隠密移動 その4

 人通りの多くは北の都市オズロワーナへ向かうもので、東西へ足を運ぶ者は、それほど多くなかった。

 道それ自体は整備されているものの、幅も狭く、歩道が別途作られているわけでもない。

 そこはやはり、交通量に左右して、整備状況も違う様だった。


 森を右手に、左手に草原を見つつ、レヴィン達は道を歩き続ける。

 最初感じた牧歌的雰囲気はそのまま続き、そして、魔獣などの気配も皆無だった。


 レヴィンが知る常識では、一見平和に見える光景でも、油断できる状況などない。

 いつ奇襲があっても対応できるよう、常に気を張っておくものだった。


 ただ、魔獣と違って魔物は基本的に、人里近くへ現れない。

 深い洞窟の奥や、あるいは森の奥にいるものだ。

 例外は幾らでもあるが、都市や町が見える範囲で現れる危険とは、魔獣や野党というのが相場だった。


 しかしそれも、神処の森近くとなれば、話が別らしい。

 神のお膝元で進んで悪事を働きたい者はおらず、魔獣は危険と分かる範囲に近寄って来ないのだろう。


 通り過ぎていく商人の馬車に、護衛が見られない所から、レヴィンは自らの推量がそう間違ったものではない、と感じていた。


 荷が奪われたら大損だ。

 下手をすると、首を括って死ぬしかない。

 だから、普通は威嚇の意味も含めて護衛を雇う。

 雇うだけの余裕がないなら、出来るだけ早く町へ到達しようと、馬に無理をさせるものだ。


 しかし、後ろから追い越していく馬車、あるいは正面からすれ違って行く馬車には、そうした焦りが見られなかった。

 それがつまり、危険はない、と思っている証拠だ。


 そうとなれば、レヴィンも僅かに張っていた緊張を解き、肩からも力を抜く。

 ヨエルとロヴィーサはその職務上、勝手に緊張を解いたりしないし、言った所で解かないだろう。

 護衛とはそうしたものだろうし、だから口を挟まずそのままだ。


 レヴィンは空とそこに浮かぶ雲を見つめながら、何気なく思う。

 既に陽は傾きつつあり、夕刻が近付く頃合いだ。


 陽が完全に沈むと、町の出入りは制限される。

 大抵の魔獣は夜の方が活発になるし、石壁を築く大きな町であっても、警戒を厳にして閉門するものだ。


 一度閉まってしまうと、滅多なことでは開門されない。

 金で解決出来る事もあるが、小さな村なら略奪者を警戒して、安易に門を開きたがらない。

 見渡して判断する限り、日が沈むまでに辿り着けそうな町村が、近くにあるようには思えなかった。


 それを訊いてみようかとレヴィンは視線を向け……、しかし結局、口を閉ざした。

 その程度、彼女たちが考えていない訳もない。


 実は小さな集落などがあり、そこで厄介になるつもりかも知れず、あるいは野宿で済ませるつもりかもしれなかった。

 レヴィン達にとっても、野宿など今更、厭うものではない。

 神と神使が指示する通り、動けば良いと思うだけだった。


 それからは、特に会話もなく道中は続く。

 すると、いよいよ森の途切れ目が見えてきた。

 山を背景にして終わっているので、徒歩のレヴィン達はその山を迂回する形で進む事になる。


 山登りルートと別に分かれ道があり、大きく左へ湾曲している道が見えた。

 一行はその分かれ道へと進む。


 遠く山の稜線に日が沈みつつあり、空は藍色が深くなってきた。

 雲に当たる陽の光は夜の帳と混じり合い、物悲しい紫色が浮かんでいる。


 進む道の何処を見渡しても、民家や町の明かりは見えない。

 どうやら、今日は野宿で決定らしかった。

 そうとなれば、今の内から枯れ枝や薪など用意しなければならない。


 レヴィンがヨエルなどに目配せしようしたタイミングで、ミレイユは暗くなり始めた虚空を指差す。

 そのまま釣られて顔を向けると、そこにはポツンと一軒、打ち捨てられた古民家があった。


「ほら、あれだ。今日はあそこで一夜を明かす」



  ※※※



 打ち捨てられているだけあって、民家は酷いものだった。

 元々あったと思われる窓ガラスは、綺麗になくなり吹き抜けの状態だったし、平屋の屋根は橋の一部が欠損している。


 扉はとうの昔になくなって、代わりに板を立て掛けているだけだった。

 中は埃まみれで黴臭く、長く人が住んでいないと一目で分かる。


「よく、こんな場所、知ってましたね……」


「長く生きていると、色々な。ここは旅人の共同宿みたいなものだ。中途半端な場所にあるから、重宝されている。本来、こういう場所を利用しなくて済むよう、もっと早くに前の町を出るなり、それが無理なら一日遅らせるなりすれば良いんだろうが……。何事も、上手くいく日ばかりじゃないからな」


