神刀奪還 その3
「くそっ!
部下の一人がネットランチャーに掴まり、後方へ置き去りにされて行く。
結希乃は車と車の間を駆け抜けながら、口惜しげに見やった。
敵の持つ武器で、理術士を殺す事は出来ない。
それは分かっていた事で、だからこそ生まれた油断だった。
銃弾は恐れるものではないし、強い衝撃こそ受けるものの、身構えていれば押し切る事だって出来る。
しかし、人の身の丈、その半分程もある長大な銃は、その衝撃も大きかった。
結希乃は胴体へ撃ち込まれ、後方へ大きく後退させられたが、理力を制御して、その衝撃を上手く逃した。
持てる理力総量によっても、その衝撃の伝達具合は変わって来るものの、貫通することだけはなかった。
ただし、ネットランチャーの様な拘束を前提としたものだと、話は少々違ってくる。
力業で無理やり突き破るのはそう難しくないが、強制的な転倒は免れない。
そして、一秒置いて行かれただけで、互いの距離は大きく離れてしまうのだ。
一度はこうして追い付いて見せたものの、体力の消耗は如何ともしがたい。
スプリントダッシュを長時間続けるのは、流石の理術士でも無理だ。
長距離走の走り方でも、結希乃ならば時速百キロは出せる。
だが、車は百キロ以上で走れてしまうのだ。
そして、結希乃の部下達は、ここまでの走り通しで、多くの理力を消耗してしまっていた。
「――短期決着。最初から、それしか手はない……!」
銃口から逃れる様に車線を変更し、別の車両を盾にしながらアシャーを追う。
美しいロンドンの町並みなど見ている余裕もなく、高速で後ろへ流れて行った。
行き交う車からは、けたたましくクラクションが鳴り響き、アシャーの車は強引な位置取りで割り込みながら走っていた。
暴走車両について、警察も追っている筈なのだが、周囲にサイレンらしきものも聞こえない。
「千歳! あなたは左から!」
ハンドサインと共に指示すれば、彼女は返事を張り上げて、遠退いて行った。
それを横目で確認しながら、結希乃は腰から刀を引き抜く。
阿由葉家に代々伝わる、神刀の一振りだ。
オミカゲ様を象徴する雷撃が付与されたもので、車の装甲ぐらいなら、紙の様に貫ける。
ただし、敵の軍用車両は、簡単な板金補強をしただけではなさそうだった。
舐めては痛い目を見ると、既に実感したばかりだ。
持てる全力で以って、挑まねばならなかった。
理力を練り込み、脚へ制御を回す。
強く踏み込もうとしたその時、イギリスの代名詞
左斜め前方のいる筈の、軍用車両が赤い車体で完全に遮られる。
歯噛みする思いで追い抜くと、そこに敵の姿がなかった。
「何処に――!?」
顔を左右へ素早く動かすと、直前で急カーブを取り、道を曲がったのだと分かった。
千歳は位置取りのお陰もあって、惑わされずに付いて行けた様だ。
「チィ……ッ!」
結希乃は急制動をかけつつ跳躍し、道路標識に飛びつくなり、片手でポール部分を上手く利用して急転換する。
小回りならば、どのような車より――バイクよりも利くのだ。
少々の小手先技術で、逃げ切れるものではない。
結希乃は着地と同時にアスファルトを蹴りつけ、全速力で走る。
今度も周りの車両を盾にしながら接近し、アシャーの軍用車両の横っ腹を、全力で斬り付けた。
甲高い音を立て、結希乃の斬撃は装甲を見事断ち切り、中の様子が刀身の厚みだけ見える。
そこからは、驚愕させて引きつった顔が幾つかあった。
だが、顔さえ向けず、自分の役割に集中している者も中にはいた。
屈強な男が肩へ担ぐようにしているのは、ロケットランチャーだった。
それが千歳を、狙い定めている。
「な――ッ!?」
今度は結希乃の顔が驚愕に染まる。
アシャーの一味が構えている武器は、街中で使うようなものではない。
周囲への被害を全く考えていない攻撃手段に、結希乃は義憤にも似た怒りを覚えた。
先程使われた対物ライフルにしても、街中で使って良いものではない。
本来なら人体など容易く貫通し、その背後の車両まで巻き添えにしてしまっていたのだ。
結局のところ、結希乃は吹き飛ばされてフロントガラスにぶつかり、台無しにした事実は変わらないが、言いたいのはそこではなかった。
街中を戦場にするつもりか――。
結希乃は逡巡しつつ考える。
銃弾が無理ならばと考え、だから身動きできないよう、拘束する方向転換をしたはずだった。
そして、その想定あって、ネットランチャーを用意していたのではないのか。
もしかして、数はそれほど多くなく、全て使い果たしてしまったのだろうか。
あれは弾速が遅く、危ないと思えば躱せる。
追っている最中千歳にも使い、回避し続けた事で、業を煮やした可能性はあった。
だとしても、今も周囲には一般車が走っているのだ。
躱してしまえば、流れ弾が何処へ着弾したものか、分かったものではない。
被害を極力出さないことを考えたら、素直に回避も出来なかった。
つまり、相手の狙いはそれだろう。
一種の賭けには違いない。
しかし、誰が死のうと関係ない、と思っている輩すれば、試すに惜しい方法ではなかった。
結希乃はそこまで考え、歯噛みした隙間から息を吐いた。
「千歳! 受け止めてッ!」
声を張り上げながら、結希乃は刀を車両に突き刺す。
