魔王、謁見、再出発 その2
『お前、主神たる俺に向かって、馬鹿と言ったな!? 後悔することになるぞ!』
『あら、そうですか。なら私は、
『ハァーッ、馬鹿にするな! 今も我が権能の支配下にあると分からんか! 『刑罰』で縛り付けることも出来るのだぞ!』
『どの道、自分の首を締めるだけって、何より自分が良く分かっているのでは? 迷宮の管理はどうします。細かな調整、トラブルに関する諸々の対処は? 今後は全部、ご自分でやる事ですね!』
声の主はヤロヴクトルと、その神使だと当たりは付いた。
そして、どうやら今回の件を皮切りに、今まで溜め込んでいた鬱憤が爆発したようだ。
『ぬぁっ!? お、お前、それは卑怯だろう……。たった一人抜けただけで、汎ゆる運営が不可能になるぞ。困るのは俺だけじゃない、探索者だって同じだ!』
『知った事ですか! 土台、たった三人の神使で、百階層の全てを管理することが無茶なんですよ! ストレスでハゲ散らかす前に、こんな所辞めてやりますからね!』
『――待て、待て待て! 神使を増やせないのは俺のせいじゃない! お前に出て行かれては困る! 今なら厳罰は簡便してやるから!』
『知りませんよ、知りませんからね!
女性の声は吐き捨てる様に言って、どうやらその場から離れようとしたらしい。
踵を叩きつける音と共に、足音が遠ざかろうとした。
『待て、行くな! 行くんじゃない! 許さんぞ、許さんからな! 勝手に神使を辞めるなど!』
『ちょっと! 足首掴まないで下さいよ! 離せ、離せこの! くぬっ! くぬ、くぬっ!』
『うぬぁぁぁ!? やめっ、やめろ! 主神を足蹴にするのか、お前! 何たる不敬だ!』
何と形容して良いものか。
レヴィンもすっかり呆れ果て、うだつの上がらないヤロヴクトルに溜め息をついた。
最初のイメージとは既に大きくかけ離れ、神使にすら舐められる情けない神、という現実が顕になった。
尊大でぞんざいな態度も、ミレイユに気を向けるからこそやった行動だと分かったが、それにしても致命的な間違いを犯していた。
自分の欲望に忠実なのは良いとして、ここまで情けない神が、果たして未だかつて居ただろうか。
聞いているレヴィンの方が、居た堪れなくなっていた。
『ツクィ、バヤリ、貴方達も手伝いなさい! この愚神を簀巻きにしてやるのです!』
『おい、おい馬鹿、やめろ! 許さん、許さんぞ、コラァ!』
『あの煩い口を閉じさせなさい! その辺の雑巾、あいつの口に突っ込んで!』
『――あっ! シビリー様! ヤバ! これ……これ音声、流れちゃってます! 多分、全層に向けて!』
『はぁ!? 何でそんな事――あぁ、普段滅多に触らないから……。やり方も分からないのに適当するから間違えたんだわ、この愚神が!』
ボグッ、と何か硬い物を蹴る音と、微かなうめき声が流れてくる。
『――とにかく、早く切って!』
ぷつん、と音がして、それきり声が聞こえなくなった。
沈黙が数秒続き、誰ともなしに目配せする。
流石のユミルも、この事態には開いた口が塞がらず、唖然としていた。
「なに……この……、なに?」
「どうやらアレがヤロヴクトルの素で、そして今まで見せていた態度も、虚勢すら全て演技だった。……そういう事らしいな」
「神使との関係も、何ていうか……上下関係、変わっちゃってるじゃない。どうなの、あれ?」
「どういう関係を築こうと、それは自由だから良いとして……。とはいえ、情けない神には違いない。趣味に全力を傾け過ぎたな……」
ミレイユが見せていた怒りは、最早完全に消え失せていた。
あの様な醜態を見せられていたら、それも当然だろう。
レヴィンとしては、荒ぶる神の傍には一秒たりともいたくないので、その醜態に感謝したい所ではあった。
「ミレイユ様、趣味に傾け過ぎた、とは……?」
「うん? ……あぁ、本来、神と神使の間には、隔絶した力の差があるものだ。元はただの人間――ここでは獣人だな。ともかく、その強さは本人の才覚にしか寄らないから。情ない醜態など、曝し様がないわけだが……」
そう言って、考え込むように顎を下げ、それから腕を組んで溜め息をついた。
「ヤロヴクトルはその神力と権能を用い、この巨大迷宮を作り上げた。己に多くの枷を嵌め、常に神力を放出して維持している。自分が見たいものを見る為だ」
「見たいもの……。と申しますと?」
「ドラマだよ。冒険譚と言い換えても良い。巨大な地下迷宮に挑む探索者、時に才能で、時に不断の努力で、最下層を目指すその姿を見たいんだ」
