悪魔の取り引き その8
話も無事決着が着き、カップの中身も飲み干したとなれば、後は宿を出るだけだった。
ミレイユは始終上機嫌で、今から次の宿と、新たな蒸し風呂との出会いに思いを馳せている。
その呑気な様子と対照に、不機嫌になっているのがユミルだった。
アヴェリンとルチアはミレイユの様子に仕方ない、と苦笑いを浮かべている程度だったが、彼女だけは違う。
それもこれも、初代ユーカードのネタで、先手を越されたからのが悔しかったからだ。
今の宿を出て、次の宿をどこにするか物色している間も、ユミルは仏頂面のままだった。
「あまりそう、険しい顔しないで下さいよ……。他の人に変だと思われますよ。それが理由で、船長に見つかったりするかも……」
「そんなヘマするもんですか。今もしっかり幻術の影響下よ。周囲には数多の通行人、通り過ぎる一風景としか認知されてないわ」
「あ、そうなんですか……」
いつの間に、と彼女に問うのは野暮だろう。
その正に、いつの間にやら術中にあるのが、幻術の真骨頂というものだ。
そして一流の使い手は、そうした気配すら感じさせないと、これまでの旅で十分理解していた。
「だったとしてもですよ……? そう仏頂面されていると、こちらまで威圧されてしまうと言いますか……」
「何よアンタ、アタシの顔にケチ付けるワケ? 偉くなったモンよねぇ……?」
「いえ、決して! 決して、そういう訳では!」
レヴィンは必死に首を横に振って、後ろに助けを求める。
しかし、ヨエルを始めロヴィーサでさえ、視線を合わせようとしなかった。
明確に見捨てられたと感じて、レヴィンは一人で対処するのを余儀なくされた。
薄情と思うが、そうする彼らを責められない。
誰であれ、神使に絡まれたいとは思わないからだ。
それに、これが一種のじゃれ合いであると、皆に理解されていた。
「あー……っ、ほんっと悔やまれるわ! 昨日の時点で、思い付いてたハズなのよ。それなのに……!」
「思い付いてたって、ユーカードの名前を出せば……とか言った時点で、ですか?」
そう、とユミルは鼻息荒く頷く。
「頭の端にチラっとね。自分の口から色々教えるのも面白いかな、と思ったの。でも、無駄に話が長くなるからさぁ……」
「無駄……? 無駄にって言うのは?」
「小一時間で語れる程、せせこましい内容で済まないって意味よ。ワイン片手にしてないと、語れるモンでもないし」
何か心労的な重みを言葉の中に感じて、何を語られるのか不安に思う。
ミレイユの背中に盗み見る様な視線を送り、初代ユーカードが何者なのか、今から知るのが恐ろしく感じた。
「どういう御方だったんですか、初代ユーカード様は」
「それをアタシの口から語るワケにはいかないでしょ。それにさ、その辺は今夜にでも、障りの部分ぐらいは説明されるだろうし……」
「うぅん……」
意味ありげな視線を向けられ、レヴィンの不安は更に大きく肥大する。
思い返してみると、レヴィンが知る初代様は、余りに知っている事が少ない。
それは資料や文献などではなく、口伝で親から子へ伝えられてきた所為でもあった。
逸話というのは、口伝する毎に誇張や変更が加えられいくのも珍しくなく、だから今となっては何処から何処までが真実だったのか分からない。
それを再確認したい、という意欲以上に、知るべきでない事さえ知るかもしれなかった。
それを今更、思い至る。
ユミルが向ける意味ありげな視線から、そのことが窺えた。
レヴィンの思い浮かべる偶像が、今日破壊されるかもしれないのだ。
「実は、とんでもない事を聞く破目になるのでは……?」
それがどういう類いのものであれ、初代様の認識を改める事になり兼ねない。
今更ながらの独白に、ユミルはそれを見て鼻で笑った。
「どういう幻想を抱いているんだかねぇ、いっそソッチの方が気になってきたわ。でもそれも、今日までと思っておく方が良いかもね。……まぁ、見る者にとって評価が変わる人物なのは間違いないから、それをどう判断するかでしょうけど」
「我々からすると、大変な剣豪で、現在まで伝わる剣術の祖を興した人だ、と言われています。領民を愛し、自ら先頭に立つ規範を作り上げた人物でもあって……。領主一族が今も最前線で戦っているのは、それが理由だとされています」
「なるほどねぇ……」
ユミルの仏頂面は何処へやら……。
いつの間にか、よく見かけられるニヤニヤとした、しまりのない表情が浮かんでいた。
「まぁ、普通権力者ってのは、後方でふんぞり返っているものだしねぇ。そうでなくとも、頭が潰されると指揮系統が崩れるワケで、先頭に立つコトそのものが、美徳なワケでもないし……」
「それはそうなのですが、そこを補強してくれるのが、刻印の存在です。これも初代様から、カタナと同じく代々伝わるもので、それもあって先頭に立ち続ける事が出来たのです」
「まぁ確かに、如何にもって感じよね」
