大神小噺 その2

 レヴィン達が訪れたミレイユの部屋は、自室を更に豪華に仕立てられたものだった。

 部屋の規模からして違い、広いテーブルと椅子以外に、バーカウンターとソファまで用意されている。


 ミレイユはそのソファにゆったりと座り、傍で控えるアヴェリンに扇で風を送られていた。

 まるで一枚の絵画を見ているようで、レヴィンは思わず恍惚に頬を染める。


 ここに神獣も加われば完璧なのに、と益体もない事を考え、そしてハタ、と思い至った。

 そう言えば、こちらに帰って来てからずっと、かの神獣を見ていない。


 妙な発見をした気がして、どういう事かと首を傾げた。

 そこに、ミレイユが興味深そうな笑みを浮かべて、口少なく尋ねて来る。


「……不思議か?」


「え、あー……。やっぱり顔に出てますか?」


「お前はアイツと違って顔には出さない。……が、隠し方が下手だ」


 アイツとは誰の事を指しているのか、レヴィンには不明だ。

 しかし、近しい人物だとは推測できた。

 不躾にならないよう、部屋に侍る神使達へ目を向けてみたが、何れの事も指していないのは間違いないようだ。


「まぁ、フラットロを呼ばないのは、『混線』を防ぐ為だ。あれは常に私の傍に侍っているが、一時も欠かさず、という訳でもない。どちらにも召喚された結果、もう一人のミレイユがいる、とそこから知られたら目も当てられない」


「言い含めて黙らせた所で、やっぱり不安は残るし……まぁ、妥当な判断よね」


 そう言いながら、ユミルは備え付けのバーカウンターから、好みの酒を引っ張ってくる。

 そうしてグラスにワインを注ぐと、悪戯好きの笑みをミレイユに向けた。


「案外、寂しく思ってるんじゃない?」


「手元に撫でる手触りがないのは、確かに妙な感じだ。邪魔と思うこともあったが、ないとなれば寂しい。随分、自分勝手だと、我ながら思う」


 小さく笑って、それからいつまでも部屋の入口付近で立ち尽くしているレヴィン達へ、中へ入るよう促す。

 長テーブルの一方には既にルチアが座っていて、その対面となる席が空いている。


 丁度四人が座れるだけ席もあり、だから特に迷わず着席した。

 その間にアヴェリンがミレイユの為に酒を持ってきて、食前酒の白ワインが恭しく差し出された。


 ミレイユはそれを手に取り、軽く口に含む。

 一拍の間が生まれ、部屋に静寂が満ちた。


 窓の外は賑やかだから、まったくの無音ではない。

 行き交う人々の闊達な雰囲気が伝わり、それが音楽の様に心地よく感じさせた。


 ミレイユもまた窓の外へ顔を向け、それから遠くを見ながら目を細める。

 昔を懐かしむ様でもあり、そして遠く去った過去を悲しむ様でもあった。


「……さて、何処から話してみたものか……」


「まずは、正しい名前や出身地から、伝えるのがよろしいのでは?」


 アヴェリンからその様に補助があって、ミレイユは視線を戻して同意した。


「そうだな……、それが良いだろう。お前達は初代の名が、エィキラー・ユーカードと伝わっていたみたいだが、そこからが間違いだ」


「なっ……!?」


 それはレヴィンに少なくない動揺を感じさせた。

 そこからが間違っているとなれば、足元全てが瓦解する。


 全くの別人を敬愛していたのかと不安になったが、神の言葉を遮ること、否定することは許されない。

 だから、否定したい気持ちがありつつ、黙って聞き続けた。

 ミレイユは苦笑しながら、手を横に振る。


「そんな顔をするな。言いたいのは、名前が違うという部分だけだ。そちらの常識と交わることで、どうにも正しく伝達されなかったんだな。これはまぁ、ある種、仕方がない」


「そちら……?」


「お前の言う、エィキラー・ユーカードは日本人だ。それが世界を渡り、腰を落ち着けた先で家を興した。いや、腰を落ち着けた……とも違うか。殆ど強制みたいなものだった」


「そんな、事が……!?」


 レヴィンは思わず、アイナを見つめる。

 彼女が日本からやって来たように、初代様もまた、転移によってやって来たとしても、それは有り得ない話ではない。


 この世には、日本と異世界を繋ぐ『孔』があり、ミレイユや――特にユミルは頻繁に行き来していた節がある。

 実は初代が日本人、という理屈は、全くあり得ない荒唐無稽な話ではなかった。


「お前が受け継ぐ刀は、誰かと良く似た物じゃなかったか? そして、ユーカードの髪色が黒だと尊ぶのは、そこに由来の一つがある。剣術についてもそうだが、特にお前は、浅からぬ因縁を作ったみたいだな」


