最終章

ロシュに降り掛かる悪夢 その1

 突如、頭上高くから現れた“新人類”は、その腕を異様な形に変形させて、ミレイユへ襲い掛かろうとしていた。

 その腕は黒々とした筋肉質で、まるで別の魔物の腕を、無理やり貼り付けたようにも見える。


 だが、そうではない。

 今も落下しながら、その腕は更に隆起し変化しようとしていた。


 彼ら“新人類”は、共通して特異な体質を持つ。

 そこから生まれた能力に違いなかった。


 ミレイユは落下してくれる赤髪の男を、冷えた視線で見据えつつ、足元の竜へと命を下す。


「ドーワ、やれ!」


 その一言で全てを察した赤竜は、首を持ち上げ口を敵に向けると、間髪をいれずに息吹ブレスを吐き出した。

 全ての竜の頂点である、赤竜の口から放たれる熱線は、プラズマさえ発する超高熱の光の束だ。


 大抵の魔物、淵魔も含め、為す術なく灰と消える。

 しかし、赤髪の“新人類”は、その腕を傘の様に変形させて、熱戦を防いでしまった。


 熱線と腕の防御でせめぎ合う。

 放出されるエネルギー量から考えても、そのまま押し出し、吹き飛ばしてしまうのが当然だろうに、空中で制止したまま完全に受け切っていた。


「ドーワ、屋根の奴らにも指示を出せ」


 そう言いながら、ミレイユもまた両手を広げ、それぞれの手で攻勢魔術を制御する。

 神殿にいる二体の竜から、それぞれ違う属性の息吹ブレスが吐き出されるのと、ミレイユが『爆炎球』の魔術を解き放ったのは、ほぼ同時だった。


 ドーワの息吹ブレスを受け止めるだけでも大概だが、質が落ちるとはいえ二体分の息吹ブレス、そしてミレイユの魔術である。

 これを受けて、何のダメージもない方がおかしい。


 それぞれの攻撃が着弾すると、大爆発が起きて空間を揺らした。

 衝撃が四方に広がり、大地すら揺らす。

 暴風が撒き起こり、天上に見えた雲がその熱波で霧散した。


 それだけの威力だから、地上の者達も決して無傷ではない。

 熱の混じった強風に煽られて、吹き飛ばされた者までもいる。


 ミレイユはそうした犠牲を無視して、変わらず空を見上げて警戒していた。

 ――普通ならば即死だ。


 塵も残さず消滅している。

 しかし、そこまで呆気ないものか、と思わずにはいられなかった。


 呆気なく討滅できたと思う一方、過信が何より恐ろしい、とミレイユは痛感していた。

 敵の駒数が分からない現状、慎重に慎重を重ねるぐらいが丁度良かった。


「ルチア、結界で封じろ! 爆発の中心点を目安に!」


「了解です!」


 返事と共に、速攻の魔術行使が行われる。

 頭上は今も、広がる爆煙で視界が利かない。

 しかし、それごと四角形の結界の中へ閉じ込めると、それが徐々に縮小していく。


 その間に、ミレイユは身動き出来ず固まっている者達に指示を飛ばした。


「何をしてる! 今も作戦は続行中だ! 外からの警戒を怠るな! 防衛準備に取り掛かれ!」


「……は、ハッ! 失礼いたしました!」


 敬礼と共にヴィルゴットと、その麾下が動き出した。

 既に到着していた鬼族の兵士も、その後を追っていく。

 結希乃とその兵もまた、ミレイユに敬礼した後、その後ろを付いていった。


「ミレイユ様、我々は……!」


 声を上げたのはレヴィンで、それを目線だけ動かして確認したミレイユは、神殿の方を指さした。


「お前たちには回復が必要だ。魔力、体力、スタミナ、どれも限界だろう。戦線に立つより前に、万全の状態に戻せ。その為の物資が、いま運び込まれている」


「ハッ、了解しました!」


「――アタシはどうする?」


 ユミルからの求めに、ミレイユは一度外壁を指差してから動きを止め、それから改めて神殿へと指の向きを変えた。


「外壁で部隊を率いて……と思ったが、違うな。そちらには戦力があるから、最後の砦として、お前が神殿の守護に当たれ」


「まぁ、そういう人選は必要だろうけどさぁ……。あっちは大丈夫?」


 ユミルが頭上の結界に人差し指を向けて問うと、ミレイユは面倒臭そうに顔を歪めて頷く。


「アヴェリンとルチアもいる。大抵の敵はどうにかなるだろう。それより気にしたいのは、その間に防備を食い破られることだ」


「まぁね、そうだけど……。結希乃達が来てくれたとはいえ、心許ないのは事実か……。さっさとそっち終わらせて、邪魔な奴らを黙らせてよ」


「あぁ、長引かせるつもりはない」


 ミレイユが殊更強く頷いて見せると、それでようやく納得して、ユミルはレヴィンの後を追って神殿へと駈けて行った。


 ミレイユは小さく息を吐いて、頭上を見上げる。

 そうして、傍らのルチアに様子を尋ねた。


「……それで、結界内の様子はどうだ?」


 上空の煙霧ごと対象を封じたので、煙ばかりが結界内に充満し、中身の様子が見えて来ない。

 逃げ出せたと思えないから、いまも結界内に囚われている筈だ。


