悪魔の取り引き その5

 結局、その日はミレイユを口説き落とす方法や話題を思い付かず、宿の自室に戻る事となった。

 梃子でも動かない、という訳でもないのだろうが、動かすには正当な理由か、あるいは説得力のある何かが必要だ。


 現在の時刻は、寝るにはまだ早い。

 だから、同室のヨエル以外に、ロヴィーサとアイナも同じ部屋にいた。

 二つのベッドに男女がそれぞれ対になって座り、頭を突き合わせるようにして、思案に頭を悩ませていた。


「なぁ、本当にミレイユ様は、宿から動かないと思うか……?」


「物事を正しく判断できる方、……のはずだろ? だったら、考えるまでもねぇって思うが……」


 レヴィンの問いに、ヨエルは自信なさげに持論を述べる。

 これには一応、ロヴィーサも同意したのだが、その視線は懐疑的だった。


「そうであって欲しいと、切に願います。しかし、そうであるならユミル様は、果たしてあの様な発言をするものでしょうか?」


「いつもの悪戯の可能性はないですか? ほら、ユミル様はよく……、とりわけレヴィンさんをからかう癖、みたいなのありますし……」


「有り得ない話じゃないが……」


 しかし、レヴィンの所感として、ユミルの目付きは本気に見えた。

 ともすれば、その説得を丸投げされる可能性すらある。

 万が一の時に備え、何かしら考えや対策は必要に思えた。


「無策を咎められたら、言い訳のしようがない。昨日言っていただろう、なんて言われたら、返す言葉がないしな」


「しかし、そりゃあ俺達の仕事じゃねぇだろ……」


「そうですね。それこそ、神使様がたの出番、という気がしますが……」


「というか、我々が願い奉るのは不敬じゃありませんか」


 硬い表情でアイナが言い、困り顔へ更に眉を下げて続けた。


「御子神様へ直々に何かを願うのは、本来してはいけない事です。神使様がそういう態度ですし、御子神様も気にしてないようですけど、それって大変不敬なことですからね」


「まぁ、そうよなぁ……」


 ヨエルが顎の下を擦りながら同意した。


「何よりミレイユ様が望んでいるから、神使の方々はより近しい態度を取るんだろうが……。だからといって、俺達まで同じ態度は許されんわなぁ」


「その理屈で言いますと、ミレイユ様を宿から動かしたいなら、やっぱり神使様がやるべきって話になりません? 私達がアイディア出すのは良いとして、それを元に行動するのは神使様であるべきですよ」


「アイナの言う事は尤もだ」


 レヴィンは大いに頷き、そして改めて全員を見渡した。


「ならば尚更、そのアイディアは俺達で用意しろ、という話に持って行かされかねない。考えておくべきだ」


「……ンなこと、言われてもよ……」


 ヨエルは弱り顔で後頭部を力任せに掻き毟る。


「何をすればお気に召すかなんて、俺達が知るかよ。それこそ、長くお仕えしている神使様の方が、余っ程よくご存知なんじゃねぇのか」


「そうなんだよなぁ……」


 レヴィンもまた溜め息をついて、アイナへ顔を向ける。


「アイナは何か知らないか。オミカゲ様について良く知るアイナなら、その御子神たるミレイユ様の事も、何か知ってるんじゃないか?」


「いえいえ、そんな私なんて、とんでもないです……!」


 アイナは両手をパタパタと横に振り、強張った顔で否定した。


「オミカゲ様と対面できる事なんて、滅多にないんですから……! どういった趣味嗜好をしているかなんて、それこそ伝聞以上のことを知りませんし、知っていたとしても、口外するのは卑しい事とされますし……!」


「でも、ほら……分家なんだろう? 結構、オミカゲ様に近しい家柄の。そっちから伝わる話とかあるんじゃないのか?」


「あるにはありますけど……! いえ、褒め称える様な内容ばかりで、参考になるものは一切ないと思います……」


「そうか、駄目か……」


 レヴィンが肩を落としたタイミングで、ロヴィーサが口を開く。


「若様もひどく悲観的になっておりますけど、そこまで深刻に考える必要もないのでは?」


「……そうか?」


「子どもの反抗期じゃないんですから……。理を解けば、応じない方でもないでしょう。時間的余裕がある、と言う点においても同様です」


「そうだと良いが……」


 レヴィンは自信を以って、ロヴィーサの声に応じる事が出来ない。

 そう思いたいのはレヴィンとて同じだが、ユミルの言葉が脳内で繰り返されるのだ。


 ――やる気のムラッ気。

 本気になれば、さぞかし頼れる存在に違いないが、その本気は果たしていつ発揮されるのだろう。


 そして、長椅子で寝そべるミレイユの顔を思い出す。

 普段ならある、触れれば斬られてしまいそうな緊張感が、あの時は皆無だった。

 それが一層、レヴィンを不安にさせる。


 大丈夫だと思う一方、本当に大丈夫か、と懐疑が首をもたげるのだ。

 そこへ更にロヴィーサが言葉を重ねる。


「時間的余裕が本当ならば、それこそ全ての準備を終えた後、悠々と時間を潰せば良いではないですか。何もかも予定通りに行くとは限らず、トラブルの一つもないとは言い切れないのですから」


