辺境領の変事 その7

「それで……、先程の護衛って話になるわけですか」


 レヴィンが尋ねると、アクスルは大いに頷く。


「私自身が行けないっていうのも、以前神殿と少し揉め事を起こしていてね……。そんな私が連れて行っても、果たして話を聞いてくれるかと……」


「何したんですか、先生……」


 レヴィンはうっそりと呻いて、息を吐いた。

 いくら尊敬していても、神殿へ顔見せ出来ない揉め事となれば、そういう態度にもなる。


 アクスルは親子数代に渡って魔力の基礎技術、刻印の効率的使用法、外の世界の情報など、多岐に渡って支援してくれた人物だ。

 見返りを求めることもなく、淵魔に対する数々の対策や助言には、幾ら感謝してもしたりない。


 彼が自ら買って出て旅してくれるお陰で、別の辺境領と密な連携が取れているとも言える。

 だから、決して粗雑な扱いをしてはならないと、レヴィンもよく理解していた。

 それでも、時々奔放すぎる行動が目に余る時がある。


「いや、まぁ……、つまらない事だよ。それで、どうだろうか。引き受けてくれるかい?」


「それは、この場にいる誰かに任せたいって話ですか? それとも、信用できる部下で小隊を組ませれば? その者らで送るのでは不安ですかね?」


「君たちの部下を信用しないって話じゃない。けれども、道中の危険に不安がある。だから、力ある者を頼りたいって話なんだよね」


「同じ話じゃないんで?」


 ヨエルが口を挟んで、飲み干した紅茶のソーサーをテーブルに置く。


「ウチの兵は精兵だ。領内に限っていえば、さほどの危険もないでしょう。略奪者なんて出ませんしね。近場の神殿を選んで頼るだけなら、一個小隊の護衛すら無駄に思えるぐらいだ」


「あぁ、ヨエル。君の意見はもっともだ。でも、行って貰いたいのは別の……領外の神殿なんだ。アルケス神の神殿にね」


「何故、と訊いても?」


「過去、そこで異世界人とのやり取りがあった、とされるからだ」


 そう返答があって、ヨエルは難しく眉根を顰めて腕を組んだ。

 アイナへと目を向け、それから軽く息を吐く。


 彼女はこれまで、誰とも目を合わせず下を向いてばかりいた。

 しかし今は、レヴィンに幾らかの期待を含む視線を向けている。

 レヴィンはその視線に目を合わせず、アクスルに顔を向けたまま言った。


「俺達が異世界人なんて知らなかったぐらいですから、どこの神殿でも良いとはならない。……その理屈は分かります。より確実性の高い神殿を頼るべき、との意見も。それで、領外にしたいってことですか……」


「領外の活動となれば、色々と融通の利く領主一家を頼る方が早い。武力に不安がなかろうと、関での足止めなど、面倒事は幾らでもある。急いで離れるべき時に、それだといかにも面倒だ。……そうだろう?」


