中央大陸デイアート その1

 孔の中は相変わらず、音もなく、暗いトンネルの様な場所だった。

 今はまだ遠くに点としか見えない光が、この空間にある唯一の物だ。


 例外といえば、レヴィンたち自身の身体ぐらいなものだろう。

 横方向に流れる重力に身を預けながら、今は逸る気持ちを落ち着かせている。

 以前の様に、何か掴めるものはないかと、手足を振り回したりもしない。


 現在は『孔』へ身を投じた順番で、鈴なりのように並んでいて、レヴィンはそれら中心に位置していた。

 誰も何も話さないので、音のない空間は痛い程に静かだ。


 この空間にいる間、何も出来る事がないと、前回の通過でしっかりと学んだ。

 ユミルは早速、足と腕を組んでリラックスした態勢を取っている。


 アヴェリンやルチアも似たようなものだが、いつでも戦闘態勢に移れるよう、武器を手にしている所が違った。

 ミレイユは武器こそ手にしていないものの、ユミルほど無警戒でもない。


 普段なら沈黙していられないユミルでさえ、今は口を噤んでいるので、レヴィンも自分から何かを言えなかった。

 ヨエルとロヴィーサへ、それぞれアイコンタクトを送り、やはり何も言わないよう指示しただけだ。


 しかし、それからすぐ背後から声が発せられた。

 レヴィン達が咄嗟に振り向くと、ミレイユはどこか物憂げらしき風情で言葉を投げ掛けてきた。


「一つ、先に言っておかねばならない事があるんだが……」


「は、はいっ! なん……何でしょうか!?」


「どうして、そんな驚く反応なんだ……」


「い、いえ……。突然だったもので……」


 言い訳として、随分不格好な内容だった。

 そもそも、話しかけるのに突然も何もない。

 全くの沈黙が続いていたのも驚く理由の一つだったが、レヴィンとしては神から言葉を賜ること事態、畏れ多いという気がしている。


 ミレイユは親しくしている一人に話しかけただけ、のつもりかもしれない。

 日本では色々と本質を見せられた気はするものの、遥か高みの頂きに立つ神として、その会話はいつだって緊張を強いられるものだった。


「……続けても良いか?」


「えぇ、はい。勿論です。どうぞ……!」


 身動きの取り辛い無重力下で、レヴィンは無理にでも頭を下げた。

 それからやはり、どうにか身体を動かして、傾聴の姿勢を取る。


「これから私達の世界に帰還するわけだが、気を付ける点が一つある」


「は……、何でしょう?」


「お前達三人を知る者に、お前達は見つかってはならない」


 神から受ける勅命だから、それが如何なる内容であれ、素直に従うつもりでいる。

 だから、誰にも見つかるな、という命令なら、最大限努力する心構えは備えるつもりだ。


 しかし、それはレヴィン達にとって、内容がいかにも不可解だった。

 レヴィンは思わず、左右で同じ様に傾聴する二人へ目配せする。

 そして、二人から返ってきた視線もまた、不可解を体現するものだった。


「何を言ってるか分からない、って顔だな。……そうだろうとも、順に説明する」


「……お願いします」


「まず、帰ると言っても、同じ時間には帰れない。つまり、アルケスにしてやられた、あの直後には、という意味だが。……どうやら、インギェムによって、そこに孔が繋がらないよう、封鎖されているらしい」


「……では、今ここに通っているのは……? これはどこへ繋がっているのです?」


 レヴィンは戦々恐々と、辺りを見回した。

 前回通った物と違いは見受けられないが、そもそも今回を含めてさえ、この経験はたった二回目だ。


 当時は混乱も多く、その細部に渡って記憶していた訳でもない。

 しかし、いま通っている道は、その時と同じものにしか見えなかった。


 一体どこへ連れて行かれようとしているのか――。

 それを口にするより早く、ミレイユから答えが出される。


「我々は過去へ繋がる『孔』を作った。あの時間、あの世界に帰れないとなれば、時間を前後どちらかへ――過去か未来へ移すしかなかったからだ」


「そう、なのですか……」


 レヴィンはとりあえず納得し、殊勝に頭を下げる。

 事も無げに言ったものだが、時間を巻き戻して移動するとは、結構な問題ではないだろうか。


 好きに過去へ移動できるなら、好きに過去を変えられる、という事でもある。

 この世の全てを支配できる、という意味にもなるだろう。

 その事実が、レヴィンは恐ろしく感じる。


 だが、それを口にするのは憚られた。

 神への非難に繋がる危険を孕んでいるからだ。

 過去に起きた何もかもが、もし全て過去に戻ってやり直した結果であるのなら、どこまで神を信じる事が出来るだろう。


 その指摘は神の怒りを買うかもしれない。

 だから、レヴィンは口にすることが出来なかったのだが、それを構わず言ったのはロヴィーサだった。


「大変、不遜な発言になることをお許し下さい。好きに過去へ移動できるのならば、アルケスめの野望すら、発生させずに処理できてしまうのではありませんか? あるいは、神にとって不都合なあらゆる事も……」


