中央大陸デイアート その2
「そんなに虐めちゃ可哀想よ。怒りは収めてあげなさい」
ユミルから助け船があって、レヴィンはホッと息を吐いた。
彼女の言葉を素直に聞き入れたミレイユから、押し殺した怒りが消えたからが即座に消える。
傍らの二人も息を吐いて、明らかな安堵を見せていた。
ミレイユから謝罪の言葉はなかったが、怒りを見せたことを恥じ入る雰囲気は伝わっている。
息を一つ吐いた後、ミレイユは改めて口を開いた。
「私に復讐したいというなら、それでも良いさ。それが単なる逆恨みに過ぎず、自ら犯した罪の何たるかも知らず、私個人を攻撃する分にはな……」
言葉を口にする程、また怒りが発露しそうになっている。
ミレイユは一度口を閉じて、小さく息を吸っては吐いた。
それからユミルの方をちらりと見つめて、結局何も言わずに話を続けた。
「だが奴は、ただ平穏に生きる人々を攻撃する。私個人を倒せないと思うから、私の信徒を攻撃するんだ。それが一番の近道と知っているからだ。都合よく私の信徒のみを狙うつもりでいるかもしれないが、淵魔という手段を用いた時点で、生きとし生きる命は奪われる」
「何て、事だ……ッ!」
レヴィンは我知らず吐き捨てる。
そして、これまで思い違いをしていたのだと、改めて知った。
卑劣な罠を仕掛けたり、私怨を成就させる為に無辜の民すら利用しているのは、あくまで手段を選ばず攻撃しているのだと、そう思っていた。
それは許せない。それ自体の行為は。
アイナもその被害者の一人として、辛い思いをしていたのだ。
利用できるものは何でも利用する。
そういう事だと思っていたのに、全ての命を巻き込むつもりだなどと、思いたくなかった。
むしろ、そこまでするのか、という思いの方が強い。
「しかし、何故そこまで……? それじゃあまるで、八つ当たりです。
「それも、全くないとは言えないんだろうな。私の為すこと全てが気に入らない。『お前の全てを奪ってやる』と、奴は言った」
「ぐ……っ!」
「だが、それは言葉通りの意味の他に、私から信仰心を奪う、という意味でもある。神と信心は切っても切り離せない。神を思う願力が消え失せると、神は存在を保てない。私と戦わず、勝てる事になる」
「馬鹿な……ッ!」
レヴィンは声を荒らげ、手を横に振り払った。
神は信仰心が失われると消滅する――。
それはレヴィン達にとって、周知の事実というわけではなかった。
しかし、神の口から出た言の葉を、疑うつもりもない。
受け入れ難いと思ったのは、それを事実と受け入れると、理屈が通じないと思ったからだった。
「それでは、アルケスとて自滅するだけではありませんか!? 全てを奪うと言ったのは、言葉の通り、
「そういう事だろうな」
反論が飛んでくると思っていただけに、あっさりと肯定されてしまい、レヴィンは呆気に取られた。
レヴィンの知るアルケスとは、自己犠牲とは無縁の輩に思えた。
アルケスは、その長い付き合いを『先生』としての仮面を被ったものに過ぎない、謂わば仮初の関係でしかなかった。
表面上の薄っぺらい部分しか知らないレヴィンだから、アルケスの何を知っている、と言うことは出来ない。
しかし、相討ちを望むような、殊勝な心は持ってない、とは断言できる。
「可笑しくはありませんか? あれだけ狂気に侵されて、
「言い得て妙だが、確かにお前の言う通りだ。死なば諸共、と考えていたのか……それは確かに疑問だ」
レヴィンの力説に、ミレイユも改めて考える仕草を見せた。
「まぁ……、奴もまた使われるだけの存在に過ぎなかった、という話だろう。私としても最初から、アルケスは眼中にない。倒すべき敵は別にいる」
「別……。それは……?」
「淵魔の『核』だ。私を滅ぼしたいのは、そいつの意思。アルケスはそれに同調し、互いに利用する関係と思っているのかもしれないが、全ての生命を取り込むとはまでは想像していだけかもしれない」
「しかし、先程はそうでなく……」
レヴィンが控えめに否定しようとしたら、これには明確な否定が返ってきた。
「私は最初から、『核』の意思を前提に話していた。アルケスは眼中にないと言ったろう。アルケスは
「
「そこまで間抜けとは思いたくないな。……が、汎ゆる生命を喰われていく光景を見れば、嫌でも理解するだろう。静止の言葉は届かず、もはや何者にも止められず、自らも滅びるしかないのだと」
