魔王、謁見、再出発 その3

 猿轡から開放されたヤロヴクトルは、大仰に顔を振って神使を睨んだ。

 美男ではあるのだが、痩せぎすの顔は不健康そうに見え、顔色も白い。


 髪色は金で瞳は紫、鼻筋は通っているものの唇は薄く、全体的に細かった。

 その男神が、大いに顔を歪ませながら、口の詰め物を吐き出して喚く。


「――べへっ! シビリー、貴様! 神への謀反、決して軽い罪ではないからな! 今から覚悟しておけよ!」


「そんな事より、ヤロヴクトル様。大神レジスクラディス様の御前ですよ」


「――そんな事!?」


 余りに軽くいなされ、驚愕を口にするのも束の間、ミレイユは念動力を用いて強制的に顔を持ち上げた。


「お前たちの痴話喧嘩は後にしろ。それより、私の話を聞け」


「いだ、いだだっ! 首、首がもげる!」


 ヤロヴクトルの身体は肩から足首まで、完全にロープでぐるぐる巻きにされており、身動き出来る部分が殆どない。

 ロープは頑丈そうだが、特別性の拘束具でもなく、他の神なら力ずくで抜け出していただろう。


 そうした所からも、ヤロヴクトルは神としての力を、迷宮に多く注ぎ込んでいると分かる。

 他の神々から不当に襲われたり、搾取されないと分かるからこその行動だろうが、鍛えられた一般人以下ともなると、流石に苦言の一つも飛び出した。


「……お前、そんなのでよくやって行けてるな。というか、一応魔王やってるんだろ? 最終的に戦う相手がお前なら、相手も興醒めだろうよ」


「まぁ、そこはアレよ……。俺のカリスマを魅せつけ、ひれ伏させるというかだな……」


「見栄と口八丁で切り抜けるわけか。丁度、私にやってみせた様に」


「実際、上手く行ってただろうが?」


 実に小憎たらしく笑みを浮かべた所を、シビリーが頬に拳を落とす。

 平伏したまま急接近し、殴り終えると再び平伏し直して、元の位置に戻った。


「イダッ! 馬鹿、お前! 顔に傷が残ったらどうする!?」


大神レジスクラディス様、数々のご無礼、平にご容赦ください」


「あぁ、うん……」


 ヤロヴクトルの怒りは本物だったが、本気ではないように見える。

 これらの遣り取りは、もしかすると日常的なものなのかもしれない。


「それよりも、私がここまで来た本題だ。まず……」


「嫌だ、聞きたくない」


「あぁ?」


「俺は何も聞かん! こんな……こんな事されて、黙って聞いてなんていられるか!」


 ヤロヴクトルは頑なに目を瞑り、いやいやと首を振る。

 まるで、子供が癇癪を起こしたかの様だ。

 ミレイユは今日何度目かになる溜め息をつくと、両手を腰に当て、諭す様に言う。


「いいか、ヤロヴクトル。こっちも遊びで来たんじゃなく……」


「お前達は迷宮を踏破していない! 魔王への謁見は、勇者の特権! その試練と努力なしには有り得ぬものだ! それをよくも……!」


「そっちの文句か? 簀巻きにされている事より?」


「当たり前だろうが!」


 何が当たり前か不明だが、ヤロヴクトルのこだわりの前には、簀巻き程度は些細な事らしい。

 普段の扱いが透けて見える発言であると同時に、面倒な事態になったと、ミレイユは頭を悩ませる。


「お前の魔王ごっこに興味はない。それに、わたしにとっては児戯と同じだ。それを……」


「そう、それよ!」


 ヤロヴクトルは器用に身体を縮めては、拘束されたまま上下に跳ねる。


「そもそも何で、お前が来てるんだよ! ここは赤ちゃん用のだ。お前みたいなのが挑戦するなんて、想定されてないんだよ! その上、バカスカ壁を破壊しやがって! あげく階層ぶち抜きだァ? いい加減にしろ!」


「いい加減にしろは、こちらの台詞だ。用があって来たと言ったろ。話を聞け」


「嫌だね! 六十階層以降の天井と床! これ全部修復しなきゃならんし、聞いてる暇なんてあるか! それより上の階層も、壁を元通りに直さないと……あぁもう、これから緊急メンテだ! すぐに帰れ!」


