反撃の狼煙 その4

 レヴィン達は現在、神処のある一室にて、他の神殿騎士などと一緒に閉じ込められていた。

 それらを指示したのはアルケスと共に来ていた従者で、男か女かも分からぬ輩だった。


 何しろ酷い声で、手入れしていない弦楽器の様な、歪で耳に障る音をしていた。

 人とも思えない声は、根源的恐怖を呼び起こすもので、女官達はすっかり怯え切ってしまっていた。


 その女官たちも今は騎士達とは違う、別の一室にて監禁されている。


 別々の部屋に閉じ込められた後、その部屋の中を無垢サクリスが見張りとして、扉の前で待機しており、常に目を光らせている。

 生命と見れば襲わずにはいられない習性を持つ淵魔が、あぁも沈黙を保っているのは不気味で仕方がない。


 よくよく強固な『疎通』で、言うことを利かせているのだろう。

 レヴィン達は数十名になる騎士たちと同じ部屋で監禁され、今は雌伏の時と、この状況に甘んじている。


「なぁ、あんた……」


 その時、レヴィンの隣にいた神殿騎士が、控えめな声で話し掛けきた。

 レヴィンはそちらに顔を向けず、淵魔を注視しながら返答する。


「どうした?」


「あんたは、アレだ……。聞いた話によると、大神レジスクラディス様から派遣されてきた戦士なんだろう? ……つまり、凄腕の」


「まぁ、そうだな……。そういう扱いで良いと思う」


 一時は覚えのあった腕前も、アヴェリンを前に砕け散ったのは、記憶に新しい。

 しかし、自信を失わせたのがアヴェリンならば、それを取り戻させてくれたのも、またアヴェリンだった。


 迷宮を踏破できた事も自信の一助になっていて、並大抵の強者には負けないだけの自負がある。

 そして、隣の騎士は冒険者に例えれば、第一級の実力を持つと分かるが、それ故に危うい自信が見え隠れしていた。


「我々で至聖処に取り残された、ルヴァイル様をお助けしないか。主神のお言葉故、こうして黙って監禁されたが、救援は期待できないだろう。……我々で解決すべきだ」


「そうだな……、何しろルヴァイル様から宣下あって、神処には誰も近寄れない」


 アルケスは意外にも、ルヴァイルとの約束を違えなかった。

 いっそ勝手にやって来た信者なりを、淵魔に喰わせるぐらいの事はする、と思っていただけに、これにはむしろ拍子抜けの気持ちさえ浮かんだ。


 しかし、よくよく考えてみると、アルケスにとっても今は勝負どころなのだ。

 淵魔がルヴァイルの神処で暴れている、などと報告が上がれば、百年の計も水泡に帰す。


 誰も近付かず、誰も騒ぎにしない方が、むしろ彼にとっては好ましい。

 そして、だからこそ、この三日の間は本当に何事も起こらない筈だった。


 ミレイユを現世から追放するまで、大きな騒ぎを起こせない。

 無垢サクリスの淵魔が、住民を喰らって暴れ始めたら、本末転倒なのはむしろアルケスの方なのだ。


「なぁ、我々ならば、あの小さな化け物くらい、どうとでも出来るだろう。表にいる従者らしきアレは分からんが……、しかしあの場に我が主神を縛り付けておくなど……! ご不憫でならん! すぐにお助けせねば……!」


「声を抑えて……」


 無垢サクリスがこちらを向いて、じっと見つめる。

 この淵魔は実際、弱い。

 対処を間違えなければ、まず確実に倒せるだろう。


 しかし、騎士が口にした様に、表でルヴァイルを見張っている従者については、その実力が未知数だった。


 ――弱い筈がない。

 それは確かだが、強者特有の雰囲気もなく、だからレヴィンでも実力を測りかねていた。


「目の前のアレは倒せても、至聖処へ踏み込むその時が問題だ。遮蔽物は精々、高台を囲む柱くらいで、隠れて進むには全く向いてない。見つかる前提だから、踏み込むより前に女官の安全を確保する方が先決だ」


「では、まずそちらを優先でも良い。とにかくこのままでは、無駄に体力を擦り減らしていくだけだ。いずれ反撃する気力すら失ってしまうだろう。そうなる前に、行動するべきではないか?」