「と、言いますと……?」
ユミルに悪気がないのは分かっているが、初代様を揶揄する様な発言は聞き捨てならなかった。
些か不快感を滲ませて言うと、ユミルは笑みを深めて続けた。
「いやぁ、誰かを護りたくて――手の届く範囲の人だけでも護りたいって、武器を手に取った様なヤツだから。そういうのはさ、権力を手にした途端、変わったりするコトも多いけど、そうじゃなかったなぁって……そういう話」
「それこそ我らの誇りとする所です。そして、その精神が
誇りに満ちた表情で、レヴィンは決然と表明した。
そして、その神が正に、手の届く範囲にいる。
その奇跡とも思える光景は、初代様が繋げてくれた縁であるのは間違いなかった。
「ユーカードこそが最初で最後の砦、そして、彼らこそが『不落要塞』。領民はそうして、淵魔という脅威が身近にあっても、心を強くして暮らして来られました」
「そうね……。大神への信心もあったにしろ、より身近なユーカードって砦が、心の拠り所だったのは間違いないでしょう。その基礎や基盤を作ったのは、間違いなく初代のアイツに違いない」
「そうですよね……!」
レヴィンが喜悦を上げて深く頷くと、それに冷水を浴びせる発言がユミルの口から漏れる。
「なぁに喜んじゃってるのよ。言っとくけどね、別にアイツは完璧じゃなかったし、むしろ程遠いし、強さを誇れる剣豪ってワケでもなかったからね」
「そう……とは思えません。俺なんか、とても足元にすら及ばないと思ってますが……」
そう言って、ミレイユの右斜め後ろで付き従う、アヴェリンの背を見る。
レヴィンの思う初代様とは、その強大無比な実力で領民を護り続けた、正に頼るに足る存在だ。
その背中は大きく、山のように大きな男だったに違いなかった。
今レヴィンがアヴェリンに感じているような、逆立ちしても勝てない存在……。
だからこそ、その様な人物に守護されていると感じて安心する。
そういうものだと思っていた。
しかし、ユミルから返ってきたのは、嘲るような冷笑だった。
「あんまり夢を壊すようなコト言いたくないけど、アンタの方が強いわよ。アイツも別に弱くはないけど、頼りがいのある戦士ってワケじゃなかったから」
「信じ難いです……。そんな事あるのでしょうか……」
「信じ難いも何も、アンタ自身で証明しちゃってるじゃない」
「はぁ……、証明を……。どうやって?」
それはレヴィンにとって、至極当然の疑問だった。
証明も何も、出来るとするなら、それはユミルの主観からでしかない。
確かに彼女の発言は軽い物ではなく、その立場を考えても、信じるべきものだとは思うが、それを以って証明というのは暴論ではないか。
もっと分かり易い、主観以外で証明して欲しい所だった。
「所で訊きたいんだけど、アンタさっきから初代様って言い方してるけど、名前の方は伝わってないワケ?」
「いえ勿論、伝わってますよ。エィキラー様です」
「くっくっく……! あぁ、そう。……あぁー、はいはいはい、そうよね。そうだわ」
ユミルは笑いを噛み殺し、そのうえ困り顔をさせている。
湧き上がる感情を、持て余しているようだった。
今にも抱腹絶倒しそうにも見え、レヴィンは侮辱された気がして眉間に皺を寄せる。
「そんなに変な名前ですか」
「いやぁ、変……っていうか。いや、やっぱ変でしょ!」
ユミルはついに笑いを堪え切れず、声を上げて笑った。
「……だーっはっはっは! ちょっと聞いてよ、初代ユーカードの名前! これケッサクだわ!」
「何だ、一体。騒々しい」
振り向いたアヴェリンが、露骨に険しい顔をさせてそう言った。
ルチアも同じく振り返り、やはり迷惑そうにさせている。
そこへユミルがジェスチャーで、名前を言えと促した。
無言でいられる雰囲気ではなく、変に聞こえないよう、一字一句しっかりと発音して名前を告げる。
「エィキラー、様です」
「ブフォッ!」
ルチアは盛大に吹き出して顔を背けた。
アヴェリンは笑いこそしなかったが、唇を横一文字に引き絞り、笑い出すのを耐えている。
それはひどく屈辱的に感じ、レヴィンは更に機嫌を悪くさせた。
「何がおかしいんですか。ご立派な名前じゃないですか……!」
「いや、まぁまぁまぁ……。まぁね、ユーカードって名乗ってる辺りからして、予想は出来たハズなのよね。何故かしらねぇ~、勝手に名前は正確に伝わってると思い込んでたわ」
「どういう意味ですか」
「言えないわよ。その辺も含めて、ウチの神様が説明してくれるだろうから。いやぁ、参ったわねぇー!」
ユミルが最初に見せていた仏頂面は、最早空の彼方へ吹き飛んでいた。
今はカラカラと笑って、ミレイユが話すであろう内容に期待を寄せる始末だ。
レヴィンは初代様の話を、本当に聞いて良いものか、更に不安を募らせることになった。
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