謀の代償 その2

「……まぁ、凶暴そうってのは、間違いなんだろうけど……。でも今は、もうこの近辺にいない」


 ルミは足跡を調べている顔を上げて、次にリンへと目を向けた。


「……どう? アタシの見立て、間違ってる?」


「いや、それで間違いないだろう。これは黒紅虎が争った跡だ。つがいに見せる一種の求愛行動だろうな。メスは強いオスを求め、見極めようとする。時に嵐が過ぎ去ったかと思う程の被害を、周囲に出すものだ」


「さっきの雄叫びもあったしね。ってことは……」


 ルミが視線を上方へ向ける。

 小高い崖は地面から直角に聳えており、その岩肌には爪で引っ掻いた跡が、幾つもの線として残っていた。

 まだ真新しく、一足飛びに登って行った、その躍動感まで感じ取れるようだ。


「こっちを獲物と見れば、襲い掛かって来るかもしれないわね。前門の虎、そして後門の……」


 ルミが向けた視線の先には、最後尾を歩くリンがいた。

 彼女は常に寡黙で、ルミとは正反対を性格をしている。

 ルミがよくする遊びや軽口に付き合うことなく、常に警戒を忘れない、戦士の鑑とも言える態度を見せていた。


 そんな彼女だから、狼めいた雰囲気を発している、と言いたかったのかもしれない。

 しかし、レヴィンが受け取った意味は違った。


 まさしく言葉通り、今やアギトが閉じられようとしている。

 罠の口へと入り、そして今まさに、そこへ飛び込み逃げられなくなっている可能性があった。


 ルミは悪戯めいた笑顔を引っ込め、続く道の先を示した。


「ここから少し進むとね、ちょっとした難所に当たるわよ。崖を登って上を行くか、それとも真っ直ぐ森を進むか。どっちがいい?」


「それ、選ばせる意味あるんですか?」


 黒紅虎がどういう魔獣で、どういう性質を持つものか、当然レヴィンは知らなかった。

 しかし、ルミが警戒を顕にする程の相手だ。


 生半可な相手でない、と察するのは容易い。

 崖を登った先にいる、正体不明の魔獣を相手にするぐらいなら、別の道を進む方が得策ではあるだろう。


「因みに、この先の森を進んでも、やっぱり魔獣の棲家だからね。例の黒紅虎から追い立てられた、謂わば負け組が住まう場所なんだけど……。だから、数も多くて厄介なのよね」


