第八章
反撃の狼煙 その1
迷宮都市という隔離された空間は、身を隠すのにうってつけだった。
必要な物は何でも用意できるし、居住空間に不満があれば好きに形を変えられる。
だから、迷宮の一部を完全に隔離し、その部分をミレイユのプライベート空間へと作り替えた。
アヴェリンはミレイユの為に、ユミルは自分の為にアレコレと注文を付けるので、ヤロヴクトルにはひどく煙たがられてしまったが、それも結局根負けした。
ただ、その間のミレイユも、寝て過ごしていた訳ではない。
蒸し風呂は日課としていたものの、その時間の多くは
その一つが、淵魔殺しの専門施設へと作り変える為であり、その協力を決して惜しまなかった。
だが、誰より苦労しているのは、やはりヤロヴクトルに違いなかったろう。
何しろ、見たことも聞いたこともない設備を、ここで再現しろというのだ。
更に淵魔はそれぞれ、耐久力や身体の大きさ、何に耐性を持つかも全てが違う。
処刑装置に耐えて逃げ出すなり、それで設備を攻撃されては堪らない。
そうした問題点を見つけては改善し、次々と新たな設備を作られた結果……。
七十階層から下の階は、全てが『淵魔殺し』として機能させる事になった。
当然、一階層毎にそれぞれ設備は違う。
最初の階はすり鉢状になっていて、這い上がれるようにはなっておらず……。
そして、体躯の大きさから始まって振り分けが決まり、それぞれを惨殺するに最も適した階へと運ばれていく。
理論上は――あくまでミレイユ達が知り得る淵魔の特徴から――、生きて脱出できない処刑場が完成した事になる。
決戦の日まで残り三日、突貫作業が続いたとはいえ、よく完成させられたな、というのが第一の感想だった。
「完全に時間配分、間違ってたな……。こんな事なら、もっと早くレヴィン達に迷宮をクリアさせるんだった……」
ミレイユは迷宮内に作らせた自室で、疲労に滲んだ声を漏らして椅子に座った。
アヴェリン達三人もその後を付いて来ていて、それぞれがテーブルを挟んで座る。
この部屋はミレイユの神処を模した造りになっていて、細部の違いはあっても間取りは殆ど変わらない。
だからミレイユ達も、非情に落ち着いた気持ちで寛ぐことが出来ている。
ルチアを除く全員が座ると、アヴェリンは自嘲に似た笑みを浮かべながら、ミレイユを見て相槌を打った。
「真に、然様ですね……」
「まぁねぇ……。アヴェリンとの訓練が良い糧になったからこそ、迷宮を踏破出来たとも言えるけど……。だったら、さっさとクリアさせた後に、改めて迷宮に挑戦させるってのが正解だったわよねぇ。……でもさ、いつまでも鎧戦士の正体に、気付かないレヴィン達も悪くない?」
「さぁて、それはどうでしょう?」
ルチアが困った笑顔を浮かべて、少し離れたキッチンへお茶を用意しに行った。
ミレイユはその後ろ姿を眺めながら、思案に耽る顔つきをする。
「まぁ、最初の関門がアヴェリンである必要はなかったかもな。訓練にしてもクリアしてからで良いって事にしていたら、やはり迷宮の大部分は使えなくなっていた筈で……。それでは対応力について、磨ける部分は限定的だったろう」
「そうかもしれません。私との戦いばかりでは対人戦に特化し過ぎてしまいますし、それでは魔物への対応力は落ちてしまっていたと思われます」
「淵魔は魔物的な外見をしている方が、圧倒的に多いからな……。ロシュ大神殿での防衛戦では、ある種の魔物を意図して掛け合わせ、攻城戦に特化させた淵魔が出た。そういう相手の対処が出来るようになるには、魔物との戦闘比率を増やした方が良い」
「そうね、そうだと思うわ。だから、強力な魔物をわざわざ用意したのよ。武器の上手な捌き方より、爪や尻尾へ対処できた方が有益、ってのは間違いないしね」
ユミルの発言にミレイユは重々しく頷く。
「アヴェリンの特訓が長く続きすぎたのは確かだが、だからこそ踏破できた、というのも間違いない。……そして、見事踏破した後はらを鍛えるより、迷宮工事に着手させていた可能性は高かったな」
「そうよねぇ、そうなると十分な経験はさせてやれなかったろうから……。やっぱりギリギリまで特訓させていた方が益は大きかった……と、そういう話になるのかしらね?」
ユミルがそう結論付けた時、ルチアがお茶の準備を整えて帰って来た。
