反撃の狼煙 その2
現在、レヴィン達は迷宮都市を離れ、ルヴァイルの神処へと身を寄せていた。
ミレイユが持つインギェムの神器によって、直通で送って貰えたので、旅疲れというものが皆無だった。
神の力とは斯くも偉大であると、再認識した程だが……。
レヴィン達の偽りない本音では、馬での移動で良いから、早い段階で出立させて欲しい、という気持ちが強かった。
運命の時まで、残り三日――。
その時になるまで、総仕上げと称するアヴェリンからの訓練は、ひと月の間、休むことなく続いた。
体術・剣術を主体にした訓練と、魔力総量を底上げする訓練が並行して行われ、身体を休める日は殆どないという日程だった。
泣いて逃げ出すという前評判は誇張でもなく、三人の誰もが受けたことを後悔した。
その中で唯一例外だったのがアイナで、苦渋に顔を歪ませる事はあっても、レヴィン達の様に涙を滲ませる程ではなかった。
そこは流石、魔力制御に重きを置いた、日本出身と褒めるべき所だろう。
「移動が便利っつーのも、良し悪しだぜ。ほんの数秒で到着するってんじゃなきゃ、俺達はあの地獄をより短く済ませれた筈だろ?」
「殆ど同意見だけど、その訓練があればこそ、俺達はアヴェリン様から一応の褒め言葉を、貰える程度には成長できたんじゃないか。……あの地獄を二度と味わいたくない、って感想には同意するが」
辟易として息を吐いたヨエルに、レヴィンも苦笑交じりの返答を返した。
今はルヴァイルの神処にて、彼の神に対面する準備が整うまで、レヴィン達は近くの部屋で待機している。
そうして言い合う二人の遣り取りを、おっとりと見守っていたアイナは、手の中で転がす指輪を見つめながら、不安そうな顔付きになる。
何を思うか見て取ったロヴィーサは、宥める様にその肩を擦った。
「大丈夫ですよ、即座にどうこう……という話にはならないでしょうから」
「そう……、だと思いますけど……。でも、不安です」
その不安は全員が共通して持つものだった。
これから神と対面するからではなく、その後に待つ懸念に対するものだ。
そして、事あらばレヴィン達は立ち向かわねばならず、またその時が起きるまでは上手くやり過ごす必要もあった。
難しい任務であるのは間違いない。
しかし、ミレイユは信じて送り出してくれたのだし、その信頼に応えるのは義務ですらあった。
要点は聞いている。
だから、その通りにやれば間違いない。
……そう、信じるしかなかった。
その時、扉が控えめにノックされ、女官の一人が顔を出す。
座っていた椅子から立ち上がると、そのまま外へ案内される。
「どうぞ、こちらへ。ルヴァイル様とご対面できる準備が、整いましてございます」
向かう先は、いつかミレイユに付き添って訪れた至聖処だった。
部屋の中に高台があり、その四方には見事な装飾をされた柱が立ち並び、その柱を結ぶ形で薄いヴェールが掛けられている。
当時はその中に誰もいなかったが、今は薄布越しに明らかな人影が見えていた。
神使でもなく、ただの大神信者に対しては順当な扱いであり、そして対面を許されただけでも、十分に遇されていると考えねばならない。
本当ならば女官と対応して終わりだろうし、良くても神使と対面を許されるまでが限界だろう。
それでもレヴィン達が対面出来ているのは、ミレイユからの正式な使者である所が大きい。
レヴィン達は高台の人影が見下ろせる位置まで誘導されると、その場に片膝を付き頭を垂れる。
それでようやく、話を聞く準備が整った。
至聖処の中は薄暗く、篝火が部屋の隅で揺らめいている。
時折、火の粉の弾ける音が聞こえ、それが現在この空間で唯一聞こえる音だった。
しばしの沈黙の後、高台から軽やかな声が落ちる。
それは紛れもなく、いつか聞いたルヴァイルの声だった。
「面を上げなさい。話はミレイユより聞いています」
そこで初めて対面を許され、レヴィン達は揃って顔を上げた。
通常、正式な場において、ここまで遇してくれる事は珍しい。
そこもやはり、ミレイユの威光の賜物なのは間違いなかった。
「それで、淵魔に対する護衛要員、との事でしたか。妾の神使で戦闘に長けているのはナトリアのみ……、心強い応援ではありますが……。ミレイユより受け取った『守護』の神器だけでは、抑え切れないとの考えですか」
レヴィンは粛々と頭を下げ、肯定を表した。
神との対面に際し、許しを得る事なく発言は許されない。
その事にルヴァイルは今更ながら気付いたらしく、あぁ、と小さく声を上げた。
「構いません、直答を許します。この神処は、淵魔による襲撃を受ける可能性がある、とは聞いていました。そして、その為の神器でもあると。殻に籠もっているばかりでは、打開できないのは道理ですが……。その間に、ミレイユが決着を付けるとばかり思っていました」
