蠢動 その3
屋敷の中もまた、野戦病院さながらだった。
だがその多くは、医療品を出し入れする頓雑さから来ている様だ。
清潔な布は野晒しで置いておけないし、水薬も貴重品だから、おいそれと外へ置いておく訳にもいかない。
そうして急造の倉庫代わりとして、空いている部屋が活用されている、という訳だった。
だから忙しいのは間違いないのだが、外とはその種類が違う。
水薬を運び出し、外の仮設テントへ持って行くメイドを目に留めた時、向こうもレヴィンの姿を見て破顔した。
「あぁ、若様! ご無事で何よりです! 奥様がそれはもう、大変な心配のなさりようで……! 是非、そのお顔を見せて差し上げて下さい!」
「もう見せて来た。心配させたな」
「エーヴェルト様など、心配しつつもドンと構えておられましたけれど……。わたくしなどそうは思っておれず、毎日ご無事をお祈りしておりました……!」
そこまで言って、抱えていた水薬の箱を持ち直し、続いて後ろのヨエル達にも笑みを見せる。
「
メイドが次に目を向けた人物に、レヴィンはどう言って良いものか困った。
正体を隠すのは不敬と思う一方、先程見た光景を思えば、問われたまま答えて良いものか迷う。
それで困っていると、メイドが不審に思うより早く、ロヴィーサが口を開いた。
「今回、ちょっと視察にいらした方で……」
「視察……? もしかして、水薬の件ですか?」
渡りに船とばかりに、内容もろくに考えず、レヴィンは大仰に頷く。
「そうそう、ちゃんと到着してるか、とか……! 使われてるか、とか……そういうのだ!」
「あぁ……! では、神殿の方ですね。そういえば、格好がそれらしきもので……。此度の寄進、心より感謝いたします」
「こういう時の為の神殿だ。気にするな」
メイドは丁寧に礼をしてから、道を開けて再度礼をして迎え入れる。
「どうぞ、お好きな様に見て回ってください。こちらの手が空き次第、説明などさせていただきますが……」
「いや、気にしなくて良い。悪いが、勝手に見て回る」
「何しろ火急の時。大したもてなしも出来ず、大変申し訳ございません。落ち着き次第、丁重に……」
そう言うと、水薬を屋敷の外へ運び出して行った。
それを見届けてから、レヴィンはミレイユへと顔を向ける。
「……えっと、いただいていたんですか、水薬」
「決戦があるとは確定していたんだ。ロシュ大神殿に運び入れる予定だった水薬とは別に、インギェムに言って各所に運び入れさせていた」
「なるほど、運送屋……。こういう意味でもあったのですね……」
てっきり『孔』を開いて、誰かを運ぶだけだと思っていたが、実はそうではなかったのだ。
インギェムは戦闘できない代わりに、色々と手伝いに奔走していたらしい。
「それにお前らが迷宮攻略に挑んでいる時、私は暇だったからな。水薬の調合とかやってたぞ」
「え……!? サウナ三昧だったんじゃないんですか!?」
声に出してから、ようやくレヴィンは己の失態を悟った。
ミレイユからの冷たい視線が突き刺さり、背筋に冷たいものが流れる。
「お前が私をどう思っているか、よく分かった。ろくでもない事を口走る所など、似なくて良い部分も、先祖とよく似ているようだな。可愛がりたくなってくる」
「た、大変、失礼を……!」
「まぁ、いいさ。今は諍いで時間を無駄にしている場合じゃない。それより怪我人の確認だ」
「……ですね!」
レヴィンはホッと息を吐いて、家の端から部屋を案内する。
今だけの事とはいえ、領主一族の私室を病室に転用する訳がないので、まずはメイド部屋から調べた。
その間に出会った家人に、より詳しい説明を聞いておく。
そうして病室へと転用された部屋を一つずつ巡って行ったのだが、その中でミレイユがこれは、と思う人物を発見できなかった。
「……間違いなく、これで全員か?」
「はい、使える部屋はそこまで多くないですし……。運び込まれた士官の人数も、家人に聞いた数と一致します。漏れはないかと……」
レヴィンがそう返答すると、ミレイユは最後に確認した部屋から踵を返した。
屋敷の長い廊下を再び戻る。
何かと騒がしい屋敷内だが、ミレイユの周囲は不思議と音がない。
ただ靴が絨毯を叩く、重い音ばかりが響いた。
その重い沈黙を突き破り、レヴィンが恐る恐るその背中へと話し掛ける。
