謀の代償 その1

 ルミ達と共に行動していると、レヴィンの顔に大きな不安が浮かんでいた。

 その二人を警戒して気を抜けないから、ではない。

 特にルミの態度が問題で、余りに緊張感が欠落していて、それが不安を募らせていた。


 周囲への警戒については勿論、レヴィン達に向ける警戒心もない。

 むしろ気安すぎて、どう接して良いものか分からない状態だった。

 それはロヴィーサ達からしても同様で、まだ幾らも進んでいないのに、すっかり参ってしまっていた。


 警戒の希薄さは強者故の余裕と見られても、男衆への――特にレヴィンへの態度は気安さという度合いを超えている。

 その態度にロヴィーサは我慢できず、追い払って退かせる場面が何度もあった。


 そして、ルミと反して寡黙なのがリンだった。

 こちらは常に周囲へ気配を配り、一塊となって動くレヴィン達の後ろから付いて来ている。


 このリンにしても、向けているのは外周に対してであって、レヴィン達ではない。

 もしも、ここに危険な魔獣が棲息しているのなら、そうした態度も当然だ。


 だが、どちらかと言うと、地理的優位に立てる位置を、予め把握しておこうとしているようにも見える。

 それがレヴィン達に対してなのか、それとも外敵に対してなのかは不明だが、進む程に彼女の機嫌は下落しているようだった。


 そこへ全く空気を読まない――読むつもりのないルミが、忙しなく警戒するレヴィンへと、肩の触れ合う距離まで近付いて来た。


「なぁによ、しかめっ面しちゃって! 旅は道連れ、楽しい方が良いに決まってるじゃないの。……あ、どうせなら歌でも歌う?」


「冗談でしょ……」


「それリクエスト? 『冗談でしょ』って曲の」


「――違いますよ。止めて下さい。大声上げたら、魔獣とか魔物やら、無駄に呼び寄せるようなものじゃないですか」


 大抵の場合において、ルミの相手をさせられるのはレヴィンだった。

 彼が辟易とした息を吐くのも、これで何度目か分からない。

 ヨエルもまた、そんな様子を見て、呆れを存分に含んだ息を吐いた。


「ここまで緊張感ねぇと、逆に感心するな。道中、ずっとそういうノリなのか?」


「いやぁ、そうでもないのよ。……分かるでしょ? アイツってば全然、ノリ悪いからさぁ……」


「それが普通じゃねぇのかね……」


 一度、街の壁を越えれば、そこは暴力が支配する世界だ。

 常に気を張り、魔物の不意打ちなど、危機から身を防ぐ手立てを考えておくのが当然だった。

 声を上げて移動するなど以ての外で、たとえ見渡す限りの荒野だろうと、そんな馬鹿な真似をする者などいない。


 そうして、まったく緊張感の欠片もなく、その常識に喧嘩を売ろうとしているのがルミだ。

 行程はまだ長く、ようやく目的の森へ到達した時には、既にレヴィンは気疲れでヘトヘトになっていた。


 しかし、だからとそれで、いつまでも軟弱な姿勢を見せているわけでもなかった。

 見るべき所はしっかり見、奥には山が見えるのも確認している。

 標高はそこまで高くなく、南の山岳に比べれば半分程しかないのだが、こちらは切り立った崖が多かった。


 自然に出来た山というより、まるで巨大な爪に削られて出来た物に見える。

 凡そ傾斜というものが見当たらず、岩肌も険しく、登るのは相当骨だと分かった。


「ここを通るのか……」


「まぁ、正気の沙汰じゃないって感じよね。普通、ここを通ろうとはしないもの」


「……そうなんですか?」


 レヴィンが森とルミを交互に見つめて尋ねると、彼女は軽薄に見える仕草で頷く。


「魔獣の棲家ってのは勿論だけど、整備された道が他にあるからね。かなりの遠回りになるけど、危険と天秤に掛けたら、どっちを選ぶかなんて言うまでもないって感じよ。今からそっちに変えたいなら、それでも良いわよ?」


「いいえ、こっちで」


「そうよね、危険が大好きって顔してるもの」


 何かを知ってるのか、あるいは既に勘付いているのか――。

 ルミはニヤリと笑みを浮かべると、すぐに身体を森へと向ける。


 山の陰となるからか、木の高さや太さはレヴィンが良く知る森よりも細い。

 その代わり、湿気が大きく地面も常に泥濘ぬかるんでいるような状態だ。

 むせ返るような青臭い空気が充満していて、虫もまた多そうだった。



  ※※※



 森の中へ足を踏み入れたレヴィン達だが、予想に反して泥濘は少なく、意外なほど歩きやすかった。

 土の上ではなく、山の上に作られた森だから……恐らく、それが理由だろう。

 森の中にあって、外から見えた岩肌らしきものが、森の中にも乱立している。


 木々以外にも、その岩肌が壁となって進行を妨げる場面に幾つも遭遇した。

 根は岩肌に沿って伸びているが、時折その岩を登ろうと上へ向かって伸びる根もある。

 時々は、そうした根に掴まりながら岩肌をよじ登り、そうしてレヴィン達は先へと進んで行く。


 根はどこにでも張っている。

 岩肌が露出していない地面となれば、尚更だった。

 しかし時として、根のない場所もあり、ルミはそれを迂回して渡り、レヴィンもそれに倣って動く。

 後続にいたヨエルは気にせず進み、そうして唐突に姿を消した。


「――どわぁッ!?」


 何事かと振り返れば、落とし穴に嵌って身動き取れなくなっている。

 そのすぐ後ろを歩いていたアイナやロヴィーサは、唐突な罠に目を丸くさせていた。


 アイナなどは、曲がり間違っていれば一緒に落ちていたと悟り、尚のこと驚愕に身体を震わせている。

 レヴィンはまさか、という思いでルミへ目を向ける。

 これが目的で森へ誘ったのか、と身構えたものを無視して、ルミは嬉々とした動きで戻って来た。


「ほらほら、間抜けヅラ拝んであげましょうよ。何であたしがわざわざ迂回したのか、もうちょっと考えて歩いた方がよろしくてよ」


「あぁ、そうかい……。まぁ、全然平気だけどな。こっちの方が近道だと思っただけだ」


「あら、そう。近道ねぇ……。横穴でもあった?」

 

