神刀奪還 その2
歯噛みした結希乃は、咄嗟に身体を翻し、理力を巡らせ制御する。
その制御速度は見事の一言だったが、誰もが結希乃と同レベルで行使できる訳でもなかった。
置いていくか、留まるべきか、一瞬の逡巡――。
その時、アシャーの乗る車はスキール音を響かせ、テールランプを暗闇に線を引いて後ろを見せた。
それで、どういう車種か見えてくる。
分厚い装甲を貼り付けた、軍用車両だった。
鈍重な見た目をしていても、それを物ともしない馬力のエンジンで、駐車場の傾斜した出口を駆け上っていく。
「改造車両か――ッ!?」
けたたましく、また重々しいマフラー音は正規の物とは思えない。
そこから結希乃は、一つの懸念を思いつく。
素早く逃げたいだけなら、もっと別にスピードの出る車種はあった筈だ。
それを敢えて避けて装甲を身に纏い、車体を重くしたというのなら、その理由は明白だった。
――明らかに、攻撃される事を前提としている。
速さだけでは振り切れない、と知っているのだ。
だから、防御を考えざるを得なかった。
「――先に行く! 後から付いて来なさい!」
横顔だけで振り返り、結希乃はむき出しのコンクリートを蹴り付けて、弾かれる様に飛び出した。
車体を重くさせる装甲は、何も結希乃達だけを意識したものではないだろう。
事あらば、周辺地域をパトカーなどで道路封鎖される、と知っていたからこその対策だ。
それより遥かに重い装甲車だから、当所を選べば吹き飛ばして前進できる。
「く……ッ!」
結希乃が歯噛みして更に一歩踏み出した時、唐突に左右の支柱から爆発が起きた。
その上、爆発はそれ一つだけではない。
一つの爆発が始まるなり、次々と連鎖的に地下を支える柱が爆発した。
「拙い――ッ!」
敵は元軍人で、そして、その道のプロだと認識していたことだ。
重火器は所持していて当然、そして爆発物においても同様、用意があると考えておくべきだった。
アシャーは自らを囮として結希乃達を引き込み、そして生き埋めにするつもりで罠を張っていた。
そこに彼の自信と自負が、見え隠れしている。
結希乃は歯噛みしていた顔を歪めると、姿勢を低く傾け、急制動を掛けた。
勢い付いた速度は、そう簡単に止まってくれない。
足を強く踏み込み、めり込ませた床を削りながら無理に止まった。
その直後、今度は逆噴射するかのように、仲間の元へと戻る。
爆発と砕かれたコンクリートで地下は煙幕状態、視界が全く利かない。
しかし、それを無視して結希乃は突っ込む。
天井は今にも崩れて落ちる直前で、崩れた支柱から、建物全体が傾いていると分かっていた。
「千歳ッ! 柱と天井! 氷結!」
細かい単語だけの指示でも、その意図を正確に汲み取って、千歳は理術を行使する。
他の部下は小さいながらも結界を張り、身の安全を確保しようとしていた。
しかし、いくら強固な結界でも、建物の圧力には長く保たせられない。
それならば、一瞬の均衡を保たせて逃げ出した方が、多くの意味で有意義だった。
結希乃もまた、千歳に指示したものと同様、氷結理術を用いて崩れ落ちそうな天井を支える。
結希乃はオールラウンダーだ。
剣術が最も得意で、自己支援の理術も身に付けているが、攻勢理術もまた高いレベルで行使できる。
「ハァ……ッ、『凍縛の槍』……ッ!」
結希乃の掌で生まれた白い球体が、前方に放たれた。
結希乃自身も全力で疾走している為、殆ど真正面で理術が炸裂する。
白い球体は乱回転すると幾つも細い槍を射出し、着弾と同時に氷柱を幾つも作り、天井と床を支える即席の支柱を作り出した。
今ほんの僅かな拮抗を生み出したこの瞬間ならば、仲間も逃げ出せる希望が持てる。
「――行って! 早くッ!」
部下を脱出させながら、結希乃もまた逆走を始める。
しかし、彼らに比べ、結希乃の速度は遅かった。
氷柱を作り出し、それで支えさせているとはいえ、ビルの重量を受け止めるには、あまりに脆い。
簡単に潰れてしまわぬよう、これを維持する為に、理力を注ぎ続けなければならなかった。
「千歳も早く!」
同じ任を負っていた彼女も、同様の懸念で残り、理術を維持していた。
しかし、結希乃が指示すれば、慚愧に堪えない表情を見せつつ、制御を解いて走り出す。
感情に流されがちな彼女だが、強く指示すればその限りではない。
全ての部下が脱出するのを見届けて、結希乃も理術の制御を身体強化に集中させた。
その途端に氷柱が軋んだ音を立て、次々と罅が入り始める。
二歩目を踏み出した時には音を立てて崩れ、背後から次々と瓦礫が降った。
「く――っ!」
結希乃は必死で足を動かし、地を蹴った。
その背後で、瓦礫と衝撃音が響き渡る。
コンクリート同士がぶつかり、砕け、雪崩の様に押し寄せてきた。
出口に見える光が、やけに遠かった。
仲間はその光へと次々に身を投じていくのに、結希乃にとって、その光は余りに遠い。
倒壊速度は余りに早く、背後からと言わず側面からも瓦礫が降って、大量の砂塵を巻き起こした。
仲間の中では最後尾を走っていた千歳が、なんとか光の向こうへ身体を投げ出す。
それを見た瞬間、結希乃の正面に巨大な瓦礫が落ちてきて、その視界を遮った。
※※※
「おいおい、死んだな、ありゃ……」
