ロシュに降り掛かる悪夢 その2

 カトルは魔術に対する耐性がある――。

 少なくとも、そう考えておかねばならなかった。


 ミレイユの魔術、そして竜それぞれの異なる属性の息吹ブレスを受けて、無事である理由はそう多くない。


「ルチア、お前は回復と補助に専念。アイツは、私とアヴェリンで受け持つ」


「了解です」


「……はッ、お任せをッ!」


 ルチアは冷静に返答して数歩下がり、それに反して、アヴェリンは熱心に意気込んで首肯した。

 それを視界の端で見ながら、ミレイユは右手に魔力を集中し、そこに剣を召喚する。


「こうして戦うのも、実に久しぶりだな、アヴェリン」


「ハッ、真に! 血湧き、肉躍ります!」


 そこに直上から襲い掛かったカトルの攻撃を、アヴェリンが盾で受け止めた。

 接触の衝撃で周囲が吹き飛び、アヴェリンの足も地面に沈む。


 今の一撃でアヴェリンの足首が折れていたが、それを無視して獣じみた笑みを浮かべた。

 そして、痛みを全くおくびにも出さず、反撃を繰り出す。


「ハァァァッ!!」


 その膂力は凄まじく、カトルの腹を強かに叩き付けた。

 ここでもまた凄まじい衝撃が走り、その黒い巨体を吹き飛ばす。


 結界の反対側まで押し出されたカトルだが、態勢を整えた時には、既にミレイユがその懐近くまで肉薄していた。


「フン……ッ!」


 握っていた剣を水平に振るう。

 カトルは腕を持ち上げ、それを防ごうとした。

 しかし、あっさりと貫通、あげく切断されて驚愕の声を上げた。


「な……ッ!?」


「お前……私は剣も使えること、忘れてたんじゃないだろうな?」


 更に剣撃を重ねながら、ミレイユはカトルに――カトルの奥にいる『核』を意識しながら話しかける。


「お前の犠牲になったカトルは、どうにかすれば助け出せるのか?」


「馬鹿めっ! 出来るはずないだろう……! 永遠に我が糧、そして駒となるのだ!」


「そうか……、仕方ない。助けてやりたかった……」


「既に勝ったつもりかッ!」


 激昂するカトルに、ミレイユは至極当然、と頷いて見せる。


「その程度でしかないのならな」


「舐めるなッ!」


 しかし、カトルの威勢も長く続かなかった。

 足首をルチアに治療して貰ったアヴェリンが、その戦いに復帰したからだ。


 双方から攻めたてられ、また片腕を失ったカトルには大いに不利だ。

 アヴェリンが盾を用いて腕を絡め取り、その動きを封じる。


 その決定的な隙を、見逃すミレイユではない。


「さぁ、ここからどうする」


 ミレイユは剣を振るって、その両足を切断した。

 その場に崩れ落ち、憤怒の表情で睨みつけるカトルだが、アヴェリン共々、全く意に返していなかった。


 背中を見せて倒れた所へ、更に剣裁を響かせ、その翼を奪い取る。

 これでろくに身動き出来ず、逃げ出す事も出来なくなった。


「さて、これでゆっくり話ができるな」


「ば、馬鹿な……! こんな……、子ども扱いを……!」


 怒りに震えるカトルに、警戒を解かぬままアヴェリンが鼻で笑う。


「むしろ当然だ、馬鹿め。誰を相手にしているのかすら、分からんのか」


「ふ、ふふ……。誰を、か……」


「何が可笑しいッ!」


 アヴェリンがメイスを突き付け、激する。

 しかし、カトルの表情は変わらぬまま、それどころか、明らかな嘲笑が混じっていた。


「誰を相手に、と言いたいのはこちらの方だ。……簒奪者め。神の名を騙る紛い物め……!」


「……まぁ、そう言われたら、その通りだと開き直るしかないが。……しかし、お前の方こそ、忘れられては困る。この世界を最初に見捨てたのは、お前の方だ」


「そうとも、恥知らずめ! 自ら放り捨てたものに今更しがみ付いておいて、浅ましいとは思わんのか! それを救い上げ、正しい世界を取り戻した者こそがミレイ様だ! お前にとやかく言われる筋合いなどないわ!」


 アヴェリンの激怒は、凄まじいものがあった。

 そこに至るまでの悲喜こもごもを知っており、そして艱難辛苦に放り込んだ遠因が、この世界にかつて君臨した神だと知っているからだ。


 今は神としての面影すらなくし、泥とヘドロ混じりの悪意だけで生きている。

 それが何より、彼女にとって許せなかった。


 何処までも邪魔をし、どこまでも汚泥を被せてくる。

 そして、それは世界を侵す毒でしかなく、多くの人と、多くの物がその被害を被って来た。


 殺せるものなら、問答無用で即座に殺してしまいたい、とアヴェリンの表情は物語っている。

 それはミレイユとしても、まったく同じ気持ちだ。

 しかし、努めて冷静に心を落ち着かせ、ミレイユは言葉を返した。


「私はお前が言うところの“神”ではないのかもしれない。しかし、既にこの世界をお前は拒絶し、それを私が受け取った。だから、どうこう言われる筋合いはない」


「何を……」


 カトルはそう言いかけて、ミレイユの目に宿る、強い意志に気圧され言葉を失う。


「お前は既に、この世界にとって異物だ。過去はどうあれ、今は決して受け入れられない。世界の片隅で隠れて暮らすというのならまだしも、全てを自分の色で染め上げ、支配しようと考えた。その僭越と傲慢を、必ず後悔させてやる」