「ろ、ロヴィーサ……!」


 レヴィンは叱責めいた声を出して窘めたが、ミレイユには気にした素振りがない。

 むしろ、悠然と頷いて、その理由を説明した。


「その指摘は正しいが、時の流れは神にも読めない不可分の領域だ。時間旅行に過去改変など、迂闊に手を出すものじゃない」


 ミレイユは遠い目をさせて、虚空を見つける。


「激流の中に葉を一枚、投げ入れるようなものだ。河の途中では渦が巻いたり、岩が突き出ている箇所とてあるだろう。好きな上流を選んで投げ入れても、同じ箇所を通って流れてはくれない。それどころか、流れに呑まれて沈んでしまうかも……。おおよそ、考える頭があるのなら、取るべき手段じゃないんだ」


「しかし、現に今、そうされていると仰りましたが……?」


「――ロヴィーサ、言葉が過ぎるぞ……!」


 レヴィンの鋭い叱責にも、ロヴィーサはまるで気にした様子がない。

 それどころか、挑む様な表情で、ミレイユを見つめている。

 しかし、その視線を受け取ったミレイユは、気分を害するどころか、笑みすら浮かべて頷いた。


「その通りだな。私はかつて……過去改変、時の流れに逆らう働きで、非常に痛い目を見た身だ。それを知っている神も、また多い。ルヴァイルとインギェムの権能を掻き合せることで実現する、この時間転移は禁忌として使用を厳に戒めた。その定めた者が率先して破っているんだから、世話はない」


 ミレイユは自嘲する様に、顔を背けて笑った。

 悲しげな横顔は、決して本意ではないと分かるものだったが、それならば何故、と思わずにはいられない。


「時を遡るのは危険、というのは、何となく分かります。先程の例えで言うなら、葉が何処に流れていくか分かったものではありませんもの。しかし、同じ時間に帰れないのなら意味もなく、それこそ未来に渡れば良かったのでは?」


「そうするのが筋だろうな。大神レジスクラディスが定めた律令だ、私自身が破るわけにはいかない。そして、だからこそ、アルケスもそう考えた。私を世界から追い落とそうとも、その次元の孔を封じようとも、手段を講じて帰還する先は……とな」


「でも実際には、帰還する所まではともかく……」


「そう、本来ならば、未来の時間へ帰還して来る、と読んでいただろうし、そういう誘導にもなっていた筈だ。だからこそ、それに乗ってやるわけにはいかない」


 その説明を聞くと、ロヴィーサは黙りこくってしまった。

 ミレイユからも、即座に続きを話す様子が見られない。

 ルチアは事の成り行きを静観していて、ユミルもそれは同様だったが、面白い見世物でも見ているような態度だった。


 そうして数秒が経過し、考えの整理が終わったロヴィーサは、改めてミレイユへ問う。


「禁忌とした行い、また律令を破るのを良しとするほど、アルケスの狙いを外すのは重要だったのですか? 未来と一口に言っても、その幅は広いはずです。あの時間に帰れずとも、数時間後……あるいは翌日であっても、十分巻き返せるのではないでしょうか」


「お前の指摘は、大いに正しい」


 ミレイユは出来の良い生徒を、教師が評価するかのように機嫌よく頷いた。


「しかし、それは移動できる時間の幅を自由に設定できる、という前提においたものだ」


「では、そう短い間隔で移動は出来ない、と……」


「その通り。ルヴァイルの権能『歳量』によって時間を定める。これを使って移動できる時間の幅は、一年と決まっている」


「歳量とは、『一年』を量る際に用いられるもの。あぁ、つまり……」


「――そう。我々は、未来を選ぶと一年後にしか帰還できない。そして一年間、思うがまま淵魔に蹂躙された世界へと、帰還するしかなくなってしまう」


 レヴィンは苦々しい顔を隠すことも出来ず、口の中で呻きを漏らした。

 ヨエルは更に険しい顔をさせて、盛大に憤懣を吐き出している。

 ロヴィーサは露骨に顔へ出していないものの、眉間には深いシワが刻まれていた。


「分かるか? ――詰みだ。たった一人の人間、たった一匹の魔獣から、一体の淵魔は加速度的に脅威を増す。大陸中にそうした淵魔が、ねずみ算式に増えていく」


「たった一年で、どれ程の数と脅威が溢れることか……。わたくしには想像も出来ません。ですが、破滅を意味すると、良く分かりました」


「そこまで行けば、流石の私であっても、どうにもならない。その上、龍脈を抑えた淵魔は、他の大陸にまで及ぶことになるだろう。それでどれだけの神殿、信徒が損なわれると思う?」


 レヴィンは信じられない事実を耳にして、苦々しい顔のままミレイユを凝視してしまった。

 いつも泰然として見えていたミレイユだが、今は自身の発言から、怒りが発露しているのが分かる。


 分かりやすく発奮したりはしていない。

 押し殺し、内側に秘めた昏い怒りだ。

 だが、すぐ傍にいれば嫌でも感じられる。


 レヴィンはその怒りに当てられて、身動きできず硬直してしまう。

 今はただ、その嵐が過ぎ去るまで、祈るように待つことしか出来なかった。

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