それぞれの前に茶器を用意しながら、含み笑いに言う。
「ヤロヴクトル、途中から泣いてましたよ。基本的に寝たり食べたりしなくて良いのが神ですから、とりあえず二十日ほど連続で、不眠不休で労働させたのが拙かったのでしょうね」
最後の辺りの口癖が、悪魔だお前らは、になっていたのは御愛嬌だろう。
しかし、そこまでしなくては、淵魔の処刑場は完成しなかった。
必要な犠牲であり、そして神なら早々壊れないから、やってやらせた事ではある。
「まぁ、今はそれから解放されて、ようやくゆっくり出来てるみたいだし? 後で十分に労ってやれば問題ないでしょ。それより、レヴィン達の方よ」
ユミルはそう言って、片手でカップを持ちながら、もう片方の手でアヴェリンを指差す。
「この
「まぁ、少しだけは……。何処か刺さったままだった小さな棘が、外れたからだろうな。一人一人の向上はさしたるものじゃないが、連携は見られるものになって来た」
「へぇ……? やっぱりアイナの成長?」
「そうだろう。あの独り残された状況と、それを乗り越えた実感が自信に繋がったと思う。それから仲間と、心の内を話し合ったお陰もあるのか。そんなもの、当然早い内から曝しておけ、とも思うが……」
紅茶で喉を潤しながら、ルチアは仄かに笑みを浮かべる。
「誰もが好きに言葉を言える訳じゃありませんよ。胸の内に秘めてる時間が長いだけ、言葉に出せなくなることも往々にしてあるものです」
「あら、それってご自分にも心当たりがあるってコト?」
「いえいえ、一般論の話です。それに、私達だって今こそ何でも好きに言い合える仲ですけど、最初からそうだったわけじゃありませんでした。そして、レヴィン達とアイナは、出会ってまだ一年も経ってないんですよ」
「そうよねぇ……。快く思っている相手でも、一年の間に何もかも好きに言い合える仲になれるか、と言うと……。確かに難しいと思うわ」
あの四人は最初から、一定の距離まで心を近付けることが出来ていたように思う。
しかし、アイナは元より兄弟同然の三人組の中へ、一人入り込んだ形だ。
こうした場合、単に見知らぬ四人が集まるよりも、更に疎外感を感じる様になってしまう。
互いに歩み合うものはあったにしろ、一枚壁が出来てしまうのは避けられない。
特に気弱に見えるアイナだから、その壁を乗り越えるのは、並大抵の苦労でなかったのは想像に難くなかった。
「とはいえ、雨降って地固まる、でしょ。……やっぱり人間ってのは、何かを乗り越える為には壁がいるんだわ。その壁が今回の迷宮攻略と思えば、良い形に収まったんじゃないの?」
「効率ばかりを考えていたら、そうはなっていなかったろうな。そのお膳立てにしても、偶然に依る所が大きい。何もかも計算づくしで人は成長しない、という良い例だろう」
「そういうのが、ヤロヴクトルは魅せられて仕方ないんでしょうねぇ。その偶然を、高い確率で引き当てたり、目の当たりにしたいからこそ、この迷宮でしょ?」
ユミルは呆れた口調で言っているが、そこには同時に感嘆とした雰囲気も混じっている。
口では馬鹿にした事を言いつつ、その情熱の傾け方について、一目置いている様だ。
ユミルもまた紅茶を口元に運び、一口楽しんでからカップを置く。
そうして満足そうに息を吐いてから、改めて口を開いた。
「それで、いよいよ三日後……で、良いのよね?」
「そうだな……。既に手配は全て済んでいる」
その手配で大変だったのは、傷の治療や魔力の回復など、水薬の量産だろう。
決戦ともなれば大規模な軍の運用も必要で、だから当然、そした用意も必要になる。
錬金術が使えるものは全員動員され、これにはユミルだけでなく、ミレイユもまた参加して数々の調合をした。
ヤロヴクトルも疲労困憊していたが、ミレイユだって十分に疲れている。
そして、更に大変だったのは、インギェムに神器を用意させた事だ。
神器の作成には神気を用いる必要があり、そして作成した分だけ弱体化する。
それは何れ信仰という願力で取り戻せる力には違いないが、好んで弱体化したい神などいない。
オミカゲ様は七日で五つという望外な数の神器を作成したが、通常そんな事は出来ない。
いつしかインギェムも言っていた事だ。
――そんな要求されたら、喧嘩売られたのかと思うぞ。
