隠密移動 その2

 都市への出入り口は一つしかなく、周囲は厚い森で覆われている。

 しかし、交通の便が悪いかと言えば、決してそうではなかった。


 出入り口となる道は良く舗装され、大型馬車四台が横並びになっても、なお余裕がある。

 馬車道と歩行者の道は区別されていて、それによる渋滞も起きない様になっていた。


 森と外を繋ぐ道は長いものの、内外を繋ぐ転移陣があって、有料ではあるものの誰で利用する事が出来る。

 この転移陣は森と出口だけを繋ぐだけでなく、各都市へ繋ぐポータルでもあった。


 大陸の主要街道は都市同士で繋がっているのは勿論だが、それだけではなく、点同士でも繋いでいる。

 だから、物流が非常に盛んで、商人の多くが立ち寄る都市でもあった。


 とはいえ、転移陣に注ぐ魔力は膨大で、単に陣を再現すれば良いという問題ではない。

 エルフの様な、膨大な魔力総量を持たなければ実現しない技術でもあり、各都市に配備されている陣は一日の利用回数に制限がある。


 刻印を宿す人間は、宿す分だけ魔力総量を刻印に割かなければならないので、本質的に魔術運用に向いていない。

 だから、どうしてもエルフに軍配が上がり、本格的運用は他都市では難しいのだった。


 何より、神気で満ちた森には、マナが存分に溢れている。

 その恩恵を存分に活かして、実現している物流網でもある。


「エルフが神を強く信奉しているのは、そうした恵みを受けられているからでもある。かつては迫害された種族が、今では覇権を握っているわけだ。武力ではなく経済で、物流の根を掴んでいるのだから、誰も文句を言えない」


「迫害……、とても信じられません。我らは魔族エルフに、強い敬意を向けております。神の教えを伝え、神殿へ奉仕する種族として、そうあるべきと思っていました」


「まぁ、昔の話だからねぇ……」


 ユミルがそう言って、次に森の出入り口付近へ目を向けた。

 そこでは往く道が複数に別れ、転移陣行きと徒歩で通過する道へ、それぞれ歩いていく人々の姿が見える。


 旅人や商人の姿ばかりではなく、そこには気軽な観光を楽しむ旅行客らしき姿まで見えた。

 都市が豊かなのは当然だ。

 神の庇護があるからではなく、こうして豊かになって当然の下地が存在している。


 旅が危険で過酷なものではなく、娯楽として消費される世界――。

 レヴィンが想像だにしていなかった世界が、ここにある。

 そして、それはロヴィーサに、ある種当然の疑問を抱かせることになった。


「ですが、覇権なんて握って、増長したりしないものでしょうか? 迫害されていたというなら、恨みも深いはず……。高い関税を設けたり、たとえば……意趣返しみたいなものを、しそうなものですが……」


「そりゃアンタ、神の威光ってモノを軽く見すぎね」


 そう言って、ユミルはミレイユへ悪戯好きな笑みを向けた。


「神あってこその今があり、神あってこそ実現している権威なのよ。神の威光を無視したりしないし、何より神から見放されるのを恐れてもいるからね。そして何より、大神レジスクラディスが大好きで仕方ない、って連中なの。不興を買うコトを何より忌避するわ」


「……それは、非常に分かる気がします。信仰こそが要で、そして楔になっている、という訳ですか」


「楔って程、大層なモンじゃないけどね。嫌がるあのコの顔を見たくない、みたいな感じよ。それが分かるから、よく弁えて行動してる……と言えるかもね」


 ロヴィーサは強く感心して、何度も首を上下させた。

 顎先に揃えた指先を添え、それから深く思考に没頭し始める。

 会話が一区切りしたので、そこを見計らって、今度はレヴィンがユミルに問い掛けた。


「それで、先程は話が逸れましたが……、我々はこれから何処へ向かうのでしょう? やはり、その転移陣を使って、別の都市へ向かうのですか?」


「そうするのが一番、時間的短縮になるのは間違いないんだけどねぇ……。エルフってのは総じて魔力に対して敏感だから、それやると発覚する恐れがある」


「つまり、すぐさま看破されてしまう、という意味ですか?」


「相手が誰かまで、即座に看破はされないでしょう。アタシの幻術ってのは、まぁ大したものだから。でもね、使っているコトまでは隠しようがない。そこには流石に気づくでしょうよ。……で、幻術使って顔や姿を隠してる輩なんて、疚しいコトあるって喧伝してるようなモンよ。まず、呼び止められるでしょうね」