射手を突き刺せないかと狙ったものだが、鍔まで差し込んでも、切っ先がギリギリで届かない。
「く――っ!」
喉奥でうめき声が漏れると同時、煙を吐き出しながらロケット弾が発射された。
千歳は指示通り、ロケット弾を理術を展開させながら受け止める。
防壁を前面に展開すると同時に着弾、爆発と衝撃で千歳もまた吹き飛ばされ、後方のアスファルトに転がった。
彼女の無事を確認したいが、それより目の前を優先し、柄を強く握り締め、力任せに横へ振るう。
それで装甲が両断され、更に車体の傷が増えた。
切れ目に指を差し込み、強制的に穴を広げてやろうとした瞬間、車両が蛇行し始めた。
バックミラー越しに、アシャーと目が合う。
余裕の笑みを浮かべた男が、挑戦的な視線を送っている。
今この状態さえ、彼にとっては楽しめる程度のことらしい。
「舐めた真似を……!」
その言葉を切っ掛けに、更に車両の速度が上がる。
けたたましいクラクションが鳴り響いては、幾つもの車を追い抜き、音が前から後ろへ流れて行く。
車両に空けた傷へ指を引っ掛け、何とか体勢を維持しているが、蛇行する動きに付いて行くので精一杯だった。
身体を振り回され、足が宙に浮く。
その時、車両が対向車線ギリギリまで接近した。
タイミング良く、前方からは別の車が来ている。
腕一本で身体を支え、宙に浮いている結希乃に、これを躱す
「くっ……!?」
――鈍い音と、衝突音が同時に鳴り響く。
結希乃は強かに吹き飛ばされ、アスファルトの上を、二転、三転と転がった。
衝突した車も結希乃の近くで止まったが、スキール音を鳴らして、まるで煽る様にUターンする。
座席の窓は開いていて、そこからは嘲笑う視線が向けられていた。
「……合流ポイントに到着」
インカムのマイクに呟く男の声は、小さかったものの確かに聞こえた。
結希乃が身体を持ち上げようとした時には、車は既に走り出している所だった。
それだけではなく、後部ドアが開くと、そこから煙幕が溢れ、視界を遮ってしまう。
アシャーの車両が、それで完全に見えなくなった。
そうかと思うと、吐き出した煙幕を引きずりながら、新たに追加された車は脇道へと入ってしまう。
追うべきか。しかし、どちらを――。
逡巡の間に、煙幕は風に流されすぐに薄れた。
煙幕で急停止を余儀なくされた一般車が、玉突き事故を起こし、阿鼻叫喚の様相を呈している。
煙幕と事故車に遮られ、アシャーの車両は、もう何処にも見えない。
背後には千歳を始めとして、部下達が倒れているはずだ。
結希乃を轢いた仲間の台詞から見ても、全ては計画通りだったとしか思えない。
部下達に怪我はないだろうか。
ロケット砲を喰らって受け止めた、千歳の安否も気に掛かる。
理力はまだ多く残していただろうから、致命傷を受けたとは思えない。
回復させてから、他の者達と合流して再追跡も、不可能ではないだろう。
しかし、計画通りに逃げている奴らを、再び捕捉するのは現実的に可能か、慎重に考えざるを得なかった。
「く、ぐぐ……っ!」
どちらにしても、その為には結希乃単独ではなく、部下と力を合わせて追わねばならない。
そして、全員が揃うには時間が掛かる。
待っている時間はない。しかし、何もかも自分ひとりで為せると、結希乃は自惚れてもいなかった。
「ぐぅ……ッ! くそっ!」
アシャーは逃げ切る。
そして、再捕捉は今の結希乃達には不可能と、判断しなくてはならなかった。
結希乃は苛立ちを隠せず地面を殴り付ける。
凄まじい衝撃は、アスファルトを簡単に打ち砕き、クモの巣状の巨大なヒビ割れを作った。
※※※
「一度逃げ切ったプロを、再び捜し出すのは簡単じゃないわ。物理的なものだけじゃなく、理術的な分野においてもね……。痕跡があったとして、そこから何処まで追えるものやら……」
ペントハウスへ帰投している間にも、結希乃の声に力はなかった。
元軍人、戦闘のプロといっても、所詮は……。
そういった感情が、なかったとは言えない。
決して油断した訳ではない、と結希乃は誓って断言できる。
しかし、驕りがなかったと、断言は出来なかった。
そして結局、取り逃がしてしまっている以上、どんな言い訳も虚しいだけだ。
反省は必要だ。ただ、それは後でも行える。
今はアシャーたち一味を確実に追い詰め、神刀を取り戻す事に注力しなければならない。
結希乃は努めて意識を切り替え、まずは情報収集へ専念するべき、と考えた。
理術は決して万能ではない。
科学的な捜査では暴けないもの、物理的に不可能と思えることでも、軽々と飛び越して情報を得られるものだが、何もかも望み通りとはいかないのだった。
それに、時として科学的見地の方が役立つこともある。
情報の洗い出しこそが先決――。
そして、見つけた特徴、見えた発見から、相手の行動を予測する。
そこから再捕捉の目が見えてくるかもしれない。
「でも、まずは気の重い報告からね……。オミカゲ様に朗報をお届け出来ないのは、精神的に凄く重いんだけど、しない訳にもいかないし……」
「心中、お察し致します……」
千歳から送られる心からの賛同も、今の結希乃には何の慰めにもならなかった。
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