兼ねない」
「そこまで分かってるなら言うなよ。それ、単にって言えるレベルじゃない、相当な面倒さじゃないか。私はもっと気楽に生きたいんだよ……!」
「やっぱ、それが本音ね。テオのやつが偲ばれるってモンよねぇ……。理想に邁進し、理想に殉じて逝ったってのにさぁ……」
「いや、アイツはアイツでしっかり、自分の役目を果たして、満足に逝ったんだから良いじゃないか。あれほど穏やかな死に顔は、他に早々ないぞ」
「そうかもね……」
ミレイユが城に目を向けて、それでユミルとアヴェリン、そしてルチアも同じように目を向けた。
それぞれの瞳には強い哀愁と、羨望に似た色が浮かんでいる。
親しい者の死と、それを悼む気持ちがあると同時に、自らの生を満足に完走した者への憧憬があった。
彼女らの間にそれ以降会話はなく、地を踏む音と、風が森の葉を揺らす音、虫の鳴き声だけが響く。
彼女らが心底に何を思ったか、レヴィンには推測すら出来ない。
だだ、迂闊に声を掛けるべきではない、とだけは分かった。
神や神使と言えども、完全で完璧、完成された存在でないことは、これまで接して分かっていたことだ。
しかし、今ほど儚げに感じられた事もなかった。
彼女たちは、レヴィンが思っている以上に、人間だった。
どうしようもない程に、ただの人間にしか見えなかった。
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