辺境領の変事 その6

 しばらくの間、部屋の中では沈黙が続いていた。

 誰もが目を見合わせ口を開かない中、固い声音でそれを破ったのはエーリクだった。


「しかしね、先生……。異世界人とは言うが、僕の目には普通の少女にしか見えない。髪の毛だって由緒ある黒だ。頭から角が生えてるならまだしも……」


 彼は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、全員の視線がアイナの頭頂部へ向く。

 彼女にしても針の筵で、只でさえ俯けている顔を、更に下へ向けた。


「そんなに彼女を虐めないであげておくれよ。彼女は被害者なんだ。突然、訳の分からない世界に落ちて来て、家族とも離れ離れ……。これまでの道中も、中々酷い目に遭ってる」


「それは、えぇ……。分からないでもないですが……」


「可哀そうだと思うよ。だから私は、彼女を庇護しようと思って世話を焼いたし、生きる術を色々と教えた」


「それはご立派です。ですが先生、言葉が通じないから異世界人だ、と判断した訳じゃないでしょう? ……何を根拠に?」


 それは全員が気になっていた事だった。

 この大陸において言語は統一されているが、外の世界ではまた違う言語が使われているという。

 ならば、海の外から来たと考える方が妥当だ。


 さりとて、ここより南方で見つけたというなら海から離れ過ぎている。

 仮に逃亡奴隷だとしても、女の足一つで逃げて来たとも思えない。

 何しろ海から相当な距離があるし、捕まるか、それより前に野垂れ死ぬ。

 やはり、無理のある話にしか思えなかった。


「言葉を教えるに連れ、分かって来た事がある。この世界で育ったにしては常識が違い過ぎるし、空想で話すには内容が余りに緻密だった。彼女の中にある社会常識や倫理観は、十代の少女が想像を働かせるだけで、簡単に思い付く様なものじゃない。異なる世界を実際に見て来た者の発想、としか思えぬものだったのさ」


「ふぅむ……」


 エーヴェルトが大儀そうに背もたれへ体重を掛け、顎髭をゴリゴリと擦った。


「まぁ、そこは良かろう。その女子おなごの出自を、異世界であると認めても良い。海の外からだろうと、更に外からだろうと大して変わらぬ」


「そう言われてしまうと、身も蓋もないですが……」


「儂にとって、全く重要ではない。気にしたいのは、それでどうして、淵魔に狙われるかだ。そやつ自身に、そうさせる何かがあるのか?」


 エーヴェルトが言った様に、重要なのは正にそこだった。

 彼女の存在が淵魔の勘気に触れるのか、それとも別に理由があるのか。

 どうであろうと刺激する存在であるのなら、それこそ注目すべき点だった。


「ある……としか思えません。淵魔になら分かる、淵魔にとって無視できない、躍起となる理由があるのでしょう。そして、奴らは変わりつつある」


「数を増やしたことか?」


「それだけではありません。南方では組織だった動きを見せて来ました。奴らは確かに複数で群れる。しかし、纏まりがない。リーダーがいないからです」


「今更、講釈賜るまでもない。だが、組織だったというのなら、それを出来る個体が生まれたとでも……?」


 エーヴェルトは顔面に苦渋を浮かべる。

 現場を良く知るレヴィンなども、また同様だった。

 基本的に数において勝る兵を用意して淵魔と当たり、そして複数の連携で一体を仕留める。


 そうした事が出来るのも、淵魔が群れてる烏合の衆に過ぎないからだ。

 これが組織だった統率を見せるようになれば、戦術が根本から変わる。


 そして、それがさせてしまう最初の一戦では、被害者を続出させる事にもなるだろう。

 そのリーダーが肉を喰らったら、一体どうなってしまうかなど考えたくもない。


「南方では、実際に統率する個体が出たわけではありませんでした。ただ、アイナの存在が奴らを刺激したのは間違いありません。その目的が単一である為、まるで統率された様な動きを見せたのだと思います。――実際、遠く離れた結果、奴らの行動はまた散漫に戻った……」