「ハッ、そのつもりであるのは確かな様です。そして、当初はその様に考えておられましたが、何を想定しているか未知数であると……」
「……つまり?」
ルヴァイルに催促され、説明が不鮮明だったとレヴィンは自戒する。
最初に謝罪してから、よく整理して話を続けた。
「失礼いたしました。アルケスめの狙いは明らかで、新世界の創造です。神を至上とし、神が人の世を思うがままに動かす、新たな秩序の成立。その為にルヴァイル様を始め、他の神々をも利用するのだろう、と考えておられました」
「上手く使えば、その新世界とやらの構築も早まるでしょうからね。そして、完成した暁には……、その席に妾達の分は無い、と……」
「その
「残して利用する可能性は少ない、そう考えそうなもの。……そうですね、神は己一柱のみで良い、と考えて不思議ではありません」
レヴィンは粛々と礼をする。
大変不遜な考えながら、大神排除後、他の神々を纏め上げる能力など、アルケスにはないだろう。
その自覚があるのなら、逆撃を恐れて先に手を打つ、とミレイユは考えた。
「しかし、淵魔に喰わせるのと、弑する事は、そう違わないのではありませんか? そして守りに徹しているだけなら、『守護』の神器さえあれば十分……。そう思えるのですが」
「いえ、
「構いません、続けなさい」
レヴィンが言葉を躊躇うのは当然で、本来言の葉にさえ上げるだけで、叱責を受けるに相応しいものだ。
しかし、それを当の神から許可を得たとならば、口にしない訳にはいかなかった。
「例えば指の一本なり喰わせ、後から傷を治癒します。そうして、複数の淵魔に延々とその能力を与えるのです。指とは言わず、髪の毛でも可能かもしれない、との事でしたが……やはり一定の体積を喰らわないと、その能力は十全に、とはいかないもので……」
「なるほど、妾の……いえ、他の神々からも同様に、能力だけを永遠に搾取し続けると考えるなら……。えぇ、生かしておく方が利用価値は高い。逆撃の可能性は常に考えねばならないですから、管理は非常に難しいでしょうが、メリットも大きいと……」
不愉快そうに眉を潜めたルヴァイルに、怒りの感情は浮いていなかった。
しかし、レヴィンはその心情を察する余り、居た堪れなくなって頭を下げた。
そこに声音が幾分固くなったルヴァイルから、再び声が落とされる。
「……えぇ、話は分かりました。生け捕りにしたいなら、妾には猶予がある。そして、その必要なしと考えているなら、必ずやミレイユ放逐の後、亡き者にしようと考えるでしょう。……そうですね。権能による守護とはいえ、全くの無敵でもなく、まして永続するものでもない……」
むしろ、神器による権能の再現でしかないから、本家同様の効果は期待できない、と考えねばならなかった。
神が直接行使する権能と、神器で再現する権能は、その力や効果に隔たりがある。
並大抵の力では突破できない、強力な『守護』を得られるのは確実でも、並大抵でない力をぶつけ続ければ話は変わる。
そして、弑して良いという条件ならば、並大抵でない力をぶつけて来る可能性は、大いにあるのだ。
「ミレイユはどちらの方が、可能性が大きいと考えていましたか」
「どちらとも言えぬようです。アルケスの考えだけなら、利用することも視野に入るそうですが、背景の『核』の考えを優先するなら、弑し奉るのではないかと……。最悪を想定し、私共がその護衛の一助となれば幸いと、こうしてやって罷り越しました」
「そう……。そなたらは淵魔討滅の専門家、そういう話でしたね?」
「ハッ、僭越ながら……」
レヴィンが頭を下げて一礼した、その時だった。
至聖処の外が俄に騒がしく、そして何かが争う音が聞こえてきた。
まさか、という思いと、やはり、という思いが交差する。
最悪のタイミングというものはあるもので、そしてこの時の為に用意していた物があった。
「――皆、指輪を付けろ!」
グローブの付け外しがあるので、装着にはしばし時間が掛かる。
しかし、それが姿を現す寸前で、レヴィン達は姿を変える事に成功した。
迷宮都市で長く世話になっていた人獣の姿となり、その切り替わったタイミングで、至聖処へと殴り込んで来た者の姿が見える。
けたたましい音を立てて吹き飛ばされ、地面を転がる何者か……。
そして、それをやったと思われる何者かが、至聖処へと足を踏み入れる。
そして二番目に姿を見せたのは、今や憎い仇敵となった、……アルケスその者に違いなかった。
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