「後から焦るより、先に済ませちまえばいいって話だよな。残った時間をどう使うかは、それこそ自由だ。個人的には、決戦に備えた鍛錬とかしたいが……」


「ミレイユ様にそうしたものは不要だろう、それは分かる。だから寝て過ごそうが、誰も文句は言わないだろうさ。しかし、未だ神との謁見の一つも達成してない状態で、それをするというのも……」


「――まったく、その通り」


 突然入った声の乱入に、レヴィン達は顔を上げて臨戦態勢を取る。

 それは反射的な行動だった。

 常在戦場を心掛けるユーカード家だから出来た、刹那の反応だ。


 ドアのすぐ傍で背中を付けていた人物は、腕組みしていた手を解くと、ぺちぺちと気の乗らない拍手を叩いた。


「一言一句、詳しく聞かせてやりたい台詞よねぇ。一分の隙もない正論って、こういうコトを言うのよね」


「ユミル様!? 入ってくるなら、普通に入って来て下さいよ!」


 当然、扉は閉まっていたし、今も閉まっているが、開いた音もその形跡すら感じられなかった。

 しかし、一切の物音を立てず行動するなど、ユミルからすれば児戯にも等しい。


 レヴィンは咄嗟に握ったカタナの柄から手を離し、非難したつもりで口にしたが、彼女はまったく気にしていない。

 どこ吹く風で叩く手を止めて、揶揄する様な笑みを浮かべた。


「今の直接、言ってやって欲しいわ。そうすれば、少しは薬になるだろうし」


「いやいや、何でですか。聞いてたんなら、ユミル様から言って下さいよ」


「いやぁ、それもちょっとねぇ……」


 ユミルが難渋を示し、眉根を寄せたことで、レヴィンに嫌な予感が走る。

 今すぐ背中を押してでも退場願いたい所だが、神使相手にそこまで無礼な態度も躊躇われる。

 だから、歯がゆい思いで次の言葉を待つしかなかった。


「アタシ達って、良くも悪くも近過ぎてさ、進言や苦言が素直に通りづらい所があるのよ。でもそれを、近くて遠い信者の第一人者みたいな奴から言われたら、少しは聞く耳持つかもしれないでしょ?」


「ユミル様達が、ミレイユ様と近しい関係なのは感じていましたが……。提言に耳を貸さない程なのですか?」


「そういうコトはないんだけどねぇ……。普段は聞き分け良いし、進んでやるコトやるんだけどさ……。これも一種の甘えなんだと思うけど、本気じゃない時はトコトンだらけるから……」


「そんな事あります……?」


 信じ難い一心で問い返したが、ユミルは困り顔で頷いた。


「言ったでしょ、ムラッ気が凄いの。それが許される状況ってのは、実際それほど多くない……だからこそ、そう判断された時は、だらけの度合いが凄いのよ」


「それは……、困りますね」


「そう、困るのよ。尻に火が付いている方がやる気出るのは、誰もが共通するところでしょうけど、だからってねぇ……。人間味ある神の方が、そうでない神より好ましいけどさ、こんな所でそんな『味』出すなってのよ」


 いよいよユミルの愚痴が始まって、レヴィンは苦い笑みを噛み殺すしか出来ない。

 ヒートアップして来た自分に自覚があったのか、ユミルは一息ついて落ち着けると、肩を竦めてレヴィンを見つめた。


「そういうワケだからさ、ちょっとアンタの方からも上手く言ってやってちょうだいよ」


「いやいや、無理です! ユミル様から言って下さい!」


「勿論、アタシだって言うわよ。これから自室に戻ったあと、実際口にするつもり。でもさ、ユーカードから言われるのも、それなりに効果あると思うワケ。聞いてるでしょ? 色々と特別なのよ、ユーカードは」


「それは、まぁ……断片的には」


 レヴィンは恐る恐る頷いた。

 ミレイユや神使達にとって、ユーカードの名前は、それなりの意味がある。


 ユーカードの初代様は、大神レジスクラディスたるミレイユの口から、淵魔討滅の任を受けたという伝承が、今もなお現実味を帯びて語られている。

 そして、それは事実であると、ミレイユからも教えて貰った。


 しかし、知っている事といえばそれくらいで、そして彼女らが語る端々から、それ以上の心服を得ているように思える。

 それを今更ながらに、実感し始めた。


「初代様は、一体何を為さった方なんでしょうか? どういう人なんですか?」


「知らぬは本人ばかりなり、ってヤツ? アンタが知らないワケないんだけどねぇ……」


「勿論、お祖父様から良く聞かされてましたし、偉大な人物ということも知っています。でも、ユミル様は実際に話していたりするんですよね?」


「それはアンタもでしょ」


「……はい?」


 揶揄からかわれたのか、それとも煙に巻こうというのか……。

 言わんとしていることが理解出来ず、首を傾げることになった。


「アタシの口から語るには、色々と複雑なのよ。何処まで語るべきか、ちょっと迷うトコロだしね」


 皮肉げな笑みを向けられ、やはり揶揄われたのだと、レヴィンは悟る。

 それで話を元に戻そうとしたのだが、それより早くユミルは身体を翻し、扉から外へ出て行ってしまった。


「あ……」


 姿が見えなくなってから、顔だけひょっこり出しては、言うだけ言って、やはりすぐに去る。


「そういうワケだから、明日は説得お願いね」

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