 そう言って、勝手知り、慣れたる仕草で中央辺りへ、ずんずん進む。

 どこからともなく敷布を取り出すと、それを床に敷いて座ってしまった。

 レヴィンがどうしようか迷っていると、ユミルが早々に場を仕切って指示を出す。


「アヴェリン、竈を見て。火を炊いて頂戴」


「分かった。……おっと、前に使った奴が炭を残している。ついてるぞ」


「ルチアは食材の準備ね。適当に鍋物でも作って頂戴よ」


「私に適当なんて頼まれても困ります。きちんと作りますよ」


 既に分担作業として、彼女達の間で出来上がっているものがあり、それぞれが淡々と自らの仕事をこなしていく。

 その光景に圧倒されていると、ユミルがレヴィン達へ顔を向けた。


「そっちは座ってていいわ。邪魔になるから」


「いえ、神使様に働かせて、こちらが何もしないなんて……!」


「……まぁ、そっか。じゃあ、男連中は裏手の井戸で水汲んできて。近くに木桶があるから。……で、出入り口横に水甕みずかめあるでしょ、――ほら、それ」


 ユミルが指差した所には、確かに土瓶らしき容れ物が置かれ、その上に木の板で蓋がされていた。


「それ一杯になるまで入れて頂戴。女連中は炊事の手伝い。ルチアの指示に従って、食材切るとかして貰うわ」


「お任せ下さい」


 レヴィン達はそれで三々五々、課せられた仕事の為に散っていく。

 水汲みはそれなりに重労働だが、ヨエルと二人掛かりなら、そう長く掛かる作業でもない。


 水甕を早々に満たしてしまい、あっという間に手持ち無沙汰になってしまった。

 ヨエルと二人、顔を見合わせていると、部屋の中央――いつの間にやらミレイユの横に座っていたユミルが手招きしてきた。


「そっちはもう良いから、こっち来なさいな」


「いや、しかし……」


「狭い炊事場で、そんな大人数でいてどうすんのよ。いいから来なさい」


 打ち捨てられた古民家にしては、中々広い作りであったものの、既に四人が仕事している中で加わるスペースはなかった。

 それですごすごと、ミレイユの敷いた敷布の、ごく隅へと腰を下ろす。


「何でそんなトコ居るのよ。こっち来なさいよ」


「いえ、それでは敷布を汚してしまいますので……」


「汚しても良い布使ってんだから、そんなの気にするんじゃないの。――あ、真ん中は空けて座って。そこに鍋、置くから」


 言われずとも、ミレイユよりの近くに座る度胸などない。

 それで改めて座り直したのだが、薄暗い室内には炊事の音が耳に聞こえるだけで、何とも気不味いものだった。


 唯一の明かりは、竈から漏れる火だけで、他に目にすべきものもない。

 流石に不便と思ったのか、ルチアが天井付近に柔らかい光を投げ、今では蝋燭より強い光源が、部屋全体を照らしている。


「あー……、その……、驚きました」


「……何が?」


 ユミルが炊事で動く彼女らを、見るともなく見て応える。


「いえ、こういう事に慣れている風なのが。炊事だけでなく、火を熾す所や、こういう場所を頻繁に利用しているように見えて……。ミレイユ様もこんな古民家を進んで使ってますし。昨日までのギャップを考えると、どうにも……」


「多くの女官に傅かれて、何一つ不自由ない衣食住を提供されるハズ……って? それは間違いじゃないけど、アタシ達にとってはこっちの方が自然なの。贅沢するのも大好きだけどね」


 ユミルはそう言って笑い、傍らのミレイユに顔を向けた。


「基本的に、傅かれ、敬われ、奉られる存在よ。でも、窮屈でしょう? ウチのコは、甘んじて受け入れてはいるけども、好んでいるワケじゃないから。神処の外では、こういう昔ながらのスタイルでやってるワケ」


「昔……ながらの? まるで、それでは旅人みたいな感じですね?」


「あっちでコロコロ、そっちでパッパッてね。まぁ、色々やってたモンよ。それこそ、一晩あっても語り尽くせぬっていう……」


「――ユミル」


 ミレイユから静かに嗜める声があって、ユミルは露骨に目を逸らした。

 仕方ないやつだ、と柔らかな笑みをさせてから、ミレイユはレヴィンに声を掛けた。


「私は旅が好きなんだ。不自由を身近に置くからこそ、神座からは決して分からない事を知られる。それに、ただ座っているより、動いている方が性に合うしな」


「どっちかって言うと、そっちの方が本音でしょ」


「……ユミル」


「やばっ、やぶ蛇……!」


 今度は軽く嗜めるものでないと知ると、ユミルはさっと身体を翻し、炊事場へと駆け込む。

 丁度、料理が出来たらしく、その手伝いに乗じて逃げたようだ。

 ミレイユはやはり柔らかい笑みを浮かべ、運ばれてくる鍋に目を向けた。

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