 言っている理屈は、理解できない話でもなかった。

 テルティアの領兵は、領内ならば多くの優遇を受けられる。

 領民にしても自らの盾と矛であると自覚しているので、無体な真似は早々されない。

 宿一つにしても、優先的に良い部屋を回してくれるだろう。


 だが、一度領外に出ると、これが逆転する。

 蛮族の地と蔑まれ、良く分からない化け物と日夜争う者共と、百眼視される場合すらあった。

 不慣れな者なら無用な衝突さえ起こるだろうが、れっきとした身分を持つ者なら、それも大きく低減される。


「領外は面倒事が多い……確かに、そうかもしれません。謂われない仕打ちに、ウチの兵がいつまで我慢できるか……。えぇ、その心配はあります」


「護衛対象が見知らぬ誰か、というのも拙い。そういう生業じゃないから、不満だって出るだろう。我慢するより、衝突してしまうんじゃないか」


 その懸念は妥当だった。

 それはこの場にいる誰の表情を見ても窺える。


 元より血の気の多い兵ばかりだ。

 冷静な者ばかり集めても、やはり普段しない面倒ばかりの仕事は、ストレスを溜める。

 この護衛対象が、例えば高貴な身分ならともかく、相手は素性も知らぬ一般人。我慢し続けるにも限界があるだろう。


「護衛するに腕と度胸に不安がなく、道中の面倒ごと多くを避けられ、そして仕事もきっちりこなしてくれるとなれば……任せられる人材を他に知らない」


「俺ですか……」


 レヴィンが溜め息をつきながら言うと、アクスルは笑みを浮かべながら頷いた。


「どうか、お願い出来ないかな。事情を良く知ったわけだし、身分を詐称させてもボロが出るのは怖いじゃないか。アイナは嘘をつくのが上手じゃないしね」


「分からない話ではないですが、そうは言っても……」


「でも、淵魔の脅威はいち早く取り除かなければならない……だろう? 領外に出れば、奴らはまた大人しくなるだろうか? 今度は南方の淵魔を、引き寄せる事になりはしないか。可及的速やかに、と思えば、君が最適なんだよ」


 またも溜め息をついて沈黙したレヴィンに代わり、今度はエーヴェルトが睨みを利かせながら言った。


「そうは言うがな、これは一方的にそっちが持って来た話だぞ? 事情についても、一方的に教えられただけ。最初から南方を頼っておけば良かったろうに!」


「その時点で、まだ彼女について確証はありませんでしたからね。……いや、現時点でも憶測は飛び交ってますが。でも、協力は出来るだろうと」


「協力だと?」


 エーヴェルトの顔に怒りにも似た表情が浮かび、額にも血管が浮く。

 しかし、アクスルはそれに全く臆する様子もなく、変わらぬ調子で続けた。


「アイナをこの領から……東端から遠ざけたいのは同じはずです。かといって、何処へなりとも放逐すれば良い、という話にはならない。向かった先で、淵魔を呼んでしまうかもしれませんから」


「それで南方が崩れようものなら、目も当てられん。我領だけ助かれば良い、という問題でないのは確かだ」


「中央は暢気なものですがね、淵魔の脅威は共通共有ですよ。神殿に送り届けるまで、決して安心できない。ならば、そこで安心出来る人選と来たら、もう決まったようなモノで……」


