反撃の狼煙 その7

 レヴィン達は騎士達と共に扉を出て、二手に別れる。

 一方は女官の救出、もう一方のレヴィン達は、ルヴァイルの救出だった。


 ルヴァイルが行動したのなら、それはつまり実時間のミレイユが『孔』に呑まれた事を意味する。

 そして、アルケスの従者が何をするつもりか不明な以上、最悪を想定して急ぐしかなかった。


 レヴィン達は神処の石床を踏み抜いて抉りながら、一直線に至聖処へと疾走る。

 そうして辿り着いた時には、ルヴァイルが例の従者に襲われ、その攻撃を防いでいる所だった。


「――ルヴァイル様!」


「何だよおい……次から次へと……、厄介事が舞い込んで来るな……」


 従者はその手に剣を持ち、ルヴァイルへ斬り掛かったままの体勢で止まっていた。

 ルヴァイルの手の中には、ミレイユから渡された神器があり、そしてその『守護』が完全に敵の攻撃から身を守っていた。


 従者の顔色は依然として悪く、その表情までが暗い。

 無感情で機微を読み取れず、その酷い声音からも不気味さが際立っていた。


「こんなモノがあるなんて、聞かされてないけどな……。弱い神と聞いてたのに……」


 愚痴めいたものを零す間にも、従者は何度もルヴァイルを斬り付ける。

 しかし、その全てが寸前で弾かれ、その度に剣が跳ねた。


「その上、邪魔な乱入者か……。そうだと、もっと手段を選ばずいれたのに……。失敗したな……」


 従者はそこで初めて、レヴィン達へ目を向ける。

 そうして正面から見ると、改めて酷い顔色だと分かった。


 目の下には隈があり、唇も紫色で、肌艶も悪い。

 不健康そのもので間違いないのに、剣の振りは素早く力強かった。


 人の範疇にないのは、そこからも明らかだった。

 レヴィンは最大限、注意しながら男に誰何する。


「何者だ……、アルケスの好きにはさせないぞ!」


「あぁー……、アレの事なんぞどうでも良いが……。名前は……、何だっけか。ダモン……、ガモン? そんな名前だ……、あぁ……多分ダモンだと思うが」


 不思議な事に、従者は自分の名前さえ定かでない様子で、しかもそこに嘘は見られなかった。

 彼は本当に自分の名前に興味がなく、しかもそれを不満に思っている様子がない。

 だが、それより気になるのは、ダモンが口にしたアルケスに関する事だった。


「アルケスの従者、じゃないのか……?」


「何で俺がアイツに顎で使われないといけないんだ? アイツのする事なす事なんか、俺が知った事かよ」


「じゃあ、何故アイツの言うことを聞く?」


「アイツの為じゃないからだ。俺はアルケスの言うことを聞かなければならないだけで、アイツが何するつもりなんか、心底どうでもいい」


 言ってる事に筋が通っているように見えて、果たして自分で何を言っているか、それを理解してるのか疑問に見えた。

 何しろ、このダモンは視線が宙を彷徨っていて、常に定まっていない。


 時折かくり、と頭が落ちる時もあり、まるで夢遊病患者のようだ。

 夢か現か、それを認識していないと言われたら、信じてしまいそうな不安定さがある。


「アルケスの背後に、何者かがいる話は聞いてたが……。つまり、お前の主はそいつな訳か……」


 ダモンはこれに応えない。

 剣を振るって何度もルヴァイルを斬り付けるが、無駄だと分かっていても同じ動きを繰り返し続ける。

 接触するより前に弾かれて、その度に力を籠め直したりと工夫らしいものは見えるが、やはり何をやっても無駄に終わった。


「面倒くせぇな……。やる事やらせたら、始末しなきゃならねぇのに……。あぁ、そうだ……。やらなきゃならねぇ……。どうしたらいい? 女官を連れてくるか? 目の前ではらわた引き裂いて脅せば、少しは考えも改めるか?」