 しかし、ミレイユが指示を出している間、何かしらの行動を起こす機会は幾らでもあった。

 にもかかわらず、続く沈黙が不気味ではある。


「やはり特別、何か起きてはいませんね。結界は縮小させ続けているので、煙の濃度が上がったことで、意識を喪失したのかも……」


 本当にそうであるなら喜ばしい。

 労せず無力化できる手段が、知れた事になるからだ。


 これからも他の“新人類”と戦い続ける事を想定した時、有効に使えるカードになる。

 しかし、どうやらそう簡単には行かないようだと、次の瞬間判明した。


「結界が……!」


 空中で固定された四角形に、突如大きなヒビが入る。

 そして、ヒビは四方に拡大しつつ、クモの巣状の網目を作った後、粉々に砕けて消失した。


「……どうやら、元気一杯って様子だな」


 ミレイユが呟きながら見据えた先には、怪我一つ見せない赤髪の姿があった。

 しかし、その様子は一変していて、最初は腕一本のみの変貌が、今では体全体に及んでいる。


 人と言うより魔物であり、より近しい姿としては悪魔に見えた。

 赤髪から突き出した角は二本、背中には蝙蝠に似た翼、指と足には鋭い爪があり、全体が隆起した筋肉で包まれている。


 顔も人間の面影がなく、まるでオーガの顔と取り替えたかのようだ。

 ただその赤髪のみが、以前の面影を残す唯一のものだった。


 ミレイユは宙を滑って移動すると、ドーワに向けて話しかける。


「少し離れていろ。どうやら、お前には不利な相手だ」


「……その様だね。口惜しいが、仕方ない」


 そう言って顔を歪めると、その場から離れようと翼で地面を叩く。

 それに応じてアヴェリンが飛び降り、ミレイユもその近くに降り立つ。


 ルチアも傍にやって来て、空中で佇む“新人類”を見やった。

 最初こそ威勢良かったが、今は注意深く、攻撃を仕掛けるタイミングを窺っている。


「……来ませんね?」


「だったら、結界を張っておけ」


「また突破されませんか?」


「だとしても、このままだと周りを気にして力を出せない。逃げだそうとしても、破るには相応の時間が掛かるだろう。私達を前に、悠長なマネはできない」


「然様ですね」


 アヴェリンが首肯して、メイスと盾を持って構える。


「我らを前にして、結界破壊を優先など余りに無謀! それに、奴とて決着を所望でしょう。閉じ込めたからと、逃げ出す相手とも思えません」


「そうだな……、一理ある。出現して初めにやることが、まず私への不意打ちだった」


「……それにしては、下手な不意打ちではありませんでしたか?」


 ミレイユは上空で制止したままの相手を見ながら、僅かに顎を上下した。


「戦闘慣れしてないせいかもな。近すぎても重力を十分に利用できないし、かといって遠すぎると良い的だ。そして実際、良い的にされたな」


「……どうやら、それが“新人類”とやらの弱点ですね。数多の特異な能力を得ても、実践経験そのものが乏しい。私が遭遇した相手もそうでした」


「……未来視できる、というアレか……」


 短く返事してから、アヴェリンは続ける。


「はい、魔術的に実現不可能な能力です。アレがどういう能力を持つか不明ですが、得てして初見殺しに近い能力だったのは確かです。十分、お気を付けなさるべきかと」


「それは間違いない」


 ミレイユ達の間で意識を共有していると、ルチアの制御が完了し、結界が張られた。

 上空の“新人類”まで包む巨大な結界は、中庭の半分を占拠する巨大なものだ。


 これで迂闊に外へ被害を出さずに済むが、同時に外の様子が分からなくなった。

 その点だけが、不満と言えば不満なところだ。


 外で何が起ころうとも、ミレイユは手助け出来ない。

 しかし、結界内で起こす破壊や衝撃が、外へ伝わらなくもなるので、どちらが良いか困るところだった。


「……ともかく、舞台は整った。さて、どうする? いつまでも空にいるつもりだか……。急襲しようとした癖に、今さら時間稼ぎが目的でもあるまい」


 会話するつもりで投げ掛けた台詞ではなかったが、赤髪はこれに反応して言葉を投げ返してきた。


「勿論だ、今更そんな事に何の意味がある? どう処してやろうか、考えていただけだ。……あぁ一応、名乗りは上げておいてやろうか」


「……ほぅ」


「お前も自分が殺される者の名前は、知っておきたいだろう。……カトルだ。お前の様な簒奪者を、殺すために力を与えられた」


「なるほど、人格や記憶まで都合よく改ざん出来るのは、やはり間違いないらしいな。その名前は、元々ユーカード領の、一兵士のものか?」


「――だとしたら、どうする!」


 カトルは罵声を上げると共に、空中から凄まじい速度で突進して来た。

 ミレイユは来たる攻撃に備え、改めて手を挙げ身構えた。

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