大神小噺 その3

 ミレイユは窓の方へ顔を向けると、遠くに見える空を見つめた。

 港町の宿屋、それも高級宿であるからその立地も良く、特にミレイユの部屋は高所にある。


 青空と白い雲、さんさんと降り注ぐ陽光が街並みを照らす。

 その姿が、窓の四角い縁から見えていた。


「この世の、成り立ち……とは?」


「色々と端折る所はあるが、その一つに、この世は一度滅びを迎えていた……とか、かな」


「滅び……!?」


 唐突に物騒な単語が出て来て、レヴィンは面食らって声を上げる。

 そして、滅びの単語から連想されるのは、淵魔の存在だ。


 あれはまさしく破滅の権化で、世界に溢れたとするなら、誤解の余地なく破滅の危機だ。

 しかし、ミレイユの口から出たのは、また別の事だった。


「この時、淵魔は関係ない。世界の寿命……とも言えるが、神災じんさいと言った方が正しいと思う。かつての神が世界を見捨て、後釜の神が馬鹿をやって、その結果、やすりをかける様に世界の密度そのものが失われていった」


「神が、その様な……? 俄かには信じられません……。でも、それが本当なら、確かに神災じんさいと呼ぶに相応しいですが……」


「捨てる神あれば拾う神あり、だそうだ。実際に捨てた神がのたまった台詞さ。その傲慢な態度には反吐が出たし、実際にぶちのめしてやったが」


 ミレイユが見せる横顔に変化はない。

 何かを誇っている様でもないし、怒りに滾っている訳でもなかった。

 しかし、凪のような横顔からは、何かの決然とした意識が表出していた。


「だから、死に行き滅ぶしかなかった世界を、私が拾った。滅ぶ世界を再生し、また人や獣、多くの生命が生きられる世界へ創り直した」


「それが、世の真実、ですか……」


「再創歴というこよみは、そうして名付けられた。そうして実に三二六年……まぁ、再生といっても未だ道半ば、完全な再創生は出来ていない。『虫食い』の横槍もあるしな……」


「淵魔が……淵魔の『核』が、手出ししている、という話でしたね」


 凪いでいたミレイユの横顔は、これには明確な怒りと不愉快に染まった。

 それから眉間に皴を寄せ、吐き捨てる様に言う。


「その『核』こそが、捨てた神だ。死に損ないが、やられた腹いせに仕返ししているつもりらしい」


「何と……迷惑な存在でしょう」


 この独白は、ロヴィーサの口から発せられた。

 そして、それは全員の総意に違いなく、誰も声を発せず同意していた。


「まぁ、さっきも言った通り、ここは端折る部分だ。アキラの足跡を話すには、余り関係がない。だが、世界が再創生された事実は重要だ」


 それは間違いない。大変、重要な話だろう。

 これは聖書にも載っていない事実で、そして、これまでは神の間で秘匿されてきた真実でもあった筈だ。


 それを知った最初の人間かもしれず、その重さがレヴィンの肩にグッと掛かる。

 知ったからどうだという話でないし、無闇に吹聴する話でもない。

 しかし、その様な重大事を、おいそれと話して良かったのか、とは思った。


 それだけ信頼されているのだろうか。

 ユーカードならば、と思ったのだとすれば有り難い一方、その信頼を重いとも感じる。


「ところで、話は少し逸れるが、お前たちは強い。それも、他の実力者と比べても強い、と言える。それを考えた事は?」


「いえ、それは……どうでしょうか。幼い頃から、淵魔と戦う環境におりましたし……。武芸についても、厳しく教えられました。単純に、強くなければ生きていけない環境で、だからこそ、ではないかと……」