これは冗談でも誇張でもなく、神として一般的な感性だ。
しかし、今回の作戦において、インギェムの神器があるかどうかは、大きな節目になりそうだった。
だから、ひと月という短い間で、可能な限りの神器を用意して貰った。
当然、只でさえ戦闘能力のない神が、それで弱体化してしまった訳だから、その見返りとしてミレイユ達が守護の任に就くのは当然とも言えた。
「ともかく、どういう形で戦況を支配するか、そうした話し合いも既に終わっているし……。一番に狙われるインギェムとルヴァイルには、特に念入りな話し合いを設けたから、そこまで心配はいらないだろう」
「少なくとも、アンタを――というか、アタシ達を強制転移させる所まで、生きているのは保障されてる様なモンだけどさぁ……。ホントに大丈夫なの?」
「それを踏まえての救出作戦だ。だから既に、レヴィン達には直行させてるだろ?」
そこでユミルにしては珍しく、歯切れ悪く言葉を濁し、難しそうな顔をする。
うーん、と唸る声を上げて、首を傾けた。
「そこがちょっと不安って言うかねぇ……。レヴィン達は淵魔を相手するに、これ以上なく頼りになるけどさ。でも、神を脅そうっていう淵魔が、弱いワケないじゃない? 対処可能かって思ったりするのよね」
「並大抵の淵魔では、レヴィン達とて遅れは取らん。その様に鍛え上げた」
アヴェリンは憮然として言ったが、ユミルは首を振って答えた。
「そこを疑ってるワケじゃないわよ。でも、脅し役の淵魔は、アルケスからしても作戦の要でしょ?
「む……」
「神を取り込むと、ウチのカミサマへのでっかい弱点を作るコトになるから、それはないとしてもよ? でも、弑せるだけの力を持った淵魔は用意してると思うのよ。だって、淵魔側に味方しない筆頭みたいな神でしょ、ルヴァイルって」
それはミレイユへ向ける好意一つ取っても分かる事で、更に言うと旧世界において世界を救うために、命を投げ出す覚悟を見せた神でもある。
ある程度の譲歩と脅しによって、協力を取り付けるのも簡単ではないが、成功したとしても、いつ叛意を顕にしてくるか分かったものではない。
アルケスとしては、ミレイユさえどうにか出来れば良く、そして作戦が成功したなら後は邪魔者だ。
ならば、ルヴァイルを脅すだけでなく、弑せるだけの淵魔を用意している、と考えた方が自然だった。
「だから、思うのよ。本当にレヴィン達だけで、これに対処できるのかしら……?」
「それは、確かに……」
アルケスとて十分な準備をして来ていて、弑するにはどれだけの個体を用意すべきか、入念に見定めた筈だ。
神使の助けが入るのは当然、そして偶然参拝に来ていた何者かが、異変を察知して助けに入ることも、想定に入れられているかもしれなかった。
危機的状況に際し、一致団結した時のヒトの強さは、神ならば良く知っているだろう。
ならば、その際の対処も、相応に考えられている筈だ。
「しかし、タイミング的に我々は、『虫食い』の対処に先回りする必要がある。この時間軸のミレイユが、ロシュ大神殿へ駆け付ける為には、絶対必要な措置だ」
「分かってるわ。そして、『虫食い』の対処が終わったからと、それで終わりじゃない。インギェムの救出だって要るでしょ。その後の展開の為にも、是が非でも失敗するワケにはいかないんだから。その為に、アタシ達が直接出向くんでしょ?」
特にインギェムの権能は、溢れ出る淵魔への対抗措置や、その後の戦力集中には役立って貰う予定だ。
これもまた、絶対に失えない戦力だった。
「でも、そんなのアルケスだって考えてないハズないのよね。輸送能力を奪うのは基本。だから、アルケスは強制転移の後、インギェムを弑しようと考えてるハズ。これを確実に助ける為には、アタシ達で出向くのが最善でしょう」
「それもまた、間違いないな。つまり、使える戦力の少なさ……それこそが問題か……」
特に未だこの時代において、身を隠さなければならないミレイユだからこそ、使える戦力が非常に限られていた。
そして、こればかりはどうしようもない。
その時、アヴェリンが顔を上げ、ミレイユへと真っ直ぐに視線を向けた。
「そう難しく考える必要はないかと。――私に考えがあります」
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