現代遊戯 その7

「そいつが気になるのか」


「若様……、いえ、別に、その……」


 口では否定する素振りを見せつつも、ロヴィーサはその場から離れようとしない。

 普段から冷静沈着、即断即決の彼女からは考えられない行動だ。

 それだけ、ガラスの向こうに見えるぬいぐるみが、彼女にとっては魅力的に映ったらしい。


「ぬいぐるみぐらいなら、ミレイユ様からお許し頂けるかもしれないしな。……どれ、取れるかどうか、試してみようか」


「よろしいのですか?」


「構わないさ。とはいえ、見るも触るも初めての物だから、どうして良いやら困ってしまうが……」


 苦笑と共に、レヴィンが女官へ顔を向けると、全てを承知した顔付きで説明を始めた。


「こちらは単純です。既に開始出来る状態で待機しておりますので、上矢印と右矢印、それぞれのボタンを一回押すだけです」


「そうすると、どうなる?」


「筐体上部にあるアームが動き出し、景品を掴み取ります。そうして、目的のぬいぐるみを、左下のポケットと呼ばれる穴部分に落とせば良いのです」


「ほぉ……? 遊びのルールとしては、至極単純だ」


「ただ、ご注意を」


 そう言って、女官は再び矢印の付いたボタンを、それぞれ順に指差す。


「押せる回数は順に一度きりです。押した時間だけ進み続けます。そして離すと動きを止めるのです。何も掴めずとも、初期位置にアームが戻るまで何も出来ません」


「なるほど……。その上下左右、上手い位置取りをどれほど高精度に狙えるか、そういう遊びか」


「恐れ入ります」


 女官が頭を下げると、レヴィンは丁寧に礼を言ってから、ヨエルを呼びつける。


「ヨエルはこいつの横から見て、丁度良い場所で声を掛けてくれ」


「おっしゃ、任せろ」


 ここに入っているぬいぐるみは一種類のみなので、どれを狙っても構わない。

 問題は、どこが狙い目なのか見極めることだ。


 レヴィンは中央付近に置いてあるぬいぐみへ狙いを付け、右矢印のボタンを押す。

 そうすると、アームは予想よりも速い動きを見せたが、レヴィンの卓越した反射神経で以って見事に制した。


「次は上方向だ。狙いは分かるだろう? ヨエル、頼むぞ」


「任せとけ。動く時の速さも分かったしな」


 互いに目を合わせて頷き合い、レヴィンはボタンに指を添える。

 その後ろでは、ロヴィーサが指を祈るように組んで見守っていた。


 レヴィンはゆっくりとボタンを押し込む。

 滑る様に動き出したアームは、目的のぬいぐるみ真上付近まで近付き――。


「――そこ!」


 ヨエルの掛け声と同時、レヴィンはボタンから指を離した。

 アームはゆっくりと降下を始め、その爪をゆっくり開いて鷲掴む。


「よし!」


 開いた爪は、完全にぬいぐるみを捉えているように見えた。

 三方から伸びる爪が、ぬいぐるみの首辺りに引っ掛かっており、問題なく持ち上げるように見える。

 しかし、爪の握力は赤ん坊より弱いらしく、するりと抜け出し定位置へと戻って行ってしまった。


「はぁ……!?」


 レヴィンは思わず声を荒らげる。

 ヨエルはガラスを叩きそうになって慌てて自制し、ロヴィーサは落胆に肩を落とした。


「なん、何だこれ……? こんなので、本当に取れるのか? ぬいぐるみなんて、そんな重たい物じゃないだろ?」


「取らせるつもりがないとしか思えねぇ……!」


 真剣だっただけに、余りの落差を見せつけられて、二人は怒りを抑え切れなかった。

 そこへ、背後で成り行きを見守っていた女官が、すすっと近付いて来て解説を始める。


「わたくしも初めて知った事ではありますが、こちらの遊戯とは、そういう物らしいのです」


「取らせるつもりがないって意味か……」


「いえ、そうではなく。アームの握力が弱すぎることに、違和感をお持ちでしたでしょう?」


「……持たないヤツなんているのか?」


 レヴィンが腹に据えかねる思いで、唾吐く様に言うと、さもありなん、と女官も頷く。


「わたくしも同じ思いでございます。しかし、どうやらこういった遊びは、確率でわざと弱まるようにしているそうです。逆に言うと、『当たり』となる確率を引かないと、先程のようにするりと躱されてしまう、という次第で……」