 エーヴェルトは怒気を顕にしたそのままに、レヴィンへと視線を移す。

 レヴィン自身、これは厄介事と理解していたが、さりとて淵魔の問題を出されて、棚上げできる性格でもなかった。


 だが、レヴィンはいずれ領を継ぐ、重要な身分でもある。

 領民の生活、淵魔の脅威、それら全てを同時に勘案して考えなければならない。

 真剣に吟味し、いっそ排他的とも思える態度なのは、だからこそだった。

 そうして、観念した様にレヴィンは息を吐くと、手を擦り合わせながら呟く様に言った。


「見捨てるのは寝覚めが悪い。脅威の種なら、さっさと神殿に送り届けてしまいたい。……その中で、確実性と速度を両立出来るのは、俺だけか」


「儂でも良かろう」


「淵魔がキナ臭い時に、お祖父様を前線から外したくないでしょう。今回みたいに、上手く立ち回って被害を減らせる将となると……、中々難しいですから」


「それも分かるがな……」


 エーヴェルトは赤くさせていた顔を戻し、再び背もたれに体重を預けた。

 顎髭を擦りながら、その視線をエーリクに向け、すぐに逸らしてヨエル、ロヴィーサと続く。


「ヨエルでも良いのではないか? 任せて不安のない人材だぞ」


「俺と互角の働きをすると信頼できますが、本家と分家の扱いが違い過ぎます。面倒事を回避する手助けにも、優遇を受けるのにも、やはり足りない」


「ロヴィーサは……? 女同士、余程気安く旅が捗ろう」


「ヨエルと同じ理由で却下です。というか、お祖父様は単に、俺を行かせたくないだけでしょう」


 レヴィンが苦笑しながら言うと、エーヴェルトは腕を組み、大いに頷いた。


「当たり前だ! お前はユーカード家の当主として相応しき男! 淵魔と戦う事こそ、その本懐! 余計な些事に巻き込まれる必要はない!」


「でも……、先生は初めから、ここに話を持って来た時点で、俺に任せるつもりだったのではないですか。……考えを聞いた後では、そうだろうとしか思えません」


 レヴィンが苦笑を歪めて顔を向けると、フードの上から頭を掻きながら頷いた。


「いや、正にその通り。申し訳ない。でも、単に面倒事を押し付けたいからじゃないんだよ。アイナは淵魔の暴走を招きかねない、危険な存在だ。であるからこそ、任せて不安のない相手を頼りたいんだ。アイナを不憫と思うから、という理由もあるがね」


「頼られて悪い気はしませんよ」


「関係あるか! 儂の孫がやはり体よく、面倒事を押し付けられただけではないか! 口さがない者は、お前を不幸を運ぶ者と言っておるのだぞ!? 全くその通りになったわ!」


 まぁまぁ、とエーリクが宥めていると、アクスルは改めて頭を下げた。


「どうだろう、レヴィン。この願い、引き受けてくれるだろうか」


「はい、淵魔の脅威は共通共有。それで退けられるなら、前線で剣を振るうより、意味があるかもしれませんし……」


「うん、ありがとう。勿論、私だって引き渡してそれで終わり、とするつもりはないよ。しっかりサポートさせて貰うつもりだ」


「それは心強い」


 やれやれ、と溜め息をついて、アクスルは隣で身体を縮こまらせ続けているアイナの肩を揺する。


「ほら、君からもお礼を」


「は、はい! ありがとうございます! どうぞ、よ……よろしくお願いします!」


「あぁ、よろしく」


 レヴィンが笑顔で頷き返したが、アイナはいつまでも緊張した態度を崩さなかった。

 了承されたのは幸いだとしても、場の空気感は未だに重苦しい。

 それを払拭する為でもないだろうが、エーリクがアクスルへ気安げな態度で尋ねる。


「それで、いつから出発を? 早い方が良いんでしょうが……」


「準備も含めてだから、三日を目処に……で、どうだろう?」


「悪くないと思います。父上を宥めるのには苦労しそうですが」


「その辺りは……あぁ、ご苦労かけるね」


 互いに苦笑いを浮かべ、空気が弛緩し始めたところを、エーヴェルトの声が両断した。


「それで、馬はどうする? 速く到着させたいというなら、必須になるだろう」


「そうですね……。出来れば用意して欲しいと言いたいんですが、お願いできますか」


「アイナとやら、乗馬は出来るのか?」


「乗るだけなら。賊に追い掛けられるとか、そういう事態になると、てんで駄目でしょう」


「それでは出来る内に入らんではないか」


 そうなんですが、とアクスルは苦り切った顔でアイナの肩を擦る。


「この一年で、学ばねばならない事は沢山ありました。乗馬はそれらを押してでも、教える内に入らなかったもので……。彼女は勤勉で、良く言うことも聞きます。教えて下されば、しっかり学び取ってくれるでしょう」


「基本さえ出来るなら、後は慣れだからな……。雑に乗せておくだけでも、勝手に覚えるかもしれん」


「……うん。それでは、申し訳なく思うが、どうぞアイナをよろしく頼むよ」


「お、お願いします!」


 最後にアクスルが頭を下げ、それに並んでアイナも頭を下げた。

 エーヴェルトとエーリクは互いに顔を見合わせ、仕方なしと溜め息をついて肩から力を抜く。


 レヴィンも似たような気持ちではあるものの、案外とこの領外での活動を、密かな楽しみになっていた。

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