「その言い分には、全面的に賛成なんだけどな……」


 何しろ、レヴィン達を生かしておく理由がない。

 今はルヴァイルに言うことを聞かせる為、こうして生かされている訳だが、いざミレイユの追放が終わればお役御免となる。


 人間は三日ほどなら飲まず食わずで生きていけるが、それはただ生きていられるだけの話で、殆ど虫の息と変わらない。

 反撃するつもりがあるなら、時間を置くほど、その機会を失ってしまう事になる。


「……だが、今はまだ駄目だ。こちらにも理由があって、動くことが出来ない」


「理由……? 理由だって? そんなもの……!」


「落ち着け、声を落とせ」


 無垢サクリスは誰か一人を注目している訳でないものの、大きな音を立てると必ず顔を向ける。

 淵魔には疲労という概念がない為、こうした見張り役に打って付けで、居眠りや根負けなど期待できない相手だ。


 目立つ真似をする者は殺せ、などと命令されていたら、それが深夜の暗闇であろうと実行するだろう。

 レヴィンが隣の騎士を落ち着かせると、淵魔は即座に興味を失うまで待つ。


 息すら止めていた騎士は、淵魔が顔を逸らしたのを見て、静かに呼吸を再開して会話を再開した。


「……あの魔物モドキは、強いやつなのか?」


「あれ程度なら、そう怖くはない。まだ何も喰らってないからな。二級冒険者の上振れなら、問題なく対処できる」


「……見た目と違って、侮らない方が良さそうだな。それは分かったが、理由というのは?」


「詳しくは言えないが、俺を送り届けた時点で、こうなる状況を想定していらした。三日以内に何かしら行動を起こすだろう」


 実際は三日後であり、それ以内に行動へ移すことは有り得ない。

 しかし、騎士へ説明するには、そう言った方が暴走の歯止めにもなるだろう。


「な、なるほど……! 流石は大神レジスクラディス様、そのご慧眼には伏してお礼を申すばかりだ。しかし、三日か……。それは間違いないのか?」


「間違いない。そして、その時が来たら合図があり、俺も動く。それまで我慢してくれ」


 実際は合図などなかった。

 単に起こり得る出来事を知っているから、言える事に過ぎない。


 アルケスがロシュ大神殿に現れ、そしてミレイユを追放する時間まで、ほぼ正確に把握している。

 それに合わせて行動するだけだった。


「今は耐えろ。食糧なら用意してる。全員が満腹になれる量じゃないが、体力の低下は最低限に抑えられると思う」


「……今は耐え忍ぶ時か」


「そうだ」


「おぉ、ルヴァイル様……! 必ずや我ら騎士達が、その御身お助け申し上げます……!」


 騎士は扉の外を見つめ、腕を組んで祈り始めた。

 レヴィンはヨエルたちに目配せし、静かに食糧を配るように命じる。

 これからは長い雌伏の時が続きそうだった。



  ※※※



 ミレイユが迷宮から飛び立ったのは、レヴィン達を送り出してから二日後の事だった。

 そして、それは大神レジスクラディス担当地域の、中央大陸と南東大陸に『虫食い』が、出現する頃合いでもある。


 実時間のミレイユは、この対処で非常に忙しくさせられる事になるのだが、その一方を未来から来たミレイユが対処する事は既定路線でもある。


「インギェムの権能は便利だけど、位置バレするのが面倒なのよね。『虫食い』のすぐ近くに転移出来たら、もっと遅く行動を開始できたのにさ」


 目的地へと走りながら、ユミルが愚痴った。

 ミレイユもそれには同意見で、心の中では何度も頷いていたが、何事にもままならない事はある。


「便利の中にも、不便はあるものだ。それより、近くまで行ったらそこで隠れて『虫食い』を待つぞ」


「出現と同時に叩く、で良いんですか?」


「この時代のミレイユに感知させる必要があるから、同時では駄目だな。危機感を募らせて、ルチアを先行させるぐらいには、しかと認識させてやらないと」


 ですね、とルチアは苦笑いと共に頷いた。


「当時の事を思い出すと、連続した出現に辟易したものでした。一つの処理にも、それなりに時間使いますからね。続けて二つ目に急ごうとして結界を解除した後、その気配が消えていて驚いた、と記憶しています」


「一応、確認だけはしに行ったのか?」


「はい、それは勿論」


 こっくりと頷いては、当時を思い出して視線を上に向ける。


「ですが、きっちり処理してあったんですよ。手口が私達でやったように鮮やかで……。今こうして事実を知ると、当然と言えば当然なんですが。それでユミルさんと合流した時、何かやったか訊いたんですよね」


「そうそう、そうだったわね。当然、大神殿に張り付いてたアタシに、何か出来た筈ないんだけど……。当時のルチアやアタシに、それが分かる筈もないし」


「――では、それが最後の大詰めだな」


 ここまで随分、梃子摺てこずらされた。

 各種神々への根回しを始め、竜の使えない移動は、予想以上にストレスを与えられたものだ。


 ミレイユの動向自体は、それなりに分かっていたので苦労は少なく、あわや鉢合わせ、という場面はなかった。

 それ自体は良いことだ。


 しかし、常に監視の目があり、それを避けるよう戒め続ける生活には辟易させられていた。

 それも遂に、終わりの時が訪れる。


 そして、全てに終止符を打つ時だ。

 前大神の盛大な置き土産と、世界と大地、全ての生命を虚仮にしてくれた落とし前は、絶対に付けさせる。


 ミレイユは強く心に決心し、目的の場所へと急いだ。

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