蠢動 その2

「我々は先に行く! インギェムは待っていられない! ユミルは待機して、そいつが来るのを待て! 何をすれば良いか分かるな?」


「えぇ、上手く探し出して見せるわ」


 ユミルが軽い調子で手を振るのを皮切りに、ミレイユはドーワに合図して飛び立たせた。

 颶風を巻き起こして上昇し、西に向かって飛んで行く。


 ルチアが呼んだ竜も、それに合わせて上昇すると、そのまま空の上を移動する。

 エモスは付いて来なかった。

 ハイカプィがここに残る意志を示したからであり、そしての女神を護衛するのは彼女の役目だ。


 レヴィンは遮るものが何もない空から、地上を見渡す。

 既に壁は遥か後方で、あっという間に風景が後ろへ流れていく。


 壁の外は常にある平穏そのもので、今のところ、淵魔に襲われている雰囲気など皆無だった。

 この平穏を守る為、そして壁の中の悪夢を外へ持ち出さない為、レヴィン達ユーカード家とその兵達は奮戦していたのだ。


 ただし一匹すら逃せば、その苦労も無駄になる。

 レヴィンは口惜しさが漏れそうになるのを、歯噛みして堪えた。


 しかし、それも束の間のことで、頭を振って隅に追いやると、前に座るルチアへと話し掛ける。


「ルチア様、質問よろしいですか?」


「……何です?」


「壁の外に逃げたという淵魔は、領都テルティアにいると思いますか?」


「分かりません」


 ルチアの返答はアッサリしたもので、にべもなかった。

 それきり会話も途切れてしまい、気まずい空気が流れる。

 レヴィンは苦い顔で作り笑いを浮かべ、それから何か会話のきっかけになればと思い、別の質問をぶつけた。


「あの……、何故ユミル様などは残ったのでしょうか?」


「私達は淵魔が新たに出て来なくなるまで、その戦力を削り続けましたが、それで全てだったかまでは不明ですから。あれが第一波だった可能性もあります」


「あれが……!? 第一波……!?」


 レヴィンは思わず声を荒らげる。

 ルチアは煩そうに眉を顰めて、それから自明を説くように話を続けた。


「あれを単なる第一波とも思っていませんけどね。同じだけの数を、第二波としてぶつけるのは不可能でしょう。ですが、残存兵力数が分かっていない以上、あの場をカラにする訳にもいきません」