「それで……、ここにはいなかった……と、思って良いんですね?」
「屋敷内にいないのは確実だろう。誰であれ、どれほど才能が無かろうとも、魔力は確実に持っているものだ」
「そうですか……っ」
レヴィンは安堵に息を吐いた。
ミレイユがこの場にいれば安心と言っても、淵魔が屋敷内に潜伏しているなど、気が気ではない。
その上、もし戦闘になれば怪我人だけでなく、家人も巻き込む可能性が高まる。
だからとりあえず、一つ懸念が晴れたのは喜ばしい……と思う一方、そうとなれば問題は、外で治療を受けている兵達だった。
「では、一応……屋敷の中庭入口など、封鎖しておいた方が……?」
「ここを戦場にするつもりはないが……、そうだな。見つけてから封鎖では遅い。被害を最小限に食い止めるには、それも必要だ」
ミレイユが細かく首肯すると、レヴィンはヨエルとロヴィーサに目配せして指示を送る。
彼らもユーカードの分家として、領都内では大きな権力を有している。
二人が指示を出せば、それなりの無理は利くのだ。
屋敷から出て、早速行動へ移そうとした矢先、ルチアがこちらへ向かって歩いているのが見えた。
その様子から慌てたものは感じられず、全ての精査が終わった事を示唆している。
レヴィン達は彼女が目の前まで来るのを待つ。
行動を移すのは、彼女の報告を聞いてからでも良い。
ミレイユが遠くまで視線を回し、仮設テントなどを見ていると、ルチアが不機嫌そうに口を開く。
「全て確認し終えました。……けれど、魔力を持たない人間は確認できませんね」
「では、逃げた先は南側か。……ユミルの確認待ちだな」
だが、とミレイユは小さく首を傾げて、ルチアを見つめる。
「随分、早かったな? こちらよりずっと、怪我人の数は多かったろうに」
「別に一人一人、つぶさに調べる必要ありませんしね。結界を応用すれば、こっちは纏めて調べられるわけで……」
「そうか……いや、ルチアが適当な仕事をしたと、疑っているわけじゃないんだ」
分かってますよ、とルチアが微笑んだ時、屋敷の屋根に赤竜が舞い降りた。
長い首を迂回させ、ゆっくりと降ろしながら、ミレイユへと顔を近付ける。
中庭方面では、屋根の上を見て騒がしくする者が多数いたが、ミレイユは努めて無視してドーワに訊いた。
「……どうした、ユミルから連絡があったか?」
「あぁ、その件さ。あちらでもどうやら、発見出来なかったらしい」
「それは妙だな……」
ミレイユは訝し気に眉を顰めて、宙を睨んだ。
中庭からは癒者や怪我人、メイド問わず視線が集中していて、レヴィンは居た堪れない気持ちになる。
せめて幻術を掛けて欲しい、と思ったが、これほど集中されていたら、最早手遅れでしかなかった。
ミレイユはそうした視線を丸っきり無視して、傍らのルチアへ話し掛ける。
「確認漏れはないか?」
「ありませんよ。さっき確認されたばかりじゃないですか。そんなヘマはしません」
「そうだよな……。だったら、壁を越えたとかいう“新人類”は、どこに消えたんだ?」
多くの視線が集中しているとはいえ、流石に癒者まで野次馬よろしく、こちらを見てはいなかった。
今も忙しく治癒に奔走しており、ミレイユはそれを見るともなく見る。
レヴィンも同じく視線を遠くに向けていた時、視界の端に映ったメイドが、何かを言いたげな視線を飛ばしているのに気が付いた。
屋敷の入り口でも会ったメイドで、今更ながらにミレイユの正体に気付き、それで近付くに近付けずいるようだ。
ただミレイユと話してみたいのかと思えば、そうとばかりにも思えない。
レヴィンは断りを入れて傍を離れ、そのメイドに近付いて話し掛けた。
「どうした、何か言いたい事でもあるのか?」
「はい、若様。あの……どなたか、怪我人をお探しなのですか?」
「あぁ……、そう、そうなんだ。詳しい説明は出来ないんだが……」
淵魔が
だからレヴィンは、曖昧に頷くに留めた。
「非常に特殊な人を探していてね……。怪我人として運び込まれたのは、間違いないと思うんだが……」
「あの、それなんですけど……」
メイドは少し躊躇う素振りを見せ、それからやはり重たい口調で話し始めた。
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