悪魔の取り引き その6
「どうする……?」
「どうするもこうも……」
不安げに投げ出されたヨエルの言葉に、レヴィンは返す言葉を持たなかった。
要はユミルから、全て丸投げされた形だ。
どうにかしろ、と言われた所で、どうにかする手段がない。
そして、どうにかできる展望も、まるで見えてなかった。
「とりあえず明日、ミレイユ様と顔合わせした時に、ユーカード一族として物申します、と提言するしかないだろう……」
「興遊するのも、蒸し風呂を楽しむのも、時間が余ってからに致しましょう、と?」
「それをやんわりと伝えるしかないんだろうな……」
ロヴィーサの質疑に、レヴィンは力なく頷く。
今から、ひたすら気が重かった。
ユミルの方からも提言するというから、一人で針の
しかし、具体的な説得力を持って、やる気を出させるとなれば、話は全く別だった。
「ユミル様からも、時間を有意義に使う方向で、説得するのは良いと見解も頂いたことだ。その方向で攻めてみるしかないだろう」
「ユーカードが特別って言うなら、いっそ泣き落としとかどうですか? 聞く耳持ってくれるかもしれませんよね」
アイナのアイディアは、そう悪い内容でもない気がした。
しかし、それをレヴィン自身がやるには、やはり幾らか抵抗がある。
「まぁ……、今日は解散にしよう。ユミル様が説得してくれる可能性も、まだ残されている訳だからな。出る幕がない事を祈ろう」
「そう口にしている時点で、ほぼその見込みがないって、言ってる様なモンじゃねぇか……」
「ムラッ気だの、やる気だの、そんなの言われる前に出してくれって感じだよ、実際……。何で誰より真剣になる筈の神を、俺達で説得しようとしてるんだ……」
力ないレヴィンの呟きに、誰もが同情的だったが、答えを返してくれる者は居ない。
今は只、ミレイユが心変わりするのを期待して、翌朝を待つしかなかった。
※※※
その日の目覚めは酷いものだった。
どうすれば説得できるかを考えて、遅くまで眠れなかったのも原因だろう。
そして、説得できる展望が全く見えなかったから、レヴィンは暗澹たる気持ちになっている。
既に起きて身支度を整えていたヨエルが、苦笑交じりに気遣ってきた。
「おはよう、若。酷い顔だぜ、まず外の井戸で洗って来たらどうだ?」
「そうだな、そうする……」
力なく頷いて、朝の陽光を浴びに外へ出る。
この季節にしては寒すぎるきらいが強く、寒さに震えながら顔を洗った。
顔がサッパリすれば、身もまた引き締まる。
身体のダルさは抜けないが、それでも大分マシになった。
それより、これから大一番が待っているのだ。
いつまでも、不甲斐ないままではいられない。
気分を一新して戻ってくれば、ヨエルは肌着の上に旅装を身に付けている最中だった。
朝食が済めば出発だから、その服装は正しい。
だが、説得失敗を考慮していない所に、プレッシャーを感じる。
ヨエルにそんなつもりはないとよく分かっているが、暗澹たる気持ちは更に強くなった。
レヴィンもまた服装を整えて階段を降りると、その途中でロヴィーサ達と出会った。
アイナが小さく会釈して挨拶する。
「おはようございます、レヴィンさん」
「あぁ、おはよう」
「若様、おはようございます」
「おはよう、ロヴィーサ」
合流して食堂兼、酒場へ向かうと、そこでは多くの客が朝食を取っているところだった。
幾つかあるテーブルを見渡して、見知った顔がないことを確認すると、とりあえず手近な所に座った。
「ミレイユ様と神使の方々はまだか……」
「布団にくるまって出て来ない、とかねぇよな……?」
「まさか、そこまでするとは、とても……」
ユミルもまた、帰ってからもう一度説得するつもりだ、と言っていた。
もしそこで失敗し、出発するのにゴネて引き籠っていたとしたら、一体どうしたら良いだろう。
部屋に乱入するのは余りに不敬だし、説得する面倒が減った、と考えるべきだろうか。
ある種の妄想を膨らませていると、食堂の入り口に見知った顔がやって来た。
そこにはユミル達だけでなく、しっかりミレイユも付いて来ている。
どうやら、単に少し遅れていただけだったらしい。
その上、服装は旅装に整えられていて、出発の準備も万端整っていると分かった。
ユミルはその説得を、見事成功させていたのだ。
己の仕事が一つ減ったと分かって、レヴィンは明らかな安堵の息を吐く。
「助かった……。正直、もうどうしたら良いのかと……」
「分かるぜ、若。……が、まぁ杞憂で済んで良かったじゃねぇか」
「まったくな!」
レヴィンは屈託なく笑った。
腹の底に抱えていた重石が消え去って、心からの笑みを浮かべる。
そうしている内に、こちらを見つけたミレイユ達が、同席しようと近付いて来た。
それにいち早く反応し、レヴィンが起立すると、他の皆も同じく立ち上がる。