「それでこちらが刺激されては世話ないわ」


「いや、申し訳ない。こちらも確信あってやった事ではないので、平にご容赦を……」


 アクスルが頭を下げると、アイナも続けて頭を下げた。

 青い顔をさせてまるで沙汰を待つ罪人の様で、それに気付いたデシレアが、外に温かい飲み物を持ってくるよう命じた。


 外で待機していたメイドは勤めをしっかり果たしているようで、何者かへ声を掛け、それで物の数分で茶器が用意される。

 ワゴンを押してやって来た彼女は、手慣れた所作で、それぞれの前に紅茶を注いで退室していった。


 扉が閉まるのを見届けてからアクスルが茶器を手に取り、それからアイナにも勧める。

 言われるがままに彼女も茶器を手に取って、口に含むとホッと息を吐いた。


 それだけで、青いばかりだった顔色もぐっと良くなる。

 それを見届けると、レヴィンの方からアクスルへと声を掛けた。


「話は……まぁ、分かりました。どうやら、彼女の存在は淵魔にとって好ましくないらしい。それで、先生は俺達を頼って来た……、と? 彼女をここで匿って欲しいとか、そういう話ですか?」


「確かにここは、河の中に作られた中州で、天然の要害だ」


 エーヴェルトが大儀そうに頷き、誇りを持って宣言した。

 しかし、同時にアクスルへは挑むような目つきで睨み付ける。


「淵魔が隔壁を破ろうとも、ここまでの侵入は容易でなかろう。しかし、だからと言って見知らぬ女一人に、そんな危険を冒せと抜かすつもりか!」


「いえ、少し落ち着いてくださいよ」


「無論、無辜の民が助けを求めて来たとなれば、これを振り払う訳にはいかん。しかし、この場合だ……」


 話している内に語気が強まり、アクスルへ更に厳しい目を向けた。


「そやつ一人を狙ってくると分かって、我が可愛い領民ども全員を、危険に遭わせられるものではない! ――エーリク、領主としての意見はどうか?」


「父上に賛成です。先生には世話になってるし、淵魔の情報で色々助けて貰いましたが、その恩があってさえ、簡単に飲み込めるものじゃありません」


 申し訳なさそうに目を伏せたエーリクに、アクスルは手を振って苦笑した。


「いやいや、勿論だよ。彼女一人匿って欲しいだけなら、むしろそもそもの危険性なんて教えない。素知らぬフリして面倒見て貰ったろう。エーヴェルトが言う様に、無辜の民の一人ぐらい面倒見てくれただろうから」


「ふむ……? 気に食わん言い様だが、その通りだな。では、何が目的か?」


「護衛を」


 アクスルは至極、簡潔に理由を述べた。

 しかし、エーヴェルトの反応は芳しくない。

 顎髭を擦る仕草をで口元を隠しつつ、何事か考え込み始めた。

 エーヴェルトが黙ったのを見て、代わりにレヴィンが口を開く。


「つまり、保護ではなく移送が目的だと? どこか安全な場所まで付き添って欲しい? ……先生自身がするのでは駄目なんですか?」


「うん、まぁ……よろしくないだろうね。保護を頼むなら、神殿の方が安全だと見てるから」


「確かに……、何しろ淵魔を防ぐ楔そのものだ。奴らの目的がアイナだとして、手出し不可能な場所となれば、まず神殿を選ぶところでしょう。奴らも諦めるかもしれません」


 淵魔がその勢力圏を失い、今の時代は大陸の端にしか現れなくなったのは、間違いなく神殿の――神の威光によるものだ。

 その威光の中心ともなれば、天然の要害より余程安全と言える。

 しかし、それに待ったを掛けるように、エーヴェルトが声を上げた。


「――それより、殺す方が手っ取り早くないか」


「お祖父様……。それは余りに無情、余りに無慈悲ではないですか」


「そもそも私は、殺させたくないから、こうしてアイナを連れて来たんですがね」


 双方から非難の目を浴びて、エーヴェルトは決まりが悪そうに顔を顰めた。

 そして、エーヴェルトの意見には誰も追従しない。

 保護するのは反対でも、殺してしまえとまでは思わないようだ。


「大体ね、淵魔の目的が分からないのでは、それで解決するかも分からないんですから。奴らの狙いがアイナの抹殺だとして、この場で死んだら何が起きるのか? ……それもやっぱり分からない」