レヴィンはその光景を想像して、憤懣やる方ない溜め息をついた。
なまじ、『疎通』の権能を持っていたから、淵魔は言う事を聞くもの、と勘違いしているのかもしれない。
しかし、いざその時が始まったら、止まらない事に絶望するのだろう。
疎通とは――。
意思を伝えるだけであって、強制させるものではない筈だ。
そこへ再び、それまで顔を伏せて考えていたロヴィーサが、ミレイユへ尋ねる。
「他の神々は、座して見ているだけなのでしょうか? 世界の危機とあらば、
「あり得る話だが、あれらは纏まりがない。神単独で見ても私の足元にも及ばず、そして神使を用いても、神それぞれのグループで事態の解決を図ろうとするだろう。小神同士の仲は、あまり良くない」
「それは、また……」
「率いてやる者が必要だ。インギェムとルヴァイルが身動き取れない状況であれば、尚更残りの三柱は団結しない。地上において、どこの国軍より頼りになるのは間違いないが、最終的には押し切られるだろう」
神々について、レヴィンが知っていることは多くない。
精々が、その御名と権能くらいなものだ。
『平安』と『豊穣』の権能を持つ、女神ハイカプィ。
余り良い噂を聞かない、『刑罰』と『恩寵』の男神ヤロヴクトル。
そして女神モルディは、『災禍』と『危難』を有する。
レヴィンは先祖代々、
だから、ミレイユの言うことを信じるしかないのだが、
それに――、とレヴィンはアヴェリン達を盗み見る。
神使であって、レヴィンの想像を絶する強さを持つ彼女達だ。
その神々が、彼女たちより弱いとは考えられない。
権能を有することも相まって、余程強大な存在でもある筈だ。
それら三柱が、団結して戦わないとしても、押し切られて負けるだけ、とは信じられなかった。
「神と言ってもピンキリだから、あまり過剰に期待しない方が良いわよ」
ユミルから、ニヤニヤとした笑い顔をと共に言われ、レヴィンは咎められた子供のように肩を竦めた。
「……顔に出てましたか?」
「そりゃあね。戦闘向きじゃない神だっているのもあるけど、今の神々って……そもそも、戦いから逃げて今があるようなもんだからさぁ。平和ボケしてるっていうか……、あんまり頼りにならないのよね」
「そうなのですか……。ユミル様たちは、大変頼りになる方々なので、どこの神使もそういうものなのかと……」
レヴィンが控えめに評すると、ユミルは隣のルチアの肩を叩きながら、けたけたと笑った。
「そりゃアンタ、潜った修羅場の数が違うもの。敢えて言ったりしないけど、聞けばドン引きする様な相手と、戦ったり弑したりしてるからね」
「戦い……、弑し……?」
「ちょっと、ユミルさん」
ルチアから嗜める声があって、ユミルは流石に笑みを引っ込めて口を手で塞ぐ。
ユミルがバツの悪い顔をさせているのは、ミレイユから刺すような視線を向けられているのも、無関係ではないだろう。
そのミレイユが、溜め息を一つ零してから口を開く。
「実際、今のユミル達は小神と伍するだけの力がある。私は他の神々と違って兵隊を持たないが、持つ必要がない味方に恵まれているのは事実だろうな」
「良く言うわ。たった一人で戦力過多とか言われてた癖に……」
「何か言ったか?」
「いえ、何も?」
ミレイユから鋭い眼差しを向けられ、ユミルは露骨に目を逸らした。
不自然な沈黙が続いた時、ヨエルが呟く様に声を落とす。
「しかし、淵魔に『核』なんてモンがあったなんてな……。俺ぁもっと……意思なく、生命を奪うだけの存在かと思ってたぜ……」
「それは、末端としか接触、戦っていなかったせいだろうな。だが、その根底には間違いなく、私への敵意を募らせた相手が潜んでいる」
「アルケスとは別に、ですか……。つまり、それがさっき言っていた同調……目的が一致したからこその結託、なのでしょうか?」
ロヴィーサが控えめに問うと、これには無言の首肯があった。
「しかし、何故……? 何故、敵意など……。強く恨まれ……アルケスと同調……、単なる恨みではなく……もしや、それも逆恨み?」
「奴が果たして、逆恨みと思っているかは疑問だが……、そうだ。その推論は近い所を突いている。――私が奴を弑したからだ」
音のない空間に、レヴィン達三者三様の息を飲む気配が広がった。
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