「つまり……、娯楽? 貴族が芝居や観劇を楽しむが如く、ヤロヴクトル様は難題に挑戦するその雄姿を楽しんでいる、と……?」
ミレイユはうっそりと頷いて、再び重たい息を吐いてから、腕組を解いた。
「本来の意図として作られた迷宮は、もう少し違う理由だと、前に話したろう?」
「え、えぇ……。争いをやめない獣人族を、外敵の出現と褒美という餌で釣り上げ、やめさせたのだと……」
「そうだな。しかし、その目的も彼らの欲を目の当たりにするにつけ、魅了されていった訳だ。我欲ではなく、ある目的の為に踏破しようとした者……。しかし、力及ばず道半ばで死亡した。――そうしたドラマにな」
「酷い様な気がしますが、そこは冒険者も同様ですか……。己の身一つで金と名誉を。その道に進んだのが自分の意思なら、全ては自己責任、と……」
所謂、自然の脅威とも言える魔物や魔獣と、自ら罠を配置する迷宮とでは、若干意味合いが違う。
しかし、迷宮には罠があって当然、そして幾多の魔物が棲息している前提で、探索者は最下層へ挑むのだ。
誰に強制されるものでもないので、それについては同様と言える。
「そして、よりドラマ性を追求した結果が、『恩寵』を使った攻略だ。戦略性の幅が広がり、そして死亡例も激減した。より有望な者が生き残り、大いなるドラマを期待出来るようになった」
「見たいのは、努力の果てに待ち受ける無惨な死ではなく、あくまでドラマ性の部分なんですね。それで死亡例が減ったなら、神の優しさとも言えそうですが……」
「しかし、そんな事をしているから、神としては随分と弱くなってしまった。神使に叛乱を許すなど、本来有り得ない」
「何か、足蹴にされてたっぽいですが……」
しかも神の方から、神使の脚に縋り付いていた様に聞こえた。
ミレイユとその神使を、近くで見ているレヴィンだからこそ、その様な光景は全く想像できなかった。
「まぁ、いずれにしろ……。今更、真面目に迷宮攻略もない。――ルチア、最下層まで直下に探索者は居ないか」
「……いませんね。これより先は、相当
「ならば良い。さっさと対面を済ませてしまおう」
宣言通り、ミレイユは再び魔力を制御し、力の奔流を真下へ放った。
同じ様に出来上がった穴へ次々飛び降り、そしてレヴィン達もまた、心の準備が終わる前より早く、念動力で連れされる。
一瞬だけ見える階層と、黒の断面が交互に映し出され、それが二十回繰り返されると、やんわりと着地した。
最終階層は、ただ広い空間で、地面は鈍色に光る灰色の円形、壁は黒と余りに飾り気がない。
地面には円周状に、亀裂にも似た紋様が描かれていて、見るべきものがあるとしたら、それぐらいしかなかった。
そして、ミレイユの到着と同じくして、黒の壁……その一部が開かれる。
そこには神使と思しき獣人が三人と、猿轡をされ簀巻きにされたヤロヴクトルがやって来た。
ずるずると地面に引き摺られ、暴れようにも芋虫の動きしか出来ない姿は、いっそ憐れですらある。
神使三人はミレイユ達の前までやって来ると、ぞんざいな手付きでヤロヴクトルを投げ、自らはその場に平伏する。
一人を先頭に、残り二人を後ろに置いた、三角形の配置だった。
「急なご来臨に際し、相応しい出迎えも出来ず、大変申し訳ありません。ここに主神ヤロヴクトルをお連れ致しました。如何様にも、お好きになさって下さい」
「むー、むぐー……ッ!」
ヤロヴクトルは口が塞がっているので、くぐもった声しか聞こえない。
ならばと、身体を上下に振って抗議を顕にしていたが、それに対し誰も文句を言おうとしなかった。
ミレイユは眉間に皺を寄せながら一つ頷き、先頭の神使に話し掛けた。
外見から犬人族と思われる女性の神使は、更に頭を低くし応答する。
「ヤロヴクトルには、苦労させられている様だな」
「それはもう……! あ、いえ、苦労はありますが、神に仕える喜びを日々、噛み締めている所です」
最初の第一声こそ本音なのだろうが、ミレイユも余り野暮な追求はしない。
顎先を小さく動かし、今も睨み付ける様にして見てくるヤロヴクトルの、拘束を解くよう命じた。
「まず、その口のやつからな」
「……宜しいのですか? 喧しくなりますが」
「しかし、そうでなくては話も出来ない」
「然様でございますが……」
神使は迷い、更に迷って、苦渋の決断をするように唇を噛む。
それから眉間に深い皺を刻みながら、汚物へ触れる手つきで、猿轡へと手を伸ばした。
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