 ミレイユはその返答に首肯こそしたものの、その答えに満足してはいなかった。


「間違いではないが、正確でもないな。今の強さは環境の強制、努力の賜物、という意見には賛成する。だが、それだけにしては強すぎる」


「そう……なのでしょうか? 皆さまを見ていると、とてもそうは思えませんが……」


 実際に、その強さについて不満を呈されている。

 ミレイユは神なのだから別として、戦士として最上級と思えるアヴェリンには、その足元にも及ぶまい。

 魔術と体術を、高いレベルで両立しているユミルにおいても、やはり追い付いているとは思えなかった。


 それは神使として当然の力量で、だから及ばないも当然とする一方、一人の戦士として悔しい思いも感じていた。


「アヴェリン達は別格だから、これを参考にしても仕方ない。だが、私から言わせると、良くぞそこまで純度を保って維持して来たな、という感想だ」


「純度、ですか……?」


「お前、領の外で人と戦った事はあるか?」


「あります。野盗崩れ程度が相手でしたが……」


 直近の事であれば、思い出すのは難しくない。

 あれはアイナを日本へ送還する為、ユーカード領を出てすぐの事だった。


 それ以外にも、領の外から食い扶持を得ようと、山に棲み着いた賊を討伐した事もある。

 直接、剣を交えた事こそないものの、シルアリーの街にて、『銀朱』を名乗る冒険者の力量も見た。


 大きな顔をする割に、大した実力もない奴ら、という印象を受けたものだ。

 しかし、その彼らは街では大きな顔をするに当たって、相応しいランクの持ち主ではあったようだ。


「世界の基準で言うと、外の人間と領内のお前らとでは、根本からして実力が違う。アヴェリンとお前らに隔絶した力量差があるのと同じで、生まれ持ったモノが違うからだ」


「それが先程、仰った『純度』……という部分に繋がるのでしょうか?」


「察しが良いな」


 ミレイユはその顔にあるかなしかの笑みを浮かべて、手で弄ぶ様に揺らしていたグラスを口元へ運び、小さく口に含む。


「……生まれ持ったモノが違う。当然だ、大陸には最初、マナが無かったからな」


「そんな、まさか……」


 それは正に青天の霹靂とでも言うべき事で、昔の空はピンク色だった、と言われたような心持ちになる。

 全く想像が付かず、思わず否定してしまったが、神の口から出た言の葉が、嘘である筈がない。


 レヴィンは咄嗟にその不敬を詫びた。

 しかし、ミレイユは全く気にした様子もなく、小さく手を振って話を続けた。


「そういう反応にもなるだろう。だが、事実だ。私がマナのない世界に、少しずつ浸透させた結果、今がある。世界各地にある神殿は、そうした役目も担っている」


「龍脈を整え、淵魔を封じるだけではないと……!」


「最初の狙いは、むしろマナを循環させる為だった。神力を得、そこから精霊を通じて変換し、龍脈へマナを通す。そうする事で、本来は存在しないマナが、世界全体へ広がって行った」


「そう……なのですか。しかし……」


 それこそがレヴィンには疑問だった。

 あるべきものがない、というのは酷く奇妙だ。

 この世は多くは、マナがある前提で動いている。


 それが後付けになってしまえば、色々と齟齬が出るのはないか。

 レヴィンの脳裏に浮かんだ考えは、しかし、ミレイユにとって予想できていた事らしい。


「――何故、そんな事に? だが、それは疑問となる前提が違うから、そう思えるんだろう。この世の姿には、マナなど存在しなかった」


「あるべき、姿……。しかし、それは一体、誰から見た姿なのです?」


「敢えて言うなら、世界自身、という事になるのかな……。どちらかというと、歴史的事実に基づく……そちらの方が近い、という気がしてる」


「ちょっと、意味が、よく……」


 神にとっては自明でも、レヴィンにとっては全く未知で、予想すら出来ない分野だ。

 困った顔で首を傾げるしかなく、横をチラリと見た感じ、他の三人も同じ様な反応だった。


 しかし、その中でアイナだけが、もしかしたら、という予感めいた表情をさせている。

 それに気付いたミレイユは、興の乗った視線でアイナを名指した。


「何か考えがあるようだな? アイナ、言ってみろ」


「きょ、恐縮です……! 本当に、単なる思い付きでしかないので、全く意味不明かもしれないんですが……」


「構わんぞ」


「あの、歴史的事実というのなら、つまり……ロールバックみたいなものかなって。ある地点まで遡って、そこからやり直した、と言いますか……」


「あら、凄い。殆ど正解じゃない」


 これまで黙っていたユミルが、喜色を浮かべてグラスを掲げる。


「やっぱり基礎教育って大事なのよ。そういうのが発想力に繋がるんだわ」


「え、本当に……?」


 自分の意見に賛同されて、一番驚いているのはアイナだ。

 しかし、ミレイユやルチア、そしてアヴェリンの反応を見る限り、正解で間違いないらしい。


「面倒は省くが、そういう認識で間違いない。かつて、世界が滅びに瀕した時、世界には中央大陸以外の全てが消滅していた。そして、姿を取り戻させた時、今の外洋五大陸も復活したが、そこにはマナがなかった。かつての神が、余計な真似を始める前に戻ったからだ」


「余計な……。それがつまり、マナを与える事なんですか?」


「少し違う。マナとは、神力を世界から抜き出す時に生まれる余剰物、あるいは老廃物みたいなものだ。神力で以って世界は構築され、神力で以って維持されていた。しかし、そこから神力を抜き取ってしまえば、世界はどうなる」


「それは……よく、分かりませんが、瓦解してしまいそうなものです」


 これにミレイユは頷き――不満を滲ませた表情で頷き、グラスの半分程を一気に呷った。


「それがつまり、世界崩壊の始まりだ」

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