蠢動 その1

 アルケスを憐れむべきかどうか、ミレイユにも分からない。

 神にも感情があり、全てを正しく判断できる超常の存在ではないからだ。


 利己的な部分があるのは当然で、そしてそれは、元が人間だったからこそ生まれる、当然の感情でもあった。

 しかし、立場には責任が伴う。


 神という最も大きな位を戴くからには、相応の自重と戒めも必要だ、と強いたのはミレイユだ。

 それを理不尽とは思わない。


 かつて十二の大神が治めた世界では、神を頂点とする恐怖政治が蔓延っていた。

 それを良しとしなかったミレイユが、同じ轍を許す訳にはいかない。


 そして、その意見に賛同してくれた神は多く、むしろ耳を貸さず反発したのはアルケスのみだった。

 だからこそ、彼は異端とされ、爪弾きにされた。


 その境遇も、アルケスにとっては屈辱だったろう。

 しかし、十二の大神信仰は消え失せ、新たな環境が構築されたのなら、アルケスもそれに適応しなければならなかった。


 反発ばかりな上、問題も多く起こしたなら、罰せられるのも当然だ。

 もっと大人の対応を……あるいは、歩み寄る努力があれば、結果も変わったかもしれない。


「……いずれにしても、遅すぎる」


 差し伸べられた手を掴む機会は幾つもあり、そして、ことごとく袖にしたのがアルケスだ。

 自業自得の面が強いとはいえ、その最期は余りに無残だった。


 何もかも淵魔に利用され、何もかも淵魔に奪われた。

 その尊厳も、肉体も、権能も……。

 そこまで考え、ミレイユはハッとして顔を上げる。


「神魂はどうした……」


 既に塵となって消えたアルケスの、身体があった場所を見つめる。


「……神魂はどこに行った?」


 ミレイユは茫然として聞こえる声音で呟いた。

 神は不老であっても、不死ではない。


 そして、何らかの理由で死を迎えた時、神の肉体はその血液の一滴、肉体の一片に至るまで、魂へと変換される。

 神の肉体に内在される膨大なエネルギー、それが神魂と呼ばれるものの正体で、そしてそれは例外なく『遺物』へと吸収される筈だった。


 ミレイユの声につられて見渡したルチアは、既に消えたアルケスの身体を見て推測を述べる。


「アルケスの死亡時、確かにそれらしいものは見えませんでした。砂……というか、塵にも似た粒子となって、崩れ落ちるだけで……」


「何もかも奪い尽くされた……。アルケスもそう言っていたが、つまりそういう事か」


「……恐らく」


 淵魔の『核』とは、かつてあらゆるモノを造った創造神だ。

 その一つが『遺物』であり、神魂をエネルギー源として活用する装置である。


 そして、その『遺物』はエネルギー量に応じて願いを叶える、切り札ともなる願望器であった。


「では、どう思う? これは『遺物』を見越して、使わせない為の措置だと思うか?」


「……言われてみると、そうだという気がしますね。あれは根底から全てをひっくり返す禁じ手ですから。それを作った相手なら、警戒して当然……という気もしますし」


「自分で使う気はない、と……?」


「というより、先回りされる事を恐れて、ではないでしょうか。あれは使い手を選びませんし、そして神魂が飛んで行けば、その可能性をわざわざ示唆する事にもなる訳です」


「……そうだな。神魂が飛んで行けば、即座に『遺物』を確保するよう命令を下す。私自ら出向いても良い。それぐらい、盤面を自由に操作できる危険な代物だ」


 そして、相手に使われるぐらいなら、最初から使われる機会を奪っておく、と考えるのは当然だ。

 『遺物』に使えるエネルギーは膨大で、そのうえ並大抵のものでは代替できない。


 現状、神を殺すしか手に入らないエネルギーで、それ以外となれば竜魂しかなかった。

 しかも、どの竜でも良い、という話にはならない。

 長く生き、強大な力を持つ竜の必要があり、現状はミレイユが乗騎とするドーワしか残っていなかった。


 だから、ミレイユとしても『遺物』が有効な手段と理解していても、使えない理由がそこにある。

 そして、使わねばならない状況となれば、誰か神を殺さなくてはならないが、誰であろうと喪って良い神などいないのだ。


「ともあれ、使えないならそれで良い。……というより、使えない状況の方が好ましい。全てを破壊する爆弾に、火を付ける様なものだ。確保し続けるだけでも気が滅入る」


「その通りです。使わずにいれば、必ずや奪おうとして来ますよ。あんなもの、ない方が良いんです」


 ルチアが力強く頷くのと同時、ミレイユはルチアの手の中にある物体へと目を移す。

 結界によって縮小、圧縮され封じ込められた、アルケスから出て来た黒泥だ。

 それに強い嫌悪を向けながら、吐き捨てる様な口調で言葉を放った。


「……そして、奪われた力は、今そこにあるのか?」


「どうなんでしょう? 結界で包んだ所感では、これに力らしきものは殆どありません。……むしろ、抜け殻とでも言うべきで……」


「抜け殻……」