「詐欺なんじゃないか、それは……?」


「いえ、逆を言うと、たった一度の挑戦でも、景品を獲得出来るという意味でもあります。詭弁とお思いなのは、わたくしも同様です。確率次第ではございますが、本日は無料。先程と同じ正確さで挑戦し続ければ、必ず手に入ることでしょう」


 それを聞いても、やはり不満は消えなかったが、どうやら挑戦し続ければ良いだけの話らしいとは分かった。

 それで再びヨエルと協力し、挑戦し続けること五回……。

 ついに、目的のぬいぐるみをアームで吊り上げる事に成功した。


「よし! よしよしよし……!」


 宙に浮いたぬいぐるみは、そのままポケットの中に入り込み、筐体下部へと滑り落ちていく。

 取り出し口から見える頭を掴み、それをロヴィーサへ突き出すようにして渡した。


「……そら、約束の品だ」


「ありがとうございます……っ」


 ロヴィーサがはにかむような笑顔を見せて、胸で抱く締めた。

 手触りが気に入ったらしく、何度も撫でては頬ずりまでした。

 レヴィンはその笑顔を直視出来ず、顔を逸らして頬を掻く。


「いや、良いね、ご両人。異世界に来て、良い土産だけじゃなく、その気持ちまで手に入ったってなモンだ」


 ヨエルが茶化してきたものを、ロヴィーサが顔を赤くさせて腹を打つ。

 貫手が脇腹に突き刺さり、ヨエルが苦悶の声を上げて身体を丸めた。


「馬鹿なこと言ってないで、次行きますよ!」


 そう言うなり、レヴィンの顔も見ずに颯爽と去っていく。

 レヴィンはヨエルの肩に手を置いて、慰めるようにそれから二度叩いた。


「今のは、あんまり上手くなかったな……」


「あぁ……、身に沁みて実感してるよ……!」


 ヨエルの額には脂汗すら浮いている。

 そこから、どれ程の一撃が打ち込まれたのか、想像できようというものだ。

 レヴィンは肩を貸してヨエルを起き上がらせると、一人先行するロヴィーサの後を追った。



  ※※※



 ロヴィーサは逃げる様に突き進んでいた先で、唐突に動きを止めた。

 何事かとレヴィンが駆け寄り、彼女の視線の先を見てみれば、そこにはユミルの姿がある。


 ゲームを遊んでいる最中で、どうやら音楽に合わせて打楽器を叩くゲームらしい。

 実に見事な手さばきで、軽快に打ち鳴らしている。

 ロヴィーサはそれを、食い入る様に見つめていた。


 自分も遊んでみたいから……そういった理由で見ていないのは、レヴィンにも直ぐに分かった。

 ロヴィーサはユミルの動きではなく、見事な魔力制御に感嘆している。


 本来ならば、打楽器を叩き割ってもおかしくない動きをさせているのに、そうはなっていないのだ。

 それはつまり、それだけ魔力の巡りを薄くさせ、物体への影響力を極小にしているということだ。


 ロヴィーサでなくとも、心得があるものなら、その人間離れした制御に見惚れないわけがない。

 レヴィンも同じく、ロヴィーサの隣に立って、ユミルの動きを見つめた。


「神使の方々に、我々は決して及ばないと理解していたが……。あんな芸当まで出来るのか……」


「もはや曲芸の域ですよ。普通に戦闘する事を念頭に置くなら、あんな無駄なこと修得なんかしません」


「だな……」


 よく見れば、軽快に叩いている時は極小、連打する時には手に持った棒と打楽器本体へ魔力を回している。

 それぞれをコーティングすることで、破壊を防いでいるのだ。


 これこそ正に、無駄の極みと言える。

 手で触れた物に魔力を回すのは、決して難しくはない。

 しかし、手から離れた物に魔力を纏わせ、かつ維持する難易度は計り知れないものがある。


 それを戦略上、優位に立つ為とか、起死回生の策として用いる場合ならばともかく、単なる遊びで使っているのだ。

 神使の非凡さが窺える瞬間だった。

 これには思わず、ヨエルからも呆れた一言が零れ落ちる。


「なんつー無駄な事を……。つい力んじまう時は、叩かないんじゃなくて、如何にして叩くかを考案してみた、ってか……? だからって、普通ここまでするかね?」