「あくまで、その死が目的であって、誰が殺すかは関係ないと……?」


「かもしれないね。アイナが死んでしまうこと、それ自体が奴らにとっての益であれば、やはり殺させるわけにはいかない。これまでの常識を覆す異常行動の、その理由が分からない内は、下手な手出しはむしろ控えた方がいいと思う」


 その言い分には一定の理解が出来た。

 これまで三百年も前線で戦い続けてきた、ユーカード家の歴史から見ても、個人を狙った例がないのは理解している。


 異常な行動は、異常な理由が原因。

 そして異世界人の存在は、異常な事態に違いない。


「先生は具体的に、彼女に何があるとか、考えはお持ちですか?」


「これは何の根拠もない、ただの憶測に過ぎないんだが……」


 そう前置きしてから、アクスルは続けた。


「実を言うと、殺すというより取り込みたいのではないかと思っているね。結果、龍穴と良く似た何かを作成できるのかも……しれない」


「龍穴……」


 淵魔は龍脈に沿って生まれ出る。

 そして、龍脈の交差地点――龍穴上に神殿を建立する事で、神力を持って封じていた。


 大陸の大部分から締め出された現在、それを覆そうと考えていて、龍脈と関係ない地点に龍穴を生み出せるとしたら……。

 躍起になって狙う理由も理解できる。


「しかし、本当にそんな事が……?」


「いや、予想……というより、妄想の類だからね。だが、彼女は異世界から既に来ているわけだ。点と点を繋いで、全く別の位置から移動して来たわけだよ。その特性じみたものを、奴らが取り込もうとしているとしたら……。そう考えてみたのさ」


 その推論に思わず唸り、レヴィンは我知らず隣のヨエルへ顔を向けて呟く。


「あり得なくは……」

「……ないな」


 ヨエルからも首肯が返って来て、やはり唸りを上げ、握りこぶしを顎に当てる。

 淵魔は本能として相手の血肉を喰らう。

 そして、その力を取り込み強化する。

 それが異世界人としての特異性――次元の壁を超える事に利用できるとしたら……。


「ではやはり、殺してしまう方が良いのではないか?」


 あるいはそれが、最も手っ取り早い。

 アイナはアクスルの横で縮こまり、小さな拳をギュッと握った。

 それを見たレヴィンは、諭すように声を出した。


「だから、それは余りに無体だと……」


「それに、彼女は単なる被害者という、私の主張は変わりませんよ。神殿なら安全だし、何より元の世界に帰してやる手立てが見つかるかもしれない」


「ふむ……? そうなのか?」


「絶対の保障を約束するものじゃありませんがね。異世界人は彼女が初めてじゃありませんから。過去にも居た例を知っています。送還されたのか、それとも隠されて来たのかまでは知りませんが」


 その事実は全員の顔に驚きが満ち、室内に数秒の沈黙を作る。

 全員の瞳が、奇異の目でアクスルとアイナの間を行き来した。

 だが、彼女が初めての存在でないのなら、それもそれで色々と問題が出て来る気はする。


「長く生きてるお主だ。知見の多さは認めるところだ。ならば、どうしてそれを先に言わなかった」


「正確には、いるとされていた事を知っていた、と言ったところで……。実物を見るのは初めてです」


「過去にもいたのなら、淵魔を刺激したこともあったのでは?」


 レヴィンが問うと、アクスルは首を横に振る。


「全ての異常を、それと結び付けてしまうのも危険だと思うね。何しろ、我々は何も知らない。だが、とにかくここに置いておけないし、送還できるならそれが一番だ。淵魔も襲う対象を見失い、異常行動は消えるだろう。誰も損しないって寸法さ」

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