「当然の権利だ! この世界を作ったのは、一体誰だと思っている!」


「現支配者の私が、それを許さないと言っているんだ。今度こそ、完全に滅ぼされなければ、それを理解できないか?」


 ミレイユは目を細くして見つめる。

 そこから放たれる絶対零度の視線は、この先はどうあっても容赦しない、と告げていた。


「もっとも……、泣き喚いて命乞いしたところで、もはや結果は変わらないが」


「ふ、ふふ……、驕るものだな。……そこまで傲慢になれるのかと、逆に感心したくなる」


「お前の方こそ驕るな。既に神でも何でもない、自ら神性を捨て去り、汚泥に身をやつし、醜い化け物に堕ちておいて」


「そうとも、神ではない。神の枠組みから超えた、新たなる存在――“新神”なのだ!」


 カトルの身体が膨張し、切断面から無数の触手が生えた。

 その触手が、切断された腕や足を絡め取り、吸収してその一部とする。


 次の瞬間には、再び手足や翼が生え、そのまま上空へと逃げた。

 ミレイユは舌打ちを抑え切れず、早々にトドメを刺さなかったのを悔やむ。


「そういえば、切断された部位は地面に溶けて消えるんだったか……。それがなかった時点で、企みがあると気づくべきだったな……」


「しぶとさだけで言えば、淵魔というのは、これ以上なく厄介です」


 アヴェリンが追随して頷き、上空を睨みつける。

 その時、翼をはためかせたカトルが、両手を広げて高らかに叫んだ。


「穿て!」


 その一声と共に、幾条もの光線が指から放たれた。

 十の指から曲線を描いて殺到する光線を、アヴェリンとミレイユは小刻みに動いて躱す。


「触れるなよ! 盾すら貫通するかもしれない!」


「ハッ!」


 アヴェリンからの短い返答を聞くのと同時、側面から襲い掛かった光線を躱した。

 しかし、次の光線を躱そうとしたその時、死角から襲った光線が腹部を貫く。


「な、に……!?」


 並大抵の攻撃では、ミレイユの防膜を貫くことは出来ない。

 戦闘中ということで、油断もなかった。


 更に、この肉体は相当頑丈に出来ている。

 久々に味わう痛みに、ミレイユは思わず顔を顰めた。


「ミレイ様……!」


「大丈夫だ。……が、私の防御を貫くとは……」


 あっさりとその腕や足を切断できたから、油断があったのは確かだ。

 躱すのではなく、魔術で防御壁を築いていれば、光線の貫通力を察知できた筈だ。

 その事に悔やみながら回避していると、躱したと確信した横で光線に貫かれた。


「ば、かな……!」


 攻撃を受けたのは同じ腹部、確実に狙って当てたもので、まぐれ当りではない。

 痛みに顔を顰めていると、ルチアから治癒術が飛んできて、出来たばかりの傷を癒やした。


「どうなってる……。確かに躱したぞ!」


「能力は一つではない。ミレイ様、そういう事かもしれません」


「あぁ……。十分、あり得る話か……」


 そもそも、得られる能力が一つである、と決めつけて良いものではない。

 むしろ誤認させる目的で、これまでの“新人類”には、あえて抑えていた可能性すらある。


 敵は空中にいて、アヴェリンでは手が届かない。

 だから、ミレイユが行かねばならないのだが、次々と上空から光線が降り注がれ、迂闊に接近できなかった。


 その上――。


「ぐっ! また、か……!」


 ミレイユに光線が命中する。

 咄嗟に突き出した召喚剣で軌道を逸らし、上手く避けたつもりが、やはり直撃して態勢を崩す。


 太ももを貫かれ、膝がガクンと落ちた。

 即座にルチアの治癒術が飛んできて、傷が癒えると共に真横へ躱す。


 直後、ミレイユがいた場所に光線が降り注いだ。

 全てを躱したつもりなのに、気付けば傷を受けている。


 今度は胸を貫かれたミレイユは、血を吐いて動きを止めた。


「かハッ……! どうなってる……!?」


「ミレイ様、傍で見ていて気付きました。奴は、間違いなく時空関連の能力を持っています!」


「何故、そう思う」


「逃げる先を的確に狙い過ぎです。その上、通り過ぎた光線が戻ったようにも見えました。『未来視』と『過去転移』、これを併用しているのではないかと!」


 一度、使われた能力だ。

 また使って悪いという話はない。


 だから、かつて使った能力を、カトルに詰め合わせて悪いという話もなかった。

 そして、それを否定できるだけの材料を、ミレイユは持ち合わせていない。


「ある……やっている、と思うべきか……!」


 その事実を受け入れると、きっとそうだろうと思えてくる。

 躱した筈の光線、しかし直後に直撃を受けた。


 不思議というより理不尽だが、その光線だけ過去に戻したと考えたなら、これに説明が付くのだ。


「未来視で見られる時間は限定的です。しかしそこを、過去転移で上手く補完しているのではないかと……!」


「厄介な……。使い方にも慣れ始めているのか……」


 戦いに慣れていない、とミレイユは評した。

 そして、それは事実でもあったろう。


 しかし、『核』に経験がなくとも、やり直すことは幾らでもできる。

 駒の死と引き換えに、その経験を得れば、次はもっと上手く活かせるだろう。


 醜悪な戦闘方法だが、これは実に有効だった。

 人命を何とも思っていないからこそ、出来るやり方だ。


 その時、またも光線が飛んで来たが、防御壁を展開して防ごうとする。

 しかし、難なくこれを貫かれてしまった。


 ミレイユは最早、形振り構わぬ決断に迫られていた。

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