反撃の狼煙 その6

 ミレイユ達が素早く離脱する間に、上空からは一体の竜が急接近していた。

 よく見慣れた形であるのに加え、このタイミングで登場するとなれば、それは一つしか候補がない。


「……ルチアだな」


「ですね、私です。……そうそう、何故ある筈の『虫食い』が消えてるのか、不思議に思ってしばらく旋回していたのを覚えています」


 言葉を交わしながらも足を動かし、距離を取るのを怠ってはいない。

 そして、周囲は丈の長い草が敷き詰められているので、移動には注意が必要だった。


 動けばそれだけ草を揺らしてしまう事になり、上空にルチアが居るとなれば、これに気付く可能性がある。

 だから、動きも最小限にしなければならず、今の移動は緩慢なものだった。


 ルチアが言った通り、上空では竜が旋回し続けており、中々この空域から離れようとしない。

 困惑だけでなく、ここで何が起こったのか、見定めようとしているのだ。


「――あ、そうそう。いま思い出しました。草むらに何か不自然な影を感じて、しばらく見つめていたんです」


「全員、止まれ!」


 ミレイユの号令で、ピタリとその場で動きを止めた。

 幻術は無意識下に強く働き掛ける魔術なので、そこに何かいる、という強い疑念を向けられると看破されてしまう。


「……ゆっくりと、身を屈めて草の丈より、体勢を低く……」


 だが、小さな疑念だけで看破される程、ユミルの幻術は低レベルでもなかった。

 そして、状況的に人がいるとは思ってない筈で、ルチアといえど看破は簡単でない筈だ。


 ミレイユは上空を警戒しながら小声になって、草葉の間からルチアに問い詰める。


「不審な影と言うが、それが何かまでは分からなかったんだよな?」


「勿論です。そうだったら、もっと前の段階で大事になってますよ。ただ……」


「……ただ?」


 嫌な予感がして語気も荒く問い質すと、ルチアは視線を横に反らして半笑いを見せた。


「ためしにちょっと、氷結魔術をぽん、ぽん、と……。何か居るなら、炙り出して見ようと思いまして……」


「おい……」


「大丈夫ですよ、気付かなかったんですから。きっと当たらなかったんでしょう」


 そして、ルチアが言った通り、上空から氷の旋風が周囲を舐めた。

 次々と降り注いでは、周囲を霜で凍り付かせていく。

 そうしてこの一帯は完全に凍り付き、青々と茂っていた草原は見る影もなくなった。


 完全に氷雪と極寒の世界へ変貌しており、一部の草は風に煽られ、砕けるものまである。

 ミレイユは達も当然、その範囲に巻き込まれており、しっかり氷漬けになっていた。

 

「どこが、ぽん、ぽん、なんだ……? 明らかに広範囲の上級魔術をドン、ドンって感じだったろうが」


「いや、まぁ……、そこはちょっとしたニュアンスの違いじゃないですか。些細な行き違いですよ」


 高い魔力耐性を持つミレイユでさえ、頭部から肩に掛けてうっすらと霜が積もっている。

 そして、当のルチアも睫毛までしっかり凍っていて、ユミルやアヴェリンなども似たような顛末だった。


「ちょっと……、目を閉じてたら開けられなくなったんだけど……!」


「私は多分、耳が壊死してるな。感覚がない」


 それでも一切動きを見せなかったのは、流石という他なかった。

 これが例えばレヴィン達なら、完全に凍り付くのを余儀なくされていたろうし、そうなる前に逃げ出そうとするか、防護術を展開して身を守っていた。


 隠れ続ける事を選んで、死を受け入れる意味などない。

 だからこその炙り出しだったのだろうし、そこで一切の動きを見せなかったのだから、ルチアの記憶には何も残らなかった、という事なのだろう。


「――あ、ほら、竜が飛び立っていきますよ。『虫食い』が無いとなれば、素早く次の行動に移す辺り、流石の判断力って感じですよね」


「話の逸らし方が下手すぎでしょ。大体、流石でも何でも無いし! もう飛び立った……てんなら、さっさと治癒してくれるのを期待してるんだけど?」


「あぁ、はい。そうですね、そうでした」


 既に空の彼方へ消え去った竜を見送り、ルチアは二人に治癒術を掛けていく。

 一流を通り越す優れた氷結魔術師のルチアだが、治癒術に掛けても超が付く程の一流だ。


 二人の傷はあっという間に癒え、ミレイユは頭と肩に積もった霜を手で払う。

 そうして草の陰から立ち上がると、全員を見回して言った。


「さて、ここからだ。ルチアが現場に辿り着く頃には、アルケスも行動を開始するだろう。そして程なく私も――この時間のミレイユも到着する。『孔』を開かれた時が、作戦開始の合図だ」


