反撃の狼煙 その5

 ミレイユ達が辿り着いた所定の場所は、遠くに山岳をのぞめる小高い丘だった。

 周囲には丈の長い草原が広がっていて、それ以外には荒涼とした大地以外に何も無い。


 近くには町どころか民家すらなく、人の生活圏に入っている様子もなかった。

 もう少し山岳方向に向かっていけば鉱山町が見えてくるが、交通の便の問題もあって、こちら側を通る人間はまずいない。


 山を挟んだ向こう側は活気に溢れている筈だが、この世界にとって、人の生活圏は未だに狭い。

 南東大陸は不毛の大地でもないのに、こうしてぽっかりと人が寄り付かない土地というのは珍しくなかった。


 かつて、淵魔と大規模な戦いがあったせいで、そこで多くの犠牲が出た場所でもあり、そうした土地は忌避される傾向がある。

 誰もが痛ましい死や凄惨な出来事に、蓋をしたくて仕方がないのだ。


「でもまぁ、人の寄り付かない場所ってのは、こっちにとっては好都合よね。今さら不特定多数の誰かに姿を見られたぐらいで、どうにかなるとは思わないけど……それでもね」


「確か……、『虫食い』の出現は夜になってからの筈だ。それまではしっかり休め。これからは休む暇なんてないぞ」


「然様ですね。アルケスめは勿論、淵魔の首魁……『核』にも手を伸ばせる好機たるやもしれません。そうとなれば、万端の準備をしておかなければ……!」


 アヴェリンの意気込みに各自、それぞれの応答を返し、目標の出現まで休む事になった。

 今か今かと待ちわびた瞬間でもあったが、いざその時が来たと実感すると、どうにも落ち着かない気持ちになる。


 時間が過ぎるのは緩やかで、まだ中天を指していた陽が、稜線の奥へ消えて行くまでが長かった。

 ルチアはこういう時でも、お茶の用意や携帯食の提供など、気楽に過ごせる時間を作る事に余念がなく、アヴェリンは武器や防具の最終点検に集中していた。


 ユミルは何もしていない筆頭で、草むらに寝転がっては、気楽に風の流れを感じている。

 そして、すっかり夜の帳が落ちた頃――。


 それは唐突に姿を現した。

 地面の一点が腐るように変色し、その水分すら消え去ると、一点を中心として砂漠化していく。


 ただの砂ではない。

 全てを蝕む、灰色の砂だ。

 この砂の中では、汎ゆる生物が生存できず、あらゆる植物が成長できない。


「全く……。何度見ても醜悪で、そのうえ傍迷惑な光景だコト」


「即座に手出し出来ないのが歯痒い……。一秒足りとも、侵食が進む所を見ていたくないが、実時間のミレイユに察知させるには、今は待つしかないからな……」


 かつて、この世界が原初の神に創造された時、その神力を以ってその全てが形成された。

 空、海、大地、生命……。


 汎ゆるものは、大神の創造物だった。

 だから、かつての大神であった淵魔の『核』は、世界に対して干渉が出来る。


 神性を失った今は、かつてのように主導権を握った完全支配は出来ないが、その地を腐らせ、新たな淵魔出現の地を作り出そうとする事くらいは出来る。

 しかし、尋常ではない手段で発生するからこそ、その変化に神々は敏感に察知できるのだ。


 インギェムはもぐら叩きと評したが、見つけられるだけ有利に違いなく、そして常にこの醜悪な一手を封じ続けてきた。

 そして、これまで一度も封じ損ねて来た事はない。


「ルチア、そろそろ良い頃合いだと思う。ここに『虫食い』があると、既に感じただろう。結界を張って封じ込めろ」


「お任せください」


 短く言って、ルチアは両手で杖を振りかざし、周囲を広範囲に包む結界を形成した。

 僅か数秒で、キンッ、と済んだ音を立てて完成すると、ミレイユ達はその中へ入っていく。


 この結界は、内部で起きた物理的現象を、外へ伝えない。

 外から見た場合、内部で何が起きているか分からず、ただ同じ風景が目に映るだけだ。


 例え内部で爆発が起きようと気付けない。

 そして大地を深く抉ったり、巨大な岩を破壊したり、建築物を損壊させても、結界を解くと全てが元通りに出来た。


 それはつまり、結界の内外を完全に隔離している、という意味でもあるのだが、それでも例外はある。

 それが、神力を以って破壊を巻き起こした時だ。


 どれほど強力な魔術を用いても、結界の隔離空間は解除と共に元通りになるものだが、神力だけは違う。

 そもそも全く本質を異にする力なので、この力による損壊を無かったことには出来ないのだ。


 しかし、『虫食い』は神力が関係する力で起こされる腐食なので、神力以外での排除もできない。

 結界を張らせるのは、あくまで何が起きてるか、それを知らせない為の手段でしかなかった。


「――行くぞ、手早く終わらせよう」


 ミレイユの掛け声と共に、結界内へと侵入する。

 『虫食い』の浸食は決して早いものでなく、最初は民家を丸ごと包み込めるほどの大きさに成長するが、そこから先は遅々とした速度でしか拡大しない。


 だから、適切に素早く対処すれば、大地への被害もそれだけ最小限に留めることが出来るのだ。

 ミレイユが宙に浮かび上がり、神力を練り上げる。

 すると、それに呼応する様に、灰色の砂が脈動を始めた。


「いつも通り、任せて問題ないな?」


「無論です、ミレイ様。こちらは気にせず、心穏やかに『虫食い』を処理して下さい」


 アヴェリンが盾を構え、愛用のメイスを下に向ける。