 ミレイユが『鍵』を使って、アルケスの身体から引き剥がした時、黒泥には何かしら抵抗する力があった。

 血管にも似た筋が幾つも入っていたが、今ではそれも消えている。


「まさか……」


「ミレイさん?」


「ルチア、結界を解け。ソレを開放しろ」


「よろしいんですか?」


 ミレイユは無言で首肯して、早くしろ、と手を動かす。

 言われるままに結界が解かれると、黒泥は地面に落ちて、そのまま溶ける様にして消えていった。


「これは……、既に自壊していた……?」


「トカゲの尻尾切りだな……。ほんの僅かに繋がったものを残し、その実アルケスの力は、既に多くが移された後だったんだ」


「そう、そういう……」


 ルチアは顎先を掴んで頷き、妙に納得する素振りを見せた。

 その視線は次にレヴィンへと向き、顔は正面を向いたまま、横目で言葉を放る。


「戦いの最中、権能を使った場面は?」


「え、あー……、なかった……と思います」


「誰かを移動させたり、その思考に強制的な割り込みなども、なかったんですね?」


「はい、なかったと思います。思考については、えぇ……俺は間違いなく。他の皆はどうだ?」


 ヨエルやロヴィーサに訊いても、これには首を横に振るばかりで、エモスについてもこれは同様だった。


「あれば使うでしょう、普通。使わなかったのなら、既に力は移動済みだった、という事なのかもしれません」


「他に色々、異質な能力使って来たから、てっきりそういうスタイルかと思ってましたが……」


 レヴィンは唸りながら顔を顰め、それから数度頷いて声を零す。


「全く頭にありませんでした……。そうか、気付かなかった……。あったら使う、その通りだ……」


 魔術も使わず、力業一辺倒だったように思う。

 これも全て、本来の力を奪われ、代わりに与えられた淵魔の力が理由だとしたら、それにも納得がいくのだ。


 そうして二度、首を上下させたその時、レヴィンはハタ、と動きを止めてミレイユに言い募る。


「淵魔……! そう、外の淵魔はどうなったんです!? こうして話している暇は……!」


 嘆願にも似た悲鳴に、ルチアは掌を上に向けて結界を解除した。

 すると、それまで遮断されていた外の音が一気に入り込んでくる。

 そこではレヴィンの予想と反して、歓声に沸いており、兵士達は勝鬨を上げていた。


「敵は……! 淵魔は……!?」


「それはもう終わった。私達が駆け付けた所からも分かるだろう。淵魔の方は品切れになった」


「では……」


「結界を張った時点で、その外では掃討戦に入っていた。そして、竜が一極に集中した時点で、勝ちは決まったようなものだ」


 ユーカード領兵と鬼族の兵は、互いに雄姿を認め合い、背中を叩き合ったり握手したりと、その勝利と喜びを称え合っている。

 領兵からすると額に角を持った種族など、未知の存在には違いないだろう。

 だというのに、共に戦いあった仲間として、既に気持ち良く称え合っている。


 その光景に、レヴィンからも肩の力が抜ける。

 それは他の誰もが同様で、特にアイナはその場でへたり込み、大きく溜め息をついて肩を落としていた。


 理力の制御から解き放たれ、生成した石壁が崩れ落ちる。

 その上に乗っていたドーワが着地して、大きな地響きを鳴らした。

 丁度、それで頭が突き出される形になり、ミレイユはひらりと宙に舞ってその頭に乗る。


「兵士にはこの時、勝利の勝鬨を上げ、喜び合う権利がある。この場で勝利したのは事実だ。……だが、私にとっては負けに等しい」


「話は聞こえていました。逃げられた、っていうのは……本当なんですか?」


「そうだろう、という推測に過ぎないが、……間違いないとも思ってる。東と南、どちらか分からないが、後方へと運び込まれた重傷者の中に“新人類”が潜んでいる」


領都テルティアに!? そんな……!」


 レヴィンは声を荒らげて、ミレイユに――竜の頭へと近付いた。


「では、今からそちらへ!?」


「ここで逃がしては、これまでの奮闘全てが無駄になる。取り逃がす訳にはいかない」


「是非、我々も一緒に……!」


 言い募って近付くも、レヴィンはドーワの鼻息で押し戻されてしまった。

 憤懣と共に吐き出された鼻息は、熱風だけでなく実際に炎が混じっている。


「あ、あちっ、あち、あちっ……!」


 火が燃え移りそうになり、身体中を叩いて消化している間に、ドーワは頭を上げてしまった。

 ミレイユからも距離が離れてしまい、どうしたものかと思ったが、そのミレイユから声が降った。


「ドーワは乗せたくないと言っている。付いて来ること自体は構わないから、別の竜に乗せて貰え。……そういう訳だから、ルチア、面倒見てやれ」


「了解です」


 不承不承ではあったが、とりあえずルチアは頷く。

 それから彼女の呼んだ竜が降り立つと、レヴィン達も礼を言いながら乗り込んだ。

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