「そして、それは南側も同じだと……」


「そうですね。でも、ユミルさんが残ったのは、防衛戦力を案じての事ではありません。インギェムが来るのを待って、そこから南側へと渡る為です」


「……何故でしょう?」


 レヴィンの疑問は、ルチアには不満だったらしい。

 今の説明で全てを理解するべき、とその表情が物語っていて、それを悟ったロヴィーサが口を挟んで謝罪する。


「申し訳ございません。つまり、戦力の均等化が目的ですか?」


「それでは半分だけ正解ですね。兵に紛れた淵魔を探す為ですよ。“新人類”とやらは魔力を持ちませんので、見つけ出すなら、それを暴き出せる高い感知能力が必要です」


「……我らでは難しい技術ですね」


 刻印に頼るからこそ、磨かれなくなった部分の技術だ。

 これはレヴィン達だけの問題ではなく、南側の兵で考えても同様だ。

 探し出せる人物が現地にいないなら、それが可能な誰かを送るしかない。


「現地に感知できる人が、絶対いないかまでは分かりませんので、とりあえず送った形です。向こうでの捜査が終われば、こちらに合流します」


「向こうの淵魔も全滅してるんですか」


「報告ではその様に。そして、妥当だという気がしますけどね。モルディ神の権能は、それ程までに恐ろしいものですから」


 ただ近寄るだけでも影響を及ぼす、無差別的な権能だ。

 味方すら近付けないからこそ、単に数に任せて突撃する淵魔とは相性が良い。

 その神が龍穴付近で陣取っているのなら、これ以上ない防波堤として機能すると思われた。


「……さぁ、着きますよ。ここが戦場になるかもしれません。戦闘準備を」


 仮定とはいえ、そうなり得る事実を突き付けられると、レヴィンとしても良い気分がしない。

 しかし覚悟は必要で、口の端を固く結び引く。


 ルチアが冷徹な視線で見下ろした先には、見慣れた故郷テルティアが中州の上に浮かんでいた。



  ※※※



 領都テルティアの最奥、ユーカード家の屋敷では上へ下への大騒ぎだった。

 大量の重傷者が、戦場と繋がった『孔』から送られてくる。


 その人員を受け入れられるスペースなど早々なく、それで今は屋敷の中庭などが野戦病院さながらの様相を呈していた。


 重傷とはいえ、一人一人傷の深さは違い、また傷の種類も違う。

 四肢切断の様な場合も当然重傷だが、腹部を貫通して内臓が傷付いているのも、生死を左右する重大な傷だ。


 それをいち早く判断し、癒者へと振り分けねばならない。

 水薬と刻印による治療が主な対処方法で、どれも潤沢に用意されていたが、どこまでいっても人手は足りなかった。


「四肢切断はそっち! 『孔』の入り口で立ち止まらないで! 水薬を掛けながら移動して! とりあえず止血だけ済めば、早々死なないから!」


「腹部に穴!? 無理に動かさないで! いま担架を寄越します!」


 右へ左へと癒者が行き合い、そして屋敷のメイドも即席の看護婦として働いていた。

 レヴィンの母デシレアも、この時ばかりは領主一族としての立場より、重傷者の看護に奔走している。

 そして父のエーリクは水薬や包帯、毛布を始めとした医療品の書類と格闘していた。


 戦場で戦えないとしても、ユーカード家の一員として、立派にその務めを果たしている。

 その時、頭上に巨大な影で翳り、何事かと見上げた時、誰からも悲鳴にも似た歓声が上がった。


 見えているのは竜である。

 しかも赤竜となれば、大神レジスクラディスが駆る神竜だと、誰もが知っている。

 その降臨を前にして、一瞬目の前の現実を忘れた。


 しかし、怪我人の呻きによって我に返る。

 自分の仕事を思い出して、それぞれに求められる仕事へと戻った。


 だがそれも、次いで起きた予想外な出来事に動きが止まる。

 大神レジスクラディスたる神がこの場に降臨し、周囲を睥睨したからだった。


 降りて来たのは彼の神だけでなく、他に数名いた。

 その内一人に目を留めて、デレシアは今度こそ悲鳴を上げる。


「――レヴィン!?」


「……あぁ、母上。急な帰参、申し訳ありません」


 デレシアは涙を浮かべて、胸の前で手を握る。

 レヴィンとヨエル、ロヴィーサ達の姿なく、その愛馬だけが領に帰って来た時は肝を潰した。

 まさかと思った時の絶望感は計れない。


 だというのに、今度は神と共に空から降り立ったというのだ。

 どう反応して良いものか、混乱の極致にあった。


「わたくしは心配で……いえ、此度のことは……! いえ、いいえ、大神レジスクラディスの御前にあって……!」


 咄嗟に膝を付いて拝礼した所、他の者達も同様に膝を折った。

 癒者もまた膝を付こうとした時、他ならぬミレイユが手を挙げてそれを止めた。


「そのままでいい。治療を続行しろ。……が、少し問題が発生している。それを確認する必要があってここまで来た。通常通りの作業、通常通りの治療することを許す。こっちはこっちで勝手にやる」


 そう言われても、即座に立ち上がれる者など、そうはいない。

 神の言葉を賜るとなれば相応の態度が必要であり、そして誰もが、そうした言葉を受け取り慣れているものではなかった。


 一向に動き出そうとしない面々に対し、レヴィンが口添えをして促す。


大神レジスクラディス様も、そう仰って下さってるから……。ほら、皆。治療の続きを……」


「あぁ、レヴィン……。立派になって……!」


 デレシアは感極まって、瞳に涙を浮かべた。

 昔から子供を溺愛していた母親だが、神の後ろに立っている姿を見て、とうとう感情が噴き出してしまった。


 溢れる涙を包帯で拭う一幕を見せられ、レヴィンも困り果ててしまう。

 ミレイユはその寸劇を最後まで見終わるのを待たず、周囲の重病者を見渡して、近くの癒者に尋ねた。


「重傷者は、ここにいるので全てか」


「ハッ、いえ、その……ハッ! 士官は屋敷のベッドを使わせております! それ以外は全て、こちらで……!」


 元は訓練場としても活用できる広さだから、中庭には十分な広さがあった。

 それでも、天幕を立てたりしていると、どうしても手狭な印象はぬぐえない。


 多くの兵は野晒し状態だが、水薬と治癒刻印があれば多くの傷は快癒する。

 ベッドがなくとも、長時間寝たきりにならないので、そう大きな問題にはなっていなかった。


「既に治療を終えて去った者などは?」


「いえ、運び込まれた者は例外なく重傷です……、でございますから……。流石に一番手で入って来た者でも、動けるまで回復してない……、おりません!」


 使い慣れない敬語を使い、癒者はそう断言した。

 ミレイユも返答に納得した上で、周囲を一瞥した後、中庭を巡ろうと一歩踏み出した。

 だが、その時ルチアが苦笑交じりに言葉を添える。


「貴女が歩いていては、休まるものも休まらないでしょう。こちらは私に任せて、貴女は屋敷の方を見て来て下さい」


「そうか、そうなるか……。レヴィン、案内しろ」


「は、ハッ! お任せ下さい!」


 ミレイユを先導して、レヴィンは屋敷へと歩き出す。

 その晴れ晴れしい後ろ姿を、デレシアは涙と嗚咽交じりにいつまでも見つめていた。

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