「では、危険は回避した方が良いですね」


 レヴィンは残念そうな顔をさせて、ポータル乗り場を見やった。

 顔を隠していた正体が、実は大神レジスクラディスと知れば、不敬を詫びて通行を許可される可能性は大きい。


 しかし、後になって、本来この場にいるはずでなかった者がいたとなると、何かしらの事件と目されてしまう。

 事態の究明と解決を目指して調査を開始されるかもしれず、それがミレイユの耳に入らないとも思えない。


 危険な橋を、敢えて渡る必要はないのだった。

 ミレイユもまた、悔しげな視線を転移陣乗り場へ向けながら、鼻から息を吐いた。


「私達が使える時間は一年だ。その間に、全ての準備を済ませなければならない。徒歩では到底、そんなのは無理だから、何処かで大胆な手に出る必要はある」


「けれども、それは今じゃないワケよね?」


「私の記憶にも、私らしき者が転移陣を使った、という報告は届いていない。神の姿を真似るのは重罪だ。私を見たという報があれば、そちらの線で来るんじゃないかと思う」


「それだけじゃなく、如何なる意味においても、アタシ達は自分達の影を踏むコトも、視界の端に見るコトすらもなかった。相当コトを慎重に運んだ証拠でしょう」


 ミレイユはその見解を聞いて、うっそりと頷く。


「ならば、我らもそうした慎重さが必要だ。目に付く場所と、行動は避ける」


「そういう話になるわよね」


 ミレイユとユミルは、互いに深い理解を示し合って頷いた。

 しかし、レヴィンにはそうした理解に、いまいち及んでいない所がある。


 神と神使の言い方は、まるで一度、既に過去へ転移しているように聞こえた。

 勿論、そうした事実がないのは知っている。

 ただ、話を聞いていくと、どうにも不可解な事実だけが積み重っていくような、気持ち悪さがあった。


 訊いてみるべきか、レヴィンは迷った。

 知るべきことなら、知っておくべき前提なら、教えることを惜しむ方達ではない筈だ。


 しかし結局、そうした疑問を解消する機会は得られなかった。

 レヴィンが口にするより早く、ミレイユが出入り口を示し、注意喚起して来たからだ。


「ここからするのは世間話か、そう聞こえるものだけにしろ。気配を雑踏に溶け込ませろ、だが完全には消すな。逆に目立つ。一般人の通過を装うんだ」


「それは分かりましたが……。紛れて通過できるんですか?」


「この都市には、関所や足税なんてモノないから。出るも入るも自由なのよ。そんなのに頼るまでもなく、別の所で十分絞り取れるからね」


 そう言って、ユミルは意味ありげな視線を転移陣乗り場へと向けた。

 それは確かに、誰にとっても魅力的な移動手段として映るだろう。


 特に商人にとって、足税や関所の煩わしさは頭の痛い問題で、袖の下なしに通行を許可されないという話は、枚挙に暇がない。

 自由で活発な通商が、この都市の発展と活気に一役買っていて、だから誰の顔にも笑みが浮かんでいるのかもしれなかった。


「ほら、レヴィン。ぼけっとした顔してないで、それらしいフリしときなさい」


「あ、これは失礼を……!」


 指摘された時には、既に誰もが気配を上手く誤魔化していた。

 ロヴィーサは流石の巧さで、周囲に溶け込んで上手く擬態している。


 ヨエルもギリギリ及第点といったところで、意外だったのはアイナがロヴィーサに次ぐ巧さだったことだ。

 そこに居るのに居なかった、という矛盾を体現している程で、目の前にいるのが信じられない。


「す、凄いな……。前から魔力制御は俺達より一段上だと思ってたが、それがアイナの特技なのか」


「そう言って下さるのは嬉しいんですけど、単に影が薄いだけじゃないですかね……。昔から良くあるんです。友達複数と話していたのに、いつの間にか蚊帳の外になっていたりとか……」


「い、いや、別にそんな事はないんじゃないのか……。俺達と一緒の時は、そんなのなかったし」


「それは皆さんが、よく気遣ってくれたからですよ……。顔が地味なせいもあって、その他大勢になり易いんですよね……」


 アイナはどうやら、自分の容姿が優れないせいだと思っているようだ。

 可愛らしい顔立ちとしか思っていなかったレヴィンには、その自己評価が不思議でならない。


 首を傾げている間に、申し訳程度に配置されている警備兵の前を通り過ぎる。

 周囲が雑多な人々で溢れている事と、他愛のない話をしていたせいか、一切の気負いなく通過できた。


 しばらく経っても、呼び止められる気配もない。

 安堵すると共に、今更蒸し返す話の内容でもなく、一直線に続く森の街道の奥を見つめて、ただ足を前に運んだ。

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