「そう……なのでしょうか。意味が、よく……?」


「そうだろうな。――まずは、正しい名前から教えておこうか。名残はしっかり残っているぞ。由喜門ゆきかどあきら……聞き覚えがあるだろう?」


「――あっ!」


 レヴィンの脳裏に、フラッシュバックするかの如く、一人の青年の顔が思い浮かぶ。

 まだ若く、青年というより線の細い少年にも見える男で、身体付きこそ鍛えたものだったが、その顔付きは中性的だった。


 魔力総量、筋力、体力いずれも勝っているのに、こと技術の一点において勝る相手――。

 そして、剣技と魔力制御で劣るだけでなく、特に刻印を用いた戦闘法は雲泥の差だった。


 だからこそ、長い間連敗を喫していた。

 だが、汎ゆる技術を戦闘の中で伝授してくれた、彼の献身とも言える誠実な訓練によって、最後にはレヴィンが勝る結果となった。


 完全に壁を超えたレヴィンは、何度戦おうとも接戦こそすれ、アキラにはもう負けないだろう。

 それだけの成長を後押ししてくれた。

 その恩義と感謝は、今もレヴィンの胸の奥深くに強く残っている。


 ――では、と恐ろしいものを見る目付きで、ユミルに視線を移す。

 先日、ユミルが初代様を既に超えている、と言ったのは……。


「ゆきかど……ユーカード。エィキラー……アキラ。確かにこれは、偶然というには、余りに……」


「お前たちにとって、発音し易い形で変異した結果だな。そして、いつの間にやら、それが定着してしまったんだろう」


「一々訂正する、アキラの困り顔が目に浮かぶようです」


 アヴェリンが、したり顔で頷いた。

 その顔を複雑な心境で見つめつつ、同時にレヴィンは納得もする。

 特に『ゆきかど』の発音は、レヴィンからすると喉が支えてしまい、上手く言うには努力を要するのだ。


「あのアキラさんが……俺の、俺達の初代様……?」


「お前達の間では、勇猛果敢で恐れを知らず、汎ゆる敵に背を見せず戦った……とされるらしいな。まぁ、それは事実だ。頼りがいのある背中と映ったろうし、だから偉大という所と結びついて、大きな男……という話にされていったんだろう」


「でも、どちらかと言うと、アキラ様は優男に見えました。中性的な顔立ちでもあって……」


「それは何とも、最大限配慮したものの言い方だな。素直に頼りがない、と言って良いぞ」


 冗談めかして言ったミレイユは、それからアヴェリンへ同意を促す様に目を向ける。

 すると彼女もまた、大いに頷いて言った。


「剣技の腕など酷いものでした。体捌きは目も当てられず、幾ら言っても上手くならない代表みたいな奴です」


「そんな言い方……!」


 実際に手合わせした、レヴィンだからこそ言える。

 ユーカード領においても、一、二の使い手と言って遜色ない腕前だった。

 カタナという特殊過ぎる武器を使うので、その使い手が殆ど居ない、という部分に目を瞑るにしても、腐すほど酷い腕前ではない。


 それはレヴィンが自信を以って言えた。

 しかし、これにはユミルから微苦笑と共に注釈が入る。


「言い方はちょっとアレだけど、言う権利はあるのよ。アヴェリンは剣術こそ応用部分だけを、後は他に基礎全般を教え込んだ、アキラの師匠だから」


「初代様の師匠……!? 神使様に教えを乞うていたんですか……!」


 それは驚きと共に、喜びを持って迎えられた。

 初代様の伝説に、また一つ新たなページが加わった事になる。


 その新たな発見に喜んでいたものの、当のアヴェリンは不快気だった。

 顔を逸らした彼女に代わって、ユミルがフォローの様な説明を入れる。


「まぁ、ご覧の通り……口や態度は酷いモンだけど、しっかり面倒見てやってたわ。互いに良い関係ではあったみたいよ」


「別にそんな事はない」


「……とか言ってるけどさ。アヴェリンは大体、誰に対してもこういう態度だから、そこは気にしなくて良いわよ」


「下手な事は言わなくて良い。誤解される」


「誤解ねぇ……?」


 ユミルはどこまでも嗜虐的で、アヴェリンの顰めっ面を楽しんでいるようだった。

 しかし、ミレイユからも否定が入らないので、どうやらそういうものと思っても良さそうだ。

 そこへ更に、ミレイユからのフォローが入る。


「アキラはアヴェリンから、戦士としては駄目との烙印を押された。それは確かだが、同時に本質を異にしていたからでもある。アキラの本質は守護の盾、誰かを護ろうとする時、その力を発揮する。戦士じゃないとは、そういう意味だ」


「誰かを、護る……」


「お前が受け継ぐ刻印にも、その本質が良く表れているだろう?」


 ミレイユが指差す先には、レヴィンの両手甲に宿った刻印があった。

 『年輪の外皮』と『追い風の祝福』は、最も低級の刻印と知られている。


 だが同時に、立って動ける限り――立ち向かい諦めない限り、どこまでも使用者を助けてくれる。

 そうして諦めないアキラの姿に、きっと多くの者が励まされたに違いない。


「淵魔は恐ろしい。ただ攻撃的な魔物や魔獣など幾らでもいるが、捕食した相手の特徴を真似て、更に強大化する存在だ。知人を喰われた者とて居た筈だろう。しかし、アキラは必ず前線に立ち、味方を鼓舞した。その背中を見て、救われた者は多かったろうな」


「そうでしょうね……!」


 思い描いていた通りのものが、神の口から出て来て、レヴィンは誇り高い気持ちになる。


「あれは良く無茶する奴だった。自分より他人の方が、大事と考えていた様に思う」


 そう言った後、ミレイユは少し考える素振りをして、視線を外す。


「アキラの足跡を話してやりたいが、それにはまず、世の成り立ちから教えなければならない。荒唐無稽に思えるだろうが、……聞け。今から話すのは、全て真実だ」

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