「おはようございます、皆さま!」
「あぁ、おはよう。早いな、お前達」
「いえ、とんでもない事です!」
実際のところ、神と神使を待たせて食堂に入るわけにはいかないので、予定を早めに行動していた部分はある。
それをおくびにも出さず、着席し始めるミレイユ達を横目に、ユミルへ目配せを行った。
――説得できたんですね。
そういう意図を込めて、喜びのサインを送ったのだが、ユミルはむっつりと押し黙ったままだ。
違和感を覚えている間に、ルチアが人数分の食事を頼んでしまう。
こうした食堂で、多種多様なメニューなど存在しない。
誰もが同じ品目になるので、何を食べるか訊く必要はなかった。
そういう意味では、日本と違って面倒がない、と言えるのかもしれない。
「美食に慣れると、旅も不便よね」
独白する様に言うユミルに、レヴィンも内心で同意する。
提供されるのは野菜と豆のスープに、保存性を高めた固いパンだ。
別段珍しくも、乏しいものでもなく、レヴィンも故郷でよく食べていたメニューだった。
船での食事も褒められた物ではなかったし、そこで改めて矯正されて、味に鈍化したつもりだったが、思わず眉を顰めてしまう物だった。
日本で美食を浴びる様に食べていたからこそ、尚更に思う。
同じ野菜スープでも、あちらならもっときめ細かく、そして繊細な味付けで楽しませてくれた筈だ。
塩っ気と雑味が酷く、単に煮詰めた野菜スープは、味付けの概念を何処かに放り投げてしまっている。
「……まぁ、食べられる物があるだけ、ありがたいと思うべきかもしれません」
「それは間違いないけどね」
何しろ、ミレイユが味に文句を付けずに食べているのだ。
いと尊き神々の頂点が問題にしないなら、レヴィン達が何かを言える筈もない。
食事が済めば、最後にお茶を堪能する。
意外だったのは、このお茶が宿の飯で唯一、ケチを付けられない出来だったことだ。
何にでも取り柄はある、と言ったりするものだが、この宿では食事よりお茶に力を入れてるらしい。
どこに力を入れるか間違ってるんじゃないか――。
心中でごちて飲む物も飲み終わると、レヴィンは心穏やかにユミルへ話し掛けた。
「それにしても、意外……というと失礼かもしれませんが、安心しましたよ」
「……何が?」
「何ってほら、ミレイユ様の説得ですよ」
レヴィンが言うと、ヨエルは眉根に皴を寄せて、カップで口元を隠す。
それで表情が読めなくなり、途端に不安が押し寄せて来た。
「え……? したんですよね? しっかり旅装も整えられてますし……」
恐々と……、しかし大きな期待を込めて尋ねたが、これにもユミルから返答はなかった。
カップをテーブルに置いて、視線はカップに注がれたまま、顎先をミレイユに向けるだけだ。
どうやら、自分で訊け、という事らしい。
あるいは、今から説得を開始しろ、という意味かもしれないが、敢えてその可能性に蓋をした。
レヴィンは期待が現実になることを祈りつつ、ミレイユに尋ねる。
「あの、ミレイユ様……? 宿を出る……んですよね?」
「そうだな、出るぞ。昨日聞いた言い分も、尤もだと思ったからな」
「あ、なんだ……! やっぱり、そうなんじゃないですか……!」
レヴィンは満面の笑みで大きく溜め息をついて、胸を撫で下ろす。
何を不安がる必要があったのだろう。
ミレイユは神であり、そして世界を最も憂う者の一柱なのだ。
子供じみた稚気で、本質を見誤ることなどない。
しかし、ユミルの機嫌は未だ納まっていなかった。
それどころか、またも無言で顎先を動かす。
もっと詳しく訊け、と言いたいらしい。
「……ミレイユ様? 昨日聞いた言い分、という部分を、もう少し詳しく聞かせて頂けると、大変光栄なのですが……」
「何も難しいことなどない。船長が水夫やその他を巻き込んで、お前達を探すかもしれない、と言っていたじゃないか。だから、宿を変える」
「へ……? 宿を、変える……だけ? 出発するのでは?」
「何で出発するんだ」
今度はミレイユの機嫌が急降下する。
「私は蒸し風呂が気に入った。そしてどうやら、宿によってそれぞれ特色があって、違いを楽しむことも出来るらしい。一つの宿に泊まっていては、身元が特定されるというのなら、日毎に変えれば良いだけだ」
「冗談、ですよね……? 特定を嫌がるなら、街から出るのが一番早いじゃないですか……!」
「そうしたら、蒸し風呂に入れない。私は今日も楽しみたいんだ」
断固たる決意を思わせる口調で言われて、レヴィンは改めて頭を抱える。
ユミルに助けを求めたが、完全に無視を決め込まれた。
やはり自分が説得する流れなのか、と既に次の宿へ思いを馳せてるミレイユを、恨めし気な視線で見つめた。
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