 ダモンはぶつぶつと呟いて、自分の思考に没頭する。

 首を垂れ下げ、足元を見ているのか臍を見ているのか、分からない有り様だ。

 しかし、頭を揺らして考えているのも束の間、唐突に顔を上げて一人で頷く。


「ああ、そうだな……。やっぱり、そうするのがいい。情に厚い甘ちゃんなんだ、そうだよ。切り捨てられねぇんだ、こいつは……!」


 ダモンの視線は、ルヴァイルを一点に見つめている。

 レヴィンはルヴァイルの為人を良く知らないが、どうやらダモンには、それを確信と捉える根拠があるらしい。


 それは全くの妄想かもしれないが、女官を拷問すると聞かされて、素直に通してやる程、レヴィン達も甘くない。

 カタナを構えつつ、後ろの仲間に声を掛けた。


「奴を通すな。そして、可能ならここで仕留める」


「……だな。外の淵魔……いや、今はもう侵入されているかもしれんが、そっちの片付けもあるしよ」


 レヴィンの横にヨエルが立って大剣を掲げる。

 そこにアイナから支援の理術が掛けられ、ロヴィーサは二人の陰となる位置で短剣を構えた。


「お前ら、邪魔するのか……」


「見て分かるだろ。通す理由が一つでもあるか?」


「……ん、あー……、これ本気か。本気だな。逃げても駄目だな、追い縋ってくる。ここで仕留めなきゃならねぇのか、面倒くせぇ……」


「なに……?」


 レヴィンは怪訝に眉を顰める。

 ダモンが言っているのは正解だ。

 そして、正確でもある。


 仮に隙を作るだけの攻撃を繰り出し、横をすり抜けて行こうとも、レヴィン達は必ず追い縋り、ダモンを仕留めようとするだろう。

 それは間違いないのだが、ひと目見ただけの相手を、そこまで正確に見抜けるものだろうか。


「コイツ……、まるで見てきた様に言いやがる。精々、気を付けなきゃならんな、若。こいつの観察眼は、ちょっとしたモンだ」


「……そうだな。あるいは妄想と区別が付かなくなっているんだとしても、言った事に間違いはない。気を引き締めるべきだ」


 互いに前だけを見て言い合って、次に頷き合うのと同時に床を蹴る。

 その瞬発力で床が抉れ、一種にしてダモンへ肉薄した。


「あー……」


 相変わらず、ダモンはどこを見ているか分からない動きをしていた。

 ただ、レヴィン達を見ていないのは明らかで、遥か遠方へ目を向けている。


「取った……!」


「ンなぁ……!?」


 だというのに、ダモンはあっさりとレヴィン達の攻撃を躱した。

 視界が広いというだけでは説明が付かず、鞭のようにしなる動きで右へ左へと斬撃から逃げた。


 その返す動きで反撃があり、レヴィンはそれをカタナの峰で受ける。

 すると、凄まじい衝撃があって、その身体を大きく吹き飛ばされた。


「何って、力だ……!」


 元より人間とは思っていなかった相手だ。

 淵魔らしい特徴が見えないとは言え、アルケスが連れてた手勢だ。

 ルヴァイルを攻撃していた時から、その膂力は尋常じゃないと気付いていたのだが、それが更に予想以上で驚かされたのだ。


「こいつ、どういう奴なんだ……! 新種の淵魔か……ッ!?」


 吹き飛ばされても、床を蹴って即座の反撃に移る。

 その間もヨエルが猛攻を加えていたが、有効打は何一つ入っていない。


「どうなってんだ、コイツ……!?」


 攻撃を受けることなく、その全て躱している。

 それが何より異常に尽きた。

 常に距離を取って安全圏を確保しているならまだしも、ヨエルが得意とする、ヨエルの距離だ。


 大剣を振り回すのに有利な距離で、そして、だからこそ攻撃の種類も多彩だ。

 斬る、突く、払うは当たり前。

 それが幾つもの連携と共に繰り出される。

 相手の得意距離で常に躱し続けるのは、本来は有り得ないことなのだ。


 ――しかも。


「ハァァァッ!」


 そこにレヴィンが加わっても尚、涼しい顔つきで躱し、受け流し、防御する。

 その上、ダモンは相変わらずレヴィン達を見ていない。

 どこか遠くに目を向けていて、剣筋を追っている訳でも、ましてレヴィン達の筋肉の動きを見て、一切を見切っている訳でもなかった。


「何で躱せるんだ、コイツ! クソッ!」


「魔術を使用している痕跡は!?」


 あり得る一番の原因は幻術だ。

 いつかユミルがそうした様に、実は本体が別の位置にいて、レヴィン達は全く見当違いの所を攻撃している、というパターンだ。


 しかし、それは即座のアイナの声によって否定された。


「――違います! 一切の魔術的反応が検知されません! そこにいるのは確実です!」


 そして実際、幻術ならば躱し続けられるものでもなかった。

 どこかで剣筋が当り、齟齬を感じて目の前に居るのが幻だ、と気付けただろう。


 しかし、ダモンにそうした違和感や齟齬はなかった。

 現実を疑う光景を見させられ、別の要因を探さずにはいられない。


「グッ、ちぃ……っ!」


 その上、反撃が余りに的確だった。

 斬撃と斬撃の隙間、連携と連携の狭間、そうした所にするりと攻撃が返ってくる。


 傷は即座にアイナが癒やしてくれるが、攻撃の糸口が掴めず、焦りばかりが募った。


「何を、どうしたら……!」


 その上、正面からレヴィンとヨエルの攻撃を躱しつつ、背後から襲うロヴィーサの攻撃すら躱している。

 まるで背後に目があるようで、死角というものが存在しなかった。


「コイツ、本当に目が後ろにもあるんじゃねぇだろうな……!?」


「目が少し多いぐらいじゃ、攻撃を躱せる理由にはならない……と思うが!」


 三人の猛攻は全く歯が立たず、アヴェリンとの特訓で付いた自信も喪失しかけていた。

 ――所詮、この程度のものだったのか?


 レヴィンの心に暗い影が差した時、ダモンの攻撃がヨエルに命中する。

 肩から胸まで大きく斬り裂かれ、ヨエルは思わずたたらを踏んだ。


「くそっ、ヨエル!? ――抑えておくから、今の内に!」


「すまねぇ……!」


 血が胸元から溢れ、足まで濡らしている状態だった。

 レヴィンはヨエルを背中で隠して前に出て、今まで以上の斬撃を繰り返した。


 虚実入り交じった攻撃に加え、ロヴィーサと挟み撃ちで仕掛けている状況だ。

 それでもダモンには、一切の攻撃が通らない。

 視線も相変わらず遠くを向いたまま、一度もレヴィン達を見ようとしないのに、捉える事は出来なかった。


「く……っ、ぐぅ……!」


 外部から見れば、レヴィン達が一方的に押している様に見えるだろう。

 しかし、ダモンは攻撃をしないのではない。

 するべきタイミングを図っているだけであり、そして僅かな隙を見つけたら、決してそれを逃したりしないのだ。


「チィ……っ! 離れろ、ロヴィーサ!」


 その一言と同時に飛び退くのと、ダモンの剣筋が空を切ったのは同時だった。

 ロヴィーサはレヴィンの指示通り、距離を取ったまま近付こうとしない。

 そして、それはレヴィンも同様だった。


「体術や技術の問題じゃない。もっと何か……魔術的仕掛けがある筈だ。それを見つけなければ、俺達は勝てない……!」

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