幕間

 最果ての地……何処とも知れない孤島の奥、龍穴の中に潜んでいた『それ』は、定まった形を持たなかった。

 かつては泥の様であり、あるいはヘドロの様な不定形だった。


 しかし、今は凝固し形を変え、新たなる別の姿を形取った。

 それは大樹だった。

 地の底に生える筈のない大樹として、その姿を定めた。


 無論、それは酔狂からではない。

 目的の為に必要だと思ったからだ。

 木の根は無限に枝分かれし、広大な範囲へ広がっており……時折、それは呼吸する様に蠕動した。


 すると、そこから樹液とは違うヘドロが漏れて、小さな泥が零れ落ちる。

 悪意が形取ったものであり、汎ゆる生命を憎む化身でもあった。


 ――この世に生きとし生けるものは、全て我が為にある。

 それを信じて疑わなかったし、そうあるべきと定められていた。


 しかし、その摂理を……この世のあるべき姿を、歪めた者がいる。

 大神と僭称せんしょうし、レジスクラディスと名乗り、元は矮小な人間未満の存在が、神座を簒奪したのだ。


 世界とは、神の為にあるべきものだ。

 そうあるものと、神こそが定めた。

 それに反するのは悪であり、それに抗うのなら敵である。


 ――世界の敵たる存在を、祀り上げているとは何たる不義か。

 この世に神は一つあれば、それで良い。


 “ノーラネアンテ”……。

 それこそが最も偉大で、最も敬われるべき尊名である。

 最早遠く忘れられて久しく、この名を口にする者は既にない。


 神の姿と位は、とうに捨てた。

 だから、口にする者がいなくても、今は捨て置いても良い。

 しかし、なればこそ、また新たにこの名を歓呼を以て叫ばねばならなかった。


 ――復活の時は近い。

 今まで多くのモノを喰らってきた。

 その生命たる力を、マナたる力を、分身体に吸収させて来た。


 写し身たる分身体が生命を襲うのは、ただ憎いからではない。

 その『チカラ』を母体である、ノーラネアンテへ届ける為だ。

 汎ゆる生命を取り込み、汎ゆるマナを取り込み続ければ、かつてのように強い力を取り戻せる……筈だった。


 力を取り込んだ分身体は、死しても無駄にならない。

 泥となって腐り落ち、地面へ消えても無数に伸びた根が、その泥を本体へと届ける。


 ただ無為に消滅するのではなく、母体へ確かな利益があるのだ。

 だから、多くの生命を蹂躙し得る尖兵として、これらは使える筈でもあった。

 しかし、これらが目覚ましい結果をもたらした事は一度もない。


 ――何故か。

 大神レジスクラディスだ。

 あれが尽く邪魔をするからだった。


 ノーラネアンテは、その巨大な泥とヘドロで出来た身体を激しく揺さぶる。

 感情が高ぶり、怒りが溢れ、それに呼応して枝葉の幾つかが波打った。

 しかし、それも頭の隅にちらりと浮かんだ一つの存在を思うと、自然に引いていく。


 ――これまでは、ただ奪うだけだった。

 奪い、取り込み、糧にするだけだった。

 しかし、それとは真逆の方法を思い付いたのだ。


 分身体の特性として、喰らったモノを掛け合わせる力、というものがある。

 掛け合わせる種類や対象を選ばないのは、ある種のブレイクスルーを狙ってのものだ。


 複数の能力を掛け合わせた時、いったい何が生まれるか。

 そして、新たな発見がないか、手当たり次第に行っている為、時として矛盾も甚だしい存在が生まれることもある。


 だが、それは試行回数を増やす為に必要な措置でもあった。

 ノーラネアンテは心の奥底でほくそ笑む。


 ――奪うのではなく、与える。

 分身体が奪って来たものを、別の何かに与える。


 そうする事で、これまでにない新たな能力を獲得する個体が現れた。

 ――やはり、新たな発現は、新たな挑戦からしか生まれない。


 これまで神性を得ては逆に枷だと、取り込もうとはして来なかった。

 しかし、逆神を葬る為の起爆剤として、実は有効なのではないかと、思い直した。


 毛髪一本程度ならば、その神性を得られるほど強大な力にはならないし、神々が『虫食い』へ対処している間ならば、その一本を入手するのはさして難しい事はなかった。


 毛髪は何をしなくとも勝手に抜け落ちる。

 それを拾う機会を、辛抱強く待てば良いだけだ。

 『虫食い』は神を誘い出す為の罠であり、そして毛髪を手に入れられるまで行われる陽動でもある。


 そうして手に入ったのはルヴァイルのみだが、今はそれで十分でもあった。