 ミレイユは呆れると同時に困ってしまい、眉間を人差し指で押さえた。

 話を強制的に聞かせることは出来る。

 しかし、目的は聞かせるだけでなく、協力体制を構築することだ。


 そして、今の状態で協力を仰いでも、決して頷いたりしないだろう。

 むしろ、頑なに協力を拒否する。それは容易に想像できた。

 ミレイユはここまでの行動が、悪手を重ねた結果だと、認めないわけにはいかなかった。


「一度帰るのは良いさ。幸い、こちらにも時間がある。では、また改めて最初から、今度は不正なしで来れば、話を聞く気になるのか?」


「そんなんでなるもんか! 言ったろ、赤ちゃんコースなんだよ! お前が攻略出来るなんて当然だ。そっちの神使も同じ! お前らに参加権はない!」


「じゃあ、どうしろって言うんだ……」


「お前が、俺の女に――」


 それ以上言う前に、ミレイユの拳が空を切る。

 ヤロヴクトルの顔目掛けて振り下ろされた拳は、拳圧となって床に命中し、拳型の大きな亀裂を作った。


「何だって? 聞こえなかった。もう一度言ってみろ」


「あぁ、うん? あれだ……」


 ヤロヴクトルはあからさまに声が震え、上擦りながら視線を外に向けて続ける。


「なんっ……ていうか、修復を手伝えって言ったんだ」


「ほぅ……。まぁ、壊したのは私だからな……。それなら相応の条件だと思うし、手伝ってやっても良いが……」


「いや、何言ってんだ。壊したものを弁償するなんて、そんなの当然だろうが。話をしたいなら、ちゃんと挑戦して最下層に来いよ」


「いや、お前が言ったんだろ。挑戦権がないって。私達には、どうしようもないだろうが」


 ミレイユが不満も顕に睨み付ける。

 その威圧だけで、ヤロヴクトルの身体はビリビリと震え、実際竦み上がった。

 しかし、彼にも彼のルールや信条があり、脅し程度では引っ込まない。


「ほれ、そこ! そこに居るだろ! お前の腰巾着が!」


「こし……? レヴィン達のことか?」


「そう、その黒髪の奴と、その一味だよ! そいつらをお前らの代表として使えば良い。そいつらが踏破できたら、即ちお前の勝利って事にしようじゃないか」


「ほぅ……、良いのか?」


 ミレイユは勝算を素早く計算し、分の良い賭けだと瞬時に見抜くと、乗り気がある様に見せかけた。

 六十階層より下層は未知の領域と変わらないが、見た限りでは問題ないように思える。


 ヤロヴクトルはミレイユや神使ばかりに目が行って、遥かに格下のレヴィン達ならば、と思ったのかもしれないが……それは大きな間違いだった。


「無事踏破し、ここまで到着したら、お前の話でも何でも聞いてやる。俺に好きな希望を述べるのは、勝利者の特権だからな。脚だって舐めてやるさ」


「舐めるのはどうでも良いが、……なるほど。良いだろう、その挑戦を受けよう」


「あの……ミレイユ様、こちらの要望を聞いてくれたりは……」


 レヴィンが控えめに問うたが、ミレイユの答えはにべもない。


「嫌とは言わないだろう。改めて命じても良い。――レヴィン、お前は迷宮に挑戦し、最下層まで辿り着け」


「は、ハッ……! ご命令とあらば……!」


「フン、早まったな……!」


 話は纏まったように思えたが、勝ち誇った声を上げたのはヤロヴクトルだった。

 声だけではなく、その表情までもが、既に勝利を確信した笑みで歪んでいる。


「予め言っておくが、俺の『恩寵』は与えんからな。その身ひとつで、この迷宮を踏破しなければならない!」


「構わんよ。丁度良いハンデだろう。なぁ、レヴィン?」


「え……、あー、そう……でしょうかね?」


「お前はユーカードなんだ。それぐらい出来なくてどうする」


「それ、本当にユーカード関係あります?」


 思わず疑義を呈したレヴィンだったが、これには言葉ではなく、アヴェリンからの張り手で返ってきた。


「当然、出来ると断言できずにどうする。お前は一体、何度言われたら学習するのだ。やれと言われたら、――やれ」


「は、はいっ! 無論、大神レジスクラディス様のご好意と、ご期待には背きません!」


「良い返事だなぁ、小僧……」


 これは他の誰でもなく、ヤロヴクトルから声が掛かった。

 にんまりと笑った表情が、何を考えているか分からず怖い。


「何処で冒険者やって来たか知らないが、人間がそう簡単に踏破できる迷宮だと思うなよ。ここには凡そ二百年程に及ぶ、俺の叡智と改善が詰まってる。……そう簡単に行くとは思わんことだ」


「無論です、舐めて掛かっている訳じゃありません」


「くくく、良いじゃないか。久々に燃えるドラマが期待できそうだ。……とはいえ、ここは獣人族の国だ。そのナリは目立つし、要らぬ諍いを生む。まず、それをどうにかしろ」


 ミレイユは少し考える素振りを見せてから、ユミルに顔を向けた。


「確か、偽装用の指輪があったよな?」


「あるわよ。匂いまでは誤魔化せないけど、姿形まで、触っても判別できないレベルで偽装できる指輪がある。後でレヴィン達に渡しておくわね」


「そうしてくれ。……さて、これで問題解決だな?」


「いや、既に解決してる気分でいるな。まだ始まってすらないだろ」


「あぁ、まぁ……そうだな」


 ミレイユが曖昧に返事すると、今度はレヴィン達でなく、ヤロヴクトルはミレイユに挑戦的な笑みを向けた。


「お前も他人事みたいな顔してるな。修復を手伝うって言ったよな? それが終わらないと、始まりすらしないんだ。きっちり働け」


「まぁ……、それもそうだった」


 心なしか肩を落とし、ミレイユは返事をする。

 シビリーは一度顔を上げて改めて平伏すると、ミレイユを奥の扉に案内し始めた。

 ヤロヴクトルは脚から伸びるロープを引っ張られ、簀巻きのまま連れて行かれ、抗議の度に何度も頭を打っていた。


 猛烈な抗議が飛ぶものの、それら全て無視され、一度も聞き入れられず奥の扉に姿が消えて行き――。

 そして、レヴィン達は転移で地上に戻される事となった。

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