大神小噺 その1

 レヴィン達が現在滞在しているのは、北方大陸において比較的大きな湾口都市だ。

 それだけに多くの商人、旅人が立ち寄るので、宿の数も充実していた。

 そして宿の事を知るには、宿屋そのものに訊くべきで、出立前に良い評判の店は既に聞き取っていた。


 高級宿ならば、どこでも蒸し風呂は提供されているとの事で、ミレイユは幾つかある候補を見て回り、そうして昼前にようやく今日の宿が決まった。


「どこも甲乙つけ難い……が、まぁ明日も明後日もある事だしな」


「そうならないコトを祈ってるわ」


「お前は何でそう、早く先に進ませたがるんだ」


 興に水を差されたミレイユは、不満そうな目を向ける。

 しかし、これにはユミルも負けていなかった。


「そんなの、ご自分の発言を切って取れば、よくお分かりじゃない? 仮に時間的余裕があろうとも、この状況で、ひと月のバカンス? 終わってからやれっての」


「……うん。一年の時間制限内で、我々は全ての準備を整えなければならない」


「そうね、殊の外よくご存知でらっしゃるコト……」


「だが、逆を言うと、余った時間は好きに使えるという事じゃないか」


「余るとか以前の問題でしょ!? まだ始まってもないのよ!」


 声を荒らげて反論するユミルに、ミレイユは不快そうな顔をして言った。


「何かお前……、途端に口が煩くなったな。昔はもっと適当だった」


「アンタは途端にダメな感じになったわ。オミカゲサマの何か良くない部分が伝染ったんじゃない?」


「そうかもしれないな。つまり、全部アイツが悪いって事にすれば、万事解決だ」


「そんなワケないでしょ」


 二人の遣り取りを傍で見て、レヴィンはどう対応して良いか迷う。

 そして、同時に二人の応答が、まるで友人を相手にするものだと気付いた。

 ――いや、気付いてはいたのだ。


 気安い仲だ、冒険者仲間の様だ、と思った事もある。

 しかし、二人の関係はそれ以上で、主従の関係であるはずなのに、それを一切感じさせない。


 ミレイユに対する態度には、人一倍煩そうなアヴェリンですら、この会話を問題視していないようだ。

 レヴィンにとって、それが不思議でならなかった。


「大体、下準備と言っても、大きく見積もって半年あれば十分終わる。だったら、ここでひと月逗留することに、どんな不都合がある?」


「その半年とやらが、何の根拠もない皮算用だからでしょ」


 ユミルは吐き捨てる様に言って、大きく息を吐いてから続ける。


「半年余った後なら、好きなコトに時間を浪費なさいな。でも今はそうじゃないんだから、安全を取って事前に全て終わらせよう、って話をしてるんじゃない」


「……お前、変わったよな。前はむしろ、私と一緒に悪ノリするタイプだった」


「同じ台詞を言わせて貰うわ。アンタはもっと思慮深かった」


「人生、楽しんだものの勝ちって言ってたクセに……」


「その勝つか負けるかの瀬戸際だから、安穏としてられないって話をしてるんでしょ」


 これにはぐうの音も出なかったようで、ミレイユの言葉が止まる。

 そして、唐突にお腹を抑えて、わざとらしい演技を始めた。


「――あっ、お腹イタッ! イタタ、お腹痛くなってきた……!」


「都合が悪くなったからって、子供みたいな言い訳やめなさいよ!」


 レヴィンは呆然として二人の遣り取りを見守る。

 あれではまるでコントだ。

 まるで、というより、コントそのものだった。


 いっそ見なかった事にしたかったが、見えてしまったものは現実だ。

 そして、現実はいつも非情なのだと、常に世界はレヴィンに教えてくれる。

 レヴィンが遠い目をしていると、ユミルがこちらに水を向けてきた。


「ほら、敬虔な信者のユーカードが、今の遣り取り見てたわよ。どうすんの、威厳があり、偉大な神の姿ってのを示すチャンスかもよ?」


「……あぁ、確かに今のは少し拙かったが……」


「少し?」


 腹を押させていた手を離し、前屈みの姿勢から直ったミレイユは、ユミルの台詞を丸っきり無視する。


「確かに余り宜しくない。強く叩けば記憶は飛ぶか? 試してみる良い機会かもな。――アヴェリン」


「……出来かねます」


 神の命は絶対と思っていそうなアヴェリンだが、これに微苦笑と共に否定された。

 どの様な事でも果断な覚悟で実行すると思っていただけに、これにはレヴィンも驚きを隠せない。


「お戯れが過ぎます、ミレイ様。風呂程度はともかく、試しに殴って記憶を飛ばそうなどと……」


「そうだな、すまない」


「私が叩けば、レヴィンの頭程度、微塵に砕けます」


「――そっちかよ!」


 堪り兼ねて飛んだ突っ込みは、ヨエルの口から出たものだ。

 流石に看過出来ぬと見て、ロヴィーサまでもがレヴィンの盾になるよう、身体の位置を入れ替えている。

 アイナは加勢するべきかどうか決め兼ねていて、ただオロオロと首を動かしていた。


「……まぁ、冗談が過ぎたな。いや、私も道理はしっかり弁えているぞ。この状況で、個人の我儘を口にするなど、するべきではない」