 一柱では心許なく、そして神ならば他にもアルケスがいる。

 これによって新たな能力を獲得した個体を得られた。


 複数の魔物と掛け合わせ生まれた能力を抽出し、ルヴァイルの持つ神性とを掛け合わせたものを、ニンゲンに与えてみる。

 ニンゲンはこれまで、最もていの良い餌に過ぎなかったが、逆転の発想でこれを原型として新たに形成し直した。


 ――強力な手札が手に入った。

 勝てぬ相手に、正面から挑むのは愚かなこと。

 策を弄し、数を揃え、打倒できる戦力を用意する。


 力押しで突破できないのは、これまでの結果からも、よく分かっていることだ。

 ――追い詰めた、と勝利を確信させてからが本番よ。


 力ではなく、知恵で以って制するのだ。

 この世にあるべき、正しき存在が……今ある神ではなく、新たな神こそがこの世を制するに相応しい。


 ――今ある生命を一新し、“新神ノーラネアンテ”こそが頂きに立つ。

 それを可能とする新たな手駒が、今や手に入ったのだ。


 複数の魔物と神力から、特定の能力を与えられたモノ。

 それを“新人類”と名付けた。


 未だ数は少ないが、神を僭称する者共に鉄槌を下せると、新神ノーラネアンテは確信していた。

 その時、唐突に脳裏へ響く声がある。


 誰か、などと問う必要はない。

 こうして声を届けられる存在など、アルケス意外にいなかった。


「……やぁ、こちらの準備は順調だよ。そろそろ、ロシュ大神殿へ攻め込む頃合いだ。兵隊の準備は任せて良いんだろう?」


 ――龍脈が開放されているなら、訳なきこと。お前こそ抜かるなよ。


「その為に、丁寧な下準備を終わらせたじゃないか? 後は大神レジスクラディスを放逐できれば完璧だ。これで、正しい神の世が始まるのさ。……そうだろう?」


 ――そうだろうとも。

 同意の旨を伝えると、糸を切る様な音と共に声も途絶える。

 『疎通』の権能は便利なものだが、果たしてアルケスは気付いているのだろうか。


 ――何処から何処までが自分の意志か、あやつは理解しておるのか?

 互いの意識を繋げ、直接意志の疎通を図る、とは即ち影響を受けるのは相手のみとはならない。


 当然新神ノーラネアンテから、多大な意志の影響を受けている。

 そして、より強大な精神を持つ方が、その主導権を握ることになるのだ。


 ――元より野心が強く、私欲まみれの輩ではあったが……。

 それ故に、転がしやすい。

 そして、いつしか大神への逆心が、己の本心だと勘違いするようになった。


 ――最初は構って欲しいだけの、稚気にも似た思いであったろうにな。


 それが偶然、新神ノーラネアンテという地に潜む心と接触したが故、変貌してしまった。

 新神ノーラネアンテが、かつてレジスクラディスに敗れた神の成れの果てだなどと、微塵も思っていなかったに違いない。


 しかし、そこに気付くよりも早く、違和感を抱かないよう意志の調整を施した。

 後は真水に一滴の墨が混じるが如く、じわりじわりと意志の方向を変えてやればよいだけだった。


 ――あれも本望であろうよ。全力で構って貰えるのだ。裏切り者の汚名を被ったまま、果てるがよいわ。


 神と名乗る全てのモノは粛清対象だ。

 協力者、同盟者と思わせておけば、葬るのも容易い。


 ――まぁ、とはいえ、その前に死ぬであろうな。

 レジスクラディスの敵として、暗躍した時間は実に長い。

 そして、多くの手引をした張本人であることは変わらない。


 善神と謳うレジスクラディスであろうと、重罪を定めざるを得ないだろうし、行き着く先は死刑が順当だろう。

 どちらにしても、新神ノーラネアンテの思う通り、神が一柱減るのは、変わらない事実だ。


 新神ノーラネアンテは泥とヘドロの身体を揺らしてほくそ笑む。

 ――いよいよ、だ。

 ようやく、屈辱的な地に伏す時間が終わりを迎える。


 これまで秘密裏に張っていたは、誰にも気付かれていない。

 この根が隆起し、地上に姿を見せた時こそ、始まりの狼煙となるだろう。


 ――アルケスめは、その為の誘蛾灯に過ぎぬ。

 新神ノーラネアンテの真なる計画は、これまで水面下で蠢動して来た。

 アルケスの暗躍に隠れ、その動きすらレジスクラディスは知らない。


 それが大地に根を下ろし、その身体を持ち上げた時、汎ゆる意味で全てが終わり――そして始まるだろう。

 新たな神がこの世に顕現する時は、――近い。

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