 ルミは、獲物をいたぶるような視線で、助ける気も起こさず楽しそうに覗き込んだ。

 ヨエルは悔しげな声を上げるだけで、それ以上の返答を拒否している。

 その間にレヴィンは、助け出せるロープか、その代わりになる何かが無いかと、周囲を見渡していた。


 そうしている間に、ロヴィーサが荷物の中からロープを取り出し、手早く近くの幹へ巻き付けている。

 先端を穴の中へ落とすと、それがヨエルの鼻先近くで揺れた。


「どうぞ、早く上がってきて下さい」


「あぁ、すまねぇ。助かる」


 握り込むんで力を入れると、ヨエルは肩の力だけでグイグイと身体を持ち上げ、無事ロープを登り切った。

 アイナは感嘆の息を吐いたが、重い武器を背負っていようと、辺境領の兵士ならばこの位は当然できる。


 ヨエルは疲れを感じさせない動作で這い上がり、何でもない風を装いながら、服を叩いて汚れを落とした。

 ルミは人の悪い笑みをニヤニヤと浮かべ、その様子を面白がって見ていて、特に何を言う訳でもない。

 しかし、その視線に耐えかねたヨエルが、唾を飛ばす勢いで口を開く。


「そんな目で見るなよ、不可抗力だろ!? 大体、分かってたなら教えてくれたら良かったろうが!」


「何を言うのよ、教えたら面白くないじゃない。せっかく色んな遊び場があるんだから、有効活用しないとね」


 その一言に、レヴィンの目が薄く細まった。

 ロープを回収していたロヴィーサもまた、同じ懸念に気が付いて、レヴィンの後ろからそっと耳打ちする。


「……誘い込まれたのは、我々だったかもしれません」


「あぁ、やはりそうか、と気付いたところだ。直前には別の道があると提示されてたが……」


 それさえも、油断させるブラフであったかもしれない。

 遮蔽物の多い森ならば、もしくは有利な位置取り、不意打ちが可能かと、レヴィンは目算を立てていた。

 しかし、地の利を知っているのはルミ達で、そうして天然のトラップがあるのなら、それをしようと企んでいてもおかしくない。


「だが、それならこれで、一気に警戒心が増した。そのつもりなら、ここで見せたのは悪手でしかないが……」


「ですね……、意図が読めません」


 分断工作をしたいなら、その為の警戒を呼び起こさせないとか、事前に注意を呼びかけるなどして、信用を得る方が得策だ。

 何か仕掛けるつもりなら、事前に注意を呼び起こす何かを見せない方が、よほど有利になっていたろう。


 それをしないのは、他に何か理由があるからか……。

 レヴィンは持てる警戒度を、一段飛ばしで一気に上げた。

 今はもう、からかい飽きて満足し、再び先導を始めたルミの背を見る。


 彼女の目的が何にしろ、警戒させてしまうのは、その遂行に支障を来すはずだ。

 それなのに、彼女は全く頓着していないように見える。

 ――余程の自信があるのだろうか。


 見抜かれようと関係ない……そうした自信の現れなら、余程の注意が必要だ。

 ――ここから先、その一挙手一投足を、一つ足りとも見逃さない。


 レヴィンは気を引き締め直し、警戒に進み続けるルミの背中へ、強い眼差しで睨み付けた。



  ※※※



 それから歩いて数時間、日差しも中天へ差す頃合いになって来た。

 頭上を覆う葉の隙間からは、疎らに光の線が注がれている。


 そのいつまでも続くと思われた森林地帯も、しかし唐突に様相が変わった。

 地面には踏み荒らされた後があり、木の幹にも多くの傷が付いている。

 だが、足跡は人の物ではない。

 獣――獣と思しきものが複数種あった。


 ルミは屈み込んで手を伸ばし、足跡をつぶさに観察する。

 後ろでただ見守っていたレヴィン達も、沈黙が長く続くと、流石に黙っていられなくなった。


「あー……、どんな感じですか?」


『グルァァァ……!』


 返事は遠くから、獣の雄叫びとして返ってきた。

 レヴィンはヨエルと互いに目を合わせ、それから息を潜めつつ周囲を窺う。


「まぁ、魔獣か……魔物か? どちらにしても、歓迎できない叫び声ってことは分かったな」


「凶暴そうな声だった」


 レヴィンにしろヨエルにしろ、その腕には十分自信がある。

 しかし、そうであっても辺境領の魔獣や、魔物に対する知識しかなかった。


 大抵の敵にはその場で対応できる自信があるとはいえ、未知の敵が相手だ。

 レヴィンのみならず、ヨエルとロヴィーサも、その叫び声に聞き覚えがなかった。


 ルミが警戒する程の相手でもあり、悠長に構えてはいられない。

 気を引き締め直し、武器の柄に手を伸ばす。

 森の奥からは、何物かの気配が近付こうとしていた。

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