 『虫食い』は淵魔とは別種の存在で、言うなれば災害にも等しいものだが、明確に敵意を持って反撃をしてくる所が大きな違いだ。


 神力を注がれると無力化され、死滅してしまう。それに抗う為、攻撃して来るのだ。

 だからこの場合の神使の役目は、常に注意を引き、神が万全に力を振るえるよう、矢面に立つ事だった。


「とはいえ、今回は早期発見、早期対処だ。そう苦戦する事はないだろう」


「然様ですね。これほど楽な対処は、これまでなかったかもしれません」


 アヴェリンが薄く笑って、灰色の砂を見やった。

 砂はその体積の分だけ形を変え、攻撃も多彩になるものだ。

 だから、発見が遅れる程――あるいは、辿り着くまで時間が掛かる程、厄介な敵となり得る。


 しかし、普段は何かと分散しがちな神使が、ここには三人もいた。

 これで苦戦するなど有り得なかった。


「……まぁ、適当に相手するってコトで良いのよね?」


「適当は構いませんけど、撃ち漏らしは無しでお願いしますね」


 ユミルの軽口に、ルチアは微笑でもって応える。

 そして、それが合図となった。


 灰砂は突然、弾かれた様に体積を増やすと、それが四方八方に飛び散った。

 まるで蛇の様な姿であり、あるいはミミズのようでもあった。

 それが五叉となって、アヴェリン達へと殺到する。


「フン……!」


 しかし、アヴェリン達三人に、些かの動揺もなかった。

 アヴェリンは頭の一つを盾で打ち払い、一つをメイスで粉砕する。


 ユミルは雷の魔術で貫き、ルチアは氷の魔術でやはり氷漬けにした。

 砂は形を失うと地面に落ち、そして再び元の位置へと戻っていく。


 灰砂の攻撃は受け止める事が出来るし、一時の無力化も可能だった。

 しかし、物理的、魔術的攻撃は一時の沈黙を生む事しか出来ない。


 『虫食い』は神力を注ぐことでしか、完全に消滅させられないのだ。

 だから、アヴェリン達に出来る事はミレイユの仕事が終わるまで、ひたすら戦い続ける事だけだった。


「けど、質量がそれ程じゃないから、まぁ楽なモンね」


「普段は最低でも、これの倍って所ですから。対処となると、やっぱりそれなりに面倒ですけど……」


「軽口叩くのも、いい加減にしておけ。楽だからと手を抜いて良いなどと考えるな」


「それもそうですね」


 アヴェリンからの叱責に、ルチアは素直に頷いて陳謝する。

 しかし、ユミルは無視同然の構えで、ひたすら細かく雷の魔術を指先から撃ち込んでいた。


「まぁ、お前が素直に頷くとは思っておらんから、そういう態度でも気にせんが……」


「仕事はちゃんとしてるでしょ? っていうか、いつもより規模が小さいのに、三人掛かりなんだから余裕も出るってモンでしょ。苦戦するほど厄介、っていうなら別だけどさぁ……」


 そして、またもそれが引き金になったかの様だった。

 それまで五つに別れていた首が一つに纏まる。

 そうして、凄まじい横回転を始めると、円錐の様な形に姿を変えた。


「あら、これヤバい雰囲気……?」


「黙ってれば良いのに……」


 ルチアが半眼になって、非難する様に言う。

 別段、ユミルの発言があって姿を変えたとは思わないが、タイミングを考えると一言、言ってやりたい気持ちになる。


「はいはい、ゴメンなさいね。でも、こんなの先制しちゃえば済む話でしょ」


 ユミルが挑発じみた発言と共に雷撃を打ち込んだが、それは急速な回転で弾かれる。

 そのまま天から落ちるように突撃して来ると、アヴェリンが盾を構えて正面から受け止めた。


「ぐっ……! 中々……重いな」


「アヴェリンさん、少しそのままで」


 並大抵の戦士であれば、盾諸共、打ち砕かれていた一撃だった。

 それを受け止められるアヴェリンも凄まじいが、その状態のまま放置して魔力を制御し続けるルチアも大概だった。


 回転する円錐が威力を増して、アヴェリンの足が一歩下がる。

 しかし、勢いに負けてはおらず、しっかりと攻撃を受け止め続けていた。


「もう良いですよ」


 その一言と共に魔術が解き放たれる。

 それで灰砂は一瞬で凍り付き、一切の動きを止めた。


 尚も回転しようと、時折錆び付いたゼンマイに似た動きをさせたが、ルチアが魔術を重ね掛けする事で一切の動きを許さない。

 その時、頭上からミレイユの声が降って来た。


「こっちも良いぞ、終わりだ」


 それと共に結界内が白一色に染め上がる。

 ミレイユが作り出した神力の塊が、灰砂に直撃したからだった。


 後は地面が抉れた跡だけが残される。

 灰砂が全て消滅した事で生まれる空白地帯だった。


 ミレイユは即座に勝ちを確信せず、しばらくその場で静観する。

 完全に消滅した事を確認するまで、結界を解除する訳にはいかない。


 そうして、たっぷり十秒待ち、何事もないと判断してから、ルチアに命じた。


「いいぞ、解除しろ」


 それと同時に、風の流れが帰って来る。

 隔絶された空間の中では風もなく、そして音もない。


 何より結界内から外の空間は止まって見えていた。

 ――だから、それに気付くのが一瞬遅れた。


「思っていたより早い。――ユミル、幻術を。ルチア、全員に支援を。即座にここ離れて、姿を隠せ」

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