 その時、最後まで曲を演奏したユミルが、カカッと音を鳴らせて背後へ振り向く。

 彼女のトレードマークじみた、人を食った笑みを見せつつ口を開いた。


「こういうの、こっちじゃ『無駄に洗練された、無駄のない無駄な技術』って言うらしいわよ」


「いや、ホントその通りって感じですが……」


「でも、このぐらい出来ないと、こっちじゃ安心して生活できないのよね。一般人と肩が当たっただけで、殺したくなんてないでしょ?」


「え……、そんな事になるんですか……」


 レヴィンが思わず身を引いて問うと、ユミルはにんまりと笑う。


「なるわよぉ。アタシらみたいに魔力総量が多いとね、有り得ない話じゃないの。尤も、ウチらはいわゆる『魔力制御世代』に生きていたから、アンタらみたいな『刻印技術世代』ほど難しいとは感じてないんだけど」


「昔ながらの、古式ゆかしい制御時代ですか……」


 刻印という、魔術を身体に貼り付ける技術が生まれる前は、誰しも修得困難な制御技術で魔術を操ったとされる。

 それ故に、魔術士の絶対数が少なかった。


 初級魔術を使えるだけで天才扱いで、本格的に扱える種族は魔族エルフ以外にいない、とされる程の高等技術だった。

 その制御技術においても完全に廃れた訳でもなく、身体強化などに流用されているのだが、普段使いしているものとは雲泥の差が出る。


 レヴィンも努力を怠らなかったつもりだが、こちらの道場に通って認識を改めた。

 普段から制御技術にのみ傾倒している者たちと、レヴィンたちの技術格差は、大きな壁として立ち塞がったものだ。


「でも、総量が多い程、制御も困難になるはずです」


「そう。だから出来るように頑張った、それだけの話ね。それに、その程度できないと、ウチのカミサマにはついて行けないから」


 そう言って、ユミルはあっけらかんと笑った。

 ごく簡単そうに言っているが、そんな筈はない。

 彼女なりの努力があり、そしてそれは、血の滲むような努力だった事は疑いようもなかった。


「ところで、これ遊んでく? 結構楽しいのよ?」


「い、いえ、遠慮しておきます……! どうせ壊さずに済むとは思えませんので……」


「そう? 案外やれそうって思ったけど……。じゃあ、アタシはまた別ので遊んでくるから」


「は、はい。お気になさらず!」


 レヴィンが腰を折って見送ると、他の二人と女官も合わせて一礼した。

 彼女が去ったと思われた後に顔を上げて、レヴィンは改めて周囲の機器へと目を向ける。


 一度気になりだすと、どれもこれも、破壊せずに済みそうに思えるものがなかった。

 先程の、ただボタンを押すだけのゲームさえ、白熱すればどうなるか分かったものではない。


 ほんの少し、我を忘れずとも力んだだけで、何かしらを破損させそうでもある。

 奥宮はマナの奔流が渦巻いているだけあって、こうした配慮は殆ど必要なかった。


 しかし、そうした場所から一度離れ、魔力が存在しない場所に来てみると、また違う実感を覚える。

 ここまで心許ないものかと、愕然してしまう程だ。

 その時、よろしければ、と女官の方から声が掛かった。


「よろしければ、別の遊技場へとご案内致しましょうか?」


「別の……?」


「はい、このビルは複合アミューズメントビル、となっておりまして……」


「……どういう意味だ?」


「他にも複数、異なる種類の遊びが用意されている、という意味でございます。精密機器などであれば、壊してしまう恐れから楽しめないとの事であれば、そうではない遊戯を楽しまれてはどうかと、提案させて頂く次第です」


 レヴィン達は顔を見合わせ、目だけで互いの気持ちを汲み取ると、女官へ頷きを返す。

 それがなんであれ、壊す要素のない遊びがあるなら、そちらの方が良いに決まっていた。


「じゃあ、頼みます。……ところで、その遊びってどういうものなんです?」

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