「どちらを選んでも、死の道ってわけですか。なるほど、前門の虎……。そして後門の……」


 崖の上と森の先、レヴィンは交互に見比べて息を吐く。それから、窺う様な視線をロヴィーサへと向けた。

 彼女は気配を読むのに長けているだけでなく、そこから敵の強さや危機を汲み取るのも、また得意だ。

 それを期待しての視線だったが、ロヴィーサは難しそうに眉を顰めて黙り込んでしまった。


「……どちらとも言えないか?」


「こうなると、好みの問題でしょう。数多く敵を相手にするか、強大な二頭だけを相手にするか。そういった類の……」


「……なるほど、甲乙つけ難いな」


 実際、悩ましい問題だった。

 いざとなれば、ルミとリンの二人がいるから、と頼りにしても良い問題でもない。

 この二人なら、むしろ早々に安全地帯へと逃げ、高みの見物でも決め込みそうだった。


 そして、敵が強大である程、レヴィン達の手の内を、彼女らに知られてしまう事にもなる。

 そうであるなら、まだしも多数を相手にした方がマシに思えた。

 手の内を幾らか晒すことに違いはない。

 しかし、連携で補い合うことで、切り札を見せずには済ませられる期待は持てる。


「――よし、森を行く。それでいいですか?」


「別にどっちだろうと、こっちは構わないわよ。ただ、まぁ……どんな魔獣が襲い掛かって来るか、そこまで知ったコトじゃないけど」


「ちなみに、どういう奴がいるか教えて貰っても?」


「アンタぐらいなら頭からぺろりと食い千切ろうとする奴とか、内臓食べるのが大好きな奴らとかよ」


「もう少し、具体的に言ってくれませんかね……」


 しかし、これには笑みを深めるばかりで、詳しく教えてくれなかった。

 それどころか、ルミはアイナへとわざとらしく目を向け、脅しつける様な言葉を吐いた。


「あぁ、そうそう。後者は特に、女の肉を好むみたいね。どうせなら、柔らかい肉を食べたいってところなんでしょうねぇ」


「子供騙しみたいな真似は止してくれよ」


 怯えた顔で表情を引き攣らせたアイナを庇って、ヨエルがその前に立った。


「まったくよ……どうせなら、もっとマシな情報よこしてくれよ」


「あぁ……、それなら一つ、とっておきのがあるわよ。今ならアタシのハグ、無料キャンペーン中だけど」


「いらねぇよ、そんな情報。大体、少しもマシじゃねぇし」


 吐き捨てる様に言うと、ルミはからからと笑って、前へ向き直った。

 ヨエルが疲れた溜め息をついて頭を掻き、それ以上何も言うつもりのないルミは、勝手に歩き出した。


 そうして進むことしばし、そうそう、とルミが後ろを振り返る。


「この先、神殿までは近いんだけどさ、森の途切れた場所、崖になってるから気を付けて。逃げる決断をするのも自由だけど、外の光に誘われて、そのまま落ちてしまわないようにね」