「承知しました。では、期を見て反撃と参りましょう」


 アヴェリンが不敵な笑みを浮かべて、ミレイユもまた口の端に笑みを浮かべた。


「……あぁ。しかし、ルヴァイルとインギェムに淵魔が貼り付いているのは、知っての通りだ。まずは、そちらを解決してからだな。――任せるぞ」


「勿論です、そちらについてもお任せ下さい」


 やはり不敵に頷いて、アヴェリンは武器と盾を構えて見せた。



  ※※※



 レヴィン達は予定されていた三日後まで、辛抱強く待機していた。

 騎士達はしきりに行動したがっていて、これを宥めるのは相当な苦労だったが、彼らの気持ちはレヴィンも痛いほど分かる。


 もしもミレイユが監禁されていたら、レヴィンとて全てを投げ出して助けに行くのを躊躇わなかっただろう。

 神にとって飲食は必須ではなく、ただ舌を楽しませるものと知っていても、何一つ許されず自由を奪われていると知れば、不憫で涙を流すに違いない。


 だが、それを痛感していても、神殿騎士達の勇み足を許す訳にはいかなかった。

 全ては計画上の出来事でしかないのだ。


 騎士達に知る術はないが、これはルヴァイルも納得ずくのことで、恐らくこれに近い事が起こると知っていた。

 しかし、約束の三日が訪れたとなれば、いよいよ騎士達の抑えも利かなくなろうとしていた。


 我慢を重ねていられたのは、外部の助け――大神レジスクラディスの助けがあると、希望を抱いていたからだ。

 だが、それも過ぎれば、暴走は免れなかった。


「俺は行くぞ……! もう、我慢ならん……!」


 騎士の一人が立ち上がろうとして、レヴィンはその膝を抑えつけて首を振る。

 しかし、これは既に再三、行われた遣り取りでもあり、そして最早止められる段階ではなかった。


 レヴィンもとうとう、覚悟を決めなくてはならない、と悟る。


「……分かった、やろう」


「おぉ……!」


 騎士達の間で、興奮が静かに広がる。


「だが、約束してくれ。大事なのは人質……つまり、女官達だ。ルヴァイル様をお救いしたい気持ちは分かるが、それで女官を見殺しにしたら……」


「うむ、ルヴァイル様は決して我らをお許しになるまい」


「だから、手順が大事だ。まず、目の前の――」


 そう言って、レヴィンは環視する淵魔に、視線だけを向ける。


「アイツをやる。それは俺が引き受けよう。それと同時に、扉を抜けて女官たちを救出する。隣の部屋だ、そこまでは難しくない」


「そうだな、隠密理に行けるのはそこまでか」


「淵魔を一体損なったのは、奴に伝達される可能性も考慮しておく必要がある」


「奴……、今もルヴァイル様を見張っているアレか」


 レヴィンはうっそりと頷いた。

 人の形をしているが、果たして人として考えて良いものだろうか。

 一切の飲食をなしに、そして疲れすら知らずにルヴァイルを環視している奴だ。


 人型の淵魔は存在するが、あそこまで人らしい淵魔を、レヴィンですら見た事がない。

 よほど上手く淵魔に喰わせたのか、或いは何か仕掛けがあると考えるべきだった。


無垢サクリスなら、お前たちでも倒せる。だが、何かを喰らって吸収した淵魔は酷く手強い。そして、手傷の一つ、血の一滴すら奴らを強化する材料になると、知っておいた方が良い……」


「なるほど、手傷だな……。ならば、傷を受けたらまず治癒する方が先決か」


「そうだな、それは必須だ。淵魔は怪我を負った奴、弱った相手から喰らう習性がある。血の匂いを感じて殺到するだろう。その時は、しっかり仲間を守って全員で対処するんだ」


「殺到か……、なるほど。気を付けよう」


 騎士達は互いに顔を向けて、今の言葉を胸に刻んでいるようだ。

 神に近しい所で仕える事を許されているだけあって、仲間内の絆も良好の様だった。


 これがその日限りに集められた兵だったりすると、命惜しさに逃げ出してしまう危険性があり、それこそが己を死に追いやる行動だと知らない。

 しかし、この神殿騎士達に、その心配は必要なさそうだ。


「人の背格好を保っているアイツは、正直異常だ。相当な強個体だと思う。あんた達の手には、正直余るだろう」


「俄には信じ難いが……」


「今は信じて貰うしかない。全員で生還して、この危機を乗り越える方が大事だ。……そうだろう?」


「そうだな、それは間違いない」


 騎士が実直に頷くのを見て、レヴィンも自信に満ちた首肯を見せる。


「だったら、俺を信じてくれ。奴の相手は俺達がする。お前達は無垢サクリスを。神殿の外にいる奴らも、雪崩込んで来るかもしれない」


「それは……拙いな。上手く通路を塞いで、バリケードなど用意せねば……」


「そういうのも含め、俺には何処から何を持って来るか、どこにバリケードを築くべきか分からないから、そっちに任せたい。適材適所だ」


「やむを得ないか……。是非とも、我が剣の一振りを食らわせてやりたかったが……」


「それはこっちに任せてくれ。済まないが、堪えて欲しい」


 レヴィンがそう言って詫びた、その時だった。

 至聖処の方から、何か大きな力が鳴動したのを、壁や床から伝わった。

 騎士長と顔を見合わせ、次いで扉の外を睨む。


「始まった……? だったら、今が正に好機だ」


「よし、行くぞ! 皆の者、立ち上がれ!」


 騎士長が剣を振り上げたのと同時、レヴィンが一足飛びに淵魔へ接近、二つに斬った。

 その時には既に、騎士長は他の騎士を連れて出口の扉に殺到している。


 レヴィンも仲間三人に目を向け、合図を送り合うと至聖処へと急いだ。

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