「じゃあ、蒸し風呂はナシね」


「いや、それは別だろ。船旅で短縮できた日数ぐらい、逗留を伸ばしても問題ない筈だ」


「……まぁ、それが厳守されるんなら、良い落とし所としても良いかもね」


 そう言って、ユミルはハタ、と動きを止める。


「最初から、それが狙い……とか言わないわよね? アタシ自身の口から、言質を取る……とか」


「いや、まさか。考え過ぎだ」


 言っている言葉と、その表情は一致していない。

 にんまりと口の端を持ち上げる様は、言外にその通りだと告げていた。

 ユミルは盛大に舌打ちして腕を組むと、眉間に皺を寄せて顔を背けた。


「まぁまぁ、何たるコト! 小賢しい考えするようになったものよ! 神の在り方に一石が投じられるわ!」


「ともあれ、数日程度の逗留は、実際大きな問題にはならないじゃないか。腹を括って、共に楽しめ」


 説得に成功を収めたミレイユの笑顔は、実に晴れやかなものだった。



  ※※※



 宿で宿泊手続きを済ませ、人数分の料金を支払う。

 どこの宿でも基本的に前払いが基本だから、その支払いもルチアが済ませてくれた。


「申し訳ありません。自分たちの分は自分で支払う所を、ご厚意に甘えてしまって……」


「構いませんよ。一度に済ませた方が面倒は少ないですし、大した金額でもありませんから」


 ルチアの言い方は素っ気なかったが、同時にだからこそ、本当に全く気にしていないとも窺える。

 あまり固辞しても失礼になるので、有難く厚意を受け取った。


 そして、そこからは各々自由な時間を与えられた。

 さりとて、観光目的で外をぶらつく、などの贅沢は許されない。


「港町だけあって、色々珍しいものを目にする機会だろうが、まぁ……無理だな」


「あの船長が、正当な栄誉を与えようと躍起になってる姿が、目に浮かびます……」


 レヴィンの独白に、ロヴィーサが追随して頷くと、アイナもまた困った顔をして首肯した。


「あの船にいた水夫さんが、各宿屋を探しているかもしれませんか」


「それだけじゃねぇぜ。港に居た奴らのはしゃぎっぷりを見ただろ。そこにいた人間を巻き込んだとしても、全く不思議じゃねぇ。ユミル様が言った通りさ」


「じゃあやっぱり、目立つ行為は控えるべき、なんでしょうね……」


「素直に宿へ引き籠っているのが、最も無難で正しい過ごし方だろうな」


 レヴィンもアイナの意見に同意して、苦い笑顔で頷いた。

 聞き込みをするにしても、水夫たちは船上で過ごしたミレイユやユミルの姿を元に、特徴を伝えているはずだ。


 そうであるなら、道中はずっとユミルの幻術下にあった訳で、宿の人間も宿泊していない、と答えるだろう。

 静かにしていれば、何事もなく切り抜けられる。


 目下、問題と言えるのは、暇を持て余してしまう所だろう。

 だがそれも、蒸し風呂以外の時間は、ミレイユの講談で潰せる予定だ。


「今は早速、ミレイユ様は蒸し風呂へ浸かりに行ったようだ。その間は好きに凄そう」


 そう言うと、ロヴィーサ達もまた蒸し風呂へと行ってしまった。

 レヴィン達は部屋に取り残される事となり、手持ち無沙汰になる。


 アイナが旅の最中、何かに文句を言う所を聞いたことはない。

 しかし、清潔感を気にする所があり、風呂に入れると分かって一番喜んだのは彼女だった。


「まぁ、広い部屋だ。俺達は武技の型稽古でもするか?」


 高級宿だけあって、その作りは広く、寝て過ごすだけの部屋とはなっていない。

 テーブルと椅子もあり、花瓶には花が活けてあった。

 書棚まで設置されてあって、余暇を楽しませようという、工夫が見て取れる。


 しかし、基本的に身体を動かす方が、余程レヴィン達の好みに合う。

 あまり大きな動きは出来ないから、型の確認程度しか出来ないが、それでも十分だった。


「まぁ、時間潰しにゃ、それぐらいしかねぇな」


 そうして小一時間経った後、ロヴィーサ達が帰って来るなり、開口一番こう言った。


「ミレイユ様がお話して下さるそうです。夕食までの間、時間を取らせると」


「い、いよいよか……! 聞いてみたいと思っていたが、今となっては怖いもの見たさ、みたいな所があるな……」


「足止め食ってまで聞かせて貰えるんだ。相応の話であった欲しいぜ、ホント……」


「欠点の無い偉人、みたいな口伝がされてますけど、それも話半分と思っていた方がよろしいですね……」


 ユーカード家の人間にとって、初代様とはそれ程の人物だ。

 誰もが親から子へと、寝物語と共に伝わり、そこから得られる教訓などを規範として来た。


 しかし、現実と事実を知る者――それも神の言の葉から紡がれるとなれば、そこに異議を挟めるものではない。

 知るのが怖い、と思うのは当然で……それと同時に、本当の人物像を知りたい、と思う。


 今更、尻ごみする自分に笑い、レヴィンは水の張った桶で簡単に汗を拭うと、皆を引き連れ部屋を出て行った。

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