待機していたSAS隊員の一人が呟いた。
唐突に鈍い爆発音が聞こえたと思ったら、ビルの倒壊が始まった。
それと同時に車が――軍用車両が飛び出して来たので、そちらに対処すべきか、それとも救助へ赴くべきか、場は騒然となっている。
「不幸中の幸いは、まだ突入部隊は隣ビルに居たって事か」
「おまえ……!」
不謹慎だ、と別の隊員が苦言を呈した時、車の後を追うようにして、幾人もの人間が飛び出してきた。
次々と常人離れした速度で駐車場から出てきては、跳んだ勢いで道路を挟んだ向こう側まで到達している。
そうして、二転三転と転がっては即座に起き上がり、心配そうな顔をビルに向けた。
一拍遅れて、また別の人物が飛び出して来たが、その瞬間ビルは完全に倒壊し、おもちゃの様に崩れていく。
「結希乃様――ッ!」
女の叫びも虚しく、倒壊して溢れる砂塵に呑まれて消えた。
吹き上がる噴煙の量は多く、外からではどうなっているかも分からない。
しかし、どうやら逃げ遅れた者がいたらしい、と分かった。
「鈍臭ぇのがいたもんだ……」
隊員の一人が鼻で笑うと、傍に居た別の隊員が胸ぐらを掴んで、その顔を思い切り睨みつける。
「なんだよ、事実だろ? 独断専行した奴が悪いんだ。大体――」
それ以上、言葉が出なかった。
何かを吹き飛ばす轟音が響いたと思うと、瓦礫の一部が吹き飛び、煙の中から何かが飛び出して来る。
丸めた身体が、アスファルトの上に落ちては弾み、何回転か転んだ後、ようやく止まった。
「おい、マジか……」
零した言葉は、九死に一生を得て、奇跡の生還を果たしたからではない。
即座に起き上がると、また走り出そうとしたからだ。
砂埃で汚れた顔を乱暴に拭うと、周囲にいた自分の部下に一言だけ声を掛け、彼らを率いて走り出してしまう。
その速度は凄まじく、まるでスポーツカーを急発進させたかのようだった。
「嘘だろ、ジャパニーズ……」
タフという言葉だけでは片付かない。
有り得ない光景に呆然としていると、隊員の上官から叫び立てるような無線が聞こえ、彼らは一斉に動きを取り戻した。
※※※
「楽なモンだ……」
アシャーはハンドルを握って車を走らせながら、車両後部にいる仲間たちへと、ほくそ笑んだ。
「言ったろ? 白兵戦じゃ強いのかもしれないが、白兵戦だけが戦いじゃない。幾らでもやりようはある」
情報収集は戦いの基本だ。
神刀に手を出せば、どういった者が出てくるか明らかだった。
一年程前に日本で起きた争奪戦でも、走って車に追いつく人間が出て来た。
狙撃中の一撃を脳天に喰らっても五体満足で、バイクよりも小回りが利く追跡を見せた。
タフで速さがあるだけではなく、殴れば簡単に車のドアが歪んだ。
正攻法で戦う相手ではない。
だが、どれほど頑丈であろうと、ビル一個分の重量に圧迫されれば、生きている筈もなかった。
この国の軍隊など怖くない。
やり方は熟知している。
適当に煙に巻き、後は悠々と逃げ切れば良い。
そう思っていたのに、バックミラーに見える人影を発見して、アシャーは舌打ちした。
その反応で、仲間たちも追って来る何者かがいると、即座に理解したようだ。
「ボス! 奴らだ! 本当に来てる!」
「わぁかってる、予想できていた事だ。合流ポイントに急ぐぞ。お前らは奴らを迎え撃て」
指示してやれば、部下たち三人の顔付きが一変する。
彼らもまたプロだ。
修羅場は幾度も越えてきている。
今までと毛色の違う相手なのは確かだが、やることはいつもと変わらない。
後部扉を開くと、それぞれ銃器を構えて狙い撃つ。
持っている武器は、マシンガンなど軽い銃器ではなかった。
人に向かって使うものではない、対物ライフルだ。
構えてから制止三秒、激しい銃撃音と共に弾丸が発射され、それが追跡して来た一人に命中する。
しかし、貫通しないどころか出血すらなく、大きく体勢を怯ませて転んだだけだった。
そうして、すぐ後ろを走る車両に轢かれ、フロントガラスに罅を入れながら、後方へ吹き飛んでいく。
だが、空中で体勢と整えると、着地するなり受け身を取った。
即座に起き上がって、また走り出そうとしている。
「話に聞いてた通りかよ……!」
「何だよあれ、ターミネーターか?」
「ここは英国だぞ、もっとスマートに例えろ」
次に取り出した武器は、ネットランチャーだった。
暴徒拘束用で非殺傷兵器でもある。
奴らが撃っても倒れないなら、強制的に倒れて貰うまでだった。
「目的は奴らを殺すことじゃない。足止め出来れば十分だ」
車と同等以上の速度で走る人間は、脅威には違いない。
しかし、人間と車の勝負なら、先に根を上げるのが人間というものだろう。
地理についても、
一度でも視界から途切れたら、逃げ切れるだけの自信が、アシャーにはあった。
部下の一人が、手にしたランチャーのトリガーを引く。
射出と同時に広がったネットは、先程とは別の追跡者を見事に捕捉した。
「イェスッ!」
その時、部下の喝采が車中に満ちた。
ネットに絡まり、体勢を崩しては道路を転がる人間の姿が、バックミラーに間違いなく映っていた。
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