「そりゃ有力な情報だね。そういうのを先に言えっての、……なぁ?」


 ヨエルは隣を歩くアイナへ同意を求めたが、これには苦い笑みで応答があるだけだった。

 ルミの性格を分かりかけて来たのか、真面目に相手するべきでない、という判断なのかもしれない。


 そのまま森を奥へ奥へと進んで行き、獣の気配が濃厚に感じられるようになった頃、先頭を歩くルミが顔だけ横を向いて訊いてきた。


「ねぇ、アタシ達、ここまでやって来て親睦を深めたわよね? 随分、仲良くなったと思わない?」


「……そうですかね? おちょくられた記憶しかないですけど」


「それこそまさに、親睦を深めたって意味じゃないの。だから、訊かせて欲しいのよ」


 はぁ、と生返事で返したレヴィンに、口を半月型に歪めたルミが問う。


「神殿襲撃してるの、アンタらでしょ? 何を理由にそんなコトしてたのよ」


 その瞬間、レヴィンは元より、他の二人も武器を抜いていた。

 アイナを中心に置いて、互いに庇い合える距離を保ち、ルミとリンへ油断なく目線で射抜く。


 アイナは両手を胸の前に抱いて、いつでも『鍵』を取り出せるよう、準備している。

 そして、レヴィンの号令があれば即座に使う、とその目が訴えていた。


 しかし、ルミにしろ、リンにしろ、一定の距離を保って動こうとしない。

 ルミは背を見せた格好から、余裕を持った動きでゆっくりと正面に向き直る。

 武器を伸ばしても間合いに届かない、絶妙な距離だった。


 そして、一足飛びに接近しても、ルミならばどうとでも出来る距離でもあった。

 周囲は魔獣と思しき視線に囲まれ、敵はルミたちだけでないと知らせてくる。

 下手な殺気を撒き散らすことは、その魔獣を刺激することに繋がるだろう。


 強い敵意を向けるだけでも、魔獣の攻撃を誘発しそうだった。

 ルミとリンはどこまでも自然体で、殺意はおろか敵意すら感じられない。

 気配すら希薄で、目の前に実際いると信じられない程だった。


 ――やはり、罠だったか。

 油断していた、とレヴィンは判断せざるを得なかった。

 この場合、魔獣を刺激し、誘発するのはレヴィン達の方だ。

 そして、ルミたちは全く無視される形で、魔獣はレヴィン達のみを襲うだろう。


「くっ……!」


 レヴィンの口から、思わず苦々しい息が漏れる。

 決して油断しておらず、罠に関しても警戒は強くしていた。

 いつ、どこで仕掛けるつもりか、と注視していたのは、ルミ達も感じ取っていただろう。


 だからこそ、なのだろうか。

 敢えて気楽な態度を見せ、一度は掛かった罠を笑って見過ごし、警戒心を少しずつ剝いでいった……。


 そして、森側へ足を向けたことで、罠のアギトを閉じる事にしたのかもしれない。

 今やレヴィン達は、天然の包囲網に囲まれてしまっている。


 では崖上を目指していればどうなったか、というと、恐らくそこでも上手く罠に嵌める手段があっただろう。

 黒紅虎という種を、レヴィン達は知らない。

 だが、その場合でも同様に、その魔獣をけしかける事は出来たはずだ。


 強大な魔獣であるほど、知能もまた高い。

 リンがその圧倒的武威で力量差を示し、軍門に降った魔獣を利用したとしても、全く不思議ではなかった。


 ――それは被害妄想が過ぎるか。

 レヴィンは頭を振って、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。


 そもそも彼女らは、事前に思考誘導していたのではないか。

 巨大な足跡、傷付いた木々、岩壁へ刻まれた太い爪痕……。

 あれを見て、黒紅虎を侮るのは愚かなことだ。


 ルミからは崖と森、どちらでもどうぞ、と言われていた。

 だが、もし崖を選んでいたら、それとなく嗜められたかも知れない。

 魔獣の程度を知らないレヴィン達を誘導するのは、大して難しくないと思うべきだった。


「だが、まだ……!」

 

 レヴィンから仕掛けようと思えば、まだ様子見の段階である、今しかない。

 しかし、アイナに鍵を使って貰うには、その手が直接届く範囲まで近付かなければならなかった。


 不意打ちでやるならともかく、この状態から使うのは難しく、隙を見せないルミへ届かせるのは、如何にも不利だ。

 そして、レヴィンの葛藤など露知らず、ルミは余裕の表情を崩さぬまま、目の前で腕を組みながら言った。


「まぁ、大体は分かるけどね。ちょっとアイナを過剰に庇い過ぎ。つまり、その娘がカギってワケよね。……誰よりも弱いから庇う。それも考えられるけど……、そうじゃないわよね」


「お前達こそ、何が目的だ。淵魔と、どういう関係だ?」


「どういう関係もないわよ。当たり前でしょ? 淵魔は敵。滅すべき敵だわ。それは立場が違っても、共有共通の事項じゃない」


「だが……」


「分からないのは、アンタらよ。何が目的? その娘を使って、何を企んでるワケ? ――あぁ、敢えて今は詳しく訊かないけど……その娘、ワケあり確定で良いのよね?」


 ルミの相貌はアイナへ向けられている。

 そして、アイナは恐れる視線を向けるばかりで、何の返答もしなかった。


 レヴィンはそれでいい、と頷いて見せる。

 言葉はなかったが、アイナはそれで十分、元気付けられたようだ。


「アタシもさ、別に苛めたいワケじゃないのよ。苛めて欲しいって言うなら別だけど。……それに、ユーカードには思い入れもあるからさぁ。下手なコトしたくないのよね」


「ユーカード家に? 思い入れ?」


「それはまぁ、別にどうでもいいのよ。目的はその娘だけだから。厄介事しか運んで来ないワケだし、こっちとしてはすぐにでも排除したいくらいなのよね」


 ルミの意図がどうであるにしろ、レヴィンにとって聞き捨てならない台詞だった。

 排除が何を意味するか、それは考えなくても明らかだ。


 アイナを守るには戦うしかない。

 圧倒的不利であると分かっていても、ここで戦う以外の手段はない。

 レヴィン達は示し合わせて頷